混戦
リーゼが走り出すと、野犬たちも一斉に三人に向かって跳びかかってきた。
リーゼが狙っている野犬は、吠えながら彼女の喉元に噛みつこうと跳躍する。それをリーゼはファルシオンの刃の腹でガードした。野犬の鋭い歯と剣の刃がぶつかり、鋭く乾いた音が鳴り響く。彼女は剣を振り、野犬を退けた。
振り払われた野犬も体勢を立て直し、再びリーゼに向かっていく。しかし今度は跳びかかるのではなく、彼女の脚に向かって牙を向ける。前脚で地面を蹴り上げ、彼女の脚めがけて瞬時に詰め寄ろうとする。
それをリーゼはバックステップで跳び退き、噛みつかれるのを免れた。敵の攻撃は空振りに終わる。
「今だ!」
絶好の機会。相手が僅かに隙を見せた。リーゼが走り出そうとして身体を前傾させる。
しかし、彼女の目の前の敵は気付かぬ間に増えていた。彼女の前に、三頭の野犬が立ち塞がった。
「……くそっ」
リーゼが毒づくと、三頭の野犬が吠えながら一斉に襲い掛かってきた。涎を滴らせ、今にも彼女を捕食しようと向かってくる。一対三では分が悪いと判断したリーゼは野犬の攻撃を避けることに専念する。一体が体当たりを仕掛けてくると、もう二体は回り込んで脚に噛みつこうとする。敵の連携した攻撃も、彼女は必死に避け続ける。
このままでは攻撃したくてもできない。いずれ体力が尽きてイヌたちにたかられるだけだ――リーゼは攻め切れないもどかしさを感じていた。彼女の考えを汲み取るはずもなく、野犬たちはそれぞれ跳びかかって獲物を翻弄する。
すると、一頭の野犬がリーゼへの噛みつきを外した。他の二頭も跳びかかった直後なので隙ができている。リーゼはそれを見逃さず、噛みつきを外した野犬に向けてファルシオンを構える。
「食らえ!」
ファルシオンの刃が、イヌの背中に向けられて振り下ろされる。剣を振るうスピードは、土人形に苦戦していた時よりもはるかに速くなっていた。
刃は瞬時に敵の背中に直撃し、皮を突き破る。その感触を覚えたリーゼはすぐさま自身の方へと刃を引いた。野犬の皮が引き裂かれ、鮮血が辺りに飛び散る。野犬は甲高い悲鳴を上げてその場に蹲った。
「やった!」
しかし、リーゼが歓声を上げたのも束の間、残りの二頭が彼女めがけて襲い掛かってきた。彼女は一転して短い悲鳴を上げながらバックステップで二頭の噛みつきを避けると、手負いの一頭に注目し始めた。
背中を斬られて血を流しているものの、深さは皮膚までであり致命傷は与えられていない。リーゼは刃を軽く引いただけで深くまで斬りこめるものだと思い込んでいたが、よろよろと動いている野犬を見てその考えを変えた。
――普通の武器はあまり効かないの……?
