動き出す男
目を強く瞑っても目の前が白んでいる――リーゼは強烈な光を感じながら、ネオンをきつく抱きしめていた。彼女は、ただネオンの暴走が止まることを祈って身体を密着させる。今自身はどうなっているのか、そんなことを考えている暇は彼女にはなかった。
「お願い……ネオン君……止まって……!」
二人を包み込んだマイアの光は半球状になり、そこから膨張もせず収縮もせず留まっている。その異様な光景に、アバンに寄り添っている兵士たちは釘付けになっていた。
するとその光に気が付いたのか、アバンが上半身を起こした。それに気が付いた兵士たちは胸を撫で下ろすが、すぐに彼の実を案じ始める。
「隊長! ここは危険です! 一刻も早く避難しましょう!」
「……分かっている。あの光は……危険だ。我々は先に残りの傭兵を始末しに行くぞ」
アバンの言葉に、兵士たちは耳を疑った。これだけの重傷を負いながらまだ傭兵に執着する彼の姿勢に、兵士たちは顔を見合わせて困惑するほかなかった。彼らにとって、アバンがそうせざるを得ない理由が分からないので尚更である。
「しかし……そのお身体では――」
「私は行くぞ。それに……無論傭兵は気になるが、デイトン邸に向かったシルビアたちも心配だ」
アバンは痛みに呻きながらもなんとか両足で立つことができた。マイアを全身に張ったのがいくらか功を奏したようだ。
その体力と精神力に兵士たちは感嘆するしかなかったが、アバンがデイトン邸の方向へ走り始めたのをきっかけに、兵士たちも武器をとってアバンに追随し始めた。
「隊長! お言葉ですがその大ケガではもう戦えませんよ! 足もふらついています!」
「うるさい! これしきの傷など平気だ。いいから私について来い!」
アバンは兵士に怒鳴ったが、すぐに腹を抑えて唸ってしまった。それでも走り続ける彼を見て、兵士たちは観念したかような表情でその後を追い続けた。
ネオンに抱き着いてから長い時間が経過した――リーゼはそう思い、恐る恐る目を開ける。ネオンが微動だにせず、彼が発しているマイアが光り続けているので、焦燥しているリーゼも流石に怪しく感じ始めたのだ。
「……ネオン君?」
リーゼがネオンから身体を離し、彼の顔に視線を合わせた。
ネオンはじっと真っすぐを見たまま硬直していた。リーゼとは視線を合わせず、アバンがいた位置に向けていた手は下げられており、今はただの棒立ち状態である。リーゼは泣きそうな顔になり彼を見つめる。
さらにリーゼは、現在自身がいる空間を把握した。周りが白く光る粒子に覆われており、そのさまはまるで二人を外敵から守っているようで。この空間はネオンが作り出したものだと彼女は悟り、彼の肩を掴んで揺さぶり始める。
「ネオン君! 大丈夫!? 目を覚ましてっ」
必死に呼びかけながら、リーゼはネオンの身体を揺さぶる。身体の痛みはあるはずなのに、彼女の意識から消え去っていた。目に涙が滲み、拍動が速くなる。
すると、リーゼの眼前にいきなり閃光が走った。彼女は反射的に目を閉じて手で覆う。
光ったのは一瞬だった。リーゼが恐る恐る目を開けると、二人を覆っていた光の粒子が空中で拡散して天に昇っていく光景が広がっていた。その幻想的な光景には目もくれず、彼女はすぐにネオンの方を見る。
そのとき、首飾りから光が失われたと同時にネオンの膝ががくりと崩れた。
膝を折ったネオンは、目を閉じて前のめりになって地面に倒れようとした。それをリーゼがしがみつくようにして介抱する。
「ネオン君! ネオン君!」
リーゼは抱き締めたままネオンに呼び掛ける。身体を密着させているので、彼女はネオンの心臓の拍動をしっかりと感じ取ることができた。彼が生きていることを確認したリーゼは安堵感に包まれそうになるも、ネオンは目を覚ましていないので気を引き締める。
「……ん」
リーゼがネオンを抱き締めて少し経った後、ネオンの口から吐息混じりの声が漏れた。リーゼはこれを聞き逃すはずもなく、身体を離してネオンの顔を食い入るように見つめ始める。
そしてその後すぐに、ネオンの目がゆっくりと開かれた。
「……リーゼ、さん」
「ネオン君……!」
リーゼの頬に、大粒の涙が伝う。ネオンの前では笑顔を見せようと努めているが、その笑顔はくしゃくしゃに歪んでしまっている。
