少年と首飾り
辺りが完全に暗くなると、三人の活動は一気に制限された。三人はある程度進んだところで野宿を決行し、そこらに生えている藪を敷き詰めてベッド代わりにして夜を過ごした。勿論見張りは交代制で行い、リーゼがその番になった時には眠い目をこすりながらファルシオン片手に周りの音に警戒した。彼女は朝日の光が三人を照らすまで周りの警戒を怠らず、ザウバーから労わられるほどだった。
リーゼの少しの時間の仮眠が終わると、三人はウルヴ山を下山しながらレアフォーム山へと歩き出した。
レアフォーム山までの道のりは、長く険しかった。道中でネズミや野犬、クマなどが襲いかかってきたが、三人は最小限の戦闘にとどめて目的地への到着を優先した。獣の処理は主にザウバーが行っていたが、途中やむを得ずリーゼやコウが加勢しなければならないときもあった。その時リーゼはザウバーに戦闘には参加しないように忠告されていたので、彼女は獣の相手を二人に任せて森の中を進み続けた。
分け入っても分け入っても藪と木々に囲まれた風景である。朝から彼女たちは進み続けているが、段々と日が昇ってきて気温が上がり、周囲が蒸し暑くなってくる。汗で衣服が肌に張り付くような感触も覚え始める。リーゼはこの暑さと感覚に不快さを覚えながらも、文句を言わずに黙々と足を止めなかった――その異様な雰囲気に、ザウバーは困惑しながら彼女を見ることがあった――。
いつまでもこの薄暗い緑が続くのかと、リーゼは思っていた。もはや彼女には、藪をかき分ける音と自身の足音しか聞こえなくなっていた。
「……おい、どうした、コウ?」
ザウバーの声で、リーゼは漸く我に返って後ろを振り返った。そこには困惑しているザウバーと口を半開きにして棒立ちになっているコウの姿があった。
「コウ? 早く行くよ!」
リーゼが語気強く言っても、コウは上の空である。ザウバーは試しにコウへと歩み寄り、彼の肩を掴んで軽く揺さぶってみた。するとコウがやっと意識を其方に向ける。
「コウ……。どうしたんだ?」
コウの様子を訝しむ二人。それに気付いたのか、彼が口を開いた。
「……あっち」
コウが指をさした方向は、ちょうど三人が進んでいる方向だった。訳が分からないと言いたげに、ザウバーがコウのキラキラとした目を見つめる。
「あっちに……何があるんだ?」
「……誰か、いる」
突然のことに、二人は目を丸くしてコウを見つめた。このまま進めば、レアフォーム山にいる『誰か』とかち合うことになる。リーゼは改めて気を引き締め、ザウバーは二挺拳銃をすぐさま取り出した。
「早く行こう! 誰かがいる!」
「もしかしたら、この事件の犯人かもしれない。油断するなよ」
リーゼは頷き、ファルシオンをいつでも引き抜けるように右手を腰にやる。そのまま三人は急ぎ足でコウが指し示した方向へと向かった。
暫く進むと、三人は漸く藪の中を抜けることができた。青く澄み渡る空にポツンとある太陽からの光が三人を明るく照らし、リーゼはあまりの眩しさに顔を手で覆った。そして大きく息をつき、目が慣れた後辺りを見回した。
そこはウルヴ山とは一転して白っぽい色の砂と瓦礫だらけの土地だった。風が吹くと細かい砂が舞い散るのが見える。
リーゼとザウバーはこの開けた土地を見渡すが、人影らしきものは何一つ見えない。ここからでは見えないので、三人は崖になっているところを注意深く下りながらレアフォーム山に本格的に踏み込んでいった。
砂利を踏みしめる音のみが聞こえる。三人はレアフォーム山に入りこんだが、コウの言う『誰か』は数十分探しても見つかっていない。瓦礫だらけでまともに進めないのもあり、人探しは難航している。
「……賭けは失敗だったか?」
それから暫く探しても、人の気配は感じない。とうとうザウバーから弱音が出る。
