再会
リーゼたち三人はフラックスに戻ると、早速ジェラルドへ騒動の顛末を報告するために――そして報酬を確認するために――兵糧部へと向かった。
結局フラックスに到着してもリーゼの調子は戻らず、相変わらず沈鬱な表情で目的地まで歩いている。ザウバーは彼女を励まそうとしたが、共感や同情は彼女を余計惨めにさせるだけだと判断し、自身の言葉でネオンが軍に連行されると責任を感じていたので、何も言葉をかけることができなかった。コウは相も変わらず自身のペースを貫いており、そのせいでリーゼを余計に不機嫌にさせることもあった。
兵糧部の中を少し進み、ジェラルドが待っている応接室へと三人は向かう。ザウバーが先頭になり、ドアを三回ノックする。
「誰かね?」
「『白銀の弓矢』です」
「……入ってくれ」
ジェラルドが三人に中に入るように促すと、ザウバーが扉を開けた。
「失礼いたします」
三人が部屋に入り扉を閉めると、そこにはジェラルドが微笑みを湛えてソファを背にして直立していた。任務が成功に終わったので機嫌が良いのだろうかと思案しながら、リーゼは威厳のある老人を見つめる。
するとザウバーは、コウがハッとした表情でジェラルドを見ていることに気が付いた。まるでジェラルドの向こう側を見つめているかのようなコウの目線に、ザウバーは彼を訝しむ。
「どうした、コウ?」
「……誰か、いる。感じる」
コウの言葉に、ジェラルドは目を細める。それを見てザウバーはますます状況を訝しんだ。
「察しがいいね、コウ君」
出てきなさい、と、訳も分からず立ち尽くしているリーゼとザウバーを尻目にジェラルドがソファの背面に向かって声をかける。
すると、ネオンがひょっこりと顔を出し、急ぎ足でジェラルドの横へと位置に着いた。
そこにはベリアル山にいたときのようなボロボロの身なりではなく、新品だと察せられる白いシャツと黒いズボン、茶色の靴を身に着けた綺麗な身なりのネオンがいた。恥ずかしそうにしており、三人とは目線を合わせず俯いたままである。髪はつやつやとしており、肌も血色よく、目の輝きも以前とは異なり取り戻されていた。
その姿を、リーゼとザウバーは絶句しながら凝視することしかできなかった。特にリーゼは目を見開いて両手で口元を覆いながら、身体を震わせるほど驚いていた。
夢ではなかろうか――リーゼは息をするのも忘れるくらいにネオンを見つめ続ける。軍に連行されて、傭兵ごときの身分では会うことができないと考えていたので、驚くのも無理はない。
すると、ネオンが三人の下へと小走りで近づいてきた。何事かと思い、三人はすぐに視線をジェラルドからネオンへと移す。
ネオンが三人の近くで立ち止まり、そして勢いよく頭を下げた。無言で行われたので、ザウバーは少々の驚きを思わず表情に出した。
「ザウバーさん、コウさん、リーゼさん……! この間は、こんな僕を助けてくれて本当にありがとうございました! パパとママとは離れちゃったけど……リーゼさんたちと一緒なら――」
すると、リーゼが頽れた。その音に驚いたネオンは思わず頭を上げて彼女の方を見る。ザウバーは隣でいきなりへたり込んだ彼女を介抱しようとしゃがみこんだ。
リーゼの両目からは、大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。嗚咽を漏らして泣きながら、驚いた表情のままのネオンをじっと見つめ続ける。
「よかった……ネオン君が……無事で……。また会えるなんて――」
リーゼは短く言葉を紡いだ後、号泣し始めた。今までネオンに表現したかった感情が堰を切って溢れ始める。ザウバーはそれを見て彼女の気持ちを察し、今までの苦労をねぎらうかのように背中を擦って彼女に向かって微笑んだ。
「リーゼ……さん?」
突如泣きだしたリーゼを見て、ネオンは困惑しっぱなしである。ただザウバーとリーゼを交互に見ることしかできない。
