装具の力
二人の刃が、光の粒をまき散らしながらぶつかり合う。
レノの短刀は、今度はリーゼに向けられていた。瞬時にファルシオンでガードした彼女は、その一撃の重さに顔を顰めながらもなんとか耐えてそれを押し戻す。マイアを纏うと、彼が持っているごく普通の護身用の短刀でもこのような重みと力を発揮することができるのか――彼女は心中で感心しながらも、次の一撃に備えてネオンの腕を引っ張りバックステップで距離を取る。
「逃げても無駄だよっ」
レノは全力で大地を蹴り、瞬時にリーゼたちとの距離を詰める。短刀を横に薙ぎリーゼの首を掻っ切ろうとするが、彼女はそれを躱した。リーゼの目の前には、マイアの粒子でできた白い軌跡が残っている。
レノの追撃は止まらない。彼は不気味に笑うと、今度も一直線にリーゼたちとの距離を縮めてきた。
レノは、リーゼがネオンを庇いながら戦闘していることを理解していた。適当に追い回していけば装具を持っていない者などすぐにマイアの餌食だ――余裕綽々の気分でリーゼと刃を交える。
刃が刃を弾く甲高い音が幾重にも響く。リーゼはネオンの盾のように陣取り、ファルシオンを使ってレノの連撃を防御するのに精一杯である。この不利な状況をなんとか打開するにはどうするかを彼女は考えながらネオンを守り続けていた。
――どうする? どうする……!?
「リーゼさん!」
ネオンの声が聞こえた直後、刃同士が激突しリーゼとレノはつばぜり合いとなった。苦し気な表情をするリーゼはネオンの方を振り向きたい気持ちで一杯だったが、目の前に自身を殺そうと躍起になっている相手がいるのでそれが叶わない。
「ネオン君!?」
「……ごめんなさい! 僕がいると、リーゼさん、邪魔、だよね?」
「そんなこと――」
リーゼが言葉を続けようとした途端、彼女のファルシオンが弾かれた。レノの口角が更に上がる。
「人の心配してる場合?」
次の瞬間、レノがリーゼのがら空きな腹に左脚で蹴りを入れた。
レノの足が腹に食い込み、リーゼの息が止まり視界が真っ暗になる。その一瞬後には、彼女は後ろにいたネオンとともに後方に吹き飛ばされていた。リーゼは激しく咳き込んで地面に倒れ伏し、ネオンは吹き飛ばされた衝撃で地面に頭を打ったのか彼女の隣で後頭部を抱えて蹲っている。
「これが僕と君の差だ」
レノは微笑んで彼女たちににじり寄っていくが、言葉からは背筋も凍るような冷たさが露出している。
再び短刀を構え、それを振り上げる。確実に仕留められるように、その先は頸を向いている。
「調子に……乗るな!」
リーゼが掠れた声を振り絞り、ファルシオンをレノの脚へと振り回した。レノから笑みが消え、彼は咄嗟に飛び退いて回避した。リーゼはそれを見るなり咳き込みながら立ち上がり、すぐさま蹲っているネオンを介抱する。
「大丈夫!? 返事して!」
リーゼが大声で呼びかけると、ネオンは固く閉ざしていた瞼を開けてリーゼの顔を確認した。
「……大丈夫だよ。頭は少し痛いけど」
「ごめんなさい……。私がちゃんとしてないから――」
リーゼが泣きそうな顔でネオンに詫びるが、彼は微笑んでいた。それを見て彼女は更に泣きそうになるが、なんとか涙だけは堪えようとする。
「ううん。僕がリーゼさんの邪魔をしないようにするよ」
「……邪魔だなんて思ってない。でも、貴方はここから逃げた方がいい。こいつに殺される」
「それじゃリーゼさんは――」
ネオンが言いかけたその時、またも刃同士がぶつかる音が響き渡った。レノは相も変わらず余裕の表情で短刀をリーゼに向け、リーゼはそれを懸命に防御している。
「私は大丈夫。きっとこいつを倒す!」
「目の前で無駄話なんて、余裕あるね!」
レノが短刀を押し通す力を強めたが、リーゼは歯を食いしばってそれを受け止めたまま微動だにしていない。
「あんたを倒す! この事件を終わらせる!」
「やってみなよ。どうせ二人とも僕に殺される運命だけどねぇ!」
