アイドでの遭遇
リーゼ達がアバン率いる国軍をなんとか撒いた後は、彼女らは一回も追いつかれずに林を抜けることができた。勿論、そこまでは全力疾走で進んでいたので、特にリーゼとネオンは疲労困憊の状態で林を抜けることになっていた。息を切らして苦し気に進むネオンを、同じく息を切らしているリーゼが必死に支えている状態である。
ただ、彼女らは林の中を進んでいくうちに不安の気持ちが徐々に膨れ上がっていくのを感じていた。走り抜けている途中、遠くの方で何度か爆発音のようなくぐもった音が聞こえてきたからである。市街地でも戦闘が始まっているのだろうか――リーゼとザウバーは危機感を募らせながら林を走っていた。
そして、その予感は見事に的中してしまった。
コウ以外の三人は林を抜けると、目の前の光景に絶句した。
人一人いないアイドの市街地に足を踏み入れるや否や、彼女らの目に入ってきたものは、滅茶苦茶に荒らされた石畳の道路とそこら中に倒れて動けないでいる国軍の兵士たちだった。痛みと恐怖に悶えているようで、リーゼたちの存在には気付いていない様子である。
「……酷い」
思わずリーゼが言葉を漏らすと、ネオンが怯えた表情で頷いた。
「『貪食の黒狗』……、まさかここまで暴れるとはな……」
ここまで酷い有様だとはザウバーも想定外のようで、彼は首を左右に向けながら周囲の状況を確認している。何かが焦げたような臭いが辺りに充満する中、ネオンが少し顔を顰める。
すると、コウがハッとしたような顔をした。リーゼとザウバーが彼に注目する。
「コウ、どうした?」
「……何か、いる」
コウがそう言うと、通りかかった宿屋を彼は指差した。レンガ造りの何の変哲もない宿屋で――傭兵対策なのかドアの前に木の柵が立てられているのは普通ではないが――、誰かが隠れている気配はない。ザウバーはそこから殺気を全く感じなかったので、コウの様子に首を傾げた。
「……誰がいるんだ? 『貪食の黒狗』の奴が隠れているのか?」
「違う。でも、何かいる」
コウが『何かがいる』と苦し気に眉間にしわを寄せながら言い張っている中、ザウバーとリーゼは困惑しながら彼を見ていることしかできなかった。しかし、ここで立ち止まっているわけにもいかないので、リーゼはコウの肩を叩いてこちらを向かせた。
「あの傭兵団じゃなかったら、早く先に進もうよ。早くマイアスの行方を突き止めよう!」
コウはリーゼの瞳をじっと見つめると、おずおずと頷いた。彼の首肯を見たリーゼは笑みを浮かべて前へ進もうとする。
「マイアスの行方が何だって?」
遠くから、男の大声が聞こえた。四人が一斉に声がした方を向く。ネオン以外の三人の手は、反射的に装具に伸びていた。
四人が向いた方から、強面でいかにも怪力そうな大男と、リーゼと同じくらいの背丈と年頃の少女が不敵な笑みを浮かべながら歩いてきた。二人とも黒ずくめの衣装でそれぞれ武器を既に構えており、戦闘になるのは必至だった。
「お前たちは誰だ? この町の惨状は、お前たちがやったのか?」
ザウバーが睨みながら男たち――ビストとミアータ――に問う。
しかし彼らは答えず、代わりにビストが大斧の刃を四人の方に向けた。ネオンが肩を震わせるが、彼を庇うようにリーゼが前に立つ。
「教える義理なんかねえよ。それよりも、お前たちは誰だ? 見たところ、国軍の兵士じゃねえようだが」
「そうか。では、俺たちも名前は言わない。だがこれだけは言っておこう」
ザウバーが冷たく言い放つと、彼は二挺拳銃を黒ずくめの二人に突き付けた。
「俺たちはノヴァ・デイトンという男に用がある。お前たちも名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
ザウバーがノヴァの名を出すと、ビストとミアータが顔を見合わせた。そしてすぐに向き直ると、ミアータも杖の先端を四人に向ける。
「俺たちとやり合うのか?」
ザウバーが笑みを浮かべ、挑発紛いの言葉を投げかける。
「当たり前だ。俺たちは強い奴と戦いてえんだ。今まで相手してたのが雑魚ばかりだったからよぉ、今回は楽しみてえんだ!」
ビストの表情が一気に明るくなる。それと同時に、彼の大斧の刃の周りで風が巻き起こり始める。
――やはり、『貪食の黒狗』か。
『貪食の黒狗』が戦闘狂の集まりだということは、ザウバーは知っていた。自分たちを雰囲気だけで強者だと認めたのか、それとも彼らの任務のために戦わざるを得ないのかはザウバーには分からなかったが、これで戦闘状態に入ったことは確かだと彼は感じた。
「リーゼ」
「……あいつらと戦うんでしょ?」
ザウバーの言わんとしていることを、リーゼは先に口にした。ザウバーが口角を上げる。
「奴らは相当強いと見た。できるな?」
「うん。ザウバーと一緒なら」
「本当は一人で頑張ってほしいけどな」
ザウバーが軽口をたたくと、リーゼがビストとミアータに向けてファルシオンを抜いた。
「ネオン君は下がってて。あの宿屋の路地裏なら安全かも」
「分かりました!」
リーゼの言う通り、ネオンは路地裏へと逃げていった。しかしビストとミアータはそれを目で追うだけで、手を下そうとはしない。
