鎧が破れるとき
リーゼとネオンの二人とノヴァが睨みあっているところを、ザウバーたちは固唾をのんで見守ることしかできなかった。ネオンが突き出している左手には、先ほどノヴァのマイアの鎧を剥がした光が宿っている。
リーゼとネオンは意を決したような表情をしてノヴァと相対しているが、そんなに都合よくあの光が出るのだろうかとザウバーは危惧している。もし不発に終われば――ザウバーは最悪の事態を想定してノヴァに銃口を向ける。
ノヴァの口元が歪み、クツクツと笑い声が漏れる。その不気味な様子に臆することなく、二人はまだその場を動かないでいる。
「貴様らに何ができる? さっきは油断したが、その装具さえ潰してしまえば――」
その瞬間、ノヴァが二人の視界から消えた。リーゼとネオンは思わず瞠目し、その場で固まってしまった。
「後ろよ!」
ヴェルデが悲鳴にも似た叫び声を上げて二人に注意を促すが、ノヴァは不気味な笑みを浮かべたまま短剣を振るい始める。
刃が向いた先は、ネオンの首だった。彼にとって厄介なネオンから先に一撃で仕留めようという算段だ。
思わず二人は振り向いたが、避けるには遅すぎた。ファルシオンも間に合わない。
ノヴァの凶刃がネオンの首を切り裂こうとする――ノヴァにとってはそうなるはずだった。
しかし、その一撃は寸でのところで止められた。
リーゼが止めたのではない。ザウバーやコウ、アバンやライトたちも手出しできない距離である。
ノヴァの短剣は、ネオンの首飾りが発している強烈な光によって止められていた。まるでそこに透明な壁があるかのようにネオンの首は守られている。
それだけではない。首飾りの光は、まるで風で枯れ葉を吹き飛ばすようにノヴァを覆っているマイアを剥がし始めていた。彼が短剣を握っている右手のマイアから剥がれ始め、徐々に右腕のマイアも消し飛んでいく。その光景に、その場にいる全員が絶句していた。
しかし、数秒経つと真っ先にリーゼが動いた。彼女はネオンから手を離し、ノヴァの剥き出しの右腕にファルシオンを振り下ろす。
それでもノヴァの反応は速かった。彼は間一髪で腕を引っ込めてリーゼの一撃を躱すと、一目散に後退してマイアの鎧を張り直そうとする。彼の顔は困惑した表情から一転して憤怒に染まった。
「何故だ……。何故純粋装具である『ネオ・ソウル』がっ……こんな小僧の装具なんかに……!」
ノヴァは短剣を握る力を一層強め、マイアを流出させていく。マイアがどんどん腕を覆っていく中、ネオンは再びリーゼと手をつないで右手を前に出す。
すると、コウが二人とノヴァの間に割って入った。彼は先ほどまで頭の痛みに苦しんでいたのが嘘のような身のこなしでノヴァに近づいていく。
「コウ! アイツを引きつけて!」
「分かった」
コウはリーゼに一言返事をすると、ノヴァに向かってブロードソードを振り下ろした。頭に向かって振り下ろされた刃はノヴァの短剣によって受け止められ、二人はつばぜり合いになる。ノヴァは目を大きく見開いてコウを凝視している反面、コウは無表情で冷ややかな目線を向けながら刃を短剣に押し当てている。
「おのれ……おのれぇ!」
コウがノヴァを抑えつけている間に、ネオンとリーゼが走り寄る。まだネオンの光は消えていない。今が絶好の好機だと踏んだリーゼは彼をつれて走り出したのだ。
するとそこで、コウを異変が襲った。彼を再び頭痛が襲い始めた。内側から強く突き上げるような痛みに彼は顔をしかめて呻きながらつばぜり合いを行おうとする。
しかし、彼は痛みを感じた瞬間に腕の力を思わず緩めてしまった。それを感じたノヴァは思わず口元に笑みを浮かべ、力を入れ始めた。
「どうした? 苦しそうだぞ?」
「……頑張る。まだ、引き付ける」
コウは自らに言い聞かせるように呟くが、徐々に押し込まれる。その光景は、走り寄るリーゼにも映っていた。
「コウ!」
