譲れないもの
リーゼがノヴァの胸からファルシオンを引き抜くと、辺りに耳の痛くなるような静寂が訪れた。リーゼは信じられないといったような目つきでノヴァの亡骸を見て立ち尽くすだけで、周りの者達も動こうとしない。
するとライトが、ノヴァが持っていた短剣に目を向けた。短剣が放つ光は弱々しくなり、彼が目を向けてから少し経つと光は完全に消失した。再び発光するそぶりを見せることはない。
「……死んだな」
ライトが呟くと、『貪食の黒狗』のメンバーは安堵のため息を深々とついた。次いで、ポールとシルビアの口元に笑みが浮かぶ。
「やった……やったぞ! これで我々の任務は完了だ!」
「まだ私たちの任務は残ってるんですよ、ポールさん。今からデイトンの邸宅で何をしていたかを調べるんですから」
ポールが高らかに声を上げて歓喜した。シルビアは苦笑しながらそんな彼を窘めるが、安堵の表情を浮かべている。
しかし、アバンの表情は暗いままだ。それに気が付いたシルビアが彼を訝しんだ。
「……どうした?」
シルビアに尋ねられたアバンだったが、彼は彼女の方を向かず、代わりに刺突剣をライトに向かって構えた。
「こいつらの処理がまだ終わってない! この傭兵共はノヴァに手を貸していたんだぞ!」
「その身体では無茶だ!」
「シルビア殿は下がっててくれ!」
アバンが激昂しながらマイアを装具に集中させる。彼の身体はボロボロで限界を迎えそうになっているのにもかかわらず、ここにいる傭兵を残らず倒そうという執念で動かしている。その熱気にライトは呆れながらも大剣を抜き、いつでも応戦できるように構えた。
「団長……」
「お前たちは下がってろ。もう限界だろう」
加勢しようとしたヴェルデをライトが制して下がらせると、辺りは一触即発の雰囲気に包まれた。既にアバンの刺突剣の刃からは火花が散っている。
「ちょっと待ってよ」
そこでリーゼが、この空気の中で割り込んできた。周りの者達が一斉に彼女に注目する中、リーゼはアバンに身体を向けた。
「なんで……貴方は傭兵のことをこんなに憎んでいるの?」
リーゼは長らく持っていた疑問をアバンにぶつけた。彼の意識はすぐにリーゼに向かう。
「貴様ら傭兵の存在は……市民を脅かしているからだ! 現にそこにいる『貪食の黒狗』がそうではないか!」
鋭い剣幕でリーゼに捲し立てるアバンだが、リーゼはそれにも怯まない。
「でも、傭兵の私が市民に怖がられている原因を倒した。……本来は違う任務だけど」
「それでも貴様ら傭兵がこの町を荒らし回って民衆を怯えさせたのは変わらない! たとえ貴様らの存在が兵糧部に認められていようと、政治家に雇われていようと、私は貴様らの存在を絶対に認めない! いつ市民や軍に牙を向くか分からないからな!」
リーゼはアバンの言葉に口を閉ざした。彼の傭兵嫌いは非常に徹底している――彼女は両の拳を作りながら立ち尽くす。
「貴様らは金のためなら何でもするんだろう。それこそ、今回みたいに悪党の味方にもなる! 貴様ら本来いてはいけない存在だ! この国の害以外の何物でもない!」
アバンは持論を展開し続け、既にシルビアやポールも手が付けられない状態になっている。
そんな中で、リーゼは両の拳を震わせて俯いていた。その姿を見たザウバーとネオンはにわかに彼女に注目し始める。
「……確かに、貴方の信念は解った。私はお金のために傭兵をやってる。それは間違いない。この町が私たちのせいで荒れたのも間違いない。私がこんなにボロボロになるまで攻撃されても、文句は言えないかもしれない」
リーゼは静かに語るが、アバンの目つきは鋭いままで変わることはない。リーゼが何を言っても許さないという気迫を刺突剣とともに彼女に向けている。
「でも……」
「でも? 何だ」
アバンに語気強く問われると、リーゼは顔を上げた。その目つきはアバンを睨み返しているように見え、アバンの怒りはますます増加する。
「私にだって、譲れないものがある」
「譲れないもの、だと? 傭兵のくせに――」
「傭兵の私にも、大切なものはある!」
リーゼが反撃とばかりに叫んだ。その気迫は、今まで彼女に強気に接していたアバンでさえ黙ってしまうほどである。
「私がお金を必要としてるのは、住んでた村がめちゃくちゃになったから。一刻も早く元の村に戻れるように直していかなくちゃならないからお金がいるの!」
リーゼはアバンしか見ていないが、彼女はその場にいる全員に視線を向けられている。そのことにも気が付かず、彼女は大声で語り続ける。
「村のみんなは私を応援してくれてる。だから今私はここに立ってる。それを誰にも邪魔されたくない」
「お前の行いをそれで正当化するつもりか!?」