コウのブロードソードは、野犬の頸を刎ね飛ばした。ザウバーのマイアでの銃撃は野犬の頭部を吹き飛ばした。それに対してリーゼのファルシオンは皮を引き裂くので精いっぱいであった。筋力の差もあるのだろうが、これがコウの一撃であったらその場で臓物が飛び散っていたであろう。彼女はそのようなことを考えながら、じりじりとにじり寄ってくる三頭の野犬を睨みつけていた。
「でも……!」
やるしかない。彼女は心に決めて武器を構える。一撃を与えることはできた――このことを自信にして、彼女は跳びかかってくる野犬を迎撃した。
リーゼが敵に苦戦している一方で、ザウバーとコウは残りの多数の野犬の相手をしていた。二人はリーゼに野犬を近づけさせていない。彼女が三頭との戦闘に集中できるのは彼らのおかげである。
二人は倒しても倒しても湧いてくる敵に集中していた。その上、野犬だけでなく先程のネズミまで同盟軍のように敵として加わってきた。それでも彼らはリーゼを守り抜く余裕を見せている。
「コウ! あのイヌを頼んだ。俺は足元のネズミをやる!」
「分かった」
ザウバーが指示を出し、コウが従う。彼らは役割を分担しながら一切の滞りもなく獣たちを処理している。目を血走らせている野犬をコウがブロードソードで淡々と捌き、ザウバーが野犬の足元を撃って牽制しながらネズミを消し飛ばす。彼らには傷一つ付いていない。
それでも、ザウバーはこの状況に苛立ちを隠せずにいた。誰がこれらを操っているのか、獣たちはどれほど湧き続けるのか――答えが見えない問いを延々と考えながら、それでも敵に対する集中力を切らさずに引鉄を引き続ける。彼の周りは既に野犬の屍の山とネズミの肉塊が出来上がっていた。
すると、二頭の野犬が一斉にザウバーに向かって跳びかかってきた。唾液でてらてらと不気味に輝いている牙を剥き出しにして獲物に齧り付こうとする。
「……しつこい!」
ザウバーは動じずに、跳びかかってくるイヌの口めがけて銃口を突きつけ、引鉄を引いた。マイアの弾丸は二頭の野犬を貫き、敵は断末魔も上げずに倒れる。それぞれ一発ずつの銃弾で仕留めた彼だが、そのことは誇らずに周りを見回す。
残っている敵は、ちょろちょろと動き回っているネズミのみだった。彼はそれも逃さずに二挺拳銃で片づける。ネズミはマイアの弾丸に当たると風船のように破裂して肉片のみを残した。
ザウバーはふっと息をつくと、コウの方を見た。彼の方も逃した敵はザウバーの見たところ存在しておらず、血だまりの中にコウは立っている。
「コウ、お前の方は大丈夫か?」
「うん。のこりはあっちだけ」
コウが指を差した方向には、三頭の野犬に悪戦苦闘しているリーゼの姿があった。彼女は敵の動きに翻弄されているが、それぞれの野犬を見ると三頭とも切り傷が多く流血の量も多い。
コウがブロードソードを構えてリーゼの方へ走り出そうとする。しかし、ザウバーはコウの肩に手を軽く載せて止めた。コウが不思議そうな表情でザウバーを見る。
「ここはリーゼにやらせてやろう」
「どうして?」
コウがこてんと首を傾げると、ザウバーは悪戯っぽく笑った。
「あいつが一生懸命倒そうとしてるんだ。あいつが死にそうにならない限り、俺たちが邪魔しちゃいけない。それに……」
「それに?」
「俺たちの負担が減る」
ザウバーの冗談めかした答えに、コウは理解しているのかしていないのか傍から見ると分からないような表情で頷いた。それでも二人は、いつでもリーゼを助けることができるように武器を構えながら彼女の行く末を見守っていた。
リーゼは息を切らしながら、既にボロボロになっている三頭の野犬と戦っている。何度も何度も斬りつけても起き上がってきて、あまつさえ跳びかかって攻撃してくる。彼女のファルシオンの片刃には既に血がべっとりとこびりついており、切れ味が悪くなっているように感じていた。
「……このままじゃ――」
自分がやられる。
もはやリーゼには、周りを確認する余裕すらなくなっていた。彼女の視界には、今倒すべき三頭の敵しか映っていない。すぐ近くにいるのにもかかわらずザウバーとコウが戦闘を終えた――彼らはそれでも周囲には気を配り続けているが――ことも知る由もない。
