新しい力
リーゼたちの装具が出来上がるまでの一週間、彼女らは任務を請け負うことなく彼女らの家で暮らしていた。その間にも訓練は怠らず、暇さえあればリーゼはザウバーやコウに頼んで鍛錬に付き合ってもらっていた。全ては『白銀の弓矢』の一員として強くなるため、村を救うため、そしてネオンを守るためだ。彼女はザウバーに両手の怪我のことを指摘されるまで手を緩めず、木製の剣を打ちあっていた。
一方で、新しく加入したネオンは戦闘訓練に参加せず、リーゼたちが剣戟を繰り広げているのを木陰から見守っているだけだった。その代わりに、彼はリーゼと一緒に料理を作ったり洗濯をしたりして、屋内の雑用を主にこなしていた。時々失敗をしてリーゼやザウバーを慌てさせていたが、彼はこの一週間で家事全般を一通りこなすことができるようになった。
彼はリーゼとともに家事をこなした後、いつも彼女に満面の笑みで感謝の気持ちを伝えられていた。彼女の笑みを見るといつも彼はのぼせあがったように顔を赤くし、照れ笑いを浮かべていた。その度に彼は脈が速くなり足が地に着いていないような感覚を味わっている。
彼はリーゼに日ごろから優しくしてもらったことで、彼女に心を奪われてしまったのである。
とある日の夜、リーゼが湯浴みでザウバーたちから離れているときも、ネオンは彼女のことばかりを考えていた。彼は出された食事は完食しており――この日も例に漏れずそうであったが――、彼は椅子に座ったまま何か物思いに耽っているような表情をしていた。それをザウバーが見つける。
「ネオン君、どうした?」
ザウバーに突然声をかけられ、ネオンは目を白黒させて弾かれたようにザウバーの方へと体と顔を向ける。
「い、いや、なんでもないです!」
「……ネオン君」
「……なんですか?」
するとザウバーが、ネオンに向けて優しい笑みを浮かべた。ネオンはそれを注視するのみである。
「君はリーゼと一緒に家事をしていると本当に楽しそうにしている。元気になって本当に良かった」
ネオンはザウバーの言ったことに少しの間きょとんとしていたが、言葉を理解するとにっこりと笑った。彼は胸の辺りが暖かくなるような感触を覚える。
「ありがとうございます。リーゼさんとザウバーさん、コウさんにはとても助けられましたから、恩返しがしたいんです」
「俺たちはそんな大層なことはしていないつもりなんだがな。……っと」
ザウバーが何かを思い出したかのような顔をした後、ネオンに向かって悪戯っぽく笑う。
「ネオン君は入ってこないのか?」
「え? どこに……」
「あそこだよ」
そう言ってザウバーは、リーゼが湯浴みをしている部屋の方向を指さした。そこを見た途端、ネオンの顔が耳まで真っ赤になる。
「な……何言ってるんですかっ。僕は、別に、リーゼさんと、入りたいわけじゃ――」
「あいつが湯浴みに行ってからネオン君が萎れたように見えちゃってね。もしかしたら一緒に入りたかったのかも、って思っただけだよ」
「そ、そんなことありません!」
声を大にして否定するネオンの姿に、ザウバーは笑いを堪えることができない。
「一緒に入ってみたいとは思わない? 頼んだらネオン君なら大丈夫かもしれないぞ。勿論俺とコウは無理だけど」
「僕は一人で入れますっ」
ネオンは肺の中の空気を全て吐き出したのかと思われるほどの声量で否定した。その様子が可笑しく映っているのか、ザウバーは驚くことなく笑い続けている。
すると、ザウバーが指さした部屋から寝間着を着たリーゼが目を丸くして出てきた。彼女が目にした光景は、楽し気に笑っているザウバーと、彼女に気付いてこちらを凝視しているネオンだった。
「……どうしたの?」
「な、なんでもないですっ」
上ずった声でネオンが叫ぶと、彼は彼女の横を走って通り抜け、湯浴みの部屋へと入り勢いよくドアを閉めてしまった。呆然としながらネオンの方を見ているリーゼだったが、首を傾げたあとはそれ以上追及することなく歩き出した。
「変なの」
「ネオン君は本当に可愛い奴だ」
「……どうして?」
ザウバーの言葉に、リーゼは驚く素振りを見せた。彼の口からこのような言葉が出てくるとは思わなかったからである。
「ちょっとからかったら、顔真っ赤にして恥ずかしがっちゃって」
「……そういうの、良くないと思う。確かにネオン君には可愛いところはあると思うけれど……」
リーゼがザウバーに非難めいた眼差しを向けると、彼は笑みを浮かべながら謝罪の言葉を彼女に送った。彼女はそれを聞くとため息をつき、自室へと戻り始める。
ネオンは彼女らの会話をドア越しで聴いていた。リーゼの言葉で悶絶していたのは言うまでもない。
次の日の朝、四人は慌ただしく身支度を整えていた。
リーゼが朝早くに起きて郵便物を確認すると、ダンからの手紙が入っていた。そこに、装具が完成したと記されていたのだ。そのため、彼女らは早く装具を取りに行こうとしているのである。