すると、コウがいきなり頭を抑えて苦しみ始めた。うめき声を上げてその場で蹲る。暑さのせいではない汗が、彼の額に浮かび始める。
「コウ!」
驚愕したザウバーがコウに駆け寄ると、リーゼも泡を食ったような表情でコウの下へ集まる。
「コウ! 大丈夫!? しっかりしてっ」
リーゼが呼び掛けても、コウは息を荒げるばかりでまともに返事をしない。彼女はただ狼狽えるばかりでどうしていいか分からないでいる。ザウバーも原因を探ろうとするが、蹲っているコウを見てそれどころではない状況になっている。
「……る」
突如、コウがか細い声で何かを言い始めた。それをザウバーは聞き逃しておらず、すぐさま彼の言葉に耳を傾けようと顔を近づける。リーゼはそれにも気付かずにただオロオロとしているだけであり、完全に余裕を失っている。
「コウ、もう一回言ってみてくれ」
ザウバーが泣いている子供を宥めるようにコウに語りかける。コウはザウバーの言葉に反応を示し、リーゼも彼の言葉で我に返ってコウの背中を優しく撫で始めた。
「コウ。どうしたんだ?」
「……いる」
「誰がいるんだ?」
ザウバーの問いに、コウは指を差して応えた。
彼が指を差した場所は、大きな瓦礫が山積している場所だった。彼らの現在地からそれほど遠くない場所である。更にそこは山積している瓦礫が日陰を作っていた。
ザウバーがコウを起こし、肩を貸しながらともに歩き始める。二人が武器を出せない状態なので、代わりにリーゼがファルシオンを腰から抜いて警戒態勢に入った。そこに何がいるのかは、彼女らにとって未だに分からない。
恐る恐る瓦礫へと近づく。ついに日陰の場所と目と鼻の先になったとき、ザウバーがリーゼを手で制した。
「ここから先は俺が行く。リーゼはコウを頼んだ」
「分かった!」
小声で話した後、リーゼはコウの肩を支えた。
リーゼはそこで驚き、思わずぐったりとしているコウの顔を見た。
彼の身体が、まるで血が通っていないかのように冷たいのである。この冷たさは、氷嚢のような『物』であれば今の彼女にとっては心地よいものである筈だが、これが『ヒト』を触っている感覚だと思うととてもそうは思っていられない。彼女はその感触を不気味に思いつつ、日陰に近づくザウバーを見ている。
少しずつ、足音を出来るだけ立てずにザウバーは近づいていく。彼の二挺拳銃を握る手に力がこもり、引鉄にはいつでも撃てるように指がかかっている。
ザウバーが意を決して飛び出した。それにつられるようにして、銀色の拳銃が太陽光を反射してきらびやかに光る。
「そこにいるのは――」
誰だ、と言いかけて、ザウバーは絶句した。
そこには、両ひざを抱えながら蹲るように座っている少年がいたのだから。
目を丸くして少年を見るザウバー。それに気が付いたのか、少年は顔を上げて口を大きく開けて驚愕の表情を浮かべている。両者は互いに見つめ合い、動かずに少しの時間が経過した。
先に動いたのは少年だった。脚を崩し、目の前の人間から逃げようとする。
しかし少年は立ち上がろうとしたのはいいものの、そのまま姿勢を崩して地面にへたり込んでしまった。それを見てザウバーが少年の下へ歩み寄る。二挺拳銃はホルスターにしまい、敵対の意思を示さないようにもしている。
「大丈夫か? 怪我は?」
「……来ないで」
酷く掠れた声で少年はザウバーに警告する。それでもザウバーは近づこうとし、少年に笑いかけた。
「大丈夫。俺たちは怪しい人じゃない。リーゼ、コウ、出てきてもいいぞ」
少年がザウバーへの警戒心を解いてない中で、リーゼがコウとともに出てくる。
リーゼは少年を見て絶句した。
頬はこけ、金色の髪や着ている服は砂埃を被っているのか酷く汚れている。日陰でも分かる青い瞳からは生気を感じることはできず、衰弱しているのが彼女にはよく分かった。
