何者
リーゼとザウバーがビストとミアータと戦闘を開始して間もない頃、彼らの遠く先でも戦いが始まっていた。
氷のように冷え切った表情のコウが自身のブロードソードを振るい、自身の前に立ち塞がる邪魔者――ヴェルデと対峙している。ヴェルデの方はコウとは対照的に、獲物を見つけて昂っているのか不気味な笑みを見せ続けている。ヴェルデは自身の装具である鉤爪をコウのブロードソードに打ちつけ、彼の隙を見計らっていた。
「どいて」
「どくわけにはいかないのよ。私が貴方を十分に味見したいからね!」
突如ヴェルデの視線が鋭くなったかと思うと、彼は右手の鉤爪をコウの腹まで突き出した。
しかし、それでやられるコウではない。彼はブロードソードを振り下ろし、力強くヴェルデの鉤爪をはたき落した。その衝撃でヴェルデの顔から笑みが消え、彼は前につんのめってしまった。
「まだまだぁ!」
ヴェルデの声が、『男』になった。彼は左の鉤爪をコウの顔まで振り上げる。流石にこの一撃は跳ね返せなかったのか、コウは跳躍して後退し距離を取る。彼が着地しても、コウとヴェルデの息は一切乱れていない。
「どいてよ」
コウの声に力がこもる。叫んでいるわけではないが、胸の奥にどっしりとのしかかるような威圧感をヴェルデは覚えた。
「いいわ、いいわよ! ようやくやる気になってくれたのね!」
「うるさい」
ヴェルデが歓喜の声を上げると、彼の視界からコウが消えた。それでもヴェルデは笑みを絶やしていないが、周りを警戒する。
その刹那、ヴェルデは右頬にひんやりとした風を感じた――コウがヴェルデを無理矢理通り抜けようとしたのである。
「逃がさないわよ!」
叫ぶと同時に、ヴェルデは鉤爪をコウの胸元へと振り回していた。コウはそれを一瞥すると、ヴェルデの一撃をブロードソードの刃の腹で受け止めて再び彼と向き合った。
ヴェルデが高らかに笑いながらコウの胴へ鉤爪を伸ばすが、その一撃一撃をコウはブロードソードでさばいていく。刃と爪が触れる度、甲高い金属音が響き渡る。
十合、二十合と剣戟の響きが起こるが、両者は一歩も引かない。ヴェルデは確実に急所を狙おうと鉤爪を振るっているが、コウはまるで見切っているかのような動きでそれらを弾いているだけで自発的な攻撃は仕掛けない。
すると、コウの剣が止まった一瞬の隙をついてヴェルデが雄たけびを上げ、両手で同時に鉤爪をコウに突き刺そうと腕を伸ばした。一方はコウの顔に、もう一方は心臓の辺りに伸び、確実にコウを仕留めようとしている。
その同時攻撃を、コウは剣を縦に立てて剣身を器用に使い同時に防いだ。頭を貫く筈の鉤爪は切っ先に一番近い箇所で、心臓を突く筈だった鉤爪は鍔に一番近い箇所で、ピンポイントに防いでいる。どちらも少しでもずれていればヴェルデに返り血が降り注いでいたことが容易に想像できるほど、その位置は危なげだった。
「はぁ……凄い……、凄いわぁ!」
コウの防御に、ヴェルデは感嘆のため息をついた。ヴェルデの恍惚とした表情を見ても、コウは動じない。
「ねえ、貴方の凄いところ、もっと見せなさいよ! 存分に堪能してあげるわ!」
獲物を睨む蛇のようなヴェルデの目つきにもコウは全く動じない。彼の狂気に恐怖するわけでもなく、かといって彼に苛立ちを見せるわけでもない。ただずっと表情が変わらないのである。
「……どうしても、通りたいんだ」
コウがそう呟いた瞬間、彼の姿がヴェルデの視界から消え、すぐに現れた――ヴェルデの目の前に。
刃がぶつかる甲高い音が、両者の鼓膜を揺らす。
