追う者と追われる者
リーゼたちが林に入ると、まず木の陰に身を潜めた。ネオンが汗だくになりながら息を切らしているので、まずは彼の回復を待つことにしたのだ。リーゼはネオンに彼女が持ってきた水を飲ませ、ザウバーは息をひそめて周囲の警戒に集中している。コウが時間稼ぎをしていたおかげで、彼女らは林の中をある程度進むことができていた。
「リーゼさん……ありがとう……ございます」
「いいの。今はゆっくり休んで」
リーゼは微笑みを湛えながら水を飲んでいるネオンを見つめている。彼が安心している姿を見ると、彼女は緊張が解れるように感じていた。
「そんなに長く休憩はできないようだ」
周囲を警戒していたザウバーが声を潜めて二人に言った。二人は同時に彼の方を向く。
「もう追いついて来たの?」
「それもある。おまけに林の中にも兵士たちがうようよいる。予想はしていたが……」
ザウバーの言葉に触発されたリーゼは、木の陰からちらりと顔を出して周りを確認した。
「……本当だ」
彼女は林の奥へと目を凝らすと、銃を構えた兵士たちが血眼になって練り歩いているのを目にした。すぐに顔を引っ込めたリーゼの解れた緊張が再び引き締まる。
「もう行こう。後ろからあの剣を持った軍人も追っかけてきているだろうしな」
「うん! でも、また強行突破するの?」
リーゼの疑問に、ザウバーは口角を上げただけだった。リーゼはそれだけでは察することができなかったが、二挺拳銃を既に抜いているのが見えると、彼女は表情を引き締めて頷いた。
すると、リーゼたちの後から茂みが揺れる音が聞こえてきた。三人は警戒して振り向く。リーゼはネオンを庇うような体勢のままファルシオンを抜いて、来る何者かに備える。
「……誰?」
リーゼが緊張の表情のまま呟く。ファルシオンを握る力が自然と強くなる。
すると、茂みからコウがひょっこりと顔を出した。コウとリーゼの両者はきょとんとしたまま互いを見つめ合う。
「……コウかぁ。脅かさないでよ」
「……? ごめん」
目をぱちくりとさせているコウに向かって、リーゼがほっと胸を撫で下ろした。ザウバーとネオンには安堵の笑みが浮かんでいる。
「お前なら無傷で戻ってくると信じていたよ」
「……後ろから追ってくる」
ザウバーの称賛を受け流すように、コウが追っ手の存在を告げる。あの刺突剣を持った軍人のことだ――三人は俄かに危機感を覚え、気持ちを引き締める。
「ザウバー、早く行こう」
「分かってる。さっきの通り、俺が先頭を進んで敵を無力化しながら進んでいく。コウ、後ろは任せた」
「分かった」
声を潜めてザウバーが指示を出すと、三人が頷いた。そして、なるべく音を立てないように、しかしできるだけ速く進み始める。
ギリギリまで兵士に近づき、ザウバーが顔を出す。兵士はいきなり現れたザウバーに対応できず、彼に妨害用の弾を撃たれてその場で麻痺して動けなくなってしまった。
「いたぞ!」
兵士たちの怒号が林の中で響き渡る。最初に発見した兵士が発砲するが、ザウバーはそれを読んでいたようで、撃たれる前に防御用の弾を撃ちこんで壁を作る。
「今のうちだ。行くぞ!」
兵士たちが殺到する中、四人は隠れるのを止めて完全に身体を出して走り始める。ザウバーが先頭を走りながら、前方や側方に向かって妨害用の弾を乱射し、四人を撃とうとしている兵士たちを次々と黙らせる。
リーゼはネオンと手を繋いで一緒に無我夢中に走り続けている。彼女の空いている手にはファルシオンが握られておらず、戦闘はザウバーに任せてひたすら走ってアイドまでたどり着くことを最優先にしていた。
コウは後ろを頻繁に確認しながら、リーゼ達と多少距離を取って走っている。彼の視界には、苛烈な怒りを秘めた顔をしたアバンがすぐそこまで迫っているのが見えている。コウはブロードソードを既に抜いており、アバンが何か仕掛けてくればすぐに対応できるようになっている。
「……来る」
コウが呟くと、アバンの刺突剣から電流が流された。電流は瞬く間に藪を焼き切り、コウへと迫ってくる。
それを彼は、剣で切り払った。アバンの放った電撃はコウに当たらず、破裂音もろとも空気の中へと散っていく。その光景をアバンは信じられないといった表情で見ていることしかできなかった。
「今の音は何!?」
「いいから走れ! 追いつかれるぞ!」
電流の音に恐怖を覚えたリーゼを、ザウバーが走りながら叱咤する。何としても追いつかれないように、リーゼは走り続ける。
コウとアバンは再び向き合っていた。ブロードソードの切っ先と刺突剣の先端が、倒すべき――コウにとっては足止めすべき――相手を向いている。アバンの刺突剣からは既に放電が始まっており、アバンが前傾姿勢になって突進しようと身構える。
「死ね!」
アバンが足にマイアを纏って急加速した。コウはそれを止めようとアバンの顔に突きを放つ。ブロードソードの先端が意思を持っているかのように鋭く光る。
しかし、コウの攻撃はアバンをすり抜けた。彼は呆然としたが、咄嗟に足元を見た。
アバンは屈んでコウの攻撃をかわし、そのまま彼を無視して彼の横を通り抜けて走り出したのだ。まんまと彼の気迫に騙されたコウは、今度はアバンを追う形で走り始める。
「傭兵!」
アバンの叫びで、リーゼが振り向いた。彼女の後方から、突風のような速さでアバンが迫ってくる。その光景に彼女は顔面蒼白になり、彼女と同時に振り向いていたザウバーも苦虫を噛み潰したような顔をする。
「リーゼ、伏せろ!」
ザウバーが叫ぶと、リーゼとネオンが姿勢を低くした。
その一瞬後、ザウバーが二挺拳銃をアバンの方へ向けて発砲した。二つの光弾はリーゼの頭上を通り抜け、アバンの目の前で破裂した。
「なっ――」
反射的にアバンが刺突剣で切り払おうとするが、遅かった。ジグザグの光が彼を包み込み、彼の身体はピクリとも動かなくなりその場で膝を折った。彼は身体に痺れを感じており、一時的に運動機能を麻痺させられていることを悟った。
――小癪な……っ!
