決心
三人が馬車に乗った時には、既に夜が更け始めていた。
リーゼは二人と向かい合って座った。三人が乗車するとすぐに、リーゼが自己紹介を始めた。ザウバーとコウは傭兵なので詳しい身分を明かせないので、ザウバーは彼女の話を聞くことにした。
「私は、リーゼ・カールトンと言います。この度は助けてくれてありがとうございます」
「リーゼ、か。いい名前だ」
その言葉にリーゼは、ありがとうございます、と一言言って礼をした。
「ここから首都まではどれくらいで着きますか?」
「まだまだかかるだろうな。最速でも五日はかかる」
リーゼはザウバーの言葉に首をかしげた。
「……貴方達は、どこから来たんですか?」
「ああ、俺たちはこの村の近くの『トラム』っていう町に雇い主に言われて待機していた。詳しくは言えないが、仕事でね」
「……だから、早く駆けつけてこられたんですね」
リーゼは数回頷きながら答える。
「今、『ジン』を出発した。これからトラムで今向かっている政府の調査隊と合流して君の身柄を引き渡す。後は俺たちと一緒に政府用の獣車に乗り換えて首都を目指す」
「首都に着いたら――」
「そこからは俺たちと『雇い主』に会いに行く。そして、さっき起こったことを全て話してもらう。ここで俺たちの仕事は終わりだ」
ザウバーにそう告げられると、リーゼは心なしか寂しさを覚えた。ごくごく短い期間だったが、彼女は彼に優しく接してくれた。それが遠くに行ってしまいそうな感触を、彼女は覚える。
俯いてしまったリーゼを、ザウバーが気にかけ始める。
「……リーゼ。辛いことだろうけど、君はジン唯一の生き証人だ。どうか話してくれないか」
「勿論、話すつもりです。その雇い主さんに、私たちの村の今後についても訊いてみるつもりです」
リーゼはザウバーを真っ直ぐ見つめた。しかし、ザウバーは腕を組んで何かを考え込んでいるような顔をしてしまった。
「雇い主はこの国の有力者だが……、あまり期待しない方がいいかもしれない」
「……どうしてですか?」
「君は知っているかもしれないが、ジンだけでなく色々な所があの土人形によって襲われているらしい。国はその対応に追われているから、ジンまで対応するのは時間がかかるだろうな……」
ザウバーの言葉を聞き、リーゼは口を閉ざすほかなかった。彼の言っていることは尤もだと思い、意気消沈してしまう。
「……そうですよね。私の考えが甘かったです」
「こんなこと言っちゃった俺が言うのもなんだが、言うだけ言ってみた方がいい。何か対応してくれるかもしれない」
その言葉にリーゼは頷いたが、沈鬱な表情と心境は変わらなかった。その様子をコウは無表情で見つめている。
空はいつの間にか白み始めていた。三人は一睡もせずに、トラムへと馬車を向かわせる。
三人を乗せた馬車は、朝になってトラムに到着した。そこには既に長い銃身の銃を所持した軍服姿の男たちが多数待機しており、彼らの後ろには三人が乗っているものよりも二倍ほど大きい馬車も待機していた。
馬車から降りて早々に、三人は兵士たちに囲まれた。ザウバーとコウが兵士たちと事務的なことについて話している間、リーゼは他の兵士にこれからのことについて説明を受けていた。
「今から貴女は『シューメル』中央政府に出向いてもらいます。そこで昨夜起こったことを話してください。それが終われば、貴女は解放される予定です」
リーゼはその言葉に黙って頷いた。早く中央政府の人間に、ジンの窮状を訴えたいと思っている。
「それから、ジンの避難した人達は全員が無事です。我々が捜索して保護し、この町に臨時のテントを張ってそこで一時は暮らしていただきます。現場と避難した皆さんが落ち着いたころにジンへと返す予定です」
その言葉を聞いたリーゼは目を見開いて、驚きと安心のあまり膝を土に付ける。そしてその場で大粒の涙を流してうずくまった。無事に逃げられたことを知り、彼女の中の張りつめた糸が切れた。号泣している彼女を、一人の兵士が介抱する。
「村の人達に会ってきましょうか」
「……お願いします!」
しゃくり上げながら返事をするリーゼを、話が終わってその様子を見ていたザウバーは微笑みながら遠くから見つめていた。
リーゼは覚束ない足取りを兵士に支えてもらいながらテントまで足を運んだ。トラムのはずれまで歩くこと十数分、彼女の目にはテントが何十張と更地に張られているのが見えた。その周りには彼女に付いている兵士と同じ格好をした人が数人立っている。そして、彼女と同じ自警団の制服を着た男――おそらく避難を先導した自警団員だろう――が兵士と話しているところも見えた。
