狂った依頼主
ヴェルデがデイトン邸の中へ消えた直後から、戦いは始まっていた。
ザウバーとライトは互いに武器を構えにらみ合っていたが、両者はすぐに動き出した。まずザウバーが二挺の拳銃の引き金を引き、ライトの胴を撃ち抜こうと弾丸を発射する。それを予測していたのか、ライトは横に飛んでそれらを躱した。彼が飛び退いた直後、放たれた弾丸は破裂してジグザグの光を放った――妨害用の弾で敵を拘束しようとしたのだ。
「小賢しい」
ライトが吐き捨てるように言うと、彼は大剣の切っ先を地面に打ちつけた。地面が割れ、マイアの刃がザウバーに向かって一直線に伸びる。ザウバーはまた引き金を引き、今度は防御用の弾をマイアの刃に向かって撃ちこむ。弾丸が刃に触れるより先にそれは破裂し、光の粒子でできた壁が刃の進撃を阻んだ。しかし、刃が壁にぶつかると同時に、光の壁は刃とともに霧散してしまった。これによってライトの攻撃の強烈さをザウバーは思い知った。
――『貪食の黒狗』の団長だけあってかなり強いな……
ザウバーの眉間にしわが刻まれる。彼は妨害用の弾を乱射するが、ことごとくライトに避けられる。ライトの背後で光が空しく光るだけである。ある程度距離が離れていると、ライトはザウバーの攻撃を予測してくるようだ。
――ならば……!
ザウバーは防御用の弾丸を放ちながらライトの方へと駆け出した。ライトの前に光の壁が次々とつくりだされていく中、ライトはザウバーと一定の距離を取ろうと後退していく。その中でライトは、ザウバーの目つきが変わったことを見抜いた。
「ようやく本気を出すようだな」
「アンタには本気を出さないと勝てないようだからな」
ザウバーの返事を聞き、ライトは不気味な笑みを浮かべる。
ザウバーは跳躍し、ライトを覆うように影を作った。その銃口は彼の頭に向けられている。
「食らえ!」
ザウバーの指が引き金を引くと、数多の光弾がライトに雨あられと降り注ぎ始めた。しかし、ただ闇雲に撃っているわけではなく、三種類の弾が無作為的に着弾するようになっている。
「そうこなくてはな!」
ライトはザウバーの闘志に応えるかのように大剣を豪快に振るうと、高濃度のマイアを含んだ波動を放った。波動は光弾を次々と切り裂いていくが、防御用の弾に当たったところで爆散した。爆風はザウバーも巻き込み、彼を吹き飛ばす。
「ちぃっ!」
ザウバーは無事着地できたが、そこでライトが襲いかかる。ライトがザウバーに向かって走り始めると瞬時に距離を詰め、ザウバーの懐めがけて大剣を横に薙ぐ。
――まずい!
ザウバーは咄嗟の判断で大剣の刃に発砲、光弾が刃に触れると光の粒子がその場で拡散して彼の身を守った。大剣は粒子の壁に弾かれることなく、ライトは力ずくでそれを破ろうとするが、攻撃が阻まれた一瞬後にはザウバーは飛び退いて距離を取っていた。
そこから間髪を入れず、ザウバーは猛烈な勢いで二挺拳銃の引き金を引き続けた。光弾は全てライトに集中しており、彼は頭部や胸部といった急所を守るように大剣の腹を盾代わりにして防ぐことしかできていない。そこに当たるたびに光弾は爆裂し、小さくない衝撃をライトが襲う。次第に彼の身体は衝撃によって押されており、じりじりと後退していく。
「……なるほど」
ライトが呟くと、彼は大剣の腹をザウバーに晒したまま剣を地面に勢いよく突き立てた。ガードしきれなかった光弾が彼の身体を掠り服を焦がすが、彼は意にも介していない。
「ならばこれはどうだ」
ライトが剣の持ち手を強く握りしめると、突き刺されたところを中心に衝撃波が巻き起こった。その威力は尋常ではなく、今まで彼を押し込んできたザウバーの光弾を全てかき消すほどである。身の危険を感じたザウバーだけでなく、観戦していたコウやビスト、ミアータまでそれに巻き込まれまいと後ろへ跳んで退避する。
「まだこんな力が残ってたなんてな……!」
比較的近距離にいたザウバーは、後退しながら防御用の弾を乱射し、幾重にも光の粒子の壁を張って身を守ろうとする。壁はどんどん壊れていくが、七枚目の壁がかき消されたところでザウバーへのダメージがなくなるほどには軽減された。
