新たな旅立ち
トラムに戻ったリーゼ達は、エウロペの下へと帰ってきた。無論エウロペ達は彼女らを温かく迎え入れるが、リーゼは緊張した面持ちを崩さない。
リーゼはまず、ジェンセンたちに中央政府で聴いた国の対応について話した。先に襲撃された地域が優先されること、仮に復興が行われたとしても、ジン自体の復興ではなく外れにある研究所が対象になることを告げると、周りの人らがざわつき始める。だがその中でも、まとめ役として働いているジェンセンは目をつぶって数回頷くだけである。
「……現実的に考えて、そうなるよな」
「ごめんなさい。私の訴えが足りなかったから――」
「リーゼ、自分を責めるな。俺たちを代表して政府のお偉いさん方に話してくれただけで十分だ。ありがとう」
落ち込むリーゼを励ますように、ジェンセンは彼女の頭を優しく撫でた。その後ろで、エウロペが優しい笑みを浮かべながら頷く。
「リーゼ、長い旅で疲れたでしょう。ゆっくりお休みなさい」
エウロペが娘を気遣うような言葉をかけると、リーゼはそちらを見た。その目は、真っ直ぐに母を見つめている。
「……リーゼ?」
「お母さん……私ね」
娘に真剣な眼差しで見つめられたうえ思いつめたような顔で話を切り出されたので、エウロペは困惑するほかなかった。リーゼはそんな母の気持ちも知らず話し始める。
「私、この現状を変えたいと思ってるの」
「……変える?」
「私、この人達について行って、傭兵やる。それで、お金を村のために使って一刻も早く復興させる!」
周りがさらにざわついた。ジェンセンとエウロペは信じられないという風にリーゼとザウバーを交互に見つめる。ザウバーは困惑しきっている二人をただ見つめることしかできない。
「そんな……、いくらなんでも無茶だ!」
先に異を唱えたのはジェンセンだ。彼は猜疑心たっぷりにザウバーを睨みつける。
「あんたが吹き込んだのか? 傭兵」
「違うんです。私が、この人達に頼んだんです。この人達は何も悪くありません」
リーゼが強い口調で割り込んだ。それを聞いたジェンセンは頭を振った。
「リーゼ……。お前、自分が何言ってるか分かってるのか!?」
「解っています! こうでもしないと、私の気が済まないんです!」
「仕事はいくらでもあるだろう。傭兵は簡単に稼げるわけじゃない。自分の命という対価を支払うんだぞ!」
ジェンセンがリーゼを怒鳴りつけた。その迫力に彼女は萎縮しそうになるが、ここで止まるまいと必死に踏ん張る。
「私は絶対に生き残ります! 生き残って、強くなって、村にたくさんお金を入れられるように努力します」
「生き残るって……、そんな保証どこにもない! 頼むから目を覚ましてくれ!」
「決めたんです。一人だけ生き残った私にできることって言ったら……これしかないって……」
リーゼの瞳が潤み始め、声が震える。
自身の命をかける覚悟はできているのかと問われれば、自ら決意したとはいえ気持ちが揺れる。死ねば元も子もない。死を恐れるのは当たり前のことだ。ザウバーに説得された時も彼女にはその気持ちが過った。それに、死を望まない気持ちは村の人達――とりわけ母は人一倍持っているだろう。
しかし、そこで止まるリーゼではなかった。袖で目を強くこすると、ジェンセンと再び向かい合う。
「私は絶対に、絶対に傭兵として生き残ってみせます! そうしないと、死んでしまった人達に申し訳ないと思うんです。村をよくしたい……皆の笑顔が見たい……この村を救いたいんです!」
その言葉で、全員がリーゼに圧倒された。横で彼女を案じていたザウバーでさえも胸を打たれ、彼女の気持ちを心の内で支持した。
次の言葉が出てこないジェンセンは、強くリーゼを睨みつける。彼女の心臓は跳ね上がるが、それを悟られないように睨み返す。
「……リーゼ」
すると、ジェンセンの背後でエウロペがリーゼの名前を呼んだ。ジェンセンは驚いた表情をしながらも、空気を読んでその場から退いた。急に名前を呼ばれて呆然としているリーゼは、母をただ見つめることしかできない。
「貴女の気持ちは、痛いほど分かった」
「お母さん――」
「お母さんは、貴女には死んでほしくない。貴女の手を血で汚してほしくない。自警団に入りたいって小さい頃言いだした時にも、お母さんは反対だった」
やはり無理か――リーゼは母の言葉を聞いて悟った。それでもきちんと母の目を見続ける。
「でも、なんであの時は『入ってもいい』って言ったか、分かる?」
「……え?」
突然の質問に、リーゼが目を丸くする。対してエウロペは微笑んでいた。
「貴女から真っ直ぐな心を感じたからよ」
「真っ直ぐな……心……」
