いつか見た異変
ネオンに異変が生じる少し前、コウとライトは互いの刃をぶつけ合っていた。一撃一撃にとてつもない力がこもっており、攻撃がぶつかるたびに耳をつんざくような金属音が響き渡る。
ライトの笑みは、いつしか狂気的なものになっていた。まるでコウの動きに酔いしれているかのように表情が変化しており、彼の視線はコウのみに向いている。
一方でコウは相も変わらず無表情であり、淡々とライトの一撃を受け止めて逃走の機会をうかがっている。彼にとってこの戦いは無駄なことであり、一刻も早くライトを退けて先へと進みたいのだ。それでも彼は落ち着きを払っており、ブロードソードの刃をライトめがけて振り回しながら先へ進もうとしている。
「殺気が感じられないが?」
「……邪魔。通して」
「俺を殺すつもりで向かわないと、この先は進めんぞ」
ライトが大声を張り、マイアを纏わせた刃をコウの頭上に振り下ろす。空気を切り裂く音とともに、刃がコウを襲う。
しかし、ライトの一撃はコウには通らなかった。それどころか、彼の斬撃はコウの一振りによって弾かれていた。鼓膜を震わす金属音とともに、ライトの懐ががら空きになる。
「やるな」
ライトはコウに彼なりの賛辞を送った。華奢な体つきの少年が、マイアを――見たところは――張っていないブロードソードで、大男が振るうマイアが纏われている大剣の一撃を弾いたのだ。
その一連の光景を、シルビアとポールは絶句しながら凝視していた。彼女らはコウとライトの壮絶な剣戟の余波で意識を取り戻しているが、身体を拘束されているので、庭園の隅で彼らの戦いを見守ることしかできていない。彼らはその二人に対して、勝ち目がないとさえ感じていた。
今が突破する絶好の機会と踏んだコウは、ライトには目もくれずに彼の横を通り過ぎようと脚に力を入れる。
「逃がすか!」
ライトも負けじと、体勢を元に戻し大剣をコウの胸元に振るう。コウはライトを一瞥すると、前方へ加速するのではなく、回避のために上へ飛んだ。ライトの一撃は空を切るが、彼は追撃しようとコウと同じく空中へ飛び上がる。
「……しつこい」
「しつこくいかせてもらうさ!」
上空に飛び上がった二人は、そのまま向かい合って刃を打ちつけあった。ぶつかった衝撃で両者は反発するが、二人とも両足で着地しておりダメージは無い。二人は息切れ一つせずに向き合い、再び武器を構える。
しかし、ここでコウに異変が訪れた。
彼を激しい頭痛が襲ったのである。
ヴェルデにとどめを刺そうとした時に襲った頭全体を突き上げるような激しい痛みが、よりにもよってこんな時に襲来したのである。コウは頭の激痛に思わず武器を地面に落とし、その場に頽れてしまった。
「……痛い……なんで――」
頭を両手で抑え、目を強く瞑り、息を荒げて痛みが去るのを待つしかない。
その様子を、ライトは怪訝な表情で見つめているだけである。彼は警戒感を強め、マイアを大剣の刃に集中させ始める。何が起こるか分からないからだ。
――何が起こっている……?
