姿を見せた男
リーゼ達は、ネオンを連れて下山し一旦町に戻るように進み始めた。だが再び獣だらけのウルヴ山へ入るのは危険すぎるとザウバーが発言したので、四人はレアフォーム山を下山する形で町に戻ることにした。
下山にはそれほど時間はかからないと踏み、リーゼ・ザウバー・コウの三人はネオンの体調を考えてゆっくりと進むことにした。特に彼のことを気にかけているのはリーゼで――その提案も彼女がしたものである――、喉の渇きや空腹といった身体の調子を少し歩を進めただけで尋ねている。ザウバーが過保護だと窘めても、彼女は気にする様子はなかった。
そんなリーゼにネオンはすっかり心を開いていた。更にリーゼのことを信頼したのか、ザウバーとコウのことも自身に危害を加え得る人間だとは思わなくなっていた――それでもコウには若干の恐怖心を感じているが――。
「あの……リーゼ、さん」
「ん? 何?」
リーゼ達の名前は、先程の一連のやり取りでネオンが覚えてしまっていた。リーゼはネオンに尋ねられ、にこやかに返す。
「あとどれくらいで町に着くの?」
「えーと……日が暮れる頃には着くと思う。だから安心して行こう!」
「うん!」
ネオンは満面の笑みでリーゼに頷いた。その笑顔は砂埃に塗れた顔であっても輝きを見せているかのように明るく見えた。リーゼは彼のそんな顔を初めて見たので、胸の内に自然と嬉しさがこみ上がってくるのを感じた。と同時に、彼の無垢な可愛さに少しばかり赤面する。ザウバーはリーゼの照れた顔を見て微笑んでいるだけで、二人の邪魔をすることは無かった。
四人が暫く歩いていると、彼らの前に人工物が見え始めた。この山を封鎖するための柵である。これを見てザウバーは、町が近いことを察した。
「もうすぐで町に着く。ネオン君は一旦リーゼと町に戻ってくれ。獣退治は俺たちがやる」
「え? それって――」
「ネオン君の側にいるのはリーゼが一番の適役だ。ここはこの子と一緒にいてやってくれ」
ザウバーはリーゼにネオンを任せることにした。彼は彼女のことを戦闘での足手まといとは微塵も思っておらず、寧ろ必要な役割としてネオンを守るという役目を任せている。彼女は彼の気遣いに気付いているのかいないのか分かっていない風に頷く。
ふとリーゼは、コウが剣の柄を握っていることに気が付いた。普段の空とぼけた顔ではなく、獣との戦闘の時に見せたような殺気を孕んだ表情になっている。彼の様子がおかしいことは、ザウバーも気付いた。
思わず四人が立ち止まる。
「……どうした、コウ」
「誰か、いる」
「私たち以外の誰かがいるってこと?」
不安そうにリーゼが尋ねると、コウは首を縦に振った。すかさずザウバーが二挺拳銃を抜き放ち、それと同時にコウがブロードソードを抜く。遅れてリーゼもファルシオンを抜き、怯えているネオンを庇うように位置取りを行った。彼女の手は少し震えている。
「そこにいるんだろ? 大人しく出てこい」
ザウバーが声を張り上げるが、反応は一切ない。ますます不気味な雰囲気になり、ネオンが目を強く瞑ってリーゼの袖を掴み始める。ザウバーが辺りを見回し始めるが、彼の視界に人影は映っていない。
「出てこい!」
ザウバーの声がより強くなる。それでも、彼の声が空しく響くだけである。
すると、コウが剣の切っ先をウルヴ山へ続く森林へと向けた。リーゼとザウバーは共に驚きの表情を向け、コウが指し示した方を凝視するのみである。
「……あっちに、いる」
太陽の光で切っ先が鋭く光る。リーゼとザウバーはコウが指した方へとすぐさま武器を向けた。
「……誰かいるんなら出てきなさい!」
リーゼも声を張り上げるが、傍から見ると虚勢を張っているようにしか見えない。
すると、森林の藪が音を立てて揺れ始めた。何かが飛び出してくることを確信し、三人はそれぞれいつでも動きで出せるような体勢を取る。
空気が漏れるような音が断続的に耳に入る。それだけで三人は今までとは別の何かが来ることを察した。
藪を突っ切って、三人に巨大な生物が襲い掛かる。
その正体は、子供であれば一呑みできるのではと推測できるほど大きいヘビだった。それが大きく口を開け、四人に突っ込んでくる。
「ひっ……!」
リーゼは真っ先に、ファルシオンを収めネオンを連れて走り始めた。ネオンの命を守ることは勿論だが、彼女はヘビ等の仲間の類が苦手なのである。
「リーゼ、そのまま走れ! あとは俺たちがやる」
ザウバーの声はリーゼには聞こえていなかった。ネオンが転げそうな速度で、ただ敵から逃げることだけを考えている。
ヘビは俊敏な動きでザウバーとコウに近づいてくる。鋭い牙を見せつけ、獲物を丸呑みにしようと大口を開けて突進してくる。まるで彼らが戦った野犬の突進のように速い。
ザウバーはヘビの真正面に立ち、二挺拳銃の引鉄を引いてマイアの弾を乱射した。しかし、ヘビの細身には命中する弾が少なく、当たった弾もあろうことかその鱗に弾かれてしまい決定打にはならない。
ザウバーは舌打ちをし、向かってくるヘビの一撃を軽々と避けた。マイアが凝縮された弾丸を弾くとは、彼にも予想外の出来事だった。
――どれだけ強化されてるんだ……?