それらを見てリーゼは安心したとともに、避難してきたジンの人達の身体を案じた。そして彼女の中にはもう一つの、しかし一番の心配事があった――母は無事でいるのか。
テントの群に近づくにつれて、リーゼの足は速くなる。道中転びそうになるも、彼女は踏みとどまって歩みを進める。
すると、テントで待機していた兵士らしき男と自警団の男性がリーゼに気が付いた。信じられないという風な顔をすると、すぐに自警団の男性が彼女の方へと駆け寄る。
「リーゼ!」
「ジェンセンさん……!」
リーゼにジェンセンと呼ばれた屈強そうな金髪の男は、走り寄ってきた彼女の肩をがっしりと掴んで笑顔を零した。
「お前……本当に生きてたのか!?」
「はい。でも、皆が――」
「ああ、話は聞いてる。お前が中央政府で証言することもな」
リーゼの話を遮り、ジェンセンは笑顔を引っ込めると、リーゼの肩から手を離して言った。
「……私、何もできませんでした。私が生きているのは、仲間のおかげです。私が弱かったから――」
「お前が辛いのは分かった。俺たちの仲間たちが死んでいくのを見て、本当に堪えただろう」
ジェンセンの言葉に、リーゼは再び泣きそうになった。胸が痛いほど締め付けられていくのを感じている。
「……リーゼ? リーゼなの?」
春の日差しのような優しい声。それにリーゼは目を見開いて、ジェンセンは彼女から離れた。
リーゼの母親――エウロペ・カールトンが、テントから飛び出していた。リーゼの存在をよく確かめているかのように、目を大きく見開いている。その後ろでは、避難した村の子供たちや女性たちがエウロペと同じくテントから出て、生還者を遠くから見つめている。
リーゼは物も言わず母の下へ駆け寄り、勢いよく抱き着いた。母の胸の中で嗚咽を漏らし、そして号泣に変わる。エウロペもまた、リーゼの頭を撫でながら片腕を彼女の背中に回して涙を流している。愛娘が泥と血に塗れていても、気に留めることなく抱き締める。
それを合図にしたかのように、外に出ていた人達が二人の周りに駆け寄ってきた。皆がリーゼの生還に歓喜しており、涙している者もいる。
周りの優しさが、その時のリーゼには何よりも温かく感じていた。
リーゼはテントの中ですうすうと寝息を立てて眠っていた。母親と村の人達に会えた安心感で緊張が解けて、疲れて眠りに落ちてしまったのだ。
彼女が寝ているテントの中にはエウロペとジェンセン、そしてザウバーとコウが入っている。エウロペはリーゼの両手を愛しそうに優しく握っている。
「……リーゼさん、幸せそうですね」
母親に見守られてぐっすりと眠っているリーゼに、ザウバーは優しい眼差しで見つめて呟いた。ジェンセンとエウロペは微笑んで頷く。
「貴方たちがリーゼを助けてくださったんですね……。なんとお礼を申し上げていいのやら――」
「俺からも礼を言わせてもらう! 本当にありがとう!」
「いいえ……、俺たちは仕事をしたまでで……」
エウロペとジェンセンに深々と頭を下げられ、ザウバーは困惑した。彼の傭兵生活で、こんなにも感謝されたことはない。自分たちが仕事をこなしている裏で喜んでいる人がいる――勿論その逆もあるが――ということを彼は実感した。
「……ええと、これからの動きですが……」
咳ばらいをした後、ザウバーが話を切り替える。
「我々はリーゼさんを首都まで護送します。その後リーゼさんに政府にジンで起きたことを話してもらった後、トラムまで再び護送します」
ザウバーの説明に、二人は頷いた。
「リーゼを……よろしくお願いいたします」
「勿論です。我々は仕事を完遂します」
ザウバーが言葉の中に絶対の自信を含ませる。それが伝わったのか、コウも彼の言葉に頷いた。
「リーゼさんが起きたら、すぐに出発します。よろしいでしょうか?」
「分かりました。リーゼにもそう伝えておきます」
エウロペが言うと、ザウバーは立ち上がって二人に対して頭を軽く下げ、テントから退出した。コウが出てくるのを見ると、彼らは町の中心部へと歩き出した。
リーゼが起きると、辺りは暗くなりかけていた。どうやら夕暮れ時になるまでぐっすりと寝てしまったようだ。彼女はエウロペに言われ、ザウバー達が待つ場所へと移動しようとする。
すると、リーゼがエウロペの方へと向き直った。
「お母さん……。私、行ってくる。ジンのこと、これからのこともしっかりと話してくる」
「……気を付けてね。お母さん、応援してるから」
そう言うと、エウロペはリーゼを抱き締めた。リーゼもまた、エウロペの背中に腕を回す。今度はお互いに微笑んでいた。
ザウバー達と合流したリーゼは、政府が用意した大型の馬車に乗りこんだ。彼女とは別の馬車に、ザウバーとコウは護衛の体で乗り込んで先導する。