頭痛のせいで悶絶しているコウを注視しながら、ライトはじりじりと後退して距離を取る。その間、刃はコウに向けられたままだ。ある程度距離を離しても、コウが動く気配はない。
――こんな形で終わらせるのは不本意だが……任務のためには仕方がない。
コウがしばらく動かないことを確認すると、ライトは大剣を振り上げた。マイアは刀身全体に纏われており、ライトの全力をもって振り下ろされればコウの肉体どころか彼の周辺は容易に吹き飛ぶであろうほどに凝集されている。コウは痛みに悶えており、ライトの方を見ることすらできない。
「終わりだ。剣士よ」
ライトの刃が振り下ろされようとする。刃先はコウの頭部を捉えている。
しかし、ライトの動きはそこで止まった。
「……この気配は」
ライトが、何者かが屋敷に向かっているのを察知したのだ。彼は臨戦態勢を解かず、門に向かってくる人影を見定める。
すると、前方からライトが見覚えのある二人が走って向かってくるのが見えてきた。そしてライトは、その二人の様子がおかしいことも瞬時に見抜いた。
「ビスト、ミアータ! 何があった?」
彼は視線を二人の方に向けて声を張った。ビストとミアータが切迫した表情で走ってくる。
しかし、ビストとミアータが返事をする前に、彼らの後ろのザウバーが二人を飛び越して着地し、デイトン邸の庭へと侵入した。ビストとミアータは呆気に取られたような表情で立ち止まる。
ザウバーはライトに二挺拳銃を突き付け、矢のように鋭い視線でライトを睨みつける。
「そこまでだ。『貪食の黒狗』の団長さんとやら」
「……ビストとミアータを、わざわざ連れてきたのか? 後ろから撃たれるかもしれないのに」
「残念ながら、こいつらには下手な動きをしたら撃ち殺すと脅している。俺なら造作もないことだ」
ザウバーの言葉にビストは唾を呑みこみ、ミアータはザウバーを非難めいた眼差しで見つめる。
「ちょっと、あんたさっき――」
ミアータが何かを言おうとしたが、彼女の言葉は銃声によって強制的に止められた。
ミアータが恐る恐る足元を見ると、地面がザウバーの銃弾によって抉れていた。彼女は身震いしながらザウバーを見つめることしかできない。
「その様子だと、俺の仲間は叩きのめされたことになるな」
「その通りだ。こいつらみたいになりたくなければ、大人しくそこを通せ。コウを解放して、な」
「コウとやらは助けてやろう。そもそもこいつが勝手に苦しみだして膝を付けたのであって、俺が倒したわけではないからな」
ザウバーは、ライトの言葉に疑問を持った。勝手に苦しみだしたとはどういうことなのか。目の前の男が嘘を言っている可能性も十分にあるが、コウの身体には目立った傷はついていない。勿論、コウが抱えている頭にも傷は無い。
「コウ! どうした!?」
ザウバーがコウに呼び掛けると、コウはようやく此方を向いた。立ち上がることはできたが、未だに苦しそうな顔をしている。
「……あっちで、何か感じる……」
コウが屋敷の外を指さした。ザウバーがその方向に注目すると、彼はあることに気が付いた。
「あっちって……リーゼたちがいるところか?」
「うん」
「……分かった。コウは下がっててくれ。ここは俺がやる」
コウが小さく頷くと、彼は大人しく引き下がった。ライトはその姿を見ても追い打ちをかけようとはせず、ただザウバーを見つめている。
――一体何が起こってるんだ?
ザウバーが思案しているところに、風を切る音が割り込んだ。ライトが大剣の刃にマイアを纏わせて臨戦態勢に入っている。
「……嫌な予感がする。ここを通せ」
「ここを通りたければ俺を殺すことだな」
「……聞く耳は持たないか、当然だな」
両者の装具が、互いに向けられた。
身体を滅多切りにされるような攻撃が、何故か止まった――リーゼは薄れゆく意識の中、焼かれるような痛みを全身に抱えながら体を起こして目を開けようとした。
服はボロボロになり、へそや肩など肌の一部が露出している。全身に傷があるが、幸いにも水膨れや瘢痕に至るようなものはない。
叫び過ぎて喉を痛めたのか、咳き込みながら上半身を起こす。ファルシオンを握るのも忘れてはいない。
目を開けてリーゼが最初に見たものは、アバンの後ろ姿だった。何故自身を執拗に殺そうとしていたアバンが背を向けているのか、彼女は理解できなかった。
しかし、リーゼはすぐにアバンの向こう側にいるであろうネオンの存在を気にかけ始めた。きっとネオンが狙われているに違いない――リーゼはにわかに焦りだし、アバンの向こう側を覗き込んだ。
「ネオン……君――」
そこでリーゼの身体は硬直してしまった。
ネオンが自力で立っており、アバンと向かい合っていた。しかし、様子がおかしい。
ネオンの首飾りがまばゆい光を放っており、視線はアバンの方を向いているが、表情は虚ろである。
リーゼはネオンが立ち上がっていたことに驚いているのではない。彼の様子があの時と似ていることに気付いて焦っているのである。
――レノに捕まった時と、似ている……!