「よかった……本当によかった……!」
「……リーゼさん、その傷……」
掠れた声でネオンがリーゼのことを心配するも、その声は感極まっている彼女には届いていない。茫然として身体を預けているネオンを再び抱きしめながら、リーゼは嗚咽を漏らして泣いていた。
そのとき彼女は気付いていなかった。
光り輝いていた首飾りを身体に直に触れさせていたのにもかかわらず、彼女の身体にはそれによる傷がついていなかったことを。
デイトン邸は外観や庭園が荒れ果てているが、内部もまた目を覆いたくなるほど荒れていた。まるでその中で嵐が巻き起こったかのように物がそこら中に散乱している。豪奢な食器や棚には埃が積もっており、これまた豪勢なシャンデリアには光が灯っていない。こんなところに果たして人が住んでいるのだろうかと疑問を呈したくなるようなさまである。
しかし、確かに人はいた――その地下深くに。
デイトン邸の地下には、とてつもなく大きな空間が広がっていた――地下に続く隠し階段をくだっていくと、そこに到達する。天井に無数につるされた剥き出しのマイアスがこの広い空間を満遍なく照らしている。
その空間には所狭しと配線が通っている。その配線はマイアスの巨大な貯蔵庫から出ており、あるところには作業員らしき者たち――全員が灰色の作業服を身に纏っており、目だけ出した頭巾をかぶっている――が何らかの作業をしている机がある。
その空間の中心部に、異様な物体が固定されている。作業員の多くはそこで静かにその物体を見守っている。配線はそこに集結しており、異様な物体の正体である一つの金属製の筒に繋がっている。それが固定されている装置の周りには、黒く変色しぐずぐずに崩れた金属の塊がうず高く積まれている。
しかし、作業員たちの中に、異様な風貌の男が立っていた。
その男は、もう何年も使っているかのようにボロボロになって薄汚れたローブを羽織っており、そこからはみ出ている指は目を背けたくなるほど細くしわだらけである。目の輝きは失われており、食い入るように金属製の筒を見ているだけである。頬からはまるで溶けかかっているかのように皮膚がぶら下がっており、以前はでっぷりと太っていたことが窺える。
この男こそ、ノヴァ・デイトンである。
ノヴァは不敵な笑みを浮かべ、光が漏れ出ている筒を凝視している。彼の周りにいる作業員たちもその様子を固唾を呑んで見守っている。ノヴァの息が荒くなり、握りこぶしが作られる。
「……もう何百回とやっているが、これだけマイアスをつぎ込めばきっと成功するだろう……!」
ひどくしゃがれた声だが、力がこもっていた。
彼はこの地下実験室で、あるものを造ろうとしていた。それには膨大なマイアが必要であるために、傭兵団を雇いマイアスを強奪してでも成し遂げようとしている。
「この八年間……どれだけ耐え忍んできたか……! どれだけの屈辱を味わってきたか……っ」
「これだけ大量のマイアを注入しているのに膨張も収縮もしていない……。これはいけるかもしれませんよ」
作業員の一人がデイトンに言うと、デイトンが薄気味悪い笑い声を上げた。彼もまた、成功を確信しているようだった。
すると、突然筒から漏れ出る光が強くなり始めた。にわかに作業員たちがざわつき、ノヴァを避難させようとする。
「ええい、また失敗かっ」
「ここは危険です! 一刻も早くお逃げを――」
ノヴァたちが後ずさりした瞬間、金属製の筒が爆音を上げていとも容易く破裂した。
ノヴァたちは衝撃で吹き飛ばされ、作業員の何人かには筒が爆裂したことによってできた破片が突き刺さった。それは容易に作業服を突き破り、周りを血に染め上げた。ノヴァは爆風に煽られて床を転がっただけで致命傷は負わなかったが、周りには作業員数名の死体が転がっている。
その死体には目もくれず、ノヴァは筒があったところへと走り出した。
――今まで失敗した時は爆発しなかった。まさか……
そしてノヴァが筒のあったところに辿り着くと、無事だった作業員たちが死体を見て呆然としている中、恍惚とした表情でため息をついた。その場から微動だにしない彼を見た作業員の一人が訝しんで彼に近寄る。
