護衛任務
議会が国軍の派遣を承認してから五日後。
マイアスの鉱山である『バリオ山』。そこから荷台にマイアスを大量に積載した大型の車両が三台出発した。目的地は首都であり、マイアスはそこまで運ばれると分配され、加工されるものもあれば直接町村に送られるものもある。
それらとともに列をなすように、軍用の幌馬車が四台走っている――一台の大型車両は二台の馬車に挟まれている構図を取る。車両は馬車に速度を合わせて走行しているので非常にペースが遅い。更に車間距離が大きく取られているので、台数のわりに長く見える。
それでもそうしなければならない理由がある――近頃発生している、車両ごとマイアスを奪われている事件のためである。このような物騒な事件が起こっているとはいえ、人々にマイアスを供給しなければ彼らの生活が成り立たない。なので、議会によって承認された国軍を車両の護衛に付けているのである。
その先頭に位置している馬車は他のものよりも大きく、蔦のような銀色の装飾が車体に施されている。用いられている馬も他とは異なり白く大柄な体躯である――それ以外の軍馬は栗色をしている――。
その中で、アバン・テーシアは緊張した面持ちで座席に座っていた。その身体は微動だにしていない。
幼さが残る顔だが、その眼光は鋭く百戦錬磨をくぐってきた者のような貫禄さえある。
他の兵士たちが深緑色の軍服を纏っている中、アバンは一人だけ深紅の軍服を着用している。まるで議員たちが着ているスーツのようにシワひとつなく、高貴さが漂っている。
兵士たちは張りつめた空気の中で車両を護衛している。馬車から身を乗り出して銃のスコープを覗いている者もいる。そのような状況で敵襲は一回も来ず、車両が駆動する重低音と馬が地面を蹴り進む音のみが耳に入る。
「隊長。奴ら、姿を現しませんね」
アバンの隣に座っていた兵士が彼に話しかける。それでも彼は表情を変えることなく真正面を見続ける。
「進行が遅くなるので予定より早く出発したのが功を奏したのか……」
「このまま何も起きなければいいんですが……」
「集中力を切らさないでいただきたい、副隊長殿」
アバンが副隊長である兵士を窘めると、兵士は敬礼をした。
「申し訳ございません!」
兵士は言い訳一つせずアバンに謝った。彼はそれに頷くだけで、その後は再び重低音と馬の足音しか聞こえなくなった。
暫く経ち、一行は視界の開けた道から森の中に作られた道を突き進もうとしていた。そこで、ようやくアバンが動きだす。
「止めてくれ」
彼の一声で馬車は止まり、連動するように他の車両や馬車も止まる。アバンが馬車を降り、車の列を鋭い目で見つめる。
「これから林道に入る。そこで、この道をある程度進んだら速度を上げる。先頭の馬車の速さが速くなったらその合図だ。この森は逃げ道がほとんど無いから、いち早くこの道を抜け出したい」
アバンの提案に、兵士たちは全員で雄たけびを上げて応える。全員の応答に彼は満足げに頷いた。
「よし。行くぞ。この道を抜ければ次の町だ」
アバンが馬車に乗りこむと、進行が再開した。幸いにも現在は陽が高く昇っており、このままペースを上げれば陽が落ちたころには次の町に到着すると彼は踏んでいる。
兵士たちが厳重に警戒する中、車両と馬車は道を進み続けた。
アバンたちは林道の半分ほどを進んでいた。ここまででトラブルは全く無く、順調に進行している。緑が深くなり、入り口が既に見えなくなっているほど進んでいた。陽は傾きかけており、茂っている木の葉に遮られながらも橙色の光が車両に降り注ぐ。
ここでアバンが動いた。馬車の御者の肩を叩いて合図を送る。
「飛ばすぞ」