リーゼがネオンの手を離し、高く跳びあがった。コウとノヴァに影を作り、彼女のファルシオンの切っ先はノヴァの脳天に向いている。それを察知したノヴァは力づくでコウを押しのけた後すぐに後退した。リーゼの一撃は空振りに終わったが、苦しんでいるコウから敵を遠ざけることはできた。ネオンも遅れてリーゼたちのもとに追いつく。
思わず膝をついて頭を抱えるコウにリーゼは彼の顔を覗き込んで心配するような視線を向ける。
「コウ! 大丈夫!?」
すると、三人のもとへザウバーが走り寄ってきた。リーゼが彼の方へ目を向ける。
「リーゼ! コウは俺がみてるから、お前はネオン君と一緒にノヴァのところに向かってくれ」
「……うん、分かった!」
リーゼとネオンがノヴァの方へ再び走り出す。リーゼはコウの方へ一回振り返ったが、ザウバーに介抱されて大丈夫だと分かると再び前を向いて進み続けた。
ネオンがノヴァに近づくにつれて、ノヴァを覆うマイアが散っていく。目の前で霧散していくマイアの鎧を見て、ノヴァはようやく危機感を覚えた。
「何故だ……! 何故あのガキが近づくだけで……!」
ノヴァが焦りながら疑問を口にしたところで、答える者は誰もいない――この場にいる誰もが、その現象が起こった理由を知らないのだから。
「ネオン君、チャンスだよ、頑張って走って!」
「分かりました!」
ネオンの息は切れそうになっているが、彼はリーゼとともに懸命に走り続ける。ノヴァはまるでネオンに怯えているような表情を見せて後ろに下がり続けている。
するとそこで、ライトたち『貪食の黒狗』が動き出した。
まずヴェルデが地面に鉤爪を刺してマイアを流し込み、土を隆起させてノヴァが逃げる方向に壁を作った。少しでも時間稼ぎをしてリーゼとネオンを追い付かせたいと考えたのだ。
「小賢しい!」
ノヴァが壁に向かって短剣を突き立てようとした瞬間、土の壁に沿って火柱が立った――ミアータが土の壁の上に立ちマイアを流したのだ。ノヴァが反射的に腕を引っ込めると、彼の側方からビストが斧を振り上げながら距離を詰めてきた。
「死ね!」
「貴様ごときに!」
両者の刃が激突するが、ビストは先ほどとは異なり吹き飛ばされずに留まっている。ビストは以前よりノヴァの力が弱まっていることを感じ取った。しかし彼はあれこれ考えることなくこれを好機ととらえて押し込んでいく。
「どうした? さっきより力が抜けてるぜ!」
挑発しながら大斧の刃を押し込んでいくビストとそれを苦渋の表情で受け止め続けるノヴァ。そこにリーゼとネオンが追い付いた。それと同時に剥がれるマイアの量も増え始める。
「これで終わりだ!」
鋭利な金属音が響き渡ると、ビストがノヴァを弾き飛ばしていた。その後方にはリーゼとネオンがいる。
「お前らに任せた!」
ビストの言葉にリーゼが頷くと、彼女は雄たけびを上げながら飛ばされたノヴァにファルシオンを振り下ろす。狙いは定まっており、刃が一直線にノヴァの頭上に向かっていく。
しかしノヴァも力を振り絞った。彼は足底にマイアを張るとその場で地面がへこむほど踏ん張りながら方向転換し、リーゼの刃を短剣で受け止めた。刃がぶつかる音が大きく響き渡る中、両者のつばぜり合いが始まる。
「私が……純粋装具を持った私が、こんな奴らに負けるわけがない!」
「あんたが純粋装具を持っていようと……」
リーゼが歯を食いしばりながら刃を押し当てる。その表情には鬼気迫るものがあり、ビストとミアータが思わず身震いした。
「あんたが何であろうと……私は、私たちは絶対に負けない!」
リーゼは鼓膜が破れんばかりに叫ぶと、ノヴァの短剣をはたき落すように振り払った。
ノヴァはうめき声を上げながら右手を抑えて後ずさりしようとするが、リーゼはファルシオンをノヴァの腹部に突き刺そうと腕を伸ばした――ノヴァの腹部からはマイアの鎧が消え去っており、薄汚れたローブとともに剥き出しになっている。ファルシオンの先端が鋭く光り、風が巻き起こる。
――届け……っ!
