希望の光
リーゼは、目の前の光景を見て思わず立ち止まってしまった。先ほどまで戦っていた『貪食の黒狗』の一員の二人に加え、つい先ほど自身を痛めつけたアバンまでもが一堂に会して共闘していたのだから混乱するのも無理はない。
「これは……どういうことなの?」
「説明している暇はない! 今は力を合わせて戦わなければ皆死ぬ!」
「だから今の状況を説明してよ!」
腕をバタバタと振りながら、リーゼがザウバーに説明を求める。しかし彼は前方を指さすだけで、何も言うことはなかった。
リーゼがザウバーの指し示したところを見ると、コウとノヴァが互いの得物を駆使しながら死闘を繰り広げていた。コウのいつになく真剣そうな表情もさることながら、彼女の視線はコウと刃を交えている全身が白く光る男に釘付けになった。
「この人は――」
「今回傭兵をけしかけてマイアスを奪っていた張本人、ノヴァ・デイトンだ」
「嘘……」
リーゼはジェラルドに見せられたノヴァの顔写真を想定していたので、今の彼の姿に面食らっていた。
「奴は集めたマイアスで『純粋装具』を造っていた。奴が今振り回している短剣がそれらしいが……」
「そんな……。純粋装具って、とても危険なものだよね。そんなもの造って何するつもりなの!?」
「奴は自身をアイドに飛ばした政府に強い恨みを持っている。政府に復讐するつもりだ」
リーゼはザウバーの言を聞き絶句した。彼女の手は自然と装具の方へと伸びており、臨戦態勢に入っている。
「貴様……生きてたのか」
すると、アバンがリーゼに向かって震える声で呟いた。リーゼがそれに気付くと、彼女についていたネオンの肩が跳ねリーゼの後ろに隠れた。
「……ええ」
「リーゼ……この恰好、こいつにやられたのか?」
ザウバーはリーゼの恰好――服は所々焼け焦げてボロボロになっており、肩やへそが見えている――に気付き、瞬時に銃口をアバンの眉間に向けた。ポールとシルビアは凍り付き、ライトたち『貪食の黒狗』の面々もこの一触即発の状況で動けなくなる。
「この人がリーゼさんを傷つけたんだ! 絶対に許すもんか!」
リーゼが説明するより先に、彼女の後ろに隠れていたネオンがアバンを指さして非難した。それにアバンは顔を顰める一方でザウバーは静かに頷くだけである。
しかし、ザウバーはすぐに銃口を降ろした。周りの人たちはひとまず安堵するが、張りつめた空気の感触は未だに抜けていない。
「今はお前を撃たない。だがノヴァ討伐が一段落ついたら……その時は覚悟しておけ」
その時、ザウバーから相手を取り殺さんばかりの殺気が放たれた。それはミアータやビストを震え上がらせ、コウとノヴァが剣戟を止めて此方に視線を向けるほどであった。
「俺の仲間を傷つけた代償は大きいぞ」
「……ふん」
アバンは鼻を鳴らしてザウバーから視線を外しノヴァの方を向いた。そのノヴァは口角を上げて集団を見つめる。
「仲間割れか? ……おや、見たことのない小娘と子供がいるな」
ノヴァはリーゼとネオンに視線を向けると値踏みするように見つめ始めた。リーゼは悪寒を覚えながらもすぐにファルシオンを抜き、ネオンはノヴァの視線に萎縮してリーゼの後ろに隠れる。
「小娘と子供がきたところで何になる!? 何人増えても無駄だ!」
そう言うとノヴァはコウを無視して、リーゼたちの方へと突進した。
「リーゼ、ネオン、避けろ! こいつは正面から向かって勝てる相手じゃない!」
「わ、分かった!」
ザウバーの忠告にリーゼは咄嗟に反応し、ネオンの手を引っ張って勢いよく横に跳んだ。ネオンは悲鳴を上げながらもリーゼの手を離さずに堪えており、着地の際も両足をしっかりと地に付けている。
リーゼはなんとかノヴァの攻撃を避けたが、彼の一撃から身震いするほどの殺気を感じていた。手合わせすらしていないのにもかかわらずこれだけの気を感じ取ることができたので、彼女のファルシオンを握る力がより強くなる。
「ノヴァ……あんた、一体何者なの!?」