両者が繰り出した怒涛の攻撃が終わり、辺りに静寂が訪れる。ライトは額に汗が滲んでいたが、ザウバーは既に肩で息をしているほどに疲弊していた。それでもライトはお構いなしと言わんばかりに大剣を地面から引き抜き、再びザウバーに向けて構える。
「中々やるな。あの剣士もそうだが、ここまで張り合いのある相手は初めてだ」
「……そりゃどうも」
ライトは不気味な笑みを浮かべて戦闘を再開しようとした。ザウバーも銃口を目の前の敵に向ける。
すると、屋敷から誰かが走ってくるような足音が聞こえ始めた。その場の全員が、その音に注目する。
走ってきたのはヴェルデだった。彼は血相を変えてライトの方へと走り寄ってくる。
「ヴェルデ、どうした」
「……任務は失敗よ。とんでもないことになったわ」
その言葉を聞いた全員が嫌な予感を察知した。特にザウバーは、自身が予感したことが当たったのではないかと浮足立った。
「何があった?」
「……来る!」
ヴェルデが叫ぶと、ライトもおぞましい気配を感じ取ったのかヴェルデとともに跳躍して後退した。それに合わせて、ザウバーたちも門のところまで後退する。
屋敷の玄関から、ゆらりと人影が出てきた。その姿形は異様で、俯いている痩せた男が全身白い光の粒子を身に纏っている。ビストとミアータ、ザウバー、そして縛られて放置されているシルビアとポールはその姿を見て絶句するほかなかった。
「……あんたは俺たちの依頼主、ノヴァ・デイトンか?」
その中でも、ライトだけは顔色一つ変えずに男に向かって淡々と話しかける。男が顔を上げ、鋭い眼光を伴ってニヤリと笑った。
「そうだ。忘れたとは言わせんぞ」
「一つ訊こう。この姿は何だ?」
ライトがノヴァに問うと、彼はクツクツと笑いながら右手に持っている短剣を見せつけた。
「私は実験に成功したのだ。そして、こいつを作り出すことができた!」
ザウバーたちはその短剣から、およそ装具とは考えられないほどのマイアを感じ取った。コウが瞠目してそれを見つめる。
「これが純粋装具、『ネオ・ソウル』だぁぁっ!」
この言葉には、今まで顔色を変えなかったライトですら驚愕の表情を見せた。
「依頼主よ。これが実験の成果なのか? 貴方の身体がこうやってマイアに包まれているのも」
「そうだ! これで私を追放した奴らに復讐できる! 私から純粋装具を奪った奴らを探し出して皆殺しにできる力を持つことができた! 純粋装具は今でも作り出せることも証明できたのだ!」
狂ったように高笑いするノヴァを、ザウバーは苦虫を噛み潰したような表情で見つめた。彼が恐れていたことが起こってしまった。しかも『純粋装具』という予期できぬ最悪の形で――まだそれが純粋装具と決まったわけではないが――。
すると、ザウバーがコウの様子がおかしいことに気が付いた。
彼は瞠目したまま震えており、息も荒くなっている。ザウバーは呆然としながら彼を見ていた。
「『ネオ・ソウル』――」
「どうした、コウ。何かあったのか?」
そこでようやく、その場にいた者達がコウの様子のおかしさに気付き始めた。
コウの表情には、誰が見ても分かるほど強い恐怖を宿していた。彼の視線は、『ネオ・ソウル』と呼称された短剣に釘付けになっている。
「もしかして……これを知ってるのか、コウとやら」
ライトがコウに問うが、コウはその場で頭を抱えて頽れてしまった。
「コウ! しっかりしろっ」
「……違う」
「え?」
ザウバーは慌ててコウの肩を掴むが、コウは心ここにあらずといった感じで呟いた。
「何が違うんだ?」
「……違う、違う」
コウは俯き、頭を抱えてうずくまってしまった。
「コウ? コウ!」
ザウバーの必死な呼びかけは、もはやコウには届いていない。
コウは、彼の世界に入ってしまった。
コウの目の前には、ヴェルデとの戦闘時にフラッシュバックした光景が再び映っていた。
寒空の下、何もかもが凍り付いた場所に彼は立っていた――家も、家畜も、人も凍り付いている。ブロードソードを手に持ち、彷徨うように歩く。
そこで彼の目の前に、黒いフードを被った人物が立っていた。その人物は手にあるものを持っている。
