突破の策
リーゼたちは馬車を借りて、フラックスからアイドへと向かっていた。ザウバーによると、首都から目的地までは半日もあれば着くという。前の任務よりも移動距離がずっと短いことに、リーゼは安堵した。
それでもザウバーの表情は硬いままである。いくら任務の許可が出ているとはいえ、自身の傭兵団の活動を上層部が見逃している筈が無い。特に今の状況は傭兵の活動に敏感になっているので、下手をせずとも国軍や警察に足止めを食らうかもしれないのだ。
そして、ザウバーはある決断をした。
「皆、聞いてくれ」
意を決したような表情で、ザウバーが三人を自身に注目させる。
「俺たちは、アイドの途中で通る町で馬車を降りる。そこからは歩きで目的地までを目指そうと思う」
その発言に、ザウバーと向かい合わせになって座っているリーゼは目を白黒させた。
「降りてそこから歩くってことは……長距離を歩かなきゃならないってこと?」
「リーゼならできるだろう。そこは我慢してくれ」
「私は勿論できるけど……」
そう言うとリーゼは、彼女の隣にちょこんと座っているネオンの方を向いた。
「それだとネオン君に負担がかかっちゃう。私だけ残ってネオン君を見守ることってできる?」
リーゼはネオンの体力を案じていた。自身は長距離を歩くことができるが、まだ十歳のネオンの体力を考えると、彼女は困難だと判断したのだ。ネオンを家の中で一人にしておくのは心許ないのでこうして保護の目的で任務に連れだしているが、リーゼはネオンに体力的な負担を強いたくないと思っている。
しかし、彼女の思いはザウバーが横に首を振ったことでかき消された。
「この先にはどんな奴らが待っているか分からない。『貪食の黒狗』の奴が襲ってくるかもしれないし、軍の奴らが俺たちを足止めするかもしれない。ここは馬車で派手に動くより、俺たちの足で隠れて動く方が得策だろう。それに――」
リーゼがザウバーの持論に圧倒されている間にも、話は続く。
「保護対象とは言うが、ネオン君は俺たちの傭兵団の一員だ。ここは俺たちについて来てほしい」
リーゼは口を噤んでしまった。ザウバーの言い分を真っ当なものと感じたからである。そして横目でネオンの様子を窺う。
「……ザウバーさん」
「何だい?」
意を決したような表情のネオンに、リーゼとザウバーの視線が釘付けになる。
「僕、頑張って歩きます。皆さんについて行きます」
ネオンの目は、揺らぐことなくザウバーの目を見つめている。その視線にザウバーは圧倒されそうになるが、すぐに微笑みを浮かべてネオンの頭を撫でた。
「ありがとう。頑張ってついて来てくれ」
「はい!」
元気よく返事をしたネオンを、リーゼはまじまじと見つめている。彼も相当な覚悟をもってこの任務に臨んでいるのだということが彼女に痛いほど伝わった。
もしかすると、自分はネオンをただの幼くか弱い子供だとしか見ていなかったのかもしれない――リーゼはそう感じ、心中でネオンに申し訳なく思った。その気持ちに反して、彼女の顔には頑張ろうとしているネオンを見たからか笑みが浮かんでいる。
「リーゼさん?」
ネオンはリーゼが自身を見つめていることに気が付いた。彼はこてんと首をかしげる。その仕草を可愛く感じ、リーゼは目を細めて笑う。
「ううん、何でもない」
その様子を、ネオンだけでなくザウバーやコウもきょとんとした表情で見つめていた。
馬車は無事に進み、日が暮れる前に四人はアイドと最も近い町である『フォルス』に辿り着いた。一行は時間帯を考え、この日はフォルスの宿で一晩を過ごすことに決めた。
リーゼ達が宿で休息を取っている夜、フォルスとは対照的にアイドでは厳戒態勢が敷かれていた。
住民たちは国軍によって建物の中で身を隠すように命じられていた。建物の電気は全て消えており、街灯だけが寂しく通りを照らしている中、銃を構えた国軍の兵士たちが町の中を練り歩く様だけが光景として物々しく映し出されている。勿論、アイドと他の町を繋ぐ道路は全て封鎖されている。
その中でも、デイトン家の邸宅の周りは異様な雰囲気を出していた。兵士たちと馬車がたむろしており、邸宅を包囲している。いつ誰が出てきてもいいように、銃口が向けられている。
