執念
ザウバーがビストとミアータを連れ出して少し経った後、三人は既にアバンとリーゼがぶつかり合っている場所から遠くへと離れていた。ザウバーはビストとミアータを先頭に出して彼らに追随する形で走っている――二人の背中に銃口を向けながら。二人はザウバーの殺気を一身に受けているので、反抗する余地がないのか大人しく走ってザウバーを先導している。
「ねえ」
突如、ミアータが口を開いた。ザウバーは途端に警戒し始めるが、装具を振るってくる素振りは見せない。ミアータの声には、ビストも怪訝な表情で反応した。
ザウバーは緊張の面持ちを崩さずに、ミアータの後頭部に視線を向ける。
「何だ?」
「……どうして、私たちを助けたの?」
ミアータの質問に、ザウバーは面食らったような表情をした。彼は少しの間黙り込む。
「……きいてるんだけど」
「それをきいて何になる?」
ミアータの問いかけは、ザウバーに逆に疑問を持たせてしまった。その質問をした意図が、彼には分からないのだ。ザウバーが逆に問いかけると、ミアータがもやもやとした感情を抱えながら彼の方へ振り向いた。
「あの軍人にあのまま殺させても良かったんじゃないの? 私たちはあんた達と軍の共通の敵なんだから、引き渡すなり殺させるなりすればよかったじゃない!」
「前を向け。話してやるから」
ザウバーがミアータにすごむと、彼女は大人しく前を向いた。
「……お前たちにはまだまだ利用価値があると思ったから残しただけだ。それに――」
「……それに?」
「嫌な予感がする。お前たちが吐いてくれたことが本当なら、膨大な量のマイアがデイトン邸で使われているわけだ」
先程の話でザウバーは、強奪されたマイアスが膨大なマイアを生み出すために使われていると推測した。
そして彼はその更に先を考えた――兵器への転用である。
尋常ではない量のマイアが使われた兵器ないしは装具を作られでもしたら――ザウバーはそう考えて、一刻も早くデイトン邸へと向かおうとしているのである。
「俺たちは後始末がてらノヴァを止める。万が一ノヴァがマイアスで兵器じみたものを造っていたら、その時にはお前たちにも協力して止めてもらう」
「利用価値って……まさか! 依頼主を裏切れっていうの!?」
「お前たちは相当な量のマイアスを強奪したんだろう? それを一介の元議員とか、雇われの作業員が扱いきれる筈が無い。あんたらの団長だって、ノヴァがもし暴走すれば全力で止めにかかるだろう。それにお前たちがノヴァの言うことを忠実に聞いても、その逆はどうだろうな」
ミアータは口を閉ざしてしまった。ビストも黙りこくってザウバーの言ったことを吟味している。
「……とりあえず、今は屋敷に急ぐしかねえな。あの依頼主の考えていることは俺たちにゃ分からん。何せ団長としかまともに会話してねえ」
「そうか。じゃあ、そのままデイトン邸に向かって走れ」
「了解……」
ビストが結論を出し、ザウバーを納得させる。
「……あのさ」
再びミアータが口を開いた。先程とは打って変わって声に威勢が見られず、恐る恐るザウバーの顔色を窺っているという感じである。
「また質問か?」
「違う」
「じゃあ何だ?」
聞くのも煩わしいという風にザウバーがあしらおうとすると、ミアータが口を開いた。
「……助けてくれて、……ありがと。あの時は、本気で死ぬかと思った」
ミアータの感謝の言葉を聞いて、ザウバーとビストは呆気に取られたような顔で彼女を見た。しかしすぐさまザウバーは我に返る。
「……別に感謝されるほどのことじゃない。言いたいことはそれだけか?」
「う、うるさい! お礼言って何が悪いの!」
顔を真っ赤にしてミアータが叫ぶと、それっきり彼女は仏頂面のまま黙ってしまった。
ミアータは、戦いの中で死にかけたことはおろか深い傷を負ったという経験すらなかった。持ち前の装具を操る技術で、敵対する者を常に圧倒してきたからである。しかし、アバンに刺突剣を突き立てられたことで彼女に初めて死の恐怖が沸き上がった。
それをかき消したのが紛れもなくザウバーである――彼自身はミアータを死の恐怖から救ったとは微塵も思っていないが――。それを契機にして、彼女の中でザウバーに対する形容できぬ感情が顔を出し始めた。
