『同盟』成立
リーゼが力を失ったネオンを介抱してしばらくが経過した。彼女がみたところネオンに外傷は一切なく、彼女が見守っているうちに自力で立ち上がることができるようになっていた。目覚めた直後と比べても意識がはっきりとしており、足取りもしっかりとしている。
「本当に大丈夫? もう歩ける?」
「はい! 大丈夫です」
ネオンは元気よく答えたが、リーゼは不安そうに彼を見つめていた。それでもネオンがいつもと変わらぬ――もしかするといつも以上に――元気さを見せつけていたので、彼女は彼に柔和な笑顔を見せた。
「……良かった。もうすっかり元気みたいだね」
リーゼの笑顔を見た瞬間、ネオンは顔を赤くしてもじもじとしてしまった。いつもの反応だ――リーゼをそれを見てまた安心した。
「……あ」
「ネオン君、どうしたの?」
「あの人たちは……」
あの人たち――アバンたち国軍のことだろう。リーゼは少しの間戸惑ったものの、すぐにネオンに引きつった笑顔を見せる。
「あの人たちなら……私が倒れてる間に行っちゃった」
「……え?」
「早くザウバーたちのところに行かなきゃ、ネオン君!」
無理矢理話を切り上げ、リーゼはネオンの手を引っ張ってデイトン邸へと向かい始めた。ネオンは目を白黒させながらも走りながらリーゼについていく。
リーゼの顔からは既に笑顔が引っ込んでいた。一刻も早くザウバー達のもとへと向かいたいという気持ちもあったが、ネオンに対する罪悪感のような感情の方が彼女の心中で勝っていた。
ネオンは自身の首飾りで人を傷つけたくないと願っていることは、リーゼは胸が痛くなるほど感じていた。その彼がアバンに重大なダメージを負わせたと知ったら、彼はどれだけ悲しみ自分を責めてしまうだろう――そう考え、リーゼは嘘をついた。嘘は良くないことは理解していたが、今はネオンの心理を考え先へ進むことを優先させた。
心の中の暗澹とした思いを抱えたまま、リーゼはネオンの手を取って走り続けた。
ザウバーたちノヴァ討伐組とアバンは、呆然としながらお互いを見つめていた。ザウバーたちはアバンがなぜこんなにもボロボロになったのかが理解できず、アバンはなぜ傭兵と――その中に『貪食の黒狗』が含まれていることもその一因であるが――国軍の兵士が共闘しているのかが理解できていなかった。
「どうしたんだその姿――」
「何故シルビア殿とポール殿が――」
シルビアとアバンが、思っていたことを同時に口に出した。
「アバン、聞いてくれ」
「ポール殿――」
「後ろの兵たちは下がってくれ! この邸宅の周りに負傷している兵たちがいるはずだから、その者達を救助してくれ」
ポールが兵士たちに大声で命令すると、兵士たちはすぐに敬礼してアバンのもとを離れた。未だに呆然としているアバンを、ポールは切迫した表情で見つめている。
「緊急事態だ。ノヴァが暴走している。そいつを止めなければならない」
「……だから、傭兵などと協力してるのですか」
「来るぞ!」
ポールが大声でその場にいる者達に指示をすると、ザウバーたちは散り散りになってノヴァの攻撃を避けた。アバンも尋常ではない殺気を感じ取ったのか、大きく飛び上がって避ける。
その一瞬後、ザウバーたちがいたところは土煙を上げて爆発していた。短剣を地面に振り下ろしただけでこの威力である。
「この――!」
動き出したのはザウバーだった。ノヴァが着地した隙を見逃さず、引鉄を引いて銃弾を乱射する。彼は一切の手加減をせず、全て攻撃用の弾でノヴァを狙い撃つ。
白い光弾がノヴァに着弾した。いくつかはノヴァの身体に当たらず地面に着弾して爆発したが、ノヴァは確かに銃弾の雨をもろに食らった。ザウバーが銃を構えたまま煙を見つめるが、その表情は固い。
「まだ来るぞ」
声を上げたのは、ライトだった。彼の声の一瞬後、煙を突き破るようにしてノヴァが猛烈な速さでザウバーに向かって直進した。白い粒子で覆われたノヴァの身体には傷一つ付いておらず、余裕そうな表情で目の前の獲物を切り刻もうとしている。
「危ない!」
目を見開いて叫び声を上げたのはミアータだった。ザウバーが殺されるのではないかと咄嗟に思考し、杖を握る力が強くなる。
