後処理は知らぬ間に
リーゼが目覚めたのは、獣の駆除と首謀者の討伐が終わった翌日の朝だった。彼女は白いシーツをかけられて幅広のベッドに寝かされていた。
重い瞼を時間をかけて開け、未だに鋭い痛みを発する右手を掲げると、そこには包帯が幾重にも巻かれていた。少し血が滲んでおり、包帯越しからでも痛々しく映っている。
更に彼女は、左の脇腹への異物感も覚えた。触ってみると、そこには乾いた布が貼ってあった。レノに斬られた傷にあてがわれていることを察したリーゼは、すぐにそれを触るのを止める。
リーゼは、こうして自身が気を失っている間に治療されていることに安堵した。自身がこの激しい戦いから生き延びたことを、初めて実感しようとしていた。
しかし、リーゼはすぐに頭を働かせようと目をパッチリと開けた。
彼女の頭は、起きて間もないのにもかかわらずネオンのことを考え始めていた。気を失って以降の彼は無事なのだろうか――それだけが彼女にとって気がかりなことだった。彼女は身体を起こそうとシーツをどけようとする。
リーゼが完全にシーツをどけた。温もりから一転して、部屋の冷たい空気に曝される。リーゼは短く身震いしながら、至る所から痛みを覚える身体を起こし、ネオンに会いたいという一心でベッドから出ようとする。
すると、リーゼは隣に何かを感じた。すぐに其方へ目をやる。
そこには、安らかに寝息を立てているコウの姿があった。
リーゼは目を見開き、朝にもかかわらず女の子らしい悲鳴を上げた。それを聴きつけて、ザウバーが駆け付けたのは言うまでもない。
「……俺はリーゼの見張りを頼んでいた筈だが」
「どうしても眠かった。だから寝ちゃった。……ごめん」
呆れるように言うザウバーに、コウは相変わらずの無表情で謝罪した。その横で、リーゼが顔を真っ赤にして怒っている。その憤怒も意に介していない風に、コウが彼女の方を向く。
「ごめん」
「『ごめん』じゃないっ。まさか私の身体目当てで入ったんじゃないでしょうね!?」
コウはリーゼが何故怒っているのか分からずにこてんと首を傾げた。リーゼは彼を殴りつけたくなる衝動に駆られたが、ザウバーがいる手前なのでそれはぐっとこらえた。
「……まあまあ。こんな結果にはなったが、こいつはお前のことを守ってくれてたんだ」
「……そりゃあ感謝の気持ちはあるけど」
苦笑するザウバーに、リーゼはぶっきらぼうに返す。怒りは幾分か収まっていたが、コウの方は見ないようにしている。
すると、リーゼは思い出したように目を見開いてザウバーの方を見始めた。
「……ネオン君は? ネオン君は何処へ行ったの?」
自身にとって一番重要なことを、リーゼは必死な眼差しでザウバーに問うた。見たところ、この場にはザウバーとコウと彼女の三人しか集まっていない。その場にネオンがいないことは不自然だと彼女は考えていた。
しかし、ザウバーは眉間にしわを寄せた。リーゼは呆然として彼を見る。
「……どうしたの?」
「リーゼ。これから俺の話すことをよく聴いていてくれ」
ザウバーはネオンに関すること――リーゼが寝ている間に起こった出来事を話し始めた。
――リーゼが気を失った後、ザウバーとコウはレノが倒れているところで待機していた。
レノが付けていた手袋を外し――それが彼の用いていた『装具』だった――、折れた短刀を森林へと放り投げ、彼の無力化を図る。結局その間、レノが目を覚ますことは無かった。
ザウバーとコウは、今後のことを考えていた。レノの処遇やネオンの処遇等、考えることが山積みであった。
すると、コウが何かに気付いたようにふもとの方を見つめ始めた。ザウバーはコウの様子の変化に気付く。
「コウ、どうした」
「……何かが、来る」
ザウバーはコウの言葉を聞いた後、やって来る者達の足音の多さに気が付いた。そこで彼は安堵のため息を漏らした。
「どうしたの?」
「喜べ、コウ。軍の奴らがやって来たぞ」
ザウバーの口角が上がる。コウは訳も分からずザウバーの顔を見つめているだけである。