ヴェルデは咄嗟に心臓の辺りを鉤爪を交差させて守っていた。それが功を奏し、彼はコウのブロードソードでの一突きを防御することができていた。しかし、コウの突きの威力は凄まじく、ヴェルデは弾き飛ばされ石畳の上で後ずさってしまった。
ヴェルデの隙をつき、コウは再び走り始めた。そしてついに、風のような速さでヴェルデを追い越す。
しかしワンテンポ遅れたヴェルデはコウを追いかけようとせず、不気味に口角を上げた。
すると何を思ったのか、ヴェルデは地面に鉤爪を突き刺した。マイアを纏った一対の鉤爪は容易に石畳を貫通し、根元まで突き刺さる。
「ちょぉっとごめんね」
粘っこい声でヴェルデが呟くと、コウの目の前で土が勢いよく隆起した。まき散らされた石畳を剣で切り払いながら、コウは左側へ移動しようとする。
そこで、コウは違和感を覚えた。
「……下から、色んな方向から……」
コウはそれに気を取られて足を止めてしまった。呆然としているかのように口を半開きにしながら、先へ進もうとしない。
「遅い」
ヴェルデの声が、突如低くなった。
刹那、コウを取り囲むように土が石畳をはね飛ばしながら隆起した。更にその土の壁は変形し始め、周りの石畳を押しのけて縦横の両方向に向かって膨張し始める。コウが辺りを見回している間にも、土の壁は広がり続ける。
ついに、土の壁同士が癒合し、コウは土の半球に閉じ込められてしまった。コウはどうしていいか分からず、光が届かぬドームの中でただ立ち尽くすだけだ。
「準備完了」
自身が造りだしたものを見つめるヴェルデ。その口調は心底嬉しそうである。
「さあ、足掻きなさい。たっぷりと虐めてあ、げ、る!」
ヴェルデの声に、力がこもった。
土で造られた半球は光を遮断しており、コウは暗闇の中呆然と立ち尽くしている。跳躍すればすぐに頭をぶつけてしまうほど天井は低く、直径はコウの身長の三倍近くと非常に狭い。コウの呼吸音のみが空しく聞こえるばかりである。
「……どうしよう」
周りが全く見えない中で、コウはきょろきょろと視線を巡らす。少し考えた素振りをすると、彼は剣を構え直し土の壁へと振るおうとした。土の壁を破って強行突破しようと考えたのである。
そこで、コウを違和感が襲った――何かが来る。
コウが咄嗟に彼の前方へと剣を力強く振るうと、刃が何かとぶつかり止まった。硬いものと当たった感触を覚えたコウは、持ち手に力を込めてそのまま振り抜いた。それ以降、前方からの何かは来なくなったが、コウは周囲に意識を集中させ始める。
コウを襲ったものの正体は、土でできた巨大な棘だった。
半球の外でヴェルデが土壁のマイアの量をコントロールし、内壁を自在に変形させてコウを襲っていたのである。ヴェルデは不気味な笑みを顔にへばりつけながら、自身が操る棘がいつ獲物に当たるかを楽しんでいた。
「まだまだ始まったばかりよ。もっともっと虐めてあげる。たくさん足掻きなさいね」
ヴェルデが耳元で囁くような声を出すと、鉤爪の周囲に白いマイアの粒子が集まり始めた。
コウの背後から、土の棘が彼を貫かんと襲いかかる。
「また――」
コウは背後の気配に気付いていたようで、瞬時に方向転換をして針の先端を切り落とした。表情こそいつもの無表情だが、動きからは動揺がみられる。リーゼが今の彼を見れば、コウらしくないと驚かれるだろう。
まだ攻撃は終わらない。今度は天井とコウの左側の二方向から棘が襲う。コウは天井から伸びた棘を僅かな後退で躱しながら、左側から来た棘をブロードソードでさばく。天井から伸びた棘はそのまま石畳に当たると、敷き詰められた硬い石を容易に貫き砕いてみせた。