「あの時の貴女の目はとても輝いていた。泣きながら頼んでいたってこともあるけど。こんな真っ直ぐな気持ちを見せられたら、お母さん、とても反対なんてできない」
リーゼは呆然としながら母の話を聞くのみである。
「今の貴女からも、その心をしっかりと感じる。貴女の目はそれを実行しようと輝いている。貴女の決断はお母さんには邪魔できない。だから――」
言いながら、エウロペはリーゼに歩み寄る。
そして、エウロペはリーゼの両肩に自身の両手を載せた。彼女の両目は、しっかりと愛娘を見つめている。
「貴女が決めた道を進みなさい。お母さんは貴女をずっと応援してるからね」
その言葉を聞き、リーゼの瞳から堰を切って涙が流れ始めた。そしてそのまま顔をくしゃくしゃにして母に飛びつく。号泣しながら彼女は、ありがとう、を母に投げかけ続けた。
エウロペもリーゼの背中に腕を回し、優しく包み込んだ。笑みをこぼしつつ大粒の涙を流しており、これから離れていく愛しい娘の体温を感じている。
周りの人達は、その様子を温かい目で見守っていた。彼らには、それしかできないのだから。
母の許可を得たリーゼはトラムを出ようとしたが、ザウバーに止められた。血まみれの自警団の服で街中を歩くのはどうかということで、彼が彼女に傭兵になる記念として服を買うと提案したのである。それに乗った彼女は湯浴みで身体を綺麗にした後、トラムの小さな服屋にいた。
試着室の前にはザウバーとコウがボディーガードのように立っている。時折コウが中の様子を気にして試着室を遮っているカーテンを開けようとするが、ザウバーが全力で止めた。当然リーゼは悲鳴混じりにコウを糾弾するが、彼は何の感情もこもっていないような謝罪をするだけだった。
リーゼが最終的に選んだものは、上は白の無地の半袖シャツに深緑色の薄手のジャケット、下は黒の七分丈のパンツ。動きやすくすることと、暗い色で周囲に気付かれにくくするという実用的な理由で選んだものである――勿論、彼女の好みも優先されているが――。パンツには後でファルシオンを吊り下げられるように改造するとザウバーが言った。
更に彼女は普段着用として白地に花柄のワンピースを買ったり、その他にも様々な種類の衣類――寝間着や下着など――を買った。思いのほか出費がかさんだので、ザウバーは大袋を抱える彼女を困惑しながら見つめていた。
新しい服――先程の暗い色の上下一式――に着替えたリーゼは再び馬車に乗ろうとする。すると、エウロペとジェンセンが彼女らを送ろうと馬車まで向かってきた。
「お母さん……ジェンセンさん……」
「リーゼ! 絶対に死ぬんじゃないぞ! 約束したんだろ!?」
ジェンセンに両肩を掴まれて詰め寄られたリーゼは笑顔を見せるが、少し引きつってしまった。
「……大丈夫です。絶対に生きて、村のためにお金を稼ぎます。他の村の皆さんにも伝えてください」
その言葉を聞いて、ジェンセンは安心したように手を離してにっこりと笑った。そして今度はエウロペがリーゼに歩み寄る。
「リーゼ、死なないでね。お母さん、信じてるから」
「……うん。分かった」
二人の間には、この言葉で十分だった。リーゼはエウロペに手を振ると、馬車へと乗り込む。
リーゼは馬車が動きだしても、二人の姿が見えなくなるまで窓から顔を出してトラムの方を見続けた。
長い時間をかけてフラックスへとたどり着いた三人は、休憩もそこそこにとある場所へと足を運んだ。
その場所は中央政府の一角にあるレンガ造りの巨大な建物だ。そこの表札には、『兵糧部』と記されている。彼女は建物の大きさと人の多さに圧倒されながら、すいすいと進んでいく二人について行く。
ザウバーが窓口で受け付けの女性と話していると、その女性は丁寧に三人を奥へと通した。何故と考える暇もなく、リーゼは女性について行く。
「こちらです」
リーゼは女性から、インクのついた羽ペンと一枚の紙を渡された。
「ここにサインしてください。これにサインすれば、貴女は傭兵に登録されます。そしてザウバー様の一団『白銀の弓矢』の一員となります」
ザウバーとは銀髪の男の方かと考えつつ、リーゼは緊張で震える手でサインをした。それを見たザウバーは微笑んでいた。
「おめでとう、リーゼ・カールトン。君は俺たちの一員となった。俺の名前はザウバー・マクラーレンだ。今後ともよろしくな」
ザウバーは初めて名前を明かすと、リーゼに握手を求めて右手を差し出した。
「……よろしくお願いします!」
リーゼはザウバーと固く握手を交わした。その顔には満ち足りたような笑みを湛えている。
かくして、リーゼの新たな生活が始まった。