レノに人質にされたときも、首飾りは同じように輝いていた。虚ろな表情もその時に確認されていた。そしてそのあとは――。
「……逃げて」
掠れた声で、リーゼがアバンに警告する。その声には、明らかに恐怖の感情が宿っていた。
しかし彼女の声は彼に届かせるには小さすぎた。アバンは刺突剣を握って、ネオンの出方を警戒しているのみである。
「一体どうしたんだ!? 強烈なマイアを感じるぞ!」
「分かりません! 泣きわめいていたと思ったら、いつの間にかそうなったのです!」
この場にいるリーゼ以外の全員が、この状況を飲みこめていない。兵士たちはオロオロとするだけで、ネオンを再び拘束しようとはしない。アバンも――流石に相手が子供だからか――ネオンに手を出せないでいる。
「リーゼさんを……」
ネオンが再び口を開き、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
すると彼は、アバンに向かって右手を伸ばした――手は開かれており、まるでアバンを足止めするように威圧する。それを見たアバンが反射的に刺突剣の先端をネオンに向ける。
「この子は、一体――」
アバンが気味悪そうに呟くと、ネオンの開かれた手が光り始めた。リーゼが絶句しながらその様子を凝視する。
光は凝縮され、小さな球となって手のひらに留まる。アバンは瞬時に危険を察知し、回避の体勢に移ろうとする。
「傷つけるなぁぁぁッ!」
ネオンが絶叫すると、アバンに向かって光の球が放たれた。
アバンはそれを跳躍して躱そうとする。彼はその球から、尋常ではない量のマイアを感じ取った。まともに当たればひとたまりもないどころか、全身が消し飛んでもおかしくないと彼は感じたのだ。
しかし、アバンの予想に反して、光の球は彼を追尾している。跳躍している彼を追いかけるようにして、光の球はぐんぐん高度を上げていく。
「……まずい!」
このままでは直撃する――そう考えたアバンは、刺突剣を握りしめた。
刺突剣から放電が火花が散り始めると、その火花は瞬時にアバンを包み込んだ。そしてアバンの全身から放電が始まった。電流を最大限に放出して、高濃度のマイアの威力をできるだけ軽減する作戦に出た。彼は雄たけびを上げながら身体から放電させ、迫りくる光球を見つめる。
光の球とアバンが、空中で衝突した。
目が潰れんばかりの光と暴風を放ちながら、マイアの球が爆発した。リーゼと兵士たちが思わず目を覆いながら屈みこむ。その中でも、ネオンだけは平然と立っている。
その光は、デイトン邸にいる者達にも見えていた。ビストやミアータ、ザウバーは目を見開きながら上空の光を見つめ続けているが、コウはそれに見惚れているかのように動きを止めている。
「……この方向、さっきコウが指さした場所じゃ……」
一体何が起こっているというのだ――ザウバーの胸騒ぎは加速した。
暴風と光がようやく収まると、リーゼと兵士たちが目を開けて辺りを見回し始めた。幸いにも建物に目立った被害はなく、兵士たちが安心している。
しかし、一人の兵士が異変に気付き始めた。動けないリーゼがいる向こう側に、誰かが倒れているのを見つけたのである。
「アバン隊長!?」
兵士たちがリーゼそっちのけで、倒れている人の方へと走っていく。
「ア……アバン隊長……」
そこに倒れていたのは、彼らが呼び掛けた通りアバンだった。
彼の赤い軍服は黒く焼け焦げており、腹部には大きな火傷がある。息はあり意識も残っているが、とても戦闘を続行できる状態ではなかった。この惨状が、ネオンが放ったマイアの力を物語っているといっても過言ではない。
「……ネオン君」
リーゼはやっと立ち上がることができた。ネオンの名前を呼びかけるが、彼は微動だにせず反応しない。
すると、ネオンが再び手のひらにマイアを集約させ始めた。今度は向こうにいる兵士たちもろとも吹き飛ばす気なのだろうか――リーゼは目を見開いて動きを止める。
「ネオン君! もういいの! 私は大丈夫だから!」
叫ぶように呼びかけた後リーゼがネオンに歩み寄り始めるが、彼は右腕を下さない。その間にも、マイアは集まっていく。足もとがふらついているが、リーゼは進み続ける。リーゼの声に何事かと振り向いた一部の兵士は、光の球が彼らに向けられていることに気付いて怯えた表情で固まってしまった。
「お願い……もうやめて……」
リーゼの目に涙が溜まり始める。首飾りで人を傷つけたくないと願ったネオンのこんな姿は見たくない――その一心で彼女はネオンの方へと向かう。それでもネオンは、リーゼの思いなど意に介さないようにマイアを溜め続ける。彼の視線はリーゼを捉えておらず、ただ敵を排除しようと兵士たちが集まっているところに向かっている。
ついにリーゼが、ネオンと身体が密着するほどの近距離までたどり着いた。それでもネオンはリーゼに気づいていないかのようにマイアの光を集め続ける。
「ネオン君!」
リーゼが叫び、ネオンの身体に覆い被さった。
リーゼの腕がネオンの背中に回され、リーゼが彼をきつく抱きしめる。
光がその場で膨張し、二人を包み込んだ。