コウは四方八方から違和感を覚えながら、次々と生えてくる棘を処理し続ける。彼を襲う違和感が、まるで棘から避難しろとばかりに彼を突き動かす。一度に生えてくる棘の数も、次第に増えていく。
「……抜け出さないと」
コウの声が、何故か震え始めた。
一方、半球の外部で棘を操っているヴェルデは、まるで天にも昇ったかのような恍惚とした表情で半球を見つめていた。彼はいくら棘を出しても刺さってくれないコウに苛立ちどころか、嗜虐的な喜びを感じていた。
「いいわぁ……。もっと足掻きなさい! もっと私を楽しませて頂戴っ!」
ヴェルデの声が歓喜で上擦る。これまでこの戦法で、彼の経験上これだけ長い時間を生き延びた人間はいなかったので、なおさら感情が昂っている。
ヴェルデの鉤爪が、更に白い光を放つ。彼の感情に比例するように、鉤爪にマイアがより多く集まっていくのが視覚的に分かる。
「これならどうかしら?」
コウは次々と生えてくる土の棘を難なく避け切っていた。同時に襲いかかる棘の本数は既に五本に増えている。もはや、棘と棘の隙間に身体を入れ込んで無理矢理逃げている様相を呈している。
――……いやだ。
コウは唇を真一文字に引き結び、必死に現在の状況に耐えていた。四方八方から襲いかかる違和感に加え、彼にとって形容できぬ感情も奥底から湧き上がってくる。
――暗いのは、いやだ。
暗闇をかき分けるように、コウは剣を振るい棘を排除する。それでも間髪入れずに土の棘は襲いかかってくる。
剣の持ち手を握る力が強くなり始める。もはやコウは棘を見ずに真正面しか凝視していない。それでも、身体に襲いかかる違和感を頼りに全て脅威は排除している。
――……独りは。
突如、コウの足が止まった。彼は目を見開き正面を見つめているだけで、棘を避けようとしていない。
「嫌だ」
刹那、彼の声色と目の色が変わった。
まるで一帯を凍り付かせるような、冷徹な覇気を纏い始めた。
彼の異変は、半球の外にいるヴェルデにすら伝わっていた。ヴェルデの嗜虐的な笑みが瞬時に引っ込み、視線が半球に釘付けになる。
「……何なの、この感じ――」
この状況がまずいと判断したヴェルデは、仕上げにかかろうと鉤爪に最大限にマイアを集中させ始める。半球内の全てに棘を伸ばし、コウを始末しようとしている。
「残念だけど、遊びはここまでね、可愛い坊や」
ヴェルデは処刑の準備を終えようとした。終わりだと言わんばかりの笑みが浮かぶ。
しかし、彼の対応は遅すぎた。
突如、ヴェルデの目の前で土の半球が爆裂した。爆風はヴェルデの方を向いており、彼は土塊とともに大きく吹き飛ばされ、数回バウンドしたあと石畳の上を転がるが、力を振り絞って鉤爪を石畳に引っ掛けてそれ以上吹き飛ばされるのを防いだ。彼の黒ずくめの服装は至る所に土がこびりつき、顔面の数か所に切り傷が付いている。
激痛を堪えてヴェルデは立ち上がるが、彼は視界に入ったものを見て絶句した。
剣の先端を突き出しているコウが、半球があったところに無傷で立っていたのである。それを見たヴェルデは悪寒を覚えた。
「まさか……私の攻撃を全部凌いだっていうの!?」
ヴェルデは震え声で呟いた。彼の足は止まったまま、未だに信じられないという風にコウを見つめ続けている。しかしその目線に宿るものは以前のような好奇心ではなく、畏怖に近いものだ。
すると、コウがヴェルデから背を向けて走り始めた。そこでヴェルデは、コウの変化を見逃さなかった――振り向いて走り出す際の一歩目がふらついていたのだ。
ヴェルデは我に返って一歩を踏み出した。全ての攻撃を避け切っているのなら、疲れが出るのも当然――彼の口に、再びねっとりとした笑みが浮かぶ。
「待ちなさい!」