「ザウバー! この子、早く何か食べさせてあげないと死んじゃうよ!」
リーゼが急いで小さい鞄から携帯用の食料と水を取り出し、少年の方へと向かう。少年は呆然とし、抵抗しようとしていない。
「これ! 早く食べて! これも飲んで!」
リーゼは少年に食料と水を差しだした。少年は暫く呆気にとられたような顔をしてそれらと彼女を交互に見つめているだけだったが、リーゼが微笑んで頷くと意を決したように水を飲み始めた。相当乾いていたのか、必死に水筒に食らいついている。彼が口を離した頃には、水筒の中身は殆ど空になっていた。
続いて少年は携帯食料にがっつき始めた。途中でむせてしまったが、リーゼに優しく介抱されて、差し出された分の食料を完食した。少年はリーゼを呆然と見つめることしかできなかった。
少年が腹を満たして落ち着いたのを確認すると、リーゼたちは再び少年と向かい合った。
「貴方は誰? いくつ? 私たちに教えてほしいな」
リーゼが微笑みながら優しく問いかける。ザウバーはその場を彼女に任せることにして、コウを支えつつ一歩引いたところから二人を眺めている。
「……僕は」
少年は心を開き始めたのか、リーゼの方を見て答え始める。
「僕はネオン・オレカ。一〇歳」
「貴方の家はどこにあるの?」
「ルシディティ。でも……」
そう言って、ネオンと名乗った少年は俯き始めた。
「昨日、家を追い出された」
ネオンの表情は、酷く悲しげだった。それを見たリーゼは、心臓が圧迫される感触を覚える。それでも彼女は微笑みを絶やさずに俯いたままのネオンに接しようとする。
「……どうして?」
リーゼが尋ねると、少年は頭を上げた。何かに縋るような目つきで自身を見るので、彼女は思わず凍り付いてネオンの目を見つめる。
するとネオンは少し躊躇う素振りをみせたものの、彼の首にかかっている首飾りを彼女に見えるように見せつけた。
リーゼは思わずそれを凝視していた。彼女のみならず、ザウバーとコウもそれに釘付けになる。
白く光る珠が何十個も連なっており、それら一つ一つが宝石のように美しく存在感を放っている。それを指で弄ぶ度に、白い球がぶつかり合い透明な音色を奏でる。
不思議なことに、この首飾りには結び目がない。ネオンの首にすっぽりと収まっており、無理矢理外そうとしても取れなくなっている。
「……これが、どうかしたの?」
「十日くらい前にここで遊んでたら転んじゃって、目の前にこれがあって、それを触ったら……気付いたら病院のベッドで寝てた」
ネオンは三人にその首飾りを手に入れた経緯を話し始めた。しかし、彼の話は三人にとって不可解そのものだった。何故首飾りを触っただけで意識が飛んでしまったのか、その首飾りと今のネオンの状況に何か関係があるのか――リーゼはより踏み込もうとネオンに話をより訊くことにした。
「それで?」
「それで……」
するとネオンが乾いた唇を噛み始めた。今にも泣きそうな彼に、リーゼは戸惑いの色を隠せない。
「大丈夫? 私……何かいけないこと訊いちゃった?」
リーゼの問いに、ネオンは首を強く横に振って答える。
「この首飾りを外そうとした人……皆やけどしちゃって……僕は触っても大丈夫なのに……。それで……昨日……追い出されて――」
ついにネオンが嗚咽を漏らして泣き始めた。リーゼは驚きを隠すことができず、ただネオンの背中を擦って宥めようとしている。そんな中、ザウバーだけが一人神妙な顔つきで考えていた。
「僕は……この町にいちゃいけないんだって……パパもママも皆僕を嫌って……」
「どうしてそんなこと――!」
「僕のせいで町がめちゃくちゃになったんだって……皆が、僕のこと怒るんだ……」