二人の刃が、弾かれた。
『ドラゴン』はザウバーとコウを尻目に暴れまわっていた。爪を突き刺せば硬い大地をいとも容易く抉り、尾を振り回せば暴風が巻き起こり瓦礫が砕かれる。その中で二人は完全に逃げに徹していた。二人はこの状況を勿論望んでいる筈がないが、そうせざるを得ない状況なのである。
ザウバーの二挺拳銃はおろかコウの剣の一撃も弾かれてしまう。攻撃が通りそうな部位を探そうにも、『ドラゴン』はめまぐるしく動き回り彼らに弱点らしき部分を曝け出さない――そもそも弱点らしきところが彼らは見当もついていないのだが――。
このまま何もしないとじわじわと削られて終わってしまう――ザウバーの心の中に初めて危機感が生まれた。コウは無表情を貫いているが、攻撃が通らないので珍しく焦るような素振りを見せる。ただがむしゃらに剣を振るい、必死に鱗を破ろうとしている。
「コウ!」
ザウバーが叫ぶが、コウには聞こえていない。目の前の倒すべき敵に集中し過ぎて指示が入らない。ザウバーは小さく舌打ちをし、『ドラゴン』の側面に移動してコウと合流しようとする。
「コウ! 一旦こいつから離れろ! ただ攻撃してもダメだっ」
ザウバーが走りながらコウに大きな声で呼びかけると、コウがやっと反応してザウバーの方を向いた。キョトンとした顔で此方を見ているが、疲れている様子は一切ない。
しかし、敵は微塵も手を緩めない。その場で停止したコウの方を素早い動作で向き、左前脚でザウバーごと薙ぎ払おうと振りかぶった。
「まずい――!」
ザウバーとコウは咄嗟に跳びあがりそれを間一髪で避けた。しかし、薙ぎ払った後に暴風が巻き起こり、バランスを崩した二人は地面に叩きつけられて転がってしまった。コウがすぐにすっくと立ち上がり、ザウバーに手を差し伸べる。
「……お前は頑丈だな」
「まだ来る」
ザウバーが苦笑しながら軽口を叩いたのも束の間、『ドラゴン』が二人めがけて突進し始めた。口を大きく開けて唾液をそこら中にまき散らしながら猛進している。二人は何とか敵の餌にされまいとすぐに回避した。
――どうする? 奴に弱点は……。
ザウバーが息を切らしながら『ドラゴン』を凝視する。灰色の堅牢な鱗に覆われ、前脚や尾から繰り出される一撃は当たれば致命傷。その上疲れ知らずである。二人が勝てる算段は今のザウバーには思いつくことができなかった。彼の隣にいるコウは相も変わらず臨戦態勢で、ブロードソードを敵の前に構えている。
すると『ドラゴン』が吠え、前脚を高々と挙げ始めた。それから一秒と経たずにそれは地面に振り下ろされていた。地面が陥没し瓦礫が宙を乱舞する中、二人は後退して避ける。
「早くなんとかしないと……」
ザウバーが呟くと、コウが砂煙の中を突っ切ろうと勢いよく飛び出した。ザウバーが気付いたころには、彼は既にその中へと消えていた。
「コウ……!」
砂煙が晴れるのを待たずに、ザウバーも前方へと走り始める。
今できることは、なんとかして『ドラゴン』の弱点を探すことである――ザウバーは希望を捨てず、目の前の強大な敵へと突っ込んでいった。
ザウバーたちが『ドラゴン』に押されている一方で、リーゼもまたレノの猛攻を耐え凌いでいた。
レノが繰り出す短刀の一撃は重く、受ける度にバランスを崩さないように身体全体の力を入れなくてはいけない。その上レノの素早い連撃が襲い掛かるので、リーゼは攻撃の機会を窺いつつ致命傷を避けることしかできなかった。
しかしただ一つだけ彼女を取り巻く状況には違いがある。ネオンを逃がしたのだ。と言っても、彼はどうしてもリーゼのことが心配なので遠くから見守っているが。だがその影響か、彼女はより自由に動くことができている――勿論、ネオンからは目を離さずに、である――。
「いい加減倒れなよっ!」
レノは未だに笑みを浮かべながら攻撃を繰り出しているが、言葉には苛立ちが紛れている。リーゼのマイアを纏っていないファルシオンの刃を削るように、マイアを纏った短刀の刃をぶつける。
「誰が倒れるものですか!」
リーゼも負けてはいない。防戦一方だが、相手の言葉に怒気がこもっていることに気付き集中力を切らそうと考える。問題は彼女の体力と武器がどこまで保つのか、だ。
ファルシオンを持つ手が痺れ始める。リーゼは顰め面をしながらレノの攻撃を防いでいた。このままでは集中力を切らさないうちに自分が斬られる――リーゼは一旦バックステップで距離を取る。既に彼女は息を荒くし、額には玉のような汗がびっしりと付いていた。
「あれぇ? どうしたの? かかってこないの?」
「……うるさい」
レノがへらへらした顔で挑発じみた言葉を投げかけたが、リーゼは動じない。呼吸を整え、再び走り出す。
今度はリーゼが積極的に相手に向かって攻撃を仕掛け始めた。同じように短刀を振り回すレノを薙ぎ払うように力強くファルシオンを振るう。
「マイアが無くても!」
リーゼは叫び、刃を果敢にレノの身体へ届かせようとする。その度にマイアを纏った短刀とぶつかり合い、甲高い金属音とともにマイアの粒子を飛び散らせる。手の痺れはもはや感じず、彼女はレノを倒すことだけを考えてファルシオンを振り続ける。
ファルシオンは短刀よりも刃が長い。なのでそのリーチを活かすことができるとリーゼは戦いの中で考えた。現にそれが今は上手くいっており、レノはリーゼの刃を防御することしかできていない。
その中で、レノの勝ち誇ったような笑みが消え始めた。はじめはリーゼをおちょくるように常に見せていたが、彼女が果敢に突進していく中でそれを出していく余裕がなくなっていた。歯を食いしばりながらファルシオンを受け止めることしかできない様子には、以前のようなレノは既にいなくなっていた。
そのことはリーゼも何十合と刃をぶつけ合っているうちに薄々気付くことができた。今自分は押している――彼女は確信し、あと一歩を踏み出すタイミングを必死に模索していた。
リーゼがファルシオンを横に薙ぐと、流石に苦しくなったのかレノが後方に飛び退いた。それをリーゼが見逃すはずがない。
「待て!」
リーゼが後退するレノを追いかけて走る。絶対に彼を逃がしてはならない――彼女の頭の中にはそのことしかなかった。
レノは着地するとすぐに大地を蹴って勢いよく前進した。弾丸のようにリーゼの真正面に向かい、彼の刃は彼女の首に向けられている。それにもリーゼは瞬時に反応し、その一瞬後には金属同士がぶつかる音が強く響く。
刃同士が弾かれる。両者はすぐに体勢を戻し、武器を構えて次の一撃を繰り出そうとする。
しかし、レノの様子がおかしい。短刀を今まで持っていた手とは逆の手で持ち直したのだ。更に刃を地面と平行になるように武器を構えている。そして彼の口角は上がっていた。
――……一体何のつもり?
レノの変化に、リーゼは訝しんで彼を睨みつけながらファルシオンを構えるだけに留まった。一転して、両者の間を静寂が包み込む。瓦礫に隠れながらリーゼの戦いを固唾を呑んで見つめているネオンも黙ったままである。
じり、と、レノの足元から音が聞こえた。彼の手元に集中していたリーゼはこの音を聞き逃さなかった。
リーゼが獲物を狙う蛇のように視線を鋭くさせた刹那、彼女はレノの腹へと踏み込んでいた。動き出す前になんとか無力化させなければ――その一心で彼女は動きだす。
「これだ」
レノがぼそりと呟く。不気味な笑みを湛えながら。
リーゼはファルシオンの刃をレノの腹へと突き出していた。それをレノは短刀で防御する――ことはしなかった。
レノは短刀の刃をリーゼの刃に這うように沿わせその一撃を受け流し、鍔まで到達するとリーゼの腕は弾かれたように上がった。レノが押し戻したのである。
――しまっ……!
がら空きの胴に、短刀が鋭利な光をもって突き出される。
地面を、鮮血が汚した。