その厳重な体制の中に、シルビアはいた。彼女はこの大部隊を指揮する立場の一人にある。結局以前の任務での彼女の独断の行動は命令違反とは判断されず、寧ろ上層部――ジェイ等の一部の政治家――からは機転の利いた行動だと評価されたので今この重要な立場を任されているのである。
対して、アバンは護衛任務での傷がそれほど癒えていないと判断され、封鎖された道路での警護を任されていた。彼はデイトン家を包囲する部隊の配属を希望したが、シルビアがそれを許さなかった――彼は彼女の必死な懇願に折れた形で、その任務に赴いているのである。
「しかし……」
夜空の下で、兵士たちが厳戒態勢を敷いている中、アバンが独り言ちた。
「まだ動きはない、か」
アバンが振り向き、アイドの方を見る。戦いはまだ始まっていない。起こる気配すら彼は感じ取っていない。
「早く住民たちを恐怖から解放してやりたいものだ……」
彼はアイドの民を案じ、物憂げな表情で森の向こうの町へと目を向ける。
そして彼はシルビアたちのことも気にかけていた。彼女らのいる場所は戦闘の最前線になることが確実であるからだ。それに加えて彼はデイトン家の包囲の件を諦めていないので、一刻も早く現場へと駆け付けたいと思っている。
すると、アバンたち兵士の目に誰かが駆け寄ってくるのが見えた。軍服を着ているので、彼らは武装を解く。
「アバン隊長!」
「どうした?」
アバンを、嫌な胸騒ぎが襲った。まさかもう始まっているのか――彼の頭の中はそれで一杯になる。
「傭兵が、アイドへとやってくるそうです」
「傭兵……『貪食の黒狗』か?」
「違います。『白銀の弓矢』だと、政府の人間から通達が入りました」
伝令の兵士が伝えたことに、アバンたちは目を丸くした。伝令がアバンに『白銀の弓矢』の詳細が書かれた紙を渡し、周りがざわつく中、アバンは独りで彼らが何故来るのかを考えていた。
しかし、彼が欲していた答えはすぐに伝令の口から知らされる。
「例の傭兵団は、どうやらアイドでの戦闘があった際の後始末という任務を受けたとのことです」
「任務を? よりにもよってこの時期に?」
「それしか伝えられていないので、それ以上は分かりません……」
伝令が肩を落としてアバンに謝るが、彼はそれを見ようともせずに眉間にしわを寄せて真正面を睨み始める。
「後始末か……。ならば、我々がアイドの一件を終わらせるまであの傭兵団を一人たりともこの町に入れるな」
「……隊長、それは――」
「言った通りだ。このあたりを我々で巡回する。このような顔の奴がいたらすぐに捕らえろ」
そう言ってアバンは、伝令に手渡された紙を集まってきた兵士たちに見せつけた。そこには上から順にザウバー・コウ・リーゼの顔写真が提示されている。ネオンのことは、彼が保護対象であるからなのか紙面上で言及されていなかった。
集まってきた兵士たちはアバンから渡された紙を回し読みし、一人また一人と『白銀の弓矢』の構成員の顔と名前を覚えていく。最終的にこの場にいる全ての兵士たちが紙に書かれている詳細を読み終えると、それは再びアバンの手元に戻ってきた。
「よし、覚えたな。奴らは装具を所持しているから気を付けろ。これからこの道路の周りの林を巡回する。奴らはここの周りを通る可能性が高いからな」
アバンには力がこもっており、持っている紙をくしゃりと握り潰す。
「全力でかかれ。それが我々の任務だ!」
アバンが吠えると、兵士たちの一致団結した声が夜空に響き渡った。
傭兵は絶対に潰さなければ――アバンはこの任務に価値を見出し始めていた。
翌日、リーゼ達はまだ日も昇らぬうちに宿を出て、街灯が道を照らす中歩き出していた。眠い目をこすりながら、リーゼとネオンはザウバーとコウの後をついて行く。
歩いていくうちに段々と日が昇り、周りが明るくなっていく。その頃には四人は既に町を出ており、アイドへと続く道を黙々と進んでいる。三人の表情には勿論、ネオンの顔にも疲れの色は見えない。
するとザウバーが突然止まった。後続の三人もザウバーに合わせて止まる。
「あれを見ろ」
既に日が昇り、周りは眩しいほどに明るくなっている。その先には、非常に小さいが何かがたむろしているのが見える。
「おそらく、軍の奴らだ。道路を封鎖しているな」
「足止めするかもっていうのは、当たりみたいだね……」