助けられた瞬間、彼女はザウバーのことを救世主とさえ思ったのだ。
ミアータが黙っていると、ビストが彼女の方を向いて苦笑した。
「お前の口から『ありがとう』なんて言葉が出るとはな」
「馬鹿にしないで! ちゃんとお礼くらい言えるからっ」
ビストとミアータが口喧嘩をしているのを後ろから見ていたザウバーの目に、その先の光景が映った。
「少し止まれ」
ザウバーが命令口調で二人を止める。そこで、二人もその異様な状態に気が付いた。
石畳が完全にめくれており、土が至る所に露出している。更に、土塊がそこら中にごろごろ転がっており、周りの建物には何かがぶつかってできたと思われるひびが入っているものがあった。
「これは――」
「副団長がここで誰かと戦ったな」
ザウバーが話すより先に、ビストが口を開いた。彼の言葉にミアータが同調し首を縦に振る。
「どうして分かる?」
「この戦い方は副団長のそれだよ。だが……副団長がいねえな」
「まさか……戦ってた奴に逃げられてそいつを追ってるとか?」
ミアータの推測を聞き、ビストが唸る。
「……あの副団長が敵を殺し損ねて逃がしたってことは考えたくはねえが、どこにも気配がないならそうなんだろうな……」
「向かったのは、おそらくデイトン邸。追っている相手は……俺の仲間か」
「あの白髪の男の子?」
ミアータの質問に、ザウバーは頷くだけだ。ビストとミアータが信じられないと言った風にザウバーを見つめていると、ザウバーが歩を進め始めた。
「さっさと行くぞ。先導してくれ」
「……分かったよ」
壮絶な戦闘があったことを示唆している場から、三人は目的地へ向かって再び走り始めた。
リーゼはザウバーたちを逃がし、腰が抜けて動けないネオンを守りながらアバンと戦い始めていた。
アバンと何回か剣を打ちあっただけで、対人戦闘の経験が少ない彼女でも、アバンは相当な力を持っていると感じた。彼は刺突剣でリーゼの急所を的確に突こうとしており、彼女はそれに対してファルシオンの腹にマイアを纏わせて防御することしかできていない。
「死ね、傭兵!」
アバンが刺突剣を構えると、瞬時に突きが飛び出てきた。リーゼは彼の直前の動作から動きを予測して、身体を捻って避ける。そのひねりを利用して、彼女はファルシオンを右から左へ大きく振り払う。
ファルシオンの刃と刺突剣の刀身がぶつかり、鋭利な金属音を響かせる。つばぜり合いは起こらず、両者の刃は反発する。
その隙を、リーゼは見逃さなかった。今度は彼女から攻撃を仕掛けようとする。刺突剣の攻撃範囲はファルシオンのそれよりもずっと小さい――そうふんだリーゼはアバンに接近し、懐を狙って刃を振るう。
アバンはリーゼがファルシオンを振るう前に、飛び上がって後退した。彼は苦虫を噛み潰したような顔でリーゼを睨みつけるばかりで、攻撃をしてこない。
――ここだ!
リーゼはアバンが後退することを予測していた。流石に懐に潜り込まれて刃を振れば相手は退かざるを得なくなるだろう――彼女はアバンの行動を折り込んでいた。
その隙にリーゼはネオンに近づいた。彼女は戦っているときよりも切迫した表情でネオンと向き合う。
「ネオン君! 立てる!?」
リーゼはネオンを避難させようと、彼の手を取った。しかしネオンは怯えたような表情を浮かべながら動こうとしない。
「まだ……力が入らないです……」
「怖がらないで。きっとネオン君と一緒に逃げられるから」
リーゼが優しい笑みをネオンに見せる。張りつめた空気の中で、ネオンはそれを惚けた表情で見つめる。
リーゼの言葉を聞き、ネオンが意を決して頷いたところで、リーゼは背後から強烈な殺気を感じ取った。アバンが此方に刺突剣を向けている。まるでそのまま直進してネオンごと突き刺してしまおうと言わんばかりに、彼の姿勢から殺意が溢れている。
「逃がさんぞぉっ!」
アバンが叫んだ直後、彼の姿は一瞬でリーゼの眼前に現れた。引き絞られた弓のように、彼が刺突剣を持つ右腕は攻撃の準備を終えている。
――まずい!