「リーゼは、君が軍に連行されたときも怒ったり泣いたりしていた。君のことが本当に心配だったんだ。だから君が無事で本当に良かったと思っている。ここにいる誰よりも、だ」
ザウバーが喋ることのできないリーゼに代わってネオンに説明をした。その説明に、リーゼは泣きながら何回も頷いていた。
ザウバーのその言葉に、ネオンは言葉を失った。どうして親をはじめとした町の人たちから疎まれている自身をこんなにも大切に想ってくれるのか、何かがおかしい自身にどうしてこんなにも親身に接してくれるのか――彼の中で疑問は尽きなかった。
しかし、それらを尋ねるよりも先に、ネオンは顔をくしゃくしゃにして涙を流し始めた。リーゼの真摯で温かい気持ちが彼の心に届いた瞬間だった。
ありがとうございます、と繰り返し言いながら、リーゼの傍に寄り添ってともに泣き始める。ザウバーは寄り添ってきたネオンの頭も優しく撫で始めた。
二人が落ち着くには、暫くの時間がかかった。
漸くリーゼとネオンが落ち着くと、ジェラルドがリーゼたちをソファに案内して座らせた。彼女らと向かいのソファにジェラルドが座り、話が始まる。
「まずは、任務の成功ご苦労だった。報酬は兵糧部の財務管理課に預けてあるから、あとで取りに行きなさい」
三人は大きく頷く。特にリーゼは、初めて手にする百万アールの札束を想像して胸を躍らせた。
「ありがとうございます。また難儀なことがあれば、何なりと」
ザウバーが微笑みながら言うが、その言葉を聞いたジェラルドの表情が曇り始めた。
「……どうなさったのですか?」
訝しんだザウバーが問う。するとジェラルドはため息をついた。
「実は、君たちに伝えたいことがある」
「何でしょうか?」
するとジェラルドは姿勢を正した。それにつられるように、四人も姿勢を正す。
「君たちが首都に不在の時に決まったことなんだが……傭兵の活動が大幅に制限されることになった」
その言葉に、リーゼとザウバーは目を丸くしてジェラルドを見つめ始める。
「どうして……」
リーゼが思わず漏らした言葉にジェラルドは反応し、彼女の方を見る。
「君はよく覚えているだろう。レノという傭兵を」
彼女はレノの名前を聞き、先の任務での壮絶な戦いを思い出した。不気味に笑って攻撃をしかけたり自身の攻撃を受け流して反撃したりした彼を、彼女は決して忘れていなかった。
「そいつが……どうしたんですか?」
「彼は政府の人間ではない者に雇われたと証言した。その言葉がきっかけとなって議会が論争になってね。傭兵は金さえ払えば政府の管理という首輪を外して何でもするという結論に至って、政府が傭兵の活動を制限してしまったんだ」
「そんな……」
まさかあの男の行動が後になって自身たちを苦しめることになるとは――リーゼは悔しそうに唇を噛んで俯く。
「できることといえば、人探しやお遣いといった雑用だけ。戦闘行為や要人の護衛といったことは全て国軍の管轄になってしまった」
「国軍の管轄……」
「国軍の兵士も優秀で、装具を使いこなしている者がいることは知っているだろう。実際、この提案は兵糧部の連中がしたものだ」
すると、ザウバーがため息をついた。リーゼが思わず彼の方を向く。
「大方、奴らが軍の面子を傭兵に潰されないようにしたんでしょう。それか国軍の予算を増やしたいか」
ジェラルドが厳しい顔をして頷く。リーゼには政治的なことが分からなかったが、自身の収入が減り村に入れることのできる金が減ってしまうことだけは実感していた。そう考えると彼女も段々顔が暗くなっていく。
「兵糧部の中にも、軍を主導に置く派閥と傭兵と国軍を柔軟に使い分ける派閥が存在する。その前者のトップがジェイ・トロナードという男だ。奴は若くて頭が切れるが、危険すぎる」
「……危険、ですか?」