リーゼが肩を落とすと、ザウバーは彼女の言葉に頷く。
「どうするんですか?」
ネオンが半ば怯えながらザウバーに尋ねると、彼はその周りにある林を指さした。
「少し遠回りするが、あの林を突っ切る。あそこを抜ければ確実にアイドに辿り着くからな」
「でもどうやって?」
「一旦引き返して、別の道から迂回して林に入るしかない」
リーゼの質問に、ザウバーは困り顔で返した。まだまだ歩くことになりそうだと思うと、リーゼの気も落ちる。
すると、コウが突然正面に向かって指を差し始めた。その先に三人が注目する。
「どうした?」
「……動き出した」
コウの言葉を聞いてザウバーが前方へと目を凝らすと、確かに人の集団が此方に近づいてくるのが見えた。走っているのか、近づいてくるペースが速い。
「気付かれたか……」
苦虫を噛み潰したような顔でザウバーが呟くと、リーゼとコウはすぐに剣の持ち手に手を添える。特にリーゼは緊張の面持ちで、前方から向かってくる集団を睨みつけている。それに加えて彼女は反射的にネオンを庇うように立ち位置を変更していた。
すると突然、コウが視線を変えた。彼は武器に手をやるのを止め、林の向こう側を指さす。
「コウ? どうしたの?」
リーゼが訝しんで尋ねた直後、遠くからくぐもった爆発音が聞こえ、煙が昇り始めた。
突然の出来事に、リーゼたちはおろか彼女たちに向かってくる集団も動きを止めてしまった。両陣営とも明らかに混乱しており、どうしていいのか分からない状況である。
「い、今のは――」
「落ち着け、リーゼ。コウが反応したってことは、何かとんでもないことが起きたんだろう」
ザウバーは困惑しているリーゼを宥めようとしたが、彼の言葉で彼女は更に動揺してしまった。
「あの傭兵団が、動きだしたのかな……」
「その可能性が高い。あの煙は位置からして町の中から上がっている。今頃アイドは大混乱だろう」
ザウバーは、彼らに近づいてくる集団の動向を固唾を呑んで見守っている。爆発が起こった場所へ駆けていくのか、それともそれを無視して自分たちへと近づいてくるのか――出方次第で次の行動が変わる。しかし、彼の考えているものはやり方こそ異なるものの、目的は共通していた。
「このまま近づいてきてもそうでなくても、俺たちがやる方法はただ一つだ」
「……一体何を?」
リーゼが恐る恐る問いかけると、ザウバーはにやりと笑った。
「このまま突っ込むぞ」
その提案に、リーゼとネオンは驚愕して目を見開いた。大きな声が出そうになるが、喉まで出かかったところでなんとか堪える。
「ちょっ――」
「よく聞け。もし戦闘が始まったのなら、このまま迂回すると俺たちの任務は達成できなくなる。だから強行突破しかない」
「でも、どうやって……」
リーゼが声を震わせて尋ねるが、ザウバーの顔から笑みが無くなることはない。
「奴らがこのまま近づいてきたら、俺が妨害している間にリーゼ達が先に行ってくれ。その先の奴らは俺が追い付くまでコウとリーゼで何とかしろ。奴らが戻れば固まっている奴らを俺が足止めする。その隙を見て林に飛び込め」
リーゼは口を噤んでザウバーを見ていることしかできない。いくら場が混乱しているとはいえ、ネオンを連れての強行突破は考えもしなかったからだ。ネオンは怯えた目でリーゼを見ているが、彼女は其方には目もくれず思案するのみである。
「分かった」
コウが口を開き、ザウバーに賛同の意を示した。リーゼは絶句して彼を凝視する。
「ありがとう。隠密にいけなくなったことは本当にすまないと思っている」
「……行くしか、ないんだね」
リーゼは口を真一文字に結び、覚悟を決めた。彼女がザウバーに頷くと、彼は笑みを浮かべて頷き返した。
そしてリーゼは、ネオンの手を左手で握った。右手には既にファルシオンが握られている。突然手を掴まれたネオンは仰天して彼女の方を見るが、彼女の覚悟を決めたような表情を目の当たりにしたからか、察したように気持ちを落ち着かせる。
「ネオン君……。絶対に私のそばを離れないでね!」
ネオンが大きく頷くと、ザウバーが前方をぎろりと睨みつけた。
集団は此方へと近づいてきている。それに対して、奥の方では何人かが道路の向こうへと消えていくのが確認できた。
「行くぞ」
短い言葉が発されると、四人は一斉に飛び出した。