アバンに命ぜられ、御者が鞭で馬を叩く。馬がいななくと馬車の速度が上がり、後続にスピードアップの指示が下る。馬が地面を踏み鳴らす音が増え、地鳴りのように車両の駆動音が響き渡る。
ここを抜ければようやく安心できる――アバンは緊張の面持ちで馬車の行方を見守っていた。彼は警戒心からか左の腰に佩いている自身の得物の持ち手に手をかけていた。
彼の持っている武器は刺突剣だ。刀身は長く針のように細い。自身の服装と同じような深紅の鞘に刀身は包まれており、鍔はひし形で金色に輝いている。
するとアバンは、遠くの木々の中で光が反射したのを見た。まるで金属光沢のようなそれは自然の中で発生するとはとても思えず、彼の警戒心を増長させる。
「止まってくれ」
アバンが御者に合図を出すと、馬車は徐々に動きを止め始める。後続も速度を落とし、兵士たちが怪訝な思いを抱き始める。
全ての車両と馬車が完全に停止すると、アバンが真っ先に馬車を降りて先へ歩き出す。その後ろから馬車から降りてきた兵士たちが銃を構えながら続々と降りてくる。
「あの木の上だ」
アバンがついに刺突剣を抜き、怪しげなところを指し示す。彼が指し示したところは、彼らからいくらか離れている一本の木だった。葉が茂っており、遠くからは詳細を見ることができない。
彼の後ろにいた兵士たちが一斉に銃口を向け始める。周りの空気は張りつめ、彼らの緊張は最高潮に達している。
すると、風が吹いていないのにもかかわらず、アバンが指した木が微かに揺れた。木の葉が何枚か落ちる。
「前に出ろ! 撃て!」
アバンが声を張り上げ兵士たちに命令すると、兵士たちが一斉に走り出して前に出た。
その直後、何十もの銃声が森の中に響き渡った。銃口から火が吹きあがり、目標の木に何十発もの弾丸が浴びせられる。銃声に驚いた鳥が一斉に空へと羽ばたく。
しかし、アバンは木から何かが飛び上がったのをしっかりと目に焼き付けていた。やはり何かがいる、何かが落ちてくる――彼の顔が途端に険しくなる。
「撃ち方止め!」
そう言うとアバンは、尋常ではない脚力で地面を蹴り上げて空中へと跳んだ。彼は足にマイアの粒子を纏っており、それが人間離れした脚力の源である。
銃声が止んだ一瞬後、今度は空中に刃がぶつかった鋭い音が響き渡った。その瞬間、アバンともう一方は互いに反発して弾き飛ばされた。
「隊長!」
「私は大丈夫だ」
アバンは険しい顔をしながら無事に着地した。その顔は、まるで汚物を見ているかのような軽蔑の感情がこもっている。
彼が見据える先には、一人の大柄な男がいた。赤茶けた髪は短く切り揃えられており、その茶色い瞳は鋭い眼光を放っている。服装は黒一色で、一目で分かるような異様な雰囲気を発している。
その男は、彼の背丈ほどの巨大な両刃の斧を持っている。斧頭にはマイアスが埋め込まれている――すなわち、大型の斧は装具である。
「貴様が――」
怒りに歪んだ表情を変えないまま、アバンが大男を睨みつける。
「『貪食の黒狗』の、ビスト・アバルト――!」
ビストと呼ばれた男は口角を上げた。
「ご名答。俺たちのことは軍が調査済みってわけだ」
「黙れ! 無駄な抵抗はせず、ここを通してもらおうか」
アバンの言葉を聞いたビストは避けるどころか、斧の柄の底を地面に叩きつけて仁王立ちし始めた。彼は不気味に微笑んだままである。
「……それが答えか」
アバンは怒り心頭に呟くと、その一瞬後には地面を蹴り上げて、刺突剣の切っ先をビストへ向けて駆け出していた。それを見たビストはその巨体に似合わず瞬時に反応し、丸太のように太い腕で斧を右方向に薙ぐ。
刃同士がぶつかり、二人の間に閃光が瞬く。アバンはビストの力に押し負けることなく刺突剣の先端を斧に押し当てている。しかしアバンの顔は苦し気であり、ぶつかったすぐ後には飛び退いて距離を取っていた。