「怖いか小娘! そうだよなぁ、純粋装具の前には誰でもおののくよなぁ!」
不気味な笑みを浮かべながら、ノヴァがリーゼに狙いを絞った。ノヴァは目にも留まらぬ速さでリーゼのところまで詰め寄り、短剣を振り下ろす。
「リーゼ!」
ザウバーが叫ぶが、彼が引き金を引いても間に合いそうにない。
リーゼは恐怖に震えながらもファルシオンにマイアを纏わせて迎撃しようとする。
「食らえ!」
ノヴァの刃がリーゼのファルシオンとぶつかり轟音を上げる。リーゼは足底にマイアを張っていたので吹き飛ばされることはなかったが、あまりの威力にのけぞってしまう。刃がぶつかったところにもマイアが張られていたが、この一撃でいとも簡単に剥がれてしまった。
「これが……純粋装具?」
リーゼはノヴァの造った短剣の威力を身をもって知り、心臓が凍り付いたかのような感触を味わった。ザウバーの言う通り、自分一人だけでは勝てない――彼女は悟ったが、その瞬間ノヴァの第二撃が襲いかかる。白く光り輝く刃はリーゼの懐向かって伸びる。
リーゼは瞠目しながらそれを見つめることしかできなかった。ザウバーの叫び声や、ネオンの至近距離からの悲鳴のような叫びすら彼女には聞こえてこない。
――死ぬ……!
しかし、ノヴァの凶刃はリーゼの腹を貫かなかった。
ノヴァは突如方向転換し、コウの刃を受け止めていた。マイアの残滓が飛び散る中、ノヴァの後ろで脚を震わせながら呆然と立ち尽くしていた。
「リーゼ、今のうちに逃げろ!」
ザウバーがリーゼに叫ぶと彼女は我に返ってネオンを連れて後退する。命拾いしたリーゼはコウに心中で感謝した。
「邪魔をするなぁ!」
「……うるさい」
コウが一言呟くと、彼のブロードソードがノヴァを押し返す。
そこからはコウの連撃が始まった。彼の剣は攻撃の手を緩めないノヴァの刃を的確に弾き、徐々にノヴァを後退させていく。ノヴァの剣筋は白い軌跡としてしか視認することができない中、コウはその全てを正確に受け止めては一太刀を入れようとする。攻撃をことごとく弾かれているノヴァはまなじりが裂けんばかりに目を見開き、コウに憎悪を向けることしかできない。
二人の戦いを、リーゼは呆然として観戦していることしかできなかった。リーゼだけでなく、ザウバーやライト、アバンでさえも援護のタイミングを掴むことができていない。先ほどのようにコウが一撃を入れなければ事態は動かない。その状態を、特にアバンは歯がゆく思っている。
――コウ……今はお前が頼りだ。なんとか隙を作ってくれ……!
ザウバーは歯を食いしばりながらコウに念じるように思い続ける。
しかしそれも束の間、ザウバーはある方向へと目を向け始めた。
「……リーゼさん」
すると突如、ネオンが震えた声でリーゼの服を引っ張り始めた。リーゼが思わずネオンを見ると、そこには異様な光景が映っていた。
「さっきリーゼさんが攻撃されたときから……これがずっと光ってるんです」
ネオンの首飾りが、強い光を放っていた。ザウバーたちは既に気付いていたようで、その異様な光景に思わず視線を向けている。特にアバンは手を震わせながら刺突剣をネオンの方に構えていた。
その様子はコウにも伝わっていた。今までノヴァを押していたのがネオンの方にばかり注意がいってしまい、逆に短剣での連撃を受け止め続けてしまっている。
「どうして……こんな時に……」
「リーゼさん……、僕、どうなっちゃうんですか?」
泣きそうな顔になりながらネオンがリーゼに視線を向けるが、彼女は動くことができない。
するとネオンの息遣いが次第に激しくなり、視線がノヴァに向けられた。胸郭が激しく上下するほど喘いでいるネオンを前にしても、リーゼたちは何もできない。
そしてもう一つ異変が起こった。
ネオンの両手が首飾りに呼応するように光り始めたのだ。しかも、ネオンは両手を意識的に見ることができた。
「これ……何? リーゼさん!」
「ネオン君、落ち着いて! 私の顔を見て!」
パニック状態になったネオンの肩にリーゼは両手を乗せ、彼に視線を合わせる。