ファルシオンの先端ががら空きの腹に届くかと思われたその瞬間、ノヴァが目を引ん剥いて腹の底から雄たけびを上げた。するとその直後、短剣が太陽のように激しく光り始め、ノヴァの身体を再びマイアの鎧が覆い始める。その勢いは、ネオンが近くにいるのにもかかわらず剥がれる量を上回っている。リーゼは短剣が発した光で思わず目を手で覆っており、攻撃を繰り出せなくなった。
「くっ……」
「死ね小娘ぇっ!」
今度はノヴァが刃をリーゼの腹部に突き出そうと動き出した。リーゼはやっと周りの状態を把握したが、自身に向けられた刃を見た瞬間、恐怖が彼女の体を包み込んだ。
しかしノヴァの一撃は、三発の発砲音によって止められた。
「傭兵、その子供をつれて早く逃げろ!」
リーゼはポールに促され、ネオンの手を取って跳躍して後退した。
二人が跳躍した直後、ノヴァの身体が光り膨張し轟音を立てて破裂した――ポールが装具で銃弾を撃ち込んだのだ。暴風に煽られながらも二人は無事に着地し、再びノヴァがいたところに近づこうと走る。
煙から現れたノヴァは左手で腹部を庇いながらも右手ではしっかりと短剣を持っている。呻き声を上げながらゆっくりと歩くが、マイアの鎧はほとんど剥がれている。
「くそ……くそ――」
するとその時、彼の上を影が覆った。
アバンが鬼の形相で刺突剣をノヴァの方へ向けていた。
「貴様を倒すのは……我々国軍だ!」
刺突剣を構えながら落下したアバンは、その先端をノヴァに突き立てた。ノヴァはそれを短剣の腹で受け止めたが、抵抗する間もなく土煙を巻き上げながら地面に押し付けられる。
「死ね!」
「……誰が死ぬかぁっ」
アバンはノヴァに馬乗りになって刺突剣を心臓に突き刺そうと振り上げる。その刀身には電流が纏われており、殺気が満ち満ちている。
ノヴァは死ぬわけにはいかないと言わんばかりに力を振り絞り、マイアを纏わせた短剣で振り上げられた刺突剣を振り払うように刃をぶつけた。その力は凄まじく、上に乗られているのにもかかわらずアバンを押しのけて吹き飛ばした。アバンは地面を転がるがすぐに復帰し、ノヴァを憤怒の表情で見つめる。
するとノヴァが立ち上がろうとした瞬間、ライトが彼の前に立ち塞がった。
「なっ――」
ノヴァが言葉を発する前に、彼はライトの一撃で空へかち上げられた。不意に受けた一撃に、マイアを張る暇もない。既にノヴァは生身同然で、ライトの一撃をまともに食らい意識が吹き飛びそうになっている。ノヴァは背中から着地し、受け身も取れずに身体を地面に打ちつける。
「今だ! やれ小娘ぇ!」
ライトが笑みを浮かべながらリーゼに指示を出すと、彼女は頷いた。
「リーゼさん!」
ネオンの声を背に、リーゼが飛び上がる。ファルシオンがマイアを纏い、白く光り輝く。
「これでぇぇっ!」
リーゼの目は、ノヴァの胸部を捉えていた。そしてそのまま吸い寄せられるように、ファルシオンの先端がそこに向かっていく。
白い刃が、心臓に突き刺さった。
リーゼの一撃はノヴァの身体を貫いた。
ノヴァは断末魔の悲鳴を上げることなく、そのままこと切れた。
ノヴァ・デイトンの討伐が、ここで終了した。