装具の鍛冶屋
リーゼたちはジェラルドに言われたとおり、兵糧部の財務管理課へと足を運んだ。そこでザウバーとコウは百万アールを全額受け取ったが、リーゼは窓口で手続きをして報酬の八割をジンへと送金した。結果彼女の手元には二〇万アールしか残らなかったが、彼女は今までに送ったことのない大金を送ることができたので満足していた。
それでも、突然決まってしまった傭兵についての規則のせいで、今後はこのような大金を送ることができなくなると考えると彼女は素直に喜ぶことができなくなってしまった。それが表情に出てしまい、彼女は受け取った後も顔を曇らせている。
「どうした、リーゼ」
ふと、リーゼはザウバーに声をかけられた。いきなり話しかけられたので、彼女は目を丸くして彼の方を見つめる。
「え……?」
「元気がないように見えたが……」
ザウバーに心配されると、リーゼは一転して笑顔を見せて首を横に振った。
「う、ううん。全然大丈夫だよ」
「そうか。それならいいんだが」
何か納得のいかない表情をしながらも、ザウバーはリーゼの心配を止めた。
四人に増えた『白銀の弓矢』は兵糧部を出たが、彼らの家とは異なる方向に進み始めた。それに気が付いたリーゼがザウバーの方を向く。
「ザウバー、こっちは家じゃないよ」
「分かってる。少し行きたいところがあるんだ」
「どこへ?」
リーゼがさらに問うと、ザウバーは笑みを彼女に向けた。
「行けば分かるさ」
四人は馬車を借りて、フラックス郊外へと進んだ。賑わっていた中心部とは打って変わって、周りには昼間なのにもかかわらず人が殆ど歩いていない。建物が密集しているわけでも、一際目立つ建物もない。これからどこへ行こうとしているのか――リーゼはただそれだけを考えて馬車に揺られている。
すると、ザウバーが馬車を停めた。その近くには煙突が取り付けられている小屋がある。見た目は何の変哲もない木造の小屋であり、これから傭兵の集団が入るとは思えないと、リーゼは更に首をかしげる。
四人はその建物のドアの前に立った。するとザウバーが前に出て、ドアの横に付けられているボタンのような物体を押した。
「少し待ってくれ」
それを押しても、全く音はならない。一体何をしたのだろうとリーゼが思っていると、鍵が開く音がドアから聞こえてきた。
「やあ、いらっしゃい」
ドアを開けた主は、赤みがかった茶色い髪を短くまとめた長身の青年だった。灰色の作業着のような服装で、先程まで何かを行っていたのか手袋をはめており、身に纏っているもの全体に所々煤のような黒い汚れが付いている。
端正な顔立ちで、茶色い瞳と浮かべている笑顔から人懐っこさをリーゼは感じた。しかしその人物がどのような者なのかは未だに彼女は理解していない。
「武器を鍛えてくれないか?」
「お安いごようさ! そこに立たせているのも申し訳ないから、中に入ってくれ」
ザウバーと作業着の男は笑顔で会話し、四人は男の家の中に入ることにした。ザウバーの言葉を聞き、リーゼはここがどんな場所なのかに薄々気付き始めていた。
小屋の中に案内された四人を、作業着の男が引率する。リーゼは中を見渡したが、キッチンやテーブルといい備え付けられているベッドといい、それだけを見ればどこにでもある一戸の小屋だった。
しかし何故彼はこんなにも汚れているのだろう――リーゼはそれが不思議でたまらなかった。綺麗な小屋の中と比べて、彼は明らかに汚れすぎている。
「ザウバーさん、この女の子と男の子、今まで見なかった顔だけど……」
「ああ、うちの傭兵団の新入りだ。……この子は少し訳ありだけど」
ザウバーが苦笑しながらネオンを指す。男はこれ以上何も詮索せず、何回か頷いただけだった。
「へぇ。……あ、ここだ!」
すると男が、奥にあるとある一室に四人を案内した。男がドアを開けると、そこは書斎だった。大量の書籍が本棚にずらりと敷き詰められているが、これまた何の仕掛けもないように見える。
すると男が床にしゃがんだ。リーゼがそこをよく見ると、床に取っ手らしき器具が見える。
「よし、っと」
男が取っ手を掴み、前方へと押し始める。すると床の一部が動きだし、それがスライドして前方へと移動した。その仕掛けに目を見張るリーゼとネオンを尻目に、男が穴の中へと足を入れる。
「ここに梯子がある。そいつで降りてくれ」
男がそう言うと、慣れた足取りで穴へ潜っていく。リーゼはザウバーに促され、彼とコウの後に続いて梯子を下っていった。