それでもザウバーは瞬時に飛び退いて、突進するノヴァが繰り出した横薙ぎを躱していた。しかし、彼は全身が粟立つような感覚を覚えた――至近距離で尋常ではない量のマイアを感じたのだ。ノヴァは躱されてもなおザウバーを追おうと足に力を入れる。
そこで、ノヴァを影が覆った。彼の真後ろにビストが移動していたのだ。風を纏った大斧を軽々と振り回し、ノヴァの身体を両断せんとする。
ビストが雄たけびを上げて斧を薙ぐ。しかし、その一撃は短剣一本によって受け止められてしまった。そしてそれどころか、ノヴァはその直後に腕に力を入れてビストを吹き飛ばしてしまった。ビストが悲鳴を上げて宙を舞う中、追撃のためにノヴァがビストの方を向く。
「させるもんですかっ!」
ミアータが叫びながら、此方に注意を向かせるように火球を放つ。彼女の身長の半分はあろうかという大きさの火の玉を何度も何度もノヴァに向かって放ち、ダメージを与えようと必死に力を入れている。
しかし、彼女の考えは甘かった。ビストは無事に着地して距離をとることはできたものの、彼女の放った攻撃は全てノヴァの短剣によって切り裂かれてしまった。斬られた火球はノヴァの眼前で白い粒子となって消え去ってしまった。
ミアータが口を半開きにして呆然としていると、彼女のもとへノヴァが短剣を構え始めた。おぞましい殺気が自身の方へ向けられたのにもかかわらず、ミアータの足はまるで根を下ろしているかのように動かない。
「早く逃げなさい!」
そこにヴェルデが割って入った。彼が叫びながら地面に鉤爪を突き刺すと、ノヴァの周りの地面が瞬時に隆起して彼を取り囲む。何とかしてミアータがその場から離れるための時間を稼ごうとしているのだ。隆起した地面はそのままノヴァを囲むと、それぞれが癒着して半球状になって彼を閉じ込めた。その間の数秒でミアータは我に返り、その場から離れることに成功した。
「これで終わりよ!」
ヴェルデが鉤爪にマイアを流し込む。コウを倒そうとしたときと同じく、閉じ込めたノヴァを串刺しにしようという算段である。この攻撃ならばマイアの塊のような存在でも流石に倒せるだろう――彼はそう思っていた。
しかし、彼の考えはもろくも崩れ去った。針を突き刺すどころか、半球状の土が短剣によって突き崩されたのだ。爆風はヴェルデを襲うが、彼は咄嗟に地面を隆起させて寸でのところでそれを防いだ。彼の額から冷や汗が流れ落ちる。
「……化け物ね」
ヴェルデが独り言ちた直後、刃と刃がぶつかる轟音が響き渡った。ライトが不敵な笑みを浮かべてノヴァの短剣に大剣の刃を打ちつけていた。
「我々を殺すのなら、先に俺を殺してからだ」
「黙れゴミが! さっきから小賢しい!」
ノヴァが吠えると、短剣に刻まれている蔦のような紋様がさらに白く眩しく光り始めた。つばぜり合いが起こったのはほんの数秒で、ライトですら容易に弾き飛ばされてしまった。
「団長!」
ヴェルデ・ビスト・ミアータの三人が同時に叫ぶが、ライトはすぐに無事に着地して果敢にノヴァの方へと向かっていく。彼を迎撃せんとノヴァは短剣で突きを繰り出すが、その全てをライトは躱していく。
「小癪な……!」
「強化されたとはいえ、これが限界か」
「黙れぇ!」
ノヴァが叫び、鋭い横薙ぎを繰り出した。マイアの残滓が軌跡となって残るが攻撃は空振りに終わった。その隙をライトが見逃すはずもなく、彼は大剣をノヴァの腹部めがけて振り回す。
「もらった」
一瞬後にはノヴァの上半身がちぎれ飛んでいる――ライトの予測ではそうなるはずだった。
しかし、大剣の刃がノヴァにぶつかると火花を散らし、彼はそのまま後方に吹き飛ばされた。ノヴァは苦悶の表情を浮かべているが、彼の腹に傷はついていない。
「……おのれぇっ」
ノヴァが毒づくと、彼は瞬時にライトの目の前へと詰め寄った。短剣を乱暴に振り回し、ライトを殺しにかかる。
「団長、気をつけて。あの刃は少し触れただけでも死ぬわよ!」
ヴェルデが声を張るが、ライトはそれを意に介していないようにノヴァの手元だけを見つめて攻撃を躱す。突きや薙ぎが先ほどよりも鋭くなっているとライトは感じていた。