「正当化するつもりなんてない! 私は大切な村のために傭兵になった! 村のみんなの支えになりたいから……私が頑張らなくちゃいけない」
リーゼが語気強く反論すると、アバンが刺突剣を下した。それでも眉間にしわを寄せて苛立っている様子は変わらない。
「それと、私は傭兵として戦う理由がもう一つある」
声のトーンを落としてリーゼが語り始めたかと思うと、彼女はネオンの方を勢いよく指さした。皆が彼の方に注目するが、当のネオンは呆気に取られて立っているだけである。
「私たちはこの子の保護も任務として受け持ってる。貴方が勝手に引き離そうとしたこの子をね」
アバンはネオンを見て歯を食いしばり、無意識のうちに左手を腹に当てる。そのことにも気付かずにリーゼは強く語り続ける。
「この子は私たちの保護対象なの。勝手に引き離してほしくない」
「だが――」
「たとえ装具を持っていたとしても、それが不思議な力を持っていたとしても……あなたたちの管理下じゃなく、私たちが責任を持って護らなきゃならない! 邪魔しないで!」
リーゼがアバンを遮りながら強弁する。その様子を、当のネオンは目を丸くして聞き入ることしかできない。
「何故だ……。何故貴様はこの子供にこだわる? その必死さは何だ?」
「……あなたが、この子を連れ去ろうとしたから。あなたが、この子をまた独りにしようとしたから」
「どういうことだ!? 私はただこの子供のためを思って――」
するとアバンが話を続けようとしたところ、ネオンがリーゼを庇うようにして前に立った。彼の目は真剣にアバンを見つめているが、脚は――極度の緊張か疲労かは区別がつかないが――小刻みに震えている。
「僕は……リーゼさんたちのところにいたいです」
はっきりと意見を述べたネオンに全員が注目する。特にリーゼは目を見開いて驚嘆した――彼がこんなにも明確に自身の意見を表すとは思わなかったからである。
「リーゼさんたちといると……胸が温かくなるんです。みんなから変な目で見られた僕と笑って一緒にいてくれるリーゼさんたちが大好きだから……この人たちのところにいたいんです!」
ネオンが泣きそうな顔で必死に声を出して訴えた。彼の訴えの後、時が止まったと錯覚するほどの静寂がしばらくの間続いた。
彼は嘘偽りを言っておらず、言わされたものでもない――ネオンの言葉からアバンが感じ取ったことである。ネオンの視線は純粋なものであり、そこにアバンが疑う隙は無かった。国軍よりも傭兵に心を開いていることにアバンは屈辱感に襲われたが、同時に手出しできないことへの諦めも感じていた。
「……この子がそう考えてるのなら、私はその考えを尊重する」
アバンは厳しい表情を崩さぬままネオンの主張に折れた。その言葉を聞いたネオンは大きく安堵のため息をついてその場に頽れた。リーゼは暫く呆然と立ち尽くしていたが、我に返ると急いでネオンの肩を揺さぶり始めた。
「ネオン君! 大丈夫!?」
「……大丈夫です。でも、力が入らなくて……」
リーゼはファルシオンを鞘に納めてネオンを背負い始めた。二人の体温が密着すると、ネオンに安堵感が訪れ彼は目を瞑った。ネオンの寝息がリーゼの耳に聞こえてきたのは、その直後だった。
「……話は終わったか?」
そこで、半ば無視されたような空気を引き戻すかのようにライトが声を出した。しかし彼の大剣は背中の鞘に納まっている。
「小娘と子供のせいで興が削がれた。我々はもうここに用はない」
「逃げるのか!?」
興が削がれたと言った割には、ライトの口元には笑みが浮かんでいる。彼の隣には、杖を構え不敵な笑みを浮かべたミアータが立っていた。
「国軍の皆さん、さよならー」
ミアータが嫌味っぽく口にすると、彼女の杖から白い煙が噴き出し始めた。その煙に見覚えのあるアバンはすぐにライトの方へ突進したが、ビストが突風を吹き散らしてアバンを吹き飛ばしてしまった。煙はビストが起こした風の影響で国軍の三人に向かって充満し始める。吹き荒れる風と視界を奪う煙に、アバンたちは動くことができなかった。
その中で、ザウバーとコウが動いた。二人はネオンを背負ったリーゼのもとに駆け寄る。
「俺たちも逃げるぞ。任務は完了だ」
『白銀の弓矢』もまた、煙に乗じて逃げようと画策した。いきなりのことで戸惑うリーゼだったが、ザウバーの言葉を理解すると彼に頷き、走り出した。
「あっち」
コウが突然指を差した。その行為をザウバーが訝しむ。
「……あそこに何があるんだ?」
「さっきの人達」
「合流して何になる? 奴らが脱出経路を考えてるってのか?」
ザウバーに尋ねられたコウは首をひねるが、少し経つと小さく頷いた。ザウバーはコウの考えを信じ、彼が指し示した方向へと走り始める。