リーゼが梯子を降りると、彼女の目の前には明かりで照らされた一本道が続いていた。男を先頭にして四人が後ろをついて行く。
地下道は石で固められて頑丈に造られており、石畳の道の先には木製の扉が見える。そこを開けると何が待っているのかと、リーゼは目を丸くしながら歩いている。
「すごい……。こんな普通そうな家の地下に、こんなのが造られていたなんて……!」
「驚くのも無理はないよね。あ、そうそう、自己紹介が遅れた。俺はダン・ブリッツ。よろしく!」
ダンと名乗った男は歩きながらリーゼの方を向き、歯を見せて笑った。その笑顔につられるようにして、リーゼも微笑む。
「私は、リーゼ・カールトンと言います。最近この傭兵団に入りました」
「へえ、道理で見なかったわけだ。これからよろしく!」
「よろしくお願いします!」
挨拶が終わると、リーゼたちは扉の前に来た。マイアスの明かりで照らされた古めかしい木製の扉は威圧感を放っている感じさえある。
「さ、入って」
ダンが扉をゆっくりと開ける。リーゼは前を真っ直ぐ見つめていた。
そこには、小屋の中よりも広い作業場が広がっていた。木製のテーブルにはハンマーなどの工具が乱雑に置かれており、先程まで作業を行っていたことが窺える。金床の傍には炉があり、上部には煙の逃げ口がある――そこから煙は煙突から排出される。炉の中は燃え滾っており、遠く離れているのにもかかわらず熱気がリーゼたちを包み込む。息を吸うと熱された空気が身体を刺激する感覚を覚える。
初めて見る光景に、リーゼとネオンは目を見張る。それを尻目にダンが作業場へと入っていく。
「ここが俺が働いている鍛冶場だ。今は師匠がいないから、俺だけで作業してるけど」
「師匠さん……コルベッタさんはどこへ?」
おそらくそのコルベッタという人がダンの師匠なのだろうかとリーゼが考えていると、ダンがテーブルの上に散らかっている工具を片付けながら口を開く。
「師匠、あまり外に出たがらなかったんだけど、なんでか知らないけど、今年になってから馬車を借りて出かけることが多くなって……。今日もどこかに行って、上質なマイアスを分けてもらっていると思う」
「なるほど……。コルベッタさんを見ないと思ったらそういうことだったのか」
「今は色々危なっかしいんで、師匠が無事かどうかいつも心配なんだよね……」
苦笑いを浮かべながらダンはコルベッタという人物を案じた。テーブルの上が綺麗に片付くと、ダンがリーゼと向かい合う。
「さて、本題だ」
リーゼは自身に話しかけられたと気付いて、慌ててダンの方を向く。彼女の横にはザウバーがついており、彼は何故か微笑んでいる。
「……どうしたんですか?」
「リーゼさん、この剣を俺に預けてくれないか?」
「えっ?」
突然ダンに言われ、リーゼは戸惑いを隠せないでいる。おろおろとしていると、ザウバーがリーゼの方を向いた。
「玄関で言わなかったか? 『武器を鍛えてくれないか』って」
「あっ……そういうことか」
リーゼは漸く理解した。自分のファルシオンを預け、ダンに鍛えてもらうのだ。その目的のためにザウバーは傭兵団全員でここに来たのだ、と。
リーゼは急いでファルシオンを鞘ごとダンに渡す。ザウバーも彼の二挺の拳銃をテーブルの上にそっと置いた。するとダンがファルシオンを鞘から引き抜き、鑑定しているかのように隅から隅まで見始めた。
そこでリーゼは気付いたことがあった。彼女のファルシオンは、刃の大部分に刃こぼれが見られている。これでは戦闘もまともにできないだろう。鍛えてもらった方が絶対にいいと彼女は感じた。
「刃こぼれが多いな……。こいつを直すには結構時間がかかるけど、それでもいい?」
「大丈夫だ。最近暇になったから武器は急いでいない」
リーゼの代わりにザウバーが答えると、ダンがニッと笑った。
「了解。そこに置いてるってことは、ザウバーさんも鍛えるの?」
ダンに問われると、ザウバーが頷いた。
「金ならある。この銃をもっと強くしてくれ」
その口調は、今まで談笑していたとは思えないほど凛としていた。リーゼとネオンが驚きの目で見つめていると、ダンがファルシオンをテーブルの上に置き、今度は拳銃をまじまじと見始めた。
「具体的には?」
「威力の増大、連射力の上昇、それと射出できる弾の種類を多くしてほしい。種類の変更は、マイアスの弾倉を付け替えて行う。そうだな……、攻撃用と防御用、それと妨害用の弾倉を造ってくれないか?」