「傭兵如きに……好きにさせるかっ」
吐き捨てるように言うと、アバンは未だに仁王立ちしているビストに向かって飛び上がった。それでもビストはその場に立ち続けている――まるで動かなくても倒せるぞと意思表示しているかのように。
ビストはそれに対し、力任せに上方を薙ぎ払う。唸り声を上げながらの攻撃であるが、表情は変わらない。
両者の刃が再び激突した。甲高い金属音とともにアバンが弾き飛ばされ、ビストが後ずさりする。息を荒げるほど怒りの感情を剥き出しにしているアバンに対し、ビストは何故か豪快に笑い始めた。
「何がおかしい!?」
凛とした怒声が周りに響き渡る中、ビストはニヤリと笑いながらアバンを見る。そしてそのまま大斧を彼の方へと突き付ける。
「たかが国軍の兵士だと思っていたが、どうやら違うようだな」
「どういう意味だ」
アバンが問うと、ビストはつま先で彼が後ずさった時にできた痕跡を突いた。
「俺をこれだけ動かしたのはてめえが初めてだ。相当の強者と見える」
「なるほどな……。強者にしか興味が無いという報告は合っているようだ」
幾分か感情を落ち着けたアバンは、ビストに向かって刺突剣の先端を向ける。
「副隊長殿」
「は、はっ!」
「こいつは私が引き付ける。その間に兵士をまとめて車両を守りながらここを抜け出してくれ」
そう言うとアバンは再び地面を蹴り、ビストの胸に向かって刺突剣を突き出した。まるで弾丸のような速さの一撃を、ビストは斧をぶん回して弾き飛ばす。その衝撃で、アバンは茂みの中へと消えた。
「まだまだぁ!」
アバンは叫び、走りながら突きの構えを取る。ビストは彼をせせら笑いながら再び斧で薙ぎ払おうとする。
しかしその動作を、アバンは予測していた。彼はその一撃をしゃがんで避け、そこから飛び込んで刺突の一撃を繰り出す。
「おっと」
ビストの顔から笑みが消える。彼は咄嗟に大きく跳躍し、突きを躱しながら道路の脇の茂みの中に入る。
それをアバンは待っていた。間髪を入れずに飛び込み、刺突剣を抉りこむように突き出す。ビストは応戦しようとするが、アバンの手数の多さに斧で防御するしかない。
「下劣な傭兵め……死ねっ」
アバンが叫ぶと、マイアを纏った足で回し蹴りを繰り出した。目にも留まらぬ速さのそれをビストは腕一本で受け止めるが、アバンはビストの巨体を易々と蹴り飛ばした。吹き飛んだビストをアバンは間髪入れずに追い始める。
ビストは木に叩きつけられる前に着地して体勢を整える。しかし何故か彼は蹴られたのにもかかわらず笑みを浮かべている――蹴られた箇所の袖は焦げ付いている。もっと力を見せてみろと挑発しているかのように、アバンに不気味な笑みを向ける。
ふと、アバンが道路の方を見ると、馬車と大型車両が動きだしていた。このまま自身が傭兵を引きつければ、無事に脱出できる――彼の目論見は上手くいこうとしていた。
しかし、アバンの心中に引っかかることがあった――ビストが自身にしか注意を向けていないのである。アバンはビストからの殺気を浴びるように感じている。その状況で、ビストがそれ以外に注意を向けている様子はない。いくら戦闘狂とはいえ、任務を蔑ろにするほどとは彼は聞かされていなかった。
だが車両を追おうとしたところで追わせるわけにはいかない。アバンは刺突剣を構え、今は車両をこの戦場から逃がすことへと頭を切り替えた。鋭い視線でビストを射るように見つめる。
その瞬間。
兵士たちの悲鳴とともに身体を震わせるような重低音がアバンを襲った。
「まさか俺一人で待ち伏せしてたとは思ってないよな?」
ビストが口を開き、凍り付いているアバンを嘲笑う。
――迂闊だった……っ!
