襲撃
初めての女性主人公の作品です。よろしくお願いいたします。
シューメルにある小さい村、『ジン』。人口こそ少ないが、この村のはずれには国立の『マイア』実験施設がある。そこに勤めている職員や研究者、そしてそこを守備している兵士たちが村の宿泊施設などに金を落とすので、村の財源は潤っている。事故などの物騒なことは一切起こっておらず、平和な村だった。
そう。平和な村だった。
何が起きているのか、見当もつかなかった。
皆が寝静まっている夜中にいきなり緊急事態を告げる鐘が打ち鳴らされたと思えば、あっという間に実験施設から兵士と思われる男たちが血相を変えて飛び出してきた。村中の明かりが点き、男たちの怒号がそこら中に散り、女子供には避難命令が出された。混乱している女性たちや恐怖で泣き叫ぶ子供たちを、村の自警団のメンバーの何人かが避難させようと導いていた。
しかし、それでもなおこの混乱の中で一人、勇敢にも脅威に立ち向かう女がいた。
「……一体何なの。こいつら……!」
リーゼ・カールトンは、村の自警団の男たちや軍服姿の兵士たちとともに、得体のしれない敵と戦っていた。彼女もまた自警団の一員なので、メンバーたちに無理を言ってここに残っている。急いで飛び起きて濃緑色の隊服に着替え、愛用の片刃剣を手に取り、目の前の敵と対峙する。まだ一六歳で、武器を支える腕は鍛えているとはいえ細く力不足と思われるが、彼女は果敢に走り出した。
しかし、その敵は不気味そのものだった。彼女たちは今、大人の男の背丈ほどの土人形を相手にしているのである。ちょうどリーゼの頭が土人形の胸の高さに位置する大きさなので、彼女は威圧されまいと意識を敵に集中させる。
腕や脚を斬っても撃ってもその場で再生し、腕を槌のように変形させて襲い掛かってくる。攻撃は大振りなのでリーゼは辛うじて避けることができたが、疲労は溜まり集中力は削がれるばかりであった。
しかしリーゼは手を緩めなかった。肩にかかる程度の茶色い髪を振り乱し、相手が腕を振り下ろした隙を見てその腕を薙ぐ。舗装された道がいとも容易く砕かれるが、彼女は破片を避けた。
呆気なく斬られてバランスを崩した人形の後ろに、彼女は回り込んだ。
彼女が狙うのは胴体。それも、人間なら心臓が位置しているところだ。そこにめがけて、ファルシオンを突き立てようとする。
「食らえぇっ!」
リーゼが叫び、刃が一直線に伸びる。
だが、彼女の目論見は甘かった。
鈍い音がしたかと思うと、ファルシオンの刃は土人形を貫くどころかそれに阻まれていた。手に強いしびれを感じながら、リーゼは呆然としてその様を見つめるほかなかった。
「どうして――」
刹那、彼女の周りが陰った。振り向くと、別の土人形が腕を振り下ろそうとしていた。その腕は槌のように変形している。
――まずい!
頭ではそう判断したが、リーゼの身体はピクリとも動かなかった。恐怖が身体を支配し、脚はその場で張り付いて動かなくなっている。
リーゼが観念したかのように、目を強く瞑る。
土人形が、武器と化した腕を振り下ろした。
突如、リーゼの身体が突き動かされた。短い悲鳴を上げながら地面に倒れこんだ直後、地面と何か別の物を押し潰す音が彼女を襲う。リーゼは思わず目を開けて土人形の方を見た。
その光景に、彼女は絶句した。へたりこみながら、目の前の光景を見続ける。
自分を庇ったと思われる同じ隊服姿の男が、鮮血をまき散らしながら土人形の一撃に圧潰していた。二体の土人形は男が動かなくなったのを確認すると、リーゼを無視してゆっくりと歩き始めた。
それを見ても、リーゼは動くことができなかった。手に力が入らず、握っていたファルシオンを地面に落とす。
彼女は、唇を震わせながら涙を流していた。目の前で自分を庇って身近な人が死んでしまったのだ。彼女は己の無力さと人の命の軽さを嫌でも実感してしまった。
もはや彼女には、周りの悲鳴が聞こえていなかった。現状を拒絶しているかのように俯いて、嗚咽を漏らして泣いている。その間にも、自警団の団員たちは土人形に蹂躙されている。
敵の数は、いつの間にか自警団や兵士たちの数を上回っていた。のっぺらぼうの無機質な土の塊が、言葉も発さず唯々目の前に立ちはだかる人々を薙ぎ倒していく。槌のように変形した腕で叩き潰される者、先端が槍のように変形した腕で背後から胴体を貫かれる者、首を絞められて絞殺される者――残虐に、淡々と人の命が潰えていく。
リーゼが涙と鼻水に濡れた顔を上げたとき、そこには先程とは比べ物にならないほどの絵図が広がっていた。泣き過ぎて鼻が詰まっている彼女でも解るほどに血の匂いが充満していた。しかし、何故か土人形の姿は見えない。
「あ……ああ……ああぁあ――」
リーゼはファルシオンを手に取ってふらふらと立ち上がり、周りを歩き始める。石畳で覆われた路面は平らな所が少なくなっており、瓦礫が凹凸を作っている