すると、発砲音が三回聞こえた。思わず両者の動きが止まる。
ポールがノヴァの脇腹めがけて銃弾を放ったのだ。彼が放った三発のマイアの弾は、ノヴァが纏っている白い粒子に阻まれてその場に留まっている。埋まったままの銃弾は消えていない。
「小賢しい真似を――!」
ノヴァのターゲットがライトからポールに変わった。しかしポールはノヴァを睨みつけるだけで動こうとはしない。
――まさか。
ライトは突然跳躍し、ノヴァから距離を取り始めた。それを確認したポールの口角が上がる。
「何がおかしい!?」
「こういうことだ」
ポールがもう一度引き金を引く。
その瞬間、ノヴァの脇腹が光り始めた。
「なっ――」
ノヴァの身体が、轟音を立てて爆発した。
ライトは跳躍して距離を取っていたので無事である――ポールに同じような戦法を取られたので彼の意図を理解していたのだ。
爆発して動きがなくなっても、ザウバーたちは武器を構えて煙を注視している。おおかたポールに向かってくることは予測できているので、彼を守るようにして密集している。
その中で、アバンは彼の周りにいる傭兵たちに刺突剣を突き付けるようにして武器を構えていた。現在の状況でも、こうして傭兵と軍の人間が共闘していることに不満を抱いているのである。
「ポール殿……何故傭兵どもと戦わなければ……」
「やむを得ぬ状況なのだ。不満はあるだろうがどうか堪えてほしい」
「ですがっ!」
アバンは心底悔しそうな表情でポールの方を向く。
「こいつらは我々の兵を大勢傷付けたのですよ! そんな奴らと一緒に戦えと? 我々を背中から襲うかもしれないのに?」
「今は傭兵にとってもそんな状況じゃないことは理解できるだろう!? 一旦冷静になれ! 共闘しなければ我々はおろか周りの兵たちも、アイドの住民すら全滅する可能性だってあるんだぞ!」
ポールに大声で諭され、アバンは苦虫を噛み潰したような顔で口を噤んでしまった。そんな彼の肩に、シルビアが優しく手を乗せる。
「ここはポールさんの言うことに従おう」
「……くっ……!」
悔しさが抜けきっていない顔で、アバンは頷いた。それを見たポールも頷く。
「これで、一時的な『同盟』が成立した」
「話のわかる男で助かる」
ザウバーが口角を上げながらポールに対して言うが、目線は煙の方へ向けている。
すると、煙が大きく揺れた。ザウバーたちが武器を煙の方へ向ける。
そこから、憤怒の表情をしたノヴァが脇腹を抑えながらゆらゆらと歩いてきた。彼の脇腹は傷こそついてないが、鎧のような白い粒子がそこだけ消えてなくなっていた。しかしザウバーたちがそれを確認するとすぐに白い粒子がそこを覆い、元通りになってしまった。
「……これで分かったことがある」
ザウバーが皆に説明するような口調で話し始める。
「こいつは無敵ってわけじゃなかった。強い衝撃を与えれば、マイアの粒子はそこだけ消える。そうすれば生身が見えるからそこを叩けばいいわけだ」
ザウバーの説明に、アバン以外の全員が頷く。撃破の糸口が見つかったからか、ビストとミアータは笑みすら浮かべている。
「さあ、反撃開始だ」
「調子に乗るなよ貴様ら! 全員まとめて殺してくれる!」
ザウバーたちが散開し、ノヴァを撃破しようと動き始めた。
アバンとリーゼ、ネオンが去ったとある宿屋の前。戦闘が終わり静寂が辺りを包み込んでいる。
しかし、そこが再び騒がしくなり始めた。
突然宿屋の扉が開き、とある人が柵を押しのけて外へ出た。その人物を、宿の受付と思われる女性が血相を変えて追いかけようとする。
「お客様、外はまだ危険です! 外出禁止令が出ているのでどうかお外にはお出にならないでください!」
しかしその女性の声が聞こえていないかのように、その人は石畳がめくれた凸凹の道を歩き続ける。
「……そろそろ行かなきゃ間に合わねえな」
その男が独り言ちる。短くまとまった明るい茶色の髪、青い瞳で、長身の身体はがっしりとしている。無精ひげを生やしており、くすんだ緑色をした作業着のような服に身を包んでいる。
その男――コルベッタ・モリソンは、追いかけてくる女性に追いつかれないように走り始めた。