『白銀の弓矢』は、デイトン邸からの脱出に成功した。
煙から抜け出して木々に囲まれた道を暫く走っていると、コウの言ったとおりに『貪食の黒狗』の四人の背中が見えた。するとザウバーたちに気付いたのか、ライトが走りながら振り向いてザウバーたちと目があった。
「止まれ」
ライトの号令でヴェルデたち三人が立ち止まる。彼らの手は装具をいつでも抜けるように反射的に装具に添えられていた。そこにザウバーたちが追い付いてきた。
「……俺たちは戦う気はない。ただここから出たいだけだ」
ザウバーが弁明するとライトは理解したようで、臨戦態勢を解いた。
「……何故俺たちを見逃す?」
ライトは装具を構えないザウバーたちに疑問を呈した。
「任務に無いから。俺たちはこの騒動の後始末を頼まれただけだ」
「嘘つくなっ。私たちに散々銃弾ばらまいたくせに!」
ザウバーとライトの会話に、ミアータが割り込んだ。しかし彼女の強気な表情がすぐにしおらしくなる。
「……貴方、名前は?」
「それを訊いて何になる?」
「名前はっ!」
ミアータが顔を真っ赤にして語気強く迫る。その気迫にザウバーは負け、うんざりとしたような表情になった。
「ザウバー。ザウバー・マクラーレンだ。……これで満足か?」
「ザウバー!」
喚くようにミアータが声を出し、ザウバーに向かって指を差す。ザウバーは彼女の指の先端を呆然として見ることしかできない。
「あんたの顔と名前、よーく覚えた。今回は私が負けたけど、次会った時は覚悟しなさい! 私が必ずあんたを焼き殺すから! だから――」
ミアータは途中で言葉を切り、指差している手をおろす。
「……必ず生きててね。私以外に殺されたら……承知しないんだから」
ミアータの語気は完全にしぼんでいた。その言葉に、ザウバーは呆気に取られて頷くことしかできなかった。
「さ、急がないと軍の奴らに追いつかれるわよ」
にやついた顔をしたヴェルデが急ぐように促すが、ライトは急ごうとせずまだザウバーたちと向き合っている。
「ついでに名前をきいておきたい。そこの小娘」
ライトはリーゼの方を向いた。その威圧感に彼女の心拍数が上がる。
「私はリーゼ。リーゼ・カールトン」
「リーゼ、か。リーゼもザウバーとやらもコウという剣士も、皆俺たちを熱くさせてくれた。礼を言う」
「……ど、どうも」
強者に認められたという実感が湧いていないリーゼはただ頷いてお礼を返すだけだった。一方的に礼を言ったライトはヴェルデたちを引き連れて走り出し、四人の姿は木々の中に紛れて見えなくなった。
『貪食の黒狗』を見送ったザウバーたちは再び走り出した。この道を進めば大きな通りに辿り着くはずだとザウバーは踏んでいた。コウも違和感を示さずしっかりと付いてきている。
暫く進むと、ようやく開けたところに辿り着いた。そこはザウバーが予想していた通り、石畳で舗装された大きな道に繋がっていた。外出禁止令が出ているおかげで一人も人が見えない。デイトン邸を越えたあたりは監視が及んでいないのか、兵士すら見えない。
「ここを暫く進むと馬宿があるはずだ。そこで馬車を借りて一旦フォルスまで戻ろう」
ザウバーの提案にリーゼたちは従い、道をそのまま進もうと歩き出した。任務が終わったのだから早く首都に帰還してジェラルドにことの顛末を報告しなければならない。
すると、コウがいきなり立ち止まった。それに気が付いたリーゼが立ち止まり、コウの方を向く。
「コウ? どうしたの?」
リーゼに尋ねられたコウは、何も言わずに来た道を指さした。何かが来るのかもしれない――リーゼとザウバーににわかに緊張が走る。リーゼはネオンを背負っているのでファルシオンを握ることができないが、コウとザウバーは臨戦態勢に入った。
すると、遠くから人影が見えた。それはこちらに向かってゆっくりと近づいてくる。まるでのんびりと旅行を楽しんでいるかのようである。
――この遅さは、国軍の奴らじゃない。一体誰だ?
ザウバーが思案していると、人影がリーゼたちに気付いたらしく、より速く近づき始めた。近づいてくる人物の輪郭が段々と見えてくる。
「お、ザウバーとコウじゃないか!」
ザウバーとコウのことを知っているらしい男の声が響き渡る。男に呼ばれたザウバーは驚嘆したような表情で二挺拳銃から手を離す。それを見たコウもブロードソードから手を離した。
「……コルベッタさん!?」
くすんだ緑色の作業着のような服を着た茶髪の大男――コルベッタ・モリソンが、ザウバーに名前を呼ばれると彼らのもとへと走り寄ってきた。それをリーゼはきょとんとした表情で見ていることしかできなかった。