アバンは腸が煮えくり返る思いで遠くへと走って逃げていくリーゼたちを見つめることしかできなかった――腹が立ち過ぎて声も出ない。その苛立ちは、傭兵を止めることができない自身にも向いている。
すると、後ろからコウが走って追いついてきた。アバンは振り向くことすらできなかったが、迫ってくる何かを感じ取って白髪の傭兵が追い付いてきたことを悟った。このまま動けないところを切り伏せられてしまうのではないか、それともじわじわといたぶられてしまうのではないか――悪い方向ばかりに考えてしまい、彼の額から冷や汗が流れ落ちる。
――終わりか、ここで……っ!
アバンが目をぎゅっとつぶる。
コウがアバンの前で足を止める。息が乱れている様子は一切ない。
すると、彼の顔がアバンの顔と近くなった。アバンが思わず目を開けると、至近距離でコウの顔が映ったので驚いたような顔をする。
「……何のつもりだ」
アバンの目を開いたを確認したコウは、彼から顔を離す。
「次は負けない」
まだ幼さが残る声で、淡々と宣言する。そしてそれだけを言い残すと、コウはその場から走り去っていった。
アバンは暫く呆気にとられて見つめていたが、我に返ると顔をくしゃくしゃにして地面に向かって雄たけびを上げた。己の弱さを嘆き、現在の自身の体たらくを戒めながら――。
軍人たちが暫く追ってこないだろうと判断したザウバーは、二回目の休息を入れていた。周りに聞こえるほどの呼吸音で息をしているリーゼとネオンを尻目に、ザウバーは未だに警戒を怠っていない。
「大丈夫か? リーゼ、ネオン君」
「私は……大丈夫……。あの軍人が来て……死ぬかと思ったけど……」
「僕も……大丈夫……です……」
リーゼはともかく、ネオンは明らかに無理をしている――ザウバーは考え、彼の分の水をネオンに分け与えた。リーゼとネオンがきょとんとした顔で彼を見つめる。
「あいつには妨害用の弾を二発撃ちこんだ。暫く追ってこないだろうから、今のうちに休んだ方がいい。特に――」
言いかけて、ザウバーはネオンに微笑んだ。
「特にネオン君はよく休んで。リーゼと一緒によくここまで頑張ったな。あともう一息だから、一緒に頑張ろう」
ザウバーの言葉と気遣いに、ネオンは泣きそうになりながらも満面の笑みを返した。
「ありがとうございます。僕、一生懸命頑張ります」
「その意気だよ、ネオン君! 私、絶対に手を離さないから、一緒に頑張ろう!」
そう言って、リーゼがネオンの手を左手で掴んだ。ネオンは改めてその温もりを感じ取り、顔を赤くして俯いた。よくよく考えれば、リーゼとは今まで手を握っていたのである。ずっとそのままの状態だったことに気付き、ネオンの心臓は再び暴れ出した。
「……ようやく追いついて来たようだ」
ザウバーが安堵したような口調で言うと、コウが三人の下へ走り寄ってきた。彼にしては珍しく急いでいる――リーゼは何となく彼の雰囲気を察する。
「……足止めできなかった。ごめん」
「気にするな。まさかコウが抜かれるとは思ってなかったけど」
ザウバーがコウの頭を荒っぽく撫でながら、彼を慰めるように声をかける。コウは無表情のまま荒っぽく撫でられているだけだ。
「コウが手間取るなんて……」
リーゼは、改めてあの雷撃を飛ばしてきた軍人に恐怖を覚えた。いくらコウが手を抜いていたとはいえ、彼をやり過ごして自分たちの目の前まで迫ってきたのはあの軍人が初めてだった。彼女は俄かに不安になり、後ろを確認する。
「リーゼ、大丈夫だ。あれを二発も食らえば、そう早く復帰することはない」
「……そうだといいんだけど」
「心配なら、もう出発するか? さっきの軍人はまだ来ていないが、大勢の兵士がここに来そうだ」
リーゼの耳に、かすかな怒号が聞こえてきた。きっと自分たちを追っているに違いない――彼女の気持ちが逸る。
「行こう! コウはもう大丈夫?」
「大丈夫。いける」
「ネオン君は?」
リーゼがネオンの方を向く。彼の表情は引き締まっており、その表情のまま彼は彼女に大きく頷いた。
「それじゃ、行くぞ」
四人は再び林の中を進み始めた。
全てが終わる前に行かなければ――四人は既に前しか向いていなかった。




