最高傑作
『純粋装具』という単語を耳にしたザウバーは、己の耳を疑った。リーゼは何のことだかさっぱり分からずにザウバーとレノのやり取りを傍観することしかできない。勿論、怯えきっているネオンを庇うことは忘れていない。
「馬鹿な……! 純粋装具なんて代物が、今この国にある筈が――」
ザウバーが信じられないといった表情をレノに向けると、彼はその場で止まった。
「僕も初めは疑っていたんだけどね。依頼主が自信満々に言うもんだから、信じてみたくなったんだ」
レノは先程の邪悪な笑みではなく、子供っぽい綺麗な笑みを浮かべてみた。彼は夢想家なのだろうかとリーゼは思いつつも、引き抜かれた短刀を注視してファルシオンを構え続ける。
「……さっきの蛇はお前のしもべか?」
「ああ、あれ? あれは僕の力で大きくしてあげたのさ」
ザウバーに訊かれたことをレノは流暢に喋り始める。
「ネズミだって、イヌだって、みんなそう。僕以外がこの山の付近に立ち入ったら僕が困るからね。まとめてマイアを流し込んで操ったのさ! 『侵入者は排除しろ』って命令してね!」
レノはへらへらと笑いながら言っているが、リーゼは彼の所業に戦慄し、同時に彼女の中に怒りがこみ上げ始めた。彼の身勝手な行い――彼は任務だと自称しているが――のせいでルシディティの町民や国の軍人たちが傷つき、ネオンがあらぬ疑いをかけられて危険な獣が跋扈する山の近くに放り出されたのだから。
リーゼの隣で彼女の服の裾を掴んでいるネオンもまた、レノの言葉に愕然としていた。町の人たちを滅茶苦茶にした男が目の前に立っている――幼い彼でさえ、その事実でレノに怒りを覚えるには十分である。
「おっと」
突然、レノが口を噤み始めた。どうやら喋り過ぎたと今になって気が付いたようである。任務のことをべらべらと喋ってくれたおかげでザウバーはこの事件の全容を把握しかけていた。
レノが『純粋装具』を見つけ出すためにレアフォーム山に入り、調査を開始した。その際に邪魔が入ると困るため、ウルヴ山に生息している野生の獣を何らかの方法で操り狂暴化させて、山に入った人々を次々に襲わせた。軍隊でも手が付けられなくなったため、『白銀の弓矢』が呼ばれて獣の討伐と原因の解明を命じられた――。
しかし、まだザウバーの中にはこの事件に関する疑問が残っていた。それでもそれを尋問する時間がないことを彼は悟った。
レノが、短刀を握っている右手を虚空に高々と挙げ始めた。不敵な笑みを崩すことなく、その姿勢のまま動こうとしない。武器を振り上げる姿勢を取ったので、リーゼたちは一層警戒して武器をレノへと向ける。特にコウは今にも跳びかかって相手の身体を貫こうとする意思を見せている。
「これ以上僕の邪魔をするの? だったら容赦しないよ」
「どうせ獣を呼ぶんだろ? 諦めろ。俺たちは全部片づける。何匹呼んでも無駄だ」
ザウバーが構えている拳銃の銃口は、すぐにレノの頭を撃ち抜けるようにしっかりと定められている。それでも余裕の表情を崩さないレノをザウバーは訝し気に見つめ始める。
「何がおかしい?」
「ねえ……こんな『獣』でも、君たちは片づけられるかい?」
すると、レノが装着している右の手袋が突如光り始めた。光っているのは埋め込まれている透明な石のような物体で、リーゼとネオンは驚愕して見つめていることしかできない。
刹那、コウがリーゼたちの傍から突如姿を消した。彼女たちが気付かぬうちに彼はレノの目の前まで迫り、ブロードソードを振り下ろしていた。
「おっと危ない!」
レノは右手で構えていた短刀でコウの一撃を反射的に防御した。甲高い金属音が周りの空気を震わせる。レノの顔から笑みが消え、ブロードソードの刃が彼の顔面まで近づいてくる。
このままでは危ないと思ったのか、レノが後ろに飛び退いてコウたちから距離を取る。その間にも右の手袋は光り続けており、コウは鋭い目つきでレノを追い始める。
「コウ! それ以上行くな!」
ザウバーがコウを制止する。明らかに怪しげな光で、彼は何か罠があるのではないかと勘繰り始めたのだ。コウはザウバーの言うことを大人しく聞き、元の位置へと戻る。
すると、ウルヴ山の頂の方から何やら重低音が聞こえてきた。木が割れるような乾いた音も此方に近づいてくる。コウが今度はその音のする方へと剣を構え始めた。リーゼとザウバーは何が起こっているのか分からずにコウとレノを交互に見始めるが、何か悪いことが起こっていることは確かに感じていた。