身支度を済ませて馬車を呼び、四人はすぐにダンがいる工房へと向かう。馬車の中で、リーゼは自身が初めて持つことになる装具を早く手に入れたいと胸を躍らせていた。
四人が無事にダンのいる工房に着くと、朝早い時間にもかかわらずダンはすぐに彼女らに応対した。彼の顔は汗にまみれて疲れが見えており、徹夜でリーゼとザウバーの装具を仕上げたことを仄めかしていた。
四人はダンに地下へと案内された。地下道を進み、作業場の扉が開かれる。相変わらず空気は熱く、炉は赤々と燃えている。
「これだ」
ダンが剣と二挺の拳銃が置かれているテーブルまで四人を案内する。二人の武器は几帳面に並べられている。
「これがリーゼさんの『装具』だよ。俺の自信作だ!」
ダンが満面の笑みでリーゼにファルシオンを渡す。彼女はそれを受け取ると、鞘に収められた刃を抜く。
彼女のファルシオンは、ほとんど別物と言っていいほど様変わりしていた。まず鍔の両面にマイアスと思われる透明な石が合わせて四個埋め込まれており、それらの周りには波紋のような模様が浮かび上がっている。持ち手の部分は修繕されて青色に塗り替えられている。
特に彼女が目を見張ったのは刃だ。今までは銀色に光っていたのが、今は透き通った淡い水色をしている。彼女が驚いている顔が反射するくらいには刀身が綺麗になっている。
リーゼは、自身が今『装具』を手にしていることが俄かに信じられずにいたが、暫く見た後はこれを早く使いこなして皆の力になるという決意を、この剣に向かって心中で誓った。
――私の装具……。私の、力……。
すると、ザウバーがリーゼの肩を叩いた。肩をびくつかせて彼女が彼の方向を向く。
「どうだ? 初めての装具は」
ザウバーに尋ねられると、リーゼは玩具を買い与えられた子供のような明るい笑顔を見せた。
「とても嬉しいよ! 絶対使いこなしてみせるね!」
リーゼの言葉にザウバーが頷くと、彼女はダンの方を向いた。
「こんな素敵な装具を作っていただきありがとうございます!」
「礼には及ばないよ。修理したり強化したりしたくなったら、是非うちに来てくれ!」
「はい!」
リーゼが明るく返事をすると、今度はダンがザウバーに二挺拳銃を手渡した。
「ありがとう。ちょっとすぐそこの空き地で試し撃ちをしてもいいか?」
「ああ、いいよ。リーゼさんもザウバーさんと一緒に装具を試すかい?」
ダンに問われると、リーゼは彼とファルシオンを交互に見た。しかし、彼女に迷いはなかった。
「やらせてください!」
「よし。一旦外に出よう!」
ダンが提案すると、四人は彼に従って再び地上へと上がっていった。その道中、リーゼは嬉しさで地に足が着いていないような感触を味わっていた。
五人が梯子を昇って書斎にたどり着くと、この部屋を出ようと歩き始める。
しかし、そこでコウが立ち止まり、ある場所を一点に見つめ始めた。いきなり立ち止まった彼を見て、ネオンが目を丸くする。
「どうしたんですか?」
ネオンの声に、リーゼとザウバー、ダンが振り向く。そして皆がコウの視線の先に注目し始めた。
そこには分厚い本が隙間なく何冊も並べられている。リーゼはここを詳細に見たことがなかったため、そこに並べられている沢山の本を見て壮観だとさえ感じた。
「ああ、この本は全部師匠のものだよ」
ダンの言葉に、リーゼは驚いた。鍛冶屋の人がこのような多くの本を読むことは珍しいと思っていたからである。
「これ、全部……」
「俺には難しすぎて読めないと思うけど、マイアとかマイアスとか、装具のことについて書かれてあるって師匠が言ってた」
「随分と年季の入った本だな……」
ザウバーも、これらを感心しながら見つめている。並べられている本の背はどれもくすんでおり、幾つかの棚は埃を被っている。
「師匠はこれを読んで勉強してきたから、鍛冶も上手くできるのかもしれないなぁ」
「ダンさんは読もうとは思わないんですか?」
リーゼが訊くと、ダンは困った風に笑みを浮かべた。
「実はこの本、師匠に絶対に触るなって言われてるんだ。だから俺は読んだことはないし、他の人にも触らせてない。もしそんなことしたら大変なことになるよ。主に俺が」
「そうなんですか……ってコラ!」
リーゼはダンの応対をしている間にも、コウに気を配っていた。彼が何かに注目したということは、何かをするに違いないと考えたのである。案の定コウは、背伸びをして本棚の最上段にある黒い背の本――黒い本は数多ある本の中でもこれしかない――に手を伸ばしていた。リーゼは彼の手を引っ叩く。
「触るなって言われてるでしょっ」
「……ごめん」
叩かれた手を擦りながら無表情で謝るコウを、リーゼは睨みつけながら本棚を守るようにして彼に立ち塞がった。その様子が可笑しかったのか、ダンは笑みを浮かべている。
「とにかく、外に出て装具を試そう」
「……分かりました!」
リーゼは再びダンの方を向き威勢よく返事をする。そしてそのまま五人は進み小屋を出た。
コウはその間、後ろを何度も振り返っていた。
視界にあの黒い本を収めながら――。