すると、リーゼの視界にあるものが映った。先程のネズミが彼女の戦いに乱入してきたのである。彼女は絶句してそれらを一瞥するが、すぐ目の前には三頭の野犬がいる。多数のネズミも彼女の方へと走ってくる中、リーゼのファルシオンを握る力が強くなる。
「リーゼ!」
後ろから、ザウバーの声が聞こえてきた。そして次の瞬間には近づいて来たネズミたちは弾け飛んでいた。
リーゼが振り向くと、二挺拳銃を此方に向けているザウバーとブロードソードを構えて待機しているコウの姿があった。彼らは野犬たちを既に倒し終えたようだ。彼女は呆気にとられたような顔をしてその場で固まってしまった。このまま多勢に無勢であれば、獣たちに集られて終わっていたかもしれない――そう考えると、彼女の心中は恐怖で一杯になった。
「ぼさっとするな! 来るぞ!」
ザウバーの声で意識を前方に向けたリーゼは、三頭の野犬の体当たりを次々に躱した。相手の動きが悪くなっているように彼女は感じた。額には冷や汗が浮かんでいる。
すると野犬たちは、体当たりの勢いそのままにザウバーたちの方へと突っ込んでいった。どうやらターゲットを変更したらしい――リーゼは好機だとばかりに野犬の背後を襲う。
ここで逃すものか――リーゼは噛みつきを外した一頭の野犬に照準を絞る。ファルシオンの刃が鈍い金属光沢を放つ。攻撃を外して隙ができ、さらに背後を取られた野犬は反応が遅れていたので、彼女は簡単に距離を詰めることができた。
「ここだぁっ!」
リーゼが狙った箇所は、既に切り傷がある所だった。そこへ深く刃を突き刺そうと、彼女は槍のように鋭い視線で目標を睨みつける。
リーゼが刃を突き下ろす。
風を切るような音が聞こえた瞬間、刃は野犬の背中深くに突き刺さっていた。リーゼは突き刺す腕に力を入れ、必死な形相で刃を野犬の体内に押し込む。野犬は悲痛な叫び声を上げ、その場で痙攣しながら蹲ってしまった。
「やった……」
リーゼが呆然としながら深く刺さったファルシオンを引き抜く。傷口から血が勢いよく噴き出し、彼女の周りを汚した。
「あと、二体……」
リーゼが呆けた顔を一変させて、いつの間にか彼女に目標を変更した残り二頭の野犬と対峙する。
野犬がリーゼに向かって突進し、今度は前脚の鋭い爪で襲いかかる。それを彼女はバックステップで跳び退き距離を取って呼吸を整える。それでも野犬は疲れを知らないかのように彼女ににじり寄り、地鳴りのような唸り声を上げて威嚇する。
リーゼは冷静に次の目標を見定めようと交互に二頭を見つめた。集中力を切らさずに、相手がどう出るかを思考する。
野犬の一頭がはじめに走り寄ってきた。リーゼはファルシオンを構えて迎撃態勢に入る。その後ろでもう一頭の野犬が走り始めたが、彼女は前方の敵のみに意識を集中させる。
先に走ってきた野犬は、リーゼの腹へと頭突きを繰り出すようにして突進してきた。勢いよく大地を蹴って飛び出したが、リーゼはそれをひらりと躱す。
そこでリーゼは、もう一頭の野犬へターゲットを変えた。その野犬は、先程と同じく口を大きく開けて彼女に食らいつかんとしている。
彼女の狙いは、其方だった。先に飛び出してきた野犬の隙を見てもう一頭に攻撃を仕掛けるという算段である。彼女の狙いは的中した。
「……決める!」
リーゼは突っ込んできた野犬の口に、ファルシオンの刃を突っ込んだ。勢いよく飛び出してきたので、野犬に刃が深く刺さった。そのまま脳まで到達したのか、野犬はぐったりと身体を伸ばした。
残り一頭――リーゼは剣に突き刺さったままの野犬を乱暴に放って捨てると、残り一頭となった野犬と睨みあった。彼女はじりじりと近づいてくる野犬をじっと見据えながら、再びファルシオンを正面に構える。
敵はすでにボロボロの状態だが、リーゼにも疲労が溜まっていた。額に汗が浮かんでおり、一時も油断をしないという彼女の姿勢も疲労の増加に拍車をかけている。
先に動いたのは野犬だった。猛然とリーゼの方へ走り寄って距離を詰める。それを彼女は冷静に対処しようと、相手の噛みつきを難なく躱した。野犬はすぐに方向転換し、再びリーゼの下へと駆け出す。
「しつこい――っ」
リーゼは相手の攻撃を至近距離まで近づけたところで飛び退いた。野犬が噛みつきを外すと、リーゼは好機とばかりに駆け出した。
「ここだぁっ!」