「今度は何だ?」
「今に分かるよ」
レノの楽し気な口調に、リーゼは苛立ちを募らせる。その間にも、身体全体を揺らすような重低音と木の枝が折れるような音は確実に此方へ近づいてくる。今までの獣とは何かが違うという漠然とした感覚を、リーゼは感じ取っていた。
「ほら、出ておいで! 僕の最高傑作!」
『最高傑作』は、突如樹木を薙ぎ倒しながら此方に現れた。
その姿に、リーゼとザウバー、そしてネオンは絶句した。
そこには、おとぎ話に出てくるような『ドラゴン』がいた。身体は異様に肥大化しており、全長はゆうにリーゼの五倍以上はある。堅牢そうな灰色の鱗に覆われ、血走った目は四人を視線だけで殺しそうな気を発している。
質の良いロングソードがそのまま取り付けられているかのように長く鋭い爪は、地面を容易く抉っている――その『ドラゴン』が通った道を見れば明確であった――。唸り声を上げ、四人を舐め回すように見つめる。
その獣は四足歩行でレノへと近づく。『ご主人様』へ反抗する様子は微塵も感じられない。レノは満足そうに微笑みながら凍り付いている四人に視線を向ける。
「びっくりしたでしょ? この山で捕まえたトカゲに一杯注ぎ込んだんだ!」
「……嘘でしょ? これが……トカゲ!?」
リーゼは腰を抜かしかけているが、寸でのところで留まっている。彼女はこのような巨大生物を子供の頃に読んだおとぎ話でしか知らない。それが現実に目の前に現れているのだから、このような反応しかできないのも無理はない。
すると、リーゼがザウバーに肩を突かれた。彼女が横目で見やると、彼は視線を使って何かを合図している。それが分からず、彼女は困惑するばかりである。
「……逃げろ」
「え?」
合図が伝わらなかったと見るやザウバーが小声でリーゼに指示を出す。それでも彼女は動けずにいる。
「この子を連れて逃げろ。後は俺たちが何とかする」
「そんな……無茶だよ! あの化け物は――」
「いいから!」
二人が小声でやり取りをする中、レノはこの様子を『ドラゴン』の頭を優しく撫でながら面白がって見ていた。
「んー? どうしたの? 作戦でも立ててるのぉ?」
レノが『ドラゴン』の頭から手を離した。同時に『ドラゴン』が四人を睨むように見つめ始める。
「そうはさせないよ。やれ」
『ドラゴン』が地鳴りのような雄たけびを上げた。その勢いと迫力にリーゼ達は吹き飛ばされそうになるが、辛うじて耐える。
「ネオン君! また走るよ!」
そして漸く、リーゼがネオンの手を引っ張りその場から走り去り始めた。全力で逃げようと、リーゼとネオンの二人は必死の形相で荒れ地を一直線に走る。
しかし、レノはそれを黙って不敵な笑みを浮かべながら見つめているのみである。『ドラゴン』は既に匍匐してザウバーとコウのもとへと走り寄っている。
ザウバーが二挺拳銃を乱射し、コウが敵の注意を引き寄せる。しかしザウバーが放った弾丸は全て敵の堅牢な鱗に阻まれてまともにダメージを与えていない様子である。苦虫を噛み潰したような表情で引鉄を引き続けるザウバーはコウを呼び寄せた。
「コウ! 俺が奴を引き付ける。その隙に斬ってくれ!」
「分かった」
無表情で返事をしたコウは飛び上がり、『ドラゴン』の頭めがけてブロードソードを振り下ろす。勿論コウに攻撃が向かないようにザウバーはマイアの弾丸を当て続けることを忘れていない。
剣の先端が、鈍い音とともに『ドラゴン』の脳天に突き刺さる――かに見えた。
コウが見た光景は、予想外のものだった。
「……通らない?」
『ドラゴン』の鱗はコウの一撃さえも通してはいなかった。彼の手には、痺れだけが残る。
「コウ! 離れろっ」
ザウバーが腹の底から叫ぶが、既に遅かった。
『ドラゴン』は頭を振り回し、コウを振り落とした。幸いコウは無事に着地し、ザウバーの隣に舞い戻った。
ザウバーはこの化け物を倒そうとなんとか策を巡らそうとしていた。しかし、コウの攻撃すら通らない強固な『盾』の前では彼の思考は途絶えそうになる。
ザウバーが考えている間に、敵は動きだした。『ドラゴン』が匍匐して移動し始めている。それも並大抵の速さではなく、彼らが対峙した野犬よりも速いとザウバーは感じた。
ザウバーとコウを包み込むように、大きな影ができる。『ドラゴン』が前脚を振り上げているのが見えた。太陽光が反射し、剣のような爪が鋭く光る。