するとそこで、ノヴァが気付き始めた。ノヴァはコウを弾き飛ばして後退させると、一直線にネオンの方へと走り始めた。
「何やら怪しいぞぉ!」
不敵な笑みを浮かべたままノヴァが直進してくるが、それをザウバーが止めようと光弾をノヴァめがけて乱射する。しかしノヴァを覆っているマイアが少し抉れて剥がれただけで、彼は止まらない。
「リーゼ! ネオン君を連れて逃げろ! 早く!」
ザウバーが呼び掛けたが、遅かった――叫んだときには、既にノヴァの影がリーゼとネオンを覆っていたのである。
「まずは貴様らから灰燼に帰せよ!」
ノヴァの刃が振り上げられたと同時に、リーゼもファルシオンで応戦する。逃げ切れなかったので、せめてネオンだけは逃がそうと咄嗟に体が動いていた。
その直後、リーゼの身体は横に飛ばされていた。
ノヴァの攻撃を食らったのではない。その証拠に、その時彼はまだ刃を振り下ろしている途中であった。
リーゼは呆気に取られながら尻餅をつき、自身を突き飛ばした相手を見る。
リーゼを突き飛ばしたのは、ネオンだった。
リーゼは今この場で何が起きているのか理解することができず硬直していたが、ネオンだけはしっかりと視界にとらえている。
ノヴァの刃はネオンの頭上に振り下ろされた。
しかし、それはネオンの素手で払いのけられ、ノヴァは驚きの声を上げながら思わず身体のバランスを崩してしまう。
「リーゼさんに……」
ネオンは光り輝く右手をノヴァのがら空きの懐へと添えた。
「近づくなぁぁっ!」
ネオンが絶叫すると、彼の右手から強烈な光が放出された。近くにいたリーゼやザウバーは思わず目を覆ってしまう。
その直後、ネオンとノヴァの間で爆発が起こった。ノヴァは悲鳴を上げながら一直線に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられてしばらく転がるとようやく止まった。衝撃波はザウバーたちも襲い、特に近くにいたリーゼは一番影響を受けノヴァと同じく飛ばされてしまった――唯一離れていたコウは被害を受けなかった――。彼女は地面を転げ回り、止まったころには目立った傷こそ付いていないものの全身土埃にまみれてしまっていた。
リーゼは立ち上がるとすぐにネオンのもとへと急行した。息を切らして走り、ネオンのところに着くと真っ先に彼を抱き締めた。彼女に続いてザウバーもネオンのもとへ走り寄る。
「ネオン君! 大丈夫!?」
「リーゼ……さん……?」
ネオンは呆然として吹き飛んで地面に倒れ込んだノヴァを見つめて立ち尽くしている。彼の脚は震えており、今にも頽れそうだ。
「リーゼはネオン君を頼む。俺はコウのところに行く」
「コウも?」
リーゼが瞠目してザウバーを見つめると、彼はコウの方を向いた。コウは頭を抱えてうずくまっており、とても戦いを続けられる雰囲気ではない。
「どうして……」
「分からん……。とにかく一旦コウは避難させる。ノヴァがいつ動き出すか分からないからな」
そう言うとザウバーはコウの方へと駆け出していった。
「……何をぼさっとしてる」
すると突如、ライトが大剣を構えて走り出した。ヴェルデやビスト、ミアータもそれに追随する。狙いは無論、倒れ込んでいるノヴァである。彼は不敵な笑みを浮かべて大剣の刃にマイアを纏わせる。勿論アバンたち軍人も黙ってはおらず、彼らと並走するようにしてノヴァのもとへと向かう。
「今が絶好の好機。奴を殺せるチャンスだ。あの子供が何をしたのか知らんが、とにかく今しかない!」
「……っ、させるか! 我々がノヴァを討伐する!」
ライトとアバンが一斉に飛び上がる。彼らの装具にはマイアが纏われており、アバンの刺突剣は既に電流を帯びている。
「死ね!」
「覚悟ぉっ!」
ライトとアバンが同時に叫び、仰向けに倒れているノヴァに刃を振り下ろす。
ノヴァの腹部は、まるで抉られたかのようにマイアの鎧が消えていた。そこに装具で一撃でも加えればやつは一巻の終わりだろう――二人はそう確信していた。