リーゼが顔を上げてジェラルドに問う。ジェイという男を彼女は全く知らないが、その男が傭兵の活動を制限させたのだと察し、興味を持つようになった。
「ああ。奴はマイアを軍事的に転用する実験を繰り返している。装具を超える兵器を生み出し、軍事的にこの国を拡張するためにな」
「呆れますね……。装具を超える兵器なんて、『純粋装具』しかありませんよ。その純粋装具も、今では多くが失われているらしいですし……」
「奴らはその純粋装具を量産しようとしているんだ」
ザウバーはジェラルドの言葉に驚き、その後呆れたように深くため息をついた。
すると、話にいよいよ付いて行けなくなったリーゼが挙手をして周りを注目させる。案の定、ザウバーとジェラルド含む四人は彼女の方を向いた。
「あの……『純粋装具』ってなんですか? 確か、レノもそんなことを言っていた気がするんですけど……」
リーゼが手を降ろすと、ジェラルドが口を開いた。
「純粋装具というのは、マイアスのみで作られた武器のことだ。古い記録によれば、これらは装具とは比べ物にならないほどの力を発揮し、地形や気候すら変えてしまう代物らしい。勿論、身体への負荷も装具以上だ」
リーゼは絶句しジェラルドの話に耳を傾けていた。ネオンもまた興味深そうに話を聴いている。このような力が簡単に手に入るのは凄まじいことだが、この国を拡張するために用いるという目的にはリーゼは賛同しかねていた。彼女は装具の力を身をもって体験している。装具ですらマイアの力が強いのに、それより強大な力を多くの軍人に広めるのは危険すぎる――彼女の頭の中ではそのような結論に至った。
「……私は、反対です。こんなもの普及させたら、確かに危険です!」
リーゼの意見を聞き、ジェラルドは微笑んだ。隣にいるザウバーも笑みを浮かべる。
「私の考えに賛同してくれて嬉しいよ。私は議会でなんとかやってみる。私たちが奴を止めよう」
「お願いします!」
リーゼの表情は、凛としたものになっていた。ジェイという男を止めることができれば、傭兵の権利もおのずと向上するだろう――彼女は一筋の光を見た気がした。
すると、先程とは一変してジェラルドの表情が柔らかくなる。四人はそれに注目する。
「さて、『白銀の弓矢』にもう一つ伝えたいことがある」
「何でしょうか?」
ザウバーが尋ねると、ジェラルドはネオンの方を見た。
「この子を暫く君たちで保護してくれないかね? と言っても、私がこの子を既に『白銀の弓矢』に入れたんだが」
リーゼたちを、沈黙が襲う。呆気に取られている三人の横で、ネオンは恥ずかし気に笑みを浮かべている。
そしてリーゼとザウバーは、仰天して思わず大声を上げた。コウは無言でネオンを見つめているだけである。
「ど、どういうことですかっ」
「そのままの意味だよ。ここに居させるのもこの子の居心地が悪くなりそうだし、君たちのところならばこの子にとってもいいんじゃないかと思ってね。本人も、是非よろしくお願いします、と言ってたよ」
ジェラルドの言葉を聞いても、リーゼは信じられないという風にネオンを見つめていた。ネオンは恥ずかしそうにして『白銀の弓矢』の面々の方を向く。
「訳あってこうなってしまいましたが、どうかよろしくお願いいたします。できることは何でもします!」
ネオンが頭を下げると、漸く我に返ったリーゼは嬉しそうに微笑んだ。
「これから一緒に住めるなんて……信じられないけど、私は凄く嬉しい! よろしくね、ネオン君!」
リーゼが太陽の光のような暖かい微笑みを向けると、ネオンは顔を真っ赤にして俯いてしまった。それを見てリーゼは更に笑った。
そんな二人を見て、ザウバーは苦笑しか浮かばなかった。楽しそうにしているのを見ると『保護』という名目を忘れかけているリーゼを窘めることができない。今は二人の自由にさせてあげよう――彼はそう思ったのだった。