波刃で、刀身と持ち手に蔦のような紋様が浮かび上がった短剣――デイトンが言及した『ネオ・ソウル』の特徴そのままである。しかし、それとは異なり、紋様は赤く光り輝いていた。
コウが呆然とその場に立ち尽くしていると、それは起こった。
彼の胴体が縦に切り裂かれ、鮮血の赤が彼の視界を覆い尽くした。
そしてそのまま、コウの視界は黒くなった。
「違う……違う違う違う違う違う違う違う! 違う!」
コウは完全に錯乱しており、頭を抱えて振り乱した。その光景にザウバーたちは呆然するしかなかった。
一体コウに何が起こったのか、コウと『ネオ・ソウル』との間に一体どんな関係があるのか、何が『違う』のか――その全てが分からなかった。
「コウ!? 一体何があった!?」
ザウバーがコウの耳元で叫びながら必死になって彼の肩を掴んで揺さぶる。するとそれに気付いたのか、コウはようやくザウバーの方を見始めた。その顔は、まるで悪い夢から覚めた子供のように痛々しかった。
「コウ、大丈夫かっ」
「……うん」
コウは肯定的な返答をザウバーにしたが、受け取ったザウバーは納得のいっていないような表情をしながらも心中では彼の無事に安堵していた。
「さて、おしゃべりはそこまでにしようじゃないか」
ノヴァの声が、ザウバー達の注意を引いた。ノヴァは既に武器を構えており、それを見たビストとミアータは凍り付いた。
「おいおい……俺たちは用済みだってのかよ」
「察しがいいな、ビスト。貴様らは私が処分する!」
ザウバーの予想は、悪い方向にことごとく当たってしまった。ノヴァが傭兵たちから視線を外し、今度は縛られている軍人二人を睨みつける。
「勿論、こいつらも一緒に殺す。政府の無能共は殺し尽くす!」
シルビアとポールには、とりわけ激しい憎悪が向けられた。二人は硬直してしまうが、ポールは声を振り絞り始めた。
「お、おい、傭兵! 誰でもいいから私たちを解放してくれ! そこに私たちの装具が落ちてるだろう? それも持って来てくれ!」
ライトは彼らを睨みつけるだけで動こうとはしない。ポールは傭兵たちに命乞いするかのような視線を向けるが、誰も動かない。
すると、ノヴァが動きだそうとした。短剣はあの二人に向けられている。観念したかのように、二人は目を強く瞑った。
「死ね!」
ノヴァがその場から消えた。
しかし、ノヴァの攻撃は通らなかった。
コウが先に反応し、二人を守るようにして立ち塞がっていた。
ブロードソードと『ネオ・ソウル』の刃が触れた瞬間、爆音とともに衝撃波が巻き起こった。至近距離にいたポールとシルビアは吹き飛ばされて塀に激突し、ザウバーたちは飛ばされないように踏ん張るのが精いっぱいだった。
「貴様ぁ!」
「これは……『ネオ・ソウル』じゃない」
ノヴァが後退し、コウがザウバーたちのもとへ戻る。全く反応できなかったザウバーたちは、ライトを除いて戻ってきたコウを呆然として見ていた。
「……頼む、解放してくれ……。我々はお前たちに危害を加えない。この化け物を止めるには、人数が必要だ。そうだろう?」
ポールがまたも声を振り絞って懇願する。シルビアも、助けてほしいと目で訴えている。
「……確かにそうだな。こんな状況で俺たちに手を出せる筈が無い」
動いたのはザウバーだった。彼は二人のもとに歩み寄り、縄を切ってやった。二人が安堵のため息をつく。
「ありがとう、名も知らぬ傭兵」
「礼には及ばん。装具はお前たちが取りに行ってくれ。それと、絶対に俺たちの背中を撃つなよ」
「約束する。ノヴァ討伐に協力する。我々はそのために来たのだ」
ポールとシルビアがザウバーに感謝する中、ノヴァは憎悪のこもった目つきで彼らを睨みつけている。
「無駄だ! 今すぐにでも殺してやる!」
再び短剣を構えるノヴァ。それに対して、各々が武器を取り臨戦態勢になる。自身らの装具を取り戻したポールとシルビアも傭兵たちに遅れて構える。
すると、ノヴァが怒りの表情から一変させて笑みを作った。
「ほう。また獲物が増えたな」
何事かと思いシルビアが振り向く。
そこには、事態を呑みこめず呆然と立ち尽くしているアバンと彼について来た兵士たちの姿があった。