ザウバーがもう一度銃をヘビに向けたその時、風を切るような音がした後ヘビの首が胴体と離れて地に呆気なく落ちた。その横には、無表情で剣を鞘にしまうコウの姿があった。当たり前のように化け物を倒してしまうコウに、ザウバーは苦笑を浮かべることしかできなかった。
「コウ……お前は本当にすごいな」
「……いった」
「え?」
コウがまたしてもぼそりと呟き、リーゼ達が走っていった方向を指さした。
「あっちに、いった」
そう言うと、コウは二人を追って走り始めた。ザウバーも慌てて彼に追随するようにして走る。
何がリーゼ達の方へ行ったのか――ザウバーは二人に追いつこうとスピードを上げた。
リーゼとネオンは、まるで命からがら逃げのびたかのように手を膝に付けて荒い呼吸をしていた。ここまで走れば問題ないだろうと考え、ザウバーたちからかなり離れた場所で一旦立ち止まったのである。
「……ごめんね……ネオン、君……」
リーゼはすっかり疲れ切っているネオンに向かって謝った。ネオンは彼女に大丈夫と言いたげな笑顔を見せるが、どう見ても無理している時のそれである。その笑顔を見てリーゼは彼に酷く申し訳ない気持ちを抱えてしまった。
すると、ネオンが突如顔を上げて森の方を凝視し始めた。リーゼが何事かと思い彼の前に立ち、再びファルシオンを抜く。
リーゼがネオンの顔を不安げに覗くと、彼の顔は上の空になっている風だった。口を半開きにして何かに視線を一点に集中させている。
「……ネオン? どうしたの?」
「……誰かがいる」
その発言にリーゼは目を丸くしてファルシオンを握る力を強くした――コウだけでなく、ネオンも反応したことには一切違和感を覚えずに。
リーゼが剣を握る力を強くすると、後ろから誰かが駆け寄ってくるような足音が聞こえてきた。振り向くと、ザウバーとコウが追い付いてくるのが見える。その姿に彼女は安堵し、幾分か力を和らげた。それでも意識は森の向こうに集中させている。
「リーゼ、まだ来るぞ。気を抜くなよ」
「分かってる。ネオン君が教えてくれた。この向こうに誰かがいるって」
「ネオンが?」
ザウバーは半信半疑な気持ちでネオンを見る。少年は先程のコウと同じようにただ一点を見つめていた。
「もうここにいることは分かっている。悪あがきせずに出てこい!」
ザウバーが声を張り上げるが、反応は無い。一斉に三人の武器が向けられ、いつでも迎撃できるような準備ができている。
「分かった分かった。仕方ないなぁ」
四人は確かに聴いた。森林から、若い男の声がしたのを。
次いで藪をかき分ける音が聞こえ、それに紛れて徐々に足音も聞こえてくる。三人は声の正体を慎重に推し量ることしかできなかった。
そして暗がりから、段々人の姿が現れ始め、いきなり高く跳躍し藪を抜けた。リーゼはそれを見上げるのみである。
「まったく……僕の任務を邪魔しないでくれない?」
男が森林を飛び出し、荒れ地の上に着地した。
切れ長の目から射るような視線を四人に向け、癖のない栗色の髪は耳を隠すほどに長く、痩せ型の身体は迷彩のような模様を施された深緑色の上下の服装によって覆われている。右の腰に当たる部分には、短刀が装備されている。
更にこの男には特徴的な装備があった。両手に付けている白い手袋である。
この手袋には、手の甲にあたる部分に輝く石のような物体が一つずつ埋め込まれている。それが第一にリーゼたちの目を惹いた。
「それにしても、アレを一撃で倒すなんてすごいね。そこの白髪の君」
男がへらへらと笑いながらコウを指さす。この男にはどうしてこんなに余裕があるのだろうか――リーゼが男を睨みつけていると、男はいきなり真顔になった。
「もしかして……『白銀の弓矢』?」
「ああそうだ。お前は誰だ?」
ザウバーが刺すような口調で男に問うた。
「僕? レノ・ロックって言うんだけど」
レノと名乗った男は平然と名前を答えた。まだ情報を引き出したいと思っているザウバーの眉間にしわが寄る。
「任務、と言っていたが……お前は傭兵か? 傭兵だとしたら政府の依頼しか受けてはいけない規則になっている筈だが……この馬鹿げた騒動を引き起こすように依頼したのはどこのお偉いさんだろうな」
「あちゃー、ばれちゃった?」
「答えろ。誰から依頼を受けた!?」
ザウバーの怒声にもレノは臆する様子を見せない。それどころか余裕の表情を崩すことなく手を頭の後ろに組み始めた。
「この国のお偉いさんは何も関係ないよ。全て僕たちが計画したことさ」
レノが半笑いで答えると、腰の短刀を引き抜いて四人に向かって構え始めた。
ゆらり、ゆらりと身体を揺らしながら、四人の方へと近づき始める。
「だから、僕の邪魔をしないでよ。『純粋装具』がここにあるんだから」
レノが、邪悪な笑みを湛えた。