すると、ザウバーの言葉通り、兵士と思われる人達が遠目から見え始めた。一人がザウバー達を見つけたようで、何かを言った後に駆け付け始めた。一人が駆け出すと、残りの全員が走り始めた。
「いたぞ!」
ザウバーの耳に、兵士の声がはっきりと聞こえた。彼は安堵の表情で兵士の到着を待っている。
その数分後、ザウバーたちは国軍の兵士たちに保護され、レノは彼の装具ごと別の部隊に連行された。
ザウバーは兵士たちに連れられ、ルシディティの軍事施設に収容され、何が起こったのか尋問を受けていた。その場にはコウとネオンはおらず、ザウバーはコウにリーゼを守っているように頼んだ。
尋問が進む中、ザウバーが若い男の尋問官に何故こんなにタイミングよく兵士たちが駆けつけてくれたのかを問うと、爆発音がしたので駆け付けたと答えた。
「傭兵。あの爆発音は何だったんだ?」
今度は逆にザウバーが問われた。彼は少し考える素振りを見せる。
「俺はその場から離れていたから詳しくは分からないんだが、あのレノっていう首謀者と俺の仲間が戦っている最中に、その方向から聞こえてきた」
「一体誰が起こしたんだろうな……。心当たりは?」
「……見当がつかない。俺の仲間はとてもそんな力を扱えるとは思えないし、レノは見たところ食らっていた側だから違うと思う。あいつはマイアの扱いに長けていると思うから」
ザウバーが推理していると、彼の頭の中にもう一人の人物が浮かび上がった。その時レノに人質に取られていたネオンである。彼のことを思い出していると、ザウバーはその爆発に繋がるかもしれないエピソードにたどり着いた。
――この首飾りを触った人……皆やけどしちゃって……
ザウバーはネオンの言葉を思い出した。彼はそれを聞いたとき、膨大な量のマイアの暴発と解釈した。もしかしたら件の爆発もそうなのかもしれない――彼が心中でそう解釈した時、部屋に一人の兵士が大声で断りを入れて入ってきた。
「どうした?」
尋問官とザウバーが怪訝な表情で一人の兵士を見る。
「ネオン・オレカのことなのですが」
「あの救出された子供か?」
「はい。ご家族の要望がありまして……その子を施設まで隔離してほしい、と。他の町民も口をそろえてそう言っているそうです」
兵士の言葉に、尋問官は腑に落ちていないような顔をして二度頷いた。対してザウバーは絶句して、兵士を凝視する。
「……少し伺ってもよろしいでしょうか」
「何だ、傭兵」
「どうしてその子を隔離する必要が……」
ザウバーは言葉を絞り出すようにして兵士に質問をする。それに対し、兵士は言葉に詰まったような顔をして首を傾げた。
「自分は下っ端なのであまり詳しいことはよく分からないが……、我々にこの町の住民から激しい要望が来たことは確かだ」
兵士が言うと、今度は尋問官がザウバーの方を向いた。
「……一体ネオンという子供に何があった? もし知っていたら我々に教えてくれないか、傭兵」
「……心当たりなら、あります」
「本当か? では、話してくれ!」
尋問官が身を乗り出すように語気を強め、報告しに来た兵士はすぐに部屋から出て扉を閉めた。ザウバーは一抹の罪悪感を覚えながらも、ネオンが自身らに話してくれたことを話した。
ネオンへの、精一杯の擁護も含めて。
全てを話し終えたザウバーは、嘘を言っていない――少なくとも彼はそう思っている――のにもかかわらず身体から嫌な汗が噴き出る感触を覚えていた。話を聞いていた尋問官は茫然としながらも、何か納得がいったかのように頷く。
「なるほど……そいつは装具の一種かもしれないな。望んでいないとはいえ、危害を加える存在ならば我々で保護して調査する他ない」
「……そうですか」
「折角救出してもらったところ、こんな扱いをしてすまないと思っている」
尋問官から謝罪の言葉を貰ったザウバーだったが、彼の心の中は雲と霧で満たされていた。
傭兵は政府から雇われている立場なので、政府の直属の組織である軍には従わなければならない。なのでザウバーは彼が――彼の傭兵団が――持っている情報を全て政府やそれの関係者に提供しなければならないのである。