リーゼはネオンの話を真摯に聴いているうちに、ルシディティの町民に怒りを覚え始めた。何も知らない子供に納得のいく説明をせずにこの町から追い出し、マイアで暴走している獣が跋扈している環境の中に放り込んだ――彼女の怒りに火を点けるのにはそれだけで十分であった。
「ザウバー! まずはこの子を助けよう! 任務はその後でも間に合うよ」
リーゼが語気強く言いザウバーの方を向くと、彼が何かを考えている顔が彼女の目に入った。
「ちょっと、ザウバー?」
「……ひょっとすると、獣の暴走はこの子が原因なのかもしれない」
ザウバーの言葉に、リーゼとネオンは耳を疑った。
「どういう意味? この子が獣を操ってたって言いたいの!?」
「落ち着け、俺が言いたいのはそういうことじゃない」
ザウバーは彼を睨みつけるリーゼに困惑しながらも、説明を続ける。
「正確に言えば、このネオンっていう子の首飾りが原因じゃないかと思っている。どうも一致しすぎているんだ」
「……何が?」
「獣が発生した時期と、この子が首飾りを入手した時期だよ」
リーゼが呆然とした顔でいる中、ザウバーが話し続ける。
「話が本当なら、十日くらい前にネオン君が例の首飾りを拾った。その少し後に獣の暴走が報告された。妙だとは思わないか?」
「確かに……」
「この首飾りは、かなり強いマイアを放っているのかもしれない。強すぎるマイアは人に危害を加える。この首飾りのせいで、ネオン君が望んでいなくても皆が火傷を負ったり獣が暴走したりした可能性が高い」
納得したようにリーゼが頷いた横で、ネオンは再び悲痛な表情で俯き始める。
「やっぱり……僕が悪いんだ。僕が皆を傷つけたんだ――」
「そんなことないよ!」
リーゼがネオンに強い口調で呼びかけると、彼が顔を上げて彼女を見始めた。リーゼの顔には優しい笑顔がネオンを安心させようと浮かべられている。
「私たちがついているから、ネオン君は安心していいよ。襲ってくる獣は皆倒しちゃうし、絶対に町まで送り届けてあげる!」
その言葉に、ネオンは信じられないというような顔つきをした。それを聞いたザウバーは無責任なことだと思いつつも苦笑を浮かべて二人を見つめている。
「……本当に?」
「うん! そこのお兄ちゃん二人も協力してくれるよ。ね?」
にこやかに勢いよく尋ねられたので、ザウバーは苦笑しながらも頷くほかなかった。
しかし、コウは無言でネオンの方を見るばかりで一切の反応を返さない。彼の様子を訝しんだリーゼとザウバーを尻目に、コウはネオンに近づいて彼と同じ目線まで腰を下ろした。
「……コウ?」
すると、コウがネオンの首飾りに手を伸ばし始めた。突然のことに、リーゼやザウバー、そしてネオンまでもが動けずにいる。
始めに我に返ったのはネオンだった。酷く怯えた表情でコウを拒絶しようとする。
「やめて! 来ないで!」
ネオンの心からの叫びで、リーゼとザウバーが動き始めた。すぐにコウを止めようと身体を掴んで引き剥がそうと試みる。
「コウ、やめて!」
「何のつもりだ、コウ!」
しかし、コウは止まらない。
コウがついに、ネオンの首飾りをがっしりと掴んでしまった。
また人が傷付いてしまう――ネオンは強く目を瞑った。
「……あれ?」
リーゼの間の抜けた声で、ネオンは目を恐る恐る開けた。ザウバーも同様に呆気にとられたような顔でコウの右手を見つめている。
コウの手は無事だった。火傷どころか、綺麗な掌のままである。
「どうして――」
ネオンが呟くと、今度こそコウは引き剥がされた。
「コウ! 何するの!? 何でこんなことしたの!? ネオン君が怖がってるでしょ!」
「……ごめん」
リーゼは顔を真っ赤にして怒鳴りつけるが、コウはお決まりの気の抜けた謝罪しか返さない。リーゼはため息をついた後、彼からそっぽを向いてしまった。
ネオンはコウの右手を見つめることしかできなかった。その瞳は、何かを見透かしているように澄んでいた。