コウはヴェルデの言葉に気付き、瞬時に振り返り剣を振るう。数秒で鉤爪の間合いまで近づいたヴェルデの攻撃をいなし、剣を構え直して向き直る。
「……通してよ」
「断る!」
コウの言葉など歯牙にもかけず、ヴェルデは鉤爪を振るい続ける。顔面や胸、大腿といった、受ければ致命傷となる身体の箇所へと攻撃を集中させるが、コウはそれらを全て剣で弾き返している。刃と刃がぶつかるたびに甲高い音が響き渡るが、肉を抉るような水っぽい音は一向に聞こえてこない。
「ほらほらぁっ! 防戦一方じゃない! 少しは本気で来たらどうなの?」
ヴェルデは自身の攻撃が全く通っていないと悟りながら、コウに挑発じみた言葉を投げかける。
その直後、ヴェルデは周りを寒風で取り囲まれたような冷たさを覚えた。
コウの目の色が変わったのである。
謎の冷たさに曝されたヴェルデは、次の瞬間に両方の鉤爪を上方に向けていた――コウの斬撃によって弾かれたのである。
ヴェルデはすぐに体勢を戻すものの、コウの攻勢は終わらない。一度見つめられたら瞬時に凍り付いてしまいそうな視線を向けながら、コウはブロードソードで連撃を叩きこむ。金属音が鳴り響く中、コウはじりじりとヴェルデを後退させる。一合、二合と剣戟を積み重ね、ヴェルデを恐怖の底へと落とし込みながら、コウは淡々と剣を振るう。
半球に閉じ込められる前と後では、彼の太刀筋は全く異なっていた。今の彼の剣は、まるで殺すと決めたかのように手加減が無くなっている。攻撃を受けているヴェルデもそれを感じており、一撃一撃を受け止める度に彼の心はネガティブな感情に染まっていく。
そしてついに、コウがヴェルデの姿勢を崩して尻餅をつかせた。ヴェルデはコウへの恐怖によって身体を支配されその場から動くことができず、怯えた目でコウを見上げることしかできない。
コウの目は、ヴェルデの頸部を見据えていた。太陽光を反射したブロードソードの刃が冷たく光る。
「……こ、殺しなさいよ。私の負けよ!」
ヴェルデの言葉が聞こえていない風に、コウは剣を突き付ける。その切っ先は、徐々に頸へと近づいていく。
刹那、コウの眼前がフラッシュした。彼は目を見開いて動きを止める。
その直後、コウは脳全体が突き上げられるような激痛を感じ始めた。思わず剣が手から滑り落ち、敵前なのにもかかわらずその場で蹲って頭を抑える。
目を強く瞑っても、フラッシュは続く。呻き声を上げながら、痛みが過ぎ去るのを待つことしか彼にはできない。ヴェルデはこの奇妙な姿を、ただ呆然として見ていることしかできなかった――今の彼は完全に敗北を認め、戦意を喪失しているからである。
――何、これ……。痛い……。
息が荒くなる中、フラッシュは止んだ。
しかし、今度は別の光景が瞬間的に浮かび上がってきた。
凍り付いた木造の民家の数々。
その周りで倒れ伏す人々。
揺れる景色。
剣を首に向けられる男。
そして。
目の前で上がる血しぶき。
横たわった自身に被せられる木製の蓋。
そして、場面は暗転した。
最後のシーンが浮かび上がった瞬間、コウは勢いよく目を見開いた。息を荒げながら剣を拾い直し、茫然としているヴェルデには目もくれずデイトン邸へと再び歩を進め始める。
「ねえ」
ヴェルデが震えた声でコウを呼び止めると、コウは振り返らずそれに反応して足を止めた。
「貴方って、何者なの? どこの所属なの?」
「……何者」
コウはポツリと呟くと、頭が鼓動を刻んでいるかのような痛みに襲われた。片手で頭を抑え、息を荒げる。
「……何者、なんだろう」
呟くたびに頭痛に襲われるが、コウは頭を抑えながらゆっくりと歩き続けた。