アバンが歯を食いしばり、地面を蹴り上げて重低音が鳴った場所へと急加速する。当然ビストはそれを見逃すはずはなく、アバンを止めようと回り込んで斧を振り回そうとする。
「逃がすかよ!」
「邪魔だ!」
二人の声が重なり、斧と刺突剣がぶつかり合う。銃声が聞こえ始めたが、二人の耳には入ってこない。
互いに弾かれるが、アバンはいち早く動きだした。敵に構っている暇はないと、彼は心底悔しがりながら道路を走り出す。
しかし、アバンの足は止まってしまった――彼は目の前に広がる光景に絶句してしてしまったのだ。
先頭を走っていた馬車が何かによって跡形もなく消し飛ばされており、後続が足止めを食らっていた。兵士たちが前方に向かって銃を乱射している。
「どういう……ことだ――」
絶望を湛えた表情でアバンが呟くと、その背後から雄叫びが聞こえてきた。彼がすぐにそれに対応して飛び退くと、そのすぐあとには斧が道路を陥没させていた。土煙が辺りを包み込み、ビストの姿が見えなくなる。
「一体何があった!?」
アバンが土煙に警戒しながら背後の兵士たちに叫ぶと、一人の兵士が銃撃を止めて此方を向いた。
「隊長! あの傭兵団……もう一人待ち伏せを用意してました!」
「誰に襲われた!?」
アバンが再び叫ぶと、土煙の中からビストが飛び出し、斧をアバンの頭に向かって振り上げる動作をしていた。狂気的な笑みを浮かべながら突進するビストの一撃をアバンは刺突の一撃で受け止める。白と橙が混じった色の火花が飛び散り、アバンが未だに笑みを浮かべているビストを睨みつける――彼は大斧の一撃を、刺突剣の先端の一点のみで受け止めていた。
「……一人の、杖を持った女です! 奴の杖から……杖から火の玉が出てきてます! 今も銃を撃ってますが、攻撃が全然通りません!」
兵士の言葉に、アバンは耳を疑った。それでも彼は雄たけびを上げてビストを突き飛ばすと、後ろを振り向いた。
そこには、木製の杖の上部を突き出して魔法陣のような円形の防御壁を張っている一人の少女がいた。幼さが残る顔には不気味な笑みが張り付いており、青い瞳が兵士を見下しているかのように冷たい輝きを放っている。
その杖の頭には、粗く加工されている透明な石が装着されている。それが仄かな光を放って防御壁を創りだしている。
「しつこい」
あどけない声で、少女は言った。その直後、彼女は防御壁を解いてその場で飛び上がった。膝を隠している黒いスカートがはためく。
杖の頭は、銃を向けている兵士たちに向かっている。その部分が強烈な光を放った時、兵士たちは恐怖に染まってあることを悟った。
「退避! 退避ぃっ!」
先ほどまで威勢よく銃の引鉄を引いていた兵士たちが、我先にとばかりに散り散りになって逃げる。大型車両に乗っていた人達も車両を捨てて逃げようとしている。
しかし、遅かった。
紅蓮の炎が兵士たちのいた場所に着弾した。熱風と衝撃波が周囲を襲い、逃げていた兵士たちを吹き飛ばす。比較的遠くにいたアバンさえも熱風に煽られ、呻き声を出す――ビストはいち早く退避していたので被害を受けなかった――。
「皆、無事か!?」
アバンが振り向くと、そこにはとても無事だとは言えない光景が広がっていた。
兵士たちが吹き飛ばされた時の苦痛に喘ぎ、立ち上がれないでいる――衝撃波だけでも十分な損害を与えることを仄めかしていた。着弾した周囲には炎が上がっており、周囲の木々に燃え移っている。
その惨状を見たアバンの怒りにも火が付いた。自身の大事な部下たちを吹き飛ばし、あまつさえ見下したような目線を向けている。彼にとって到底許されることではなかった。
それでも彼は自身が圧倒的に不利な状況に立たされていることは理解していた。『貪食の黒狗』の傭兵二人に挟まれ、部下たちは全員戦闘不能になっている。
「貴様ら……!」
怒りに震えた声。
刺突剣を起点にして、彼の身体から火花が散り始めた。