リーゼが野犬を袈裟懸けに斬ろうと襲いかかる。野犬は攻撃を失敗したので、動けないでいた。彼女は野犬の口に狙いを絞っていた。
刃が鈍く光る。
肉を引き裂くような音とともに、鮮やかな赤い液体が野犬の口から噴きだされた。顎が外れているかのようにだらりと広がる。
次の瞬間には、野犬はリーゼのファルシオンに倒されていた。
三頭の全滅を確認すると、彼女は俯きながらその場に頽れた。肩で息をし、目をつぶってへたりこんだまま動かない。その様子を見たザウバーとコウは彼女の下へと駆け寄った。
「大丈夫か? 動けるか? どこか怪我は?」
矢継ぎ早に問うザウバーに、リーゼは顔を上げて微笑んで見せた。その顔には明らかに疲労が滲んでおり、彼女が無理をしていることはザウバーにはお見通しだった。
「……ちょっと疲れただけ。噛まれたり引っ掻かれたりはしてない」
「そうか……。よかった」
ザウバーが胸を撫で下ろすと、そのままリーゼに肩を貸して彼女を立ち上がらせた。リーゼは呆然とした顔で彼を見つめるだけである。彼の体温が突然近くなり、リーゼはどうしていいか分からなくなった。
「あの……」
「このまま進むぞ。ここにいたら血の臭いを嗅ぎつけられてまた戦いになる」
リーゼは頷いて、ザウバーの力を借りて歩き始めた。その後ろにコウも追随する。
「ねえ、ザウバー」
「どうした?」
戦いの現場から少し歩いたところで、リーゼがザウバーに声をかけた。
「あの獣……明らかに野生のやつより強くなってる。ファルシオンで斬っても、あまり傷をつけられなかった」
「……そう言えば、リーゼの武器は装具じゃなかったな。奴らがマイアで強化されているのは確実だろう。でなきゃ普通の武器も効く筈だ。マイアで強化されたものは普通の力を遥かに凌ぐ」
その言葉に彼女は驚き、同時に安堵した。自身の腕のせいではなかったことが証明され、通常の武器で強化された獣を倒したという実感が今になって湧いて来たからだ。彼女は嬉しい気持ちが顔に出るのを堪えつつ、ザウバーの話に耳を傾ける。
すると、ザウバーの足が止まった。リーゼとコウも立ち止まり、ザウバーに注目し始める。そのころにはリーゼは自力で立てるようになっていた。
「……突然だが、少しの賭けに出たい。進路を変えたいと思う」
その提案に、リーゼが目を丸くした。
「変えるって……どこに行くの?」
「この近くでマイアに関する場所がある。そこに行く」
「マイアに関する場所?」
リーゼがオウム返しで尋ねると、ザウバーが上着の胸ポケットから紙切れを取り出して広げた。そこには、ウルヴ山とその周辺の大まかな地形図が書かれている。彼はそれを二人に見せた。
「この山には、『レアフォーム山』が隣接している。この山は元々マイアスの鉱山だった。だが十年前に大規模な事故が起こって閉山してしまった。それ以来、人は国軍の兵士が見張りに来る任務のとき以外近づいていない」
リーゼは、ザウバーが言いたいことが概ね理解できた。
「つまり……この人がいない鉱山で誰かがマイアを使って動物たちを操っている、ってこと?」
「それもある。だが俺が一番危ないと思っているのは――」
リーゼは息を呑んでザウバーに注目した。
「鉱山のマイアスを独占しようと狙っている誰かがいる、ってことだ。獣たちは俺たちを鉱山へ近づけさせないためのトラップ、といったところか……」
リーゼでも、マイアスが独占されることへの危機感は持っていた。マイアスやそこから供給されるマイアは皆平等に与えられるものだと教えられてきた彼女には、マイアスが独占され、あまつさえ悪用される危険性があることは我慢のならないことだった。彼女の中に、徐々に怒りが溜まっていく。
「そんなの許しちゃダメだよ。早く犯人を倒そう!」
「落ち着け。ここからだと時間がかかる。空も暗くなってきたし、ここは少し進んだら野宿にしよう」
ザウバーに言われ落ち着きを取り戻したリーゼが空を見上げると、確かに彼の言った通り日が落ちかけており、橙色の光が辺りを照らしていた。
「……分かった。行こう」
三人は藪を分け入って、レアフォーム山へと進路を変更した。この推測が当たっているかどうかは三人には分からないが、リーゼはそれでも事件解決に向けて力強く歩み始める。疲れてヘロヘロになっていたときの彼女は、もういなかった。