長い道のりの中、リーゼはこれからのことについて考えていた。
ジンのことを伝え、そして今陥っている窮状を伝えても、ザウバーに言われたとおりに対応に時間がかかる可能性がある。ジンに戻ることができない間、村の人達はずっとトラムの難民キャンプに詰められているのだろう。もしくは村に戻ることができたとしてもお金が無いので苦しい生活を強いられるか――。
その時に自身はどうするのか、何をしなければならないのか――昼も夜もそればかりを考えていた。移動中は常にそのことを馬車の窓から外をぼんやりと眺めながら考えていたので、同乗している兵士から彼女を心配する声もかけられるほどだった。
そして、彼女は一つの結論にたどり着いた。それを実行することは現実的ではないかもしれないと考えたが、彼女は腹を決めた。
一行は丸五日かけてシューメルの首都『フラックス』へたどり着いた。小さな村の出身であるリーゼはその壮大な景色に見惚れそうになるが、そのような暇は彼女には無かった。すぐに中央政府が存在するフラックスの中心部へと馬車が進められる。
中央政府の中に入ったリーゼはまず来賓室へと案内された。その中に、護衛としてザウバーとコウも入る。
「これからすぐに会議室に行って話してもらう。長旅で疲れているかもしれないけど、頑張ってくれ」
「分かりました」
リーゼは頷くと、黒い革が張られたソファに腰を下ろした。ザウバーとコウは彼女と向かい合って反対側のソファに座った。
三人の間に、沈黙が佇む。呼ばれるまでの時間がとてつもなく長く感じていた。リーゼは何かを我慢するようにじっと下を向き、ザウバーは腕を組んで手持ち無沙汰に壁にかけられている風景画を見つめるばかりである。コウに至っては、言葉も発さずじっとリーゼを見つめているのみである。
すると、意を決したかのようにリーゼが顔を上げて二人に視線を向けた。それに気づいたザウバーは彼女の方へと顔を戻す。
「……どうした?」
「あ、あの……お話ししたいことが――」
それだけ言うと、リーゼは口をつぐんだ。コウが彼女を無表情で見つめているのが見えたからである。何を考えているのか分からない、それでいて何か冷たい雰囲気の視線を感じ取った。
「何だい? 言ってごらん」
彼女を安心させようと、ザウバーは微笑んだ。その顔にリーゼはドキリとしながらも口を開き始める。
「私……ずっと馬車の中で考えていたんです。私はこれからどうすればいいのか、村のために何ができるのか、って」
ザウバーが一転して真剣な表情になって頷く。彼は彼女の瞳に、熱く滾るものを感じ取った。
「私は……村の皆の役に立たなきゃならないって思ったんです。私が動かなきゃダメなんだって、私が皆の生活を楽にしてあげなきゃって!」
「ほう。それで、リーゼは何をしなきゃならないと思ったんだ?」
ザウバーに優しい口調で尋ねられ、リーゼは動きを止めた。そして息を大きく吸う。
すると、ドアが二回ノックされた。思わず息を止めたリーゼはその方向を凝視した。ザウバーとコウもノックの音に反応する。
ドアが開くと、黒いスーツ姿の中年男性が二人と兵士の男たち三人が立っていた。
「時間です。リーゼ・カールトンさん。傭兵のお二人さまもついて来てください」
リーゼは胸に手を当てて大きく息を吐き出した。ザウバーとコウはドアを開けた男たちに軽く返事をしてから立ち上がり、来賓室を出ようとする。それを見て、リーゼは弾かれたように飛び出して男たちの後へついて行った。
リーゼの身長の二倍はありそうな巨大な会議室の扉を兵士たちが開け、リーゼ達が入場した。
そこには既に数十人を超えるシューメルの有力者と思われる男女が向かい合って席についており、リーゼはその場で潰れてしまいそうな感覚を得た。張りつめた空気、自身を奇特な目で見る者、固まって赤黒くなった血が付着している彼女の服を見た途端口に手を当てて目を背ける者――全てが彼女にとって否定的であった。彼女はその場で泣きそうになるが必死に堪えつつ、有力者たちが座っている席に挟まれて用意された席に座る。彼女の両脇に、ザウバーとコウが立った。
そして、リーゼの証言が始まった。始めは緊張で身体が石のように固まっていた彼女だったが、ジンと研究所が襲われた時の状況を語り終えたときには幾分か緊張が抜けていた――ザウバーが補足しながら証言を進めていたのもある――。
彼女は勿論、自身が伝えたかったジンへの援助の嘆願も織り交ぜて話した。それを語る彼女の目には涙が滲んでおり、始めは彼女を忌避するような目で見ていた有力者たちの何人かも彼女を憐憫の情をもって見るようになった。彼女の傍に立っていたザウバーでさえも、援助が上手くいくのではないかと思い始めたほどである。