リーゼが咄嗟にファルシオンの腹を胸の前に盾のように構えた。マイアを張るのも忘れていない。
だが、アバンの力はリーゼの予想を上回っていた。
アバンが目にも留まらぬ速さでリーゼのファルシオンを刺突すると、鋭い金属音とともにリーゼの身体が宙を舞った。刺突された箇所は、まるで抉り取られたかのようにそこだけマイアの膜が消えている。
リーゼはそのまま吹き飛ばされ、硬い石畳に背中から着地し、引きずられるようにして路面を滑る。彼女の身体はすぐに止まったが、彼女は背中を打ちつけたときの激痛で息をすることすらできず悶絶していた。
「リーゼさん!」
ネオンが目を見開いて絶叫するが、リーゼは起き上がることができない。コントロールできなくなったのか、ファルシオンに張られていた白い光は消えている。
すると、アバンがネオンを見つめた。思わず目を合わせてしまったネオンは、アバンの方を凝視したまま、捕縛されたかのように体をピクリとも動かさない。
「あ……あ……」
ネオンはアバンを拒絶しようと声を出そうとするが、あまりの恐怖でそれもできない。彼の目にはジワリと涙が浮かび始めた。
しかし、アバンはネオンから目を離した。代わりに彼は、ザウバーの銃弾を食らって動けないでいる兵士たちの方を向く。
「お前たち。動ける者から、この子を保護してくれ。私はまずこいつを始末する」
そう言い残し、アバンは倒れているリーゼの方へと歩みを進め始めた。ネオンは茫然としていたが、アバンの言葉の意を汲み取った途端に心臓が縮こまる感触を覚えた。
――リーゼさんが……殺される……!
既にアバンは彼の刺突剣に電流を纏わせている。放電している音が周囲の人間の鼓膜を震わせる。
「……渡す、もんですか――っ」
か細いリーゼの声が聞こえた。ネオンが思わず彼女の方を向く。
彼女の足取りは覚束ないが、地に両足を付けてファルシオンを正面に構えている。更に彼女の脚にはマイアが纏われており、迎え撃つという意思を感じさせる。
「ネオン君はあんた達に渡さないっ」
リーゼが石畳を蹴り、アバンの方へ一直線に駆け出した。その一瞬後には、アバンが彼女の剣戟を刺突剣で受け止めていた。
「黙れ! 傭兵はここで倒れろ!」
アバンが刺突剣から電流を流す。リーゼは思わず刃を離してバックステップで距離を取るが、電流は彼女に向かってどんどん伸びてくる。
下がっても追いかけてくる電流を、リーゼは苦虫を噛み潰したような顔をして凝視する。なんとか回避できないものか――彼女が考えているときにも、電流は迫ってくる。
――これしかない、か……っ!
リーゼは再び脚にマイアを纏わせると、その場で止まった。電流はまだ彼女のもとへと伸びてくる。
そのまま電流が彼女を焼き焦がす――そう思われた。
リーゼは横に飛んだかと思うと、足底を接地させた瞬間に全速力で前方へと飛び出した。電流は直進しかせず、その横を走り抜けているリーゼにはかすりもしない。
リーゼは雄たけびを上げて、身体をひねりファルシオンを振る予備動作を行う。アバンは驚愕したような顔をしながらも、電流を出すのを止めて彼女の迎撃の準備に入る。
両者の刃がぶつかるが、今度はアバンが吹き飛ばされた。リーゼは弾丸のような速さで突っ込んでおり、かつ彼女の刃にはマイアが張られていた――彼女は力で強引に押し通したのだ。
アバンは両足で着地し、憤怒に染まった瞳でリーゼを睨みつける。対するリーゼは肩で息をしているが、ファルシオンの刃はまだ正面を向いている。
「貴様……まだ我々の邪魔をするか!」
「大人しくネオン君を私に預けて逃がしてくれれば、これ以上はやらない。私には私の任務があるの!」
二人の執念が激しくぶつかり合い、いよいよ手が付けられない状態になろうとしている。
両者が再び走り出し、刃を交えた。