「……どうなされたのですか? それよりも――」
「できたぞ」
ノヴァの一言は、歓喜に満ち溢れていた。作業員たちは耳を疑ってノヴァの下へと駆け寄り、彼が見つめているものへと目をやった。
そこには、一本の短剣がぽつりと置かれていた。しかし、それはただの短剣ではない。
両の刃は波刃となっており、刀身と持ち手には蔦のような文様が描かれている。その部分だけが異様に白い光を放っており、金属光沢ではないことを仄めかしている。
「できたぞ……。これが純粋装具、『ネオ・ソウル』だ!」
そう言ってノヴァは『ネオ・ソウル』と名付けられた短剣を手に取るとそれを天に突きあげ、高らかに笑い始めた。まるで腹の底から出しているかのように、その笑い声は大きく地下室内に響き渡る。その光景に作業員たちの視線が一斉に短剣に集められる。地下室内がざわつき、作業員たちがノヴァのもとに集まり始める。
「なぁに? 騒がしいけど」
そのとき、地下室にヴェルデが入ってきた。彼は部屋の中心部の人だかりに驚きながらも歩みを進める。ノヴァの高笑いはまだ続いている。異様な人だかりと彼の笑い声で、ヴェルデは察した。
「……実験は成功したようね。何の実験かは分からないけど」
ヴェルデの顔に笑みが浮かぶ。その旨をライトに報告しようと踵を返し来た道を戻ろうと歩き始めた。
しかし、異変はここで起こった。
ヴェルデの耳に、男たちの悲鳴が突然聞こえてきた。何事かと思い彼が振り向くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
ノヴァが、白い炎に包まれて燃え上がっていた。作業員たちは我が身可愛さに一目散に逃げだしており、ノヴァの周りには誰もいない。ノヴァは短剣を握りしめながらのたうち回っており、誰も助けようとはしない――事態が急すぎて誰も状況を飲みこめていないということもあるが――。
「一体……何が起きてるの?」
ヴェルデはこの状況を唖然としながら傍観しているしかなかった。歓喜していた現場が一転して阿鼻叫喚の絵図になったのだから無理もない。しかし、彼はただならぬ状況になっていることは理解していた――異常な量のマイアがノヴァを包み込んでいるのを感じたのだから。
ヴェルデや作業員たちがノヴァを見守ることしかできない中、彼を燃やしている炎は徐々に小さくなっていく。ノヴァはすでに動いておらず、ただ静寂が場を包み込む。
それから少し経つと、炎は完全に消失した。そこで、ノヴァの身体に変化が訪れた。
炎が消えると、彼の身体と短剣が白く光り続けているのが確認された。それを見たヴェルデは、まだマイアがノヴァの身体に残っていることに違和感を覚えた。
――何なの、これ……。あの剣がマイアを出しているとしたら、持ち主となった依頼主が死んだら消えるはず……
彼は純粋に戦闘を好む『貪食の黒狗』の副団長。これまで何人もの装具持ちを倒してきた彼だからこそ分かる違和感だった。
嫌な予感を感じたヴェルデはすぐに来た道を戻り、この状況をライトに伝えようと急ごうとした。場合によっては任務失敗の可能性もあり、その場合はここにいる意味はない。もしノヴァが起き上がったとしても、彼が何をしでかすか分からない。
しかし、ヴェルデの動きは作業員の悲痛な叫び声によって止まってしまった。
ヴェルデが振り向くと、彼の目には、白く光ったノヴァが一人の作業員を短剣で刺した光景が入った。更に刺された作業員は、マイアから身体を防護する作業服を着ているのにもかかわらず、その場で白い炎に包まれた。そして彼の身体は先ほどのノヴァのようにのたうち回ることなく、まるで積み上げた石が崩れるようにその場で崩壊した。
そこから並々ならぬ殺気を感じ取ったヴェルデは振り向くことなく真っ先に駆け出し、地上へと上がっていった。生き残っている作業員たちも我先にと出口へ殺到しようとするが、皆ノヴァに斬りつけられて燃え上がり、誰もたどり着くことができなかった。その動きたるや今までの瀕死状態のような動きからがらりと変わって俊敏になっており、十数人の作業員をものの数秒で全員始末してしまった。
白く輝いているノヴァは、猟奇的な笑みを浮かべながら地上へと上がっていった。