しかし、現実は非情だった。
ザウバーが先に忠告した通り、周りの被害の方が優先されたのである。更にもし早く復興作業が着手された場合、ジンではなくその外れにある研究所に向けて優先して行われることも付け加えられた。リーゼは何も言うことができず、悔しそうに唇を噛んで俯いた。
リーゼは一礼し、ザウバーとコウとともに会議室を出た。これで、三人のやるべきことは終わり――だと思われた。
リーゼは中央政府の外で待機していた政府用の馬車まで歩いて戻っていた。そこにはザウバーとコウもいる――彼女を見送るためである。
「これで俺たちの仕事は終わりだ。リーゼ、話してくれて本当にありがとう」
「……はい」
リーゼは俯いて両手に握りこぶしを作っている。その姿にいたたまれなくなったのか、ザウバーは彼女に同情的な表情をする。
すると、リーゼが顔を上げた。呆然としてそれを見るザウバーに、彼女はある決意を持って彼を見つめた。
「先程のお話の続きをしてもいいですか?」
「……あ、ああ。そうだね。君の結論を訊いていなかった」
リーゼはザウバーに向かって、身を乗り出した。
「私を……私を、どうか、立派な『傭兵』にしてください!」
突然の宣言に、周りの者が凍り付いた。それでも構わず、リーゼは大声で話し続ける。
「私は何もできませんでした。皆に迷惑かけてばっかりで……。でも、傭兵になって強くなって、お金を稼いで、そしたら、ジンの皆の生活を楽にできるって思って――」
「とりあえず落ち着け」
大声で主張するリーゼに対抗するように、ザウバーが声を出して彼女を止めた。
「君の言いたいことは分かった。だけど――」
「ザウバーさんたちに寄生するような形になることは本当に申し訳ないと思っています! 勿論、分け前は私の方がずっと少なくていいです。それに武器もちゃんと持っているので戦えます。皆にお金さえ入れられれば――」
「頼むから人の話を聞いてくれないか!」
止められてもしゃべり続けるリーゼを、困惑しているザウバーが大声で止める。やっと彼女はしっかりと停止した。
「君は傭兵を甘く見てないか? 君が歯が立たなかった相手よりももっと強い相手とも戦うことだってある。任務なら人殺しだって平気でする。獣道とか森の中とか、今よりも険しい道をかき分けることだってしょっちゅうだ」
停止しっぱなしのリーゼに、ザウバーは先程とは一転してゆっくりとしたペースで諭す。
「それに、君はジンで死の恐怖を嫌というほど味わっただろう。傭兵生活はそれが毎日続く。気を抜いてなくても一瞬で命を落とす。そんな環境なんだぞ。考え直した方がいい! 君のお母さんだって、その道は望んでいない筈だ!」
ザウバーは必死に彼女を説得した。家族を持ち出すのは卑怯だと彼は考えたが、彼女をその道には導きたくなかったのでやむを得ずに出してしまった。
リーゼは彼の言葉に思わずおびえたような視線を向け、俯いてしまった。それを見たザウバーは心中で胸を撫で下ろした。
「……それでも」
リーゼがか細い声を出すと、ザウバーはまたも呆然として彼女を見つめた。
「私は、村のために尽くしたいんです! 一刻も早く、村の皆の暮らしを楽にしたいんです。私は……村の皆に償いたいんです! 一人だけ無様に生き残った私には……それしかできないんです!」
「君の独りよがりだろう! 村の人だって君が死ぬのを望んでいない!」
「でも!」
リーゼは今にも泣きそうな顔で必死に訴えた。徐々にザウバーが気圧されていく。
「母は私が説得します。強くなって強くなって……死なないようにします! 私は……生き残ってお金を稼いで、この現状を変えたいんですっ!」
リーゼの心からの叫びに、ザウバーはすっかり黙ってしまった。彼女の言葉から、確固たる信念を感じ取ったからだ。
リーゼはなおもザウバーを真っ直ぐに見つめている。周りには息をするのも苦しくなるような張りつめた空気が纏わりついている。コウでさえ、呆然として彼女を見ているだけだった。
すると、ザウバーが深くため息をついた。
「……まずは、君のお母さんを説得してくれ。話はそれからだ」
その言葉で、リーゼの顔は花が咲いたような笑顔になり頭を深々と下げた。と同時に、両の瞳から涙が零れる。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 私……精一杯頑張ります!」
「その代わり、本当に強くなってくれよ。死んでも責任は取らないからな」
笑顔のまま顔を上げると、既にザウバーとコウは馬車に乗っていた。それを見たリーゼは、慌てて二人とともに馬車へ乗った。
馬車は再び、トラムへと進路を決めた。