二人は左右に避け、当たれば確実に致命的になる一撃を避けた。脚が振り下ろされた衝撃で岩が混じっている地面が容易く抉り取られ、瓦礫を周囲にまき散らす。その瓦礫に当たらないように二人は回避し続けるが、『ドラゴン』はザウバーに向けて次の一撃を繰り出した。
『ドラゴン』が爪でザウバーを薙ぎ払おうと前脚を横に薙いだ。それを彼は苦しそうな表情でバックステップで躱す。薙ぎ払いで起こった風で吹き飛ばされそうになるが、彼はなんとか踏ん張って姿勢を崩さなかった。
その隙に後ろに回り込んでいたコウは『ドラゴン』の後脚に攻撃を仕掛けようとそこへ走り寄る。敵を損傷させれば何かが変わるかもしれない――彼なりに考えた攻撃である。
しかし、彼の作戦は『ドラゴン』によって潰えた。
『ドラゴン』が後方にいるコウに気付き、その全長の四割近くある尾を力強く地面に叩きつけた。その一撃たるや凄まじく、地面を簡単に砕いて風圧でコウを吹き飛ばすほどである。コウは瓦礫とともに吹き飛ばされたが、辛うじて着地し瓦礫を軽いステップで躱す。
「コウ、大丈夫か!?」
ザウバーが叫ぶと、コウは遠くから手を振って無事をアピールした。それに胸を撫で下ろしたザウバーだったが、目の前の現状を見るとすぐに厳しい表情になる。
攻撃はコウの剣ですらまともに通らず、あちらからの一撃は全て致命傷になりかねない。隙があるかと思えばそんなことは無く、攻撃を避けたとしても手痛い一撃は断続的に飛んでくる。二人にとって絶望的な状況だが、これを乗り切らなければこの事件は終わらないことは重々解っている。
だが二人はもう一つ大事なことを見落としていた。
レノが、いつの間にかその場から消えていた――。
リーゼとネオンは化け物から逃げのびるために全力で走っていた。結局二人にその化け物を任せてしまったことは彼女は心残りに感じているが、今は目の前のネオンを守ろうと決心した。走り続けているので、彼女の心臓は今にも破裂しそうなほど高鳴っており、ネオンも既に体力の限界に達している。
今はネオンの体力を考慮して立ち止まっており、リーゼはファルシオンの柄を握りいつでも戦闘の準備をすることができている。
「……リーゼさん……、あの男の人が……」
「……来るの?」
またもやネオンがレノを察知した。後ろを振り向くと、遠くではザウバーとコウがあの化け物と戦っているのが見える。彼女は森林の方へ目をやる。ネオンは確かに森林の方へと指を差していた。
藪が揺れる音。
その一瞬後には、レノが不敵な笑みを浮かべて森から飛び出していた。彼の右手には短刀が握られている。
リーゼは咄嗟に剣を抜き、刃と刃をぶつけた。レノの一撃は、明らかにネオンを狙っていた――短刀の先が彼の首元に向かっている。
「……よく反応できたね。褒めてあげる!」
「うるさい!」
リーゼがレノを一喝すると、レノが一旦バックステップで距離を取った。
そこで、リーゼはこの男の一撃に違和感を覚えた。短刀での攻撃にしてはやけに重い。まるでコウの攻撃を受けきった時のように手に痺れを感じている。彼女はそれをおくびにも出さず、ただ目の前の敵を睨みつける。
するとリーゼは、レノの短刀の刃が異様に光っていることに気が付いた。
「まさか……マイア?」
「そうだよ。なんだか珍しそうだね」
リーゼは、レノが何らかの手段でマイアを短刀に纏わせて強化させていることに気が付いた。獣を狂暴化させた時と同じ原理なのだろうかと憶測していると、レノがリーゼに向かって吹きだした。
「何が可笑しいの?」
「君……もしかして装具を持ってないの? それで傭兵になったの?」
レノはその場でリーゼを馬鹿にするように笑い始めた。リーゼがムッとした顔を向けると、彼は更に腹を抱え始める。
「馬鹿にしないで!」
「馬鹿にしてるのはそっちの方だよ。装具を持ってなきゃ碌に任務なんかできないじゃない! 対人戦闘なんてもってのほかさぁ!」
レノは笑いすぎたのか一旦息を整えながらその場で短刀を構え始めた。リーゼはこの男には色々な意味で勝たなければいけないと心に深く刻み込んだ。
「僕が君に格の違いを教えてあげよう。もっともそのころには、君はズタズタに切り裂かれて間抜けな面で死んでいるだろうけど」
「……私だって傭兵よ。この子だけは守ってみせる!」
刹那、レノがリーゼに跳びかかった。