「分かった。時間は結構かかるだろうけど、やってみるよ。後で少し話をしよう」
そう言ってダンは拳銃をテーブルの上に置いた。
ザウバーが自身の装具を強化してほしいと申し出たのは、理由があった。
先の事件でヘビや『ドラゴン』と対峙した時、彼は殆ど何もすることができなかったと感じていた。とどめは全てコウに任せており、装具に鱗を貫けるほどの威力がないことを悔やんでいた。
これからの戦いの中で、コウ一人に任せることはできない。ならば自身が強くなるか装具を強くするか――彼はその両方を取ろうと決意した。これからは自身一人でも化け物のような敵を倒せるようにしなければならないのだ。
「コウ君はどうする? いつもは直したり鍛えたりしてないけど……皆やってるからコウ君もやる?」
続いてダンは、コウにも問うた。しかし、コウはダンの質問に首を横に振って答える。
「大丈夫」
「そうか。ならいいけど」
ダンは微笑んで返すが、コウは相変わらず無表情である。愛想笑いくらい浮かべたらどうかとリーゼはコウに不満そうな表情を向けるが、当人は気にしていない。
「それにしても不思議だな。コウ君の剣はいつも綺麗だ。この様子だと、使っている時には支障は出てなさそうだし」
「確かに。そういえば俺とコウは組んで暫く経つが、お前が武器を直したところを見たことがないな。それだけ腕が立つっていう証拠なのかな」
ダンたちの言葉で、リーゼはコウのブロードソードへと目をやった。純白の鞘に収められている刃は、今でも刃こぼれせず綺麗なままなのだろう――彼女はコウの剣の腕だけは一切不満を零していない。
ふと、彼女は考えた。
この剣は装具なのだろうか。
装具であるとしたらどこかにマイアスが埋め込まれている筈だが、彼の剣にはそのような痕跡が一切ない。しかし装具ではないとしたら、先の事件で獣たちをいとも容易く切り伏せたことに納得がいかない――リーゼのファルシオンでは斬ることができなかった――。コウの腕がいいのかそれとも――リーゼは考え始める。
すると、ダンが彼女の名前を呼んだ。彼女が慌てて顔を上げてダンを見つめる。
「す、すみません! 何でしょうか?」
「君の武器についてなんだけど」
「……私の、武器?」
リーゼが未だに困惑していると、ダンがファルシオンを持って彼女の目の前に掲げた。
「これを装具にしてもいいかい?」
リーゼが動きを止めた。呆気にとられて暫くダンの顔を見つめ続けるだけの彼女に、ザウバーが彼女の肩にそっと手を置く。
「してもらったらどうだ? リーゼにとっても、その方がいいと思うぞ」
リーゼはザウバーの方を向いた後すぐに自身のファルシオンへと目をやった。
これからはレノより強い傭兵や『ドラゴン』のような強大な生物と幾度となく対峙するかもしれない。そのようなことになっても、リーゼは生き残らなければならない。村を早く復興させるためには、傭兵としてお金を稼がなくてはならないからだ。そのためには自身が強くなることも必要だが、武器を強くすることも必要なのではないか。彼女はそう思うようになった。
そして彼女の隣には、傭兵団に入ったとはいえ保護の対象であるネオンがいる。彼女はこの子を守りたいと思っていた。彼女には、強くなるための明確な目標が存在している。それを彼女は自覚していた。
リーゼの表情は、まるで今戦っているかのように真剣なものになっていた。その視線に、ダンが何かに気付かされたかのような表情をする。
「お願いします。この剣で、私は生き残りたいです!」
リーゼに迷いはなかった。村を救うために、そして大切な人を守るために、彼女は自警団の頃から愛用していたファルシオンを『装具』にする決断をした。
「よしきた! どんな風にするか話し合おう」
「分かりました!」
リーゼの顔には、笑顔が戻っていた。これから自身の武器が強化されるかと思うと、嬉しい気持ちを表に出さずにはいられなかったのである。
その横で、ネオンはリーゼを見ていた。凛とした表情や明るい笑顔を目の当たりにして、彼の鼓動は速くなっていた。彼は完全に彼女に釘付けになっていた。
「ここで話すには暑すぎるから、面倒だけど一旦上に戻ろうか」
ダンが歩き出し、リーゼとザウバー、そしてコウがついて行く。それを見てネオンは慌てて歩を進め、前の四人に追いつこうと早足になった。