それでも、彼がそうしたことによってネオンがこの町の住民の憎しみや怒りを一身に背負ってここから出ていく羽目になった。傭兵が町民はともかく軍を説得することは叶わない。すなわちネオンは町の人々から――彼の両親からでさえも――受け入れられるチャンスを失った。そのことはネオンにとって非常に大きな傷になるに違いない。
そして、ネオンはリーゼからも引き剥がされた。そのことは本人にとっても、リーゼにとっても大きな傷になるだろうとザウバーは考えた。
しかし、これは彼女に説明しなければならない。ザウバーは尋問官が立ち上がって部屋から出るのを見ながら、重苦しい心の中で一つの決断をした――
沈鬱な表情で話し終えたザウバーを、リーゼは目を見開いて口を手で覆いながら最後まで聴いていた。よほどショックだったのか、心臓が暴れているのを彼女は感じている。
「すまない……リーゼ」
「大丈夫。ザウバーは悪くない」
予想外の答えが返ってきて、ザウバーは驚いた表情を見せた。リーゼは俯いており落ち込んでいるような表情だが、怒りは見えない。
「傭兵っていうのはこういう仕事なんだなって、私は理解してる。だからザウバー一人で話を進めたのは責めない。私がいたら、絶対話が進まなかっただろうから」
呆然としているザウバーを尻目に、リーゼは話し続ける。
「でも」
そう言うと、リーゼは唇を噛み締めた。
「なんで事件が終わったのに……ネオン君は悪くないって決まったのに……っ、ここの人達は、ネオン君を遠ざけようとするの? こんなのおかしいよ!」
リーゼは、俯きながら大粒の涙をこぼしていた。両手で拳を強く作り、肩を震わせている。
彼女にとって、ネオンがルシディティの人々に受け入れられなくなることは非常に悔しいことだった。ただの町民はおろか、ネオンの家族からも邪険に扱われることは、我慢のならないことだった。
「リーゼ……非常に残念だが、この措置は覆らない」
「そんな……。今からでも説得することはできないの? 町の人を説得できれば、ネオン君はこの町に帰ってこれるかもしれない!」
彼女はネオンのことを諦めきることができなかった。なんとか説得して今までのことを赦してもらおうと考えていた。必要ならば自身が出向いて呼びかけることも彼女は考えている。
しかし、リーゼの涙ながらの嘆願に、ザウバーは首を強く横に振って答えた。リーゼが呆然としてザウバーを見つめる中、彼は心底悔しそうな顔で彼女と向かい合う。
「町の人をもし説得できたとしても無理だ……。軍の人間がネオンの首飾りに目を付け始めたからな」
「首飾りに……」
「こうなると簡単には返してはくれないだろう。俺たちは、諦めるしかない」
リーゼは少しの間固まっていると、頽れて膝を床に付けた。首飾りの話が出たということは、ネオンのことについてもザウバーは話したのだろうと彼女は察し、今の彼女はザウバーを恨みたくなっていた。
しかし、彼女はその様なことはせず、やり場のない思いを洗い流すようにその場で声を出して泣き始めた。それを止める者は、誰もいなかった。
一週間が経ち、リーゼの傷は殆ど塞がっていた。しかし、脇腹に受けた傷は完全には元のような状態には戻らず、いくらか跡になっている。
リーゼ達は身体の傷が癒えたタイミングを見計らい、ルシディティを出ることにした。ジェラルドに報告することが山ほどあり、報酬も受け取らなければならない。ザウバーたちはリーゼの状態が良くなるまで、いつでも町を出られるように少しずつ身支度をしていた。
町を出るとき、リーゼ達はルシディティの町長や町民から賞賛や感謝の言葉を受け取った。それでも、ネオンを追い出した人達からこのような言葉を貰ってもザウバーは作り笑いを浮かべることしかできなかった。特にリーゼは、町民から感謝されたり握手を求められても沈鬱な表情でそれを受け取ろうとしなかった。
三人の間に重苦しい雰囲気が漂う中、馬車は首都を目指して出発した。