「ネオンとかいうガキは避難できたか?」
「……手を出さないなんて、優しいのね」
リーゼがビストを睨みつけながら嫌味を漏らす。その言葉にビストはニッと笑みを浮かべた。
「ガキと女には手を出さないのが俺たちの主義なんでね。ただし、あんたみたいな装具を構えてる物騒な女は別だ」
そう言うと、ビストが大斧を振りかぶった。それに合わせて、ミアータの杖の先端が光る。
「リーゼ、動くな!」
ザウバーが叫ぶと、拳銃の引鉄が引かれた。
発射された二発の光弾は、ビストが放った空気の塊とミアータが放った火炎弾にそれぞれ一発ずつ当たり、その場で爆散した。
リーゼは身構えるが、強風は此方には来ない。彼女が目を凝らすと、二人の攻撃はザウバーが放った防御用の弾によって完全に防がれていた。光の壁はすぐに霧散した。
「コウ! 先に行ってくれ!」
「分かった」
ザウバーがコウに指示を出すと、コウはその場で勢いよく跳躍してビストとミアータを飛び越そうとした。
「通すと思った?」
ミアータがからりと笑うと、杖の先端から無数の炎の弾を射出した。それらはコウを焼き尽くさんと一斉に彼の方へと向かう。
しかし、コウはミアータの考えの一つ先をいっていた。
コウは剣を抜くと、炎の弾が彼に集約したタイミングを見計らって横に薙いだ。炎はまるで風に吹かれたようにかき消され、コウはビストとミアータの間に着地した。呆然としている二人を尻目に、コウは風のように駆け出す。
「……っ、待て!」
ミアータが我に返りコウに再び火炎弾を当てようとする。杖の先端が光り、コウの背後を狙い撃ちにしようとする――その時だった。
「俺たちを忘れてないか?」
ザウバーがミアータに向かって銃を乱射する。無数の光弾がミアータを襲うが、彼女は咄嗟にザウバーの方を向いて魔法陣のような防御壁を張りそれらを防ぐ。彼女が顔を顰めながら光弾の雨に耐えている中、がら空きのザウバーに向かってビストが勢いよく前進、大斧を振り下ろそうとした。
「させるか!」
リーゼが叫び、ザウバーを庇うように動く。
ビストの雄叫びとともに、斧の刃がリーゼの頭を狙う。
刃と刃がぶつかり合う轟音が、周囲に響き渡る。
リーゼは、ファルシオンの刃、それもビストの斧の刃が当たっている面にのみ集中してマイアを張り、彼の攻撃を受け止めていた。衝撃を緩和しているのか、彼女は一歩分後ずさっただけで済んでいる。
「ほう、やるじゃねえか」
「敵に褒められても何にも嬉しくない」
リーゼはビストを切り払おうと、ファルシオンを横に薙ごうとする。しかしその前にビストに距離を取られ、攻撃は失敗に終わった。彼が離れると、ファルシオンの刃からマイアが消えた。
「あんた達、意外と強いじゃない。私たちが一人取り逃がしちゃうなんてね」
ザウバーの攻撃は既に止んでいた。ミアータがこうして喋っているのがその証拠である。
「さあ、もっと楽しもうぜ!」
「私たちには、楽しんでる暇なんてない! 早く進みたいの!」
二対二の傭兵同士の戦闘が、今始まった。
コウはザウバーに指示されたとおり、デイトン邸まで駆け抜けようと市街地を走っていた。彼が走っている周りは、穴ぼこだらけになった道路と傷付いて動けなくなっている兵士しか見当たらない。彼はそれらを気にも留めず、ただひたすら走っている。彼が宿屋から覚えた違和感すら、頭の中から消え去りかけている。
すると、コウが何かを察知して足を止めた。そしてすぐに、高く跳躍して後退する。
その直後、コウが立っていた場所が突然山のように隆起し、石畳を突きあげて崩れさせた。その光景をただ見ているコウだったが、石畳が降ってくるのを避けつつその隆起したところから離れようと走り始めた。
しかし、異変はまだ終わらなかった。
今度は隆起した土から、無数の針状の物体がコウに向かって射出されたのだ。隆起した土が針のような形に変形して、隆起した土の塊がバリスタのようにそれらを放っている。
「……邪魔」
無数に放たれる針を、コウはブロードソードで切り払いつつ先へと進んでいく。コウに当たらなかった土の針は建物に突き刺さるが、それらはレンガに突き刺さるとひびを入れた。
しばらく切り払っていくと、針による攻撃が止んだ――その間コウには一本も刺さっていない――。フッと息をつき、再び走り始める。
「あらあら……全部避けられちゃったの?」
ねっとりとした男の声。コウはそれに反応し、前を見据える。
黒の長髪で、黒ずくめの服装の男がゆっくりと歩いてくる。その男は鉤爪を装備しており、先端には土が付着している。
「……誰?」
「あら……。女の子みたいな綺麗な声と顔して……。食べちゃいたいくらい可愛いわぁ……」
悦楽に浸っているような表情でため息をつきながら、長髪の男――ヴェルデがコウを舐めまわすように見る。傍から見れば鳥肌が立つような光景だが、コウは気にも留めていない。
「邪魔。通して」
「あら、つれないわねぇ。ここを通してほしかったら、まずは私を倒してからにしてよね」
ヴェルデが舌なめずりをすると、彼は鉤爪をコウの方へ向けた。コウもヴェルデから殺気を感じ取り、ブロードソードを構える。
ここでも、傭兵同士の戦いが始まろうとしていた。