しかし、ノヴァはしぶとかった。
鋭利な金属音が響いたかと思うと、ライトとアバンは空に浮かんでいた。
彼は仰向けの状態から短剣を振り上げ、男二人をかち上げたのだ。二人は無事に着地したが、アバンはノヴァを仕留めきれなかったので歯を食いしばるほどに悔やんでいる。ノヴァはのっそりと立ち上がると、殺気だった目でリーゼとネオンがいるところを睨みつけ始めた。
「あのガキめ……あのガキめぇぇぇっ!」
ノヴァが血を吐くようにネオンへの憎悪を口にした途端、彼の腹部のマイアの穴が徐々に塞がり始めた。
「まずい!」
それに真っ先に反応したのはヴェルデだ。彼は鉤爪を地面に突き刺してマイアを流し、ノヴァが立っている地面を隆起させた。突き上げられたノヴァは空中で舞い、それにザウバーとポールが狙いを定める。
二人が同時に引鉄を引いた。マイアの光弾はノヴァの腹部へと集約され、貫かんとしている。それでもノヴァは放たれた光弾を短剣で器用に切り払い、攻撃をよせつけない。
「まだまだ!」
今度はアバンが飛び上がり、下からノヴァの腹部めがけて刺突剣を繰り出した。彼の装具には電流が流れており、殺傷能力は十分である。
「こんな装具で……私の『ネオ・ソウル』に敵うと思ったか!」
ノヴァは打ち上げられたのにもかかわらず余裕の表情でアバンの刺突剣に刃をぶつけた。つばぜり合いは起こらず、そのままアバンは叩き落された。土が舞い上がり、彼の身体を覆い隠す。
「アバン!」
シルビアが悲鳴のような声を上げ彼に駆け寄ろうとするが、ノヴァは彼女の前に着地した。既に腹部の穴は塞がっており、完全復活している。シルビアは恐れをなした表情でショートソードを構えるが、ノヴァの一振りで吹き飛ばされてしまう。
「シルビア……殿ぉっ」
地面に叩きつけられたアバンは動くことができず、ただシルビアの名前を弱弱しく呼ぶのみであった。
「雑魚は後でまとめて殺してやる……。一刻も早くあの忌々しいガキを殺さねば……」
ブツブツと呟きながら、ノヴァはリーゼとネオンの方へと歩み寄る。その歩みは、ザウバーが銃を乱射してもミアータが無数の火球をぶつけても止まることはない。
「逃げろ、リーゼ、ネオン君!」
リーゼはネオンから身体を離し、戦いそっちのけでネオンに接していた。彼が尋常ではなく動揺していたからである。
「リーゼさん……。どうしよう。光が収まらないよぉ……」
ネオンは泣きそうな顔になりながらリーゼに訴えかけた。しかし、彼女にはどうすることもできない――今までのネオンの暴走を止めることができなかったのだから。
そこでリーゼは、意を決したような表情でネオンの顔を覗き込んだ。
「ネオン君。お願いがあるの」
「……なんですか?」
リーゼはネオンの両肩に手を載せた。
「あなたの『光』を私たちに貸してほしい。ネオン君の力は今絶対に必要なの!」
リーゼは、ネオンが人を傷つけたくないという想いを十分に理解していた。だからこそ、今ノヴァを倒さなければいけないと彼女は考えていた。
「ここでアイツを倒さなきゃ、この国がめちゃくちゃになるかもしれない。アイツを止められるのはネオン君、あなたなの!」
「僕が……止められるんですか? さっきみたいに……」
「覚えてたのね……。私たちも頑張るから、さっきみたいにあなたの光をぶつけてちょうだい!」
リーゼの言葉に、ネオンはギュッと目を瞑った。しかし数秒経つと目を開け、決意をした顔になった。
「……どこまでできるか分からないですけど、リーゼさんと一緒なら……頑張ります!」
ネオンの決意に、リーゼは頬を緩ませた。これで決まりだ。
「何をしゃべっている」
リーゼの背後から、ノヴァの憎悪に満ちた声が聞こえてきた。彼女はネオンとともにその場から離れ、相対した。
ネオンの手は光り続けており、その右手はリーゼの左手に握られている。
ネオンが、光っている左手を突き出した。その表情は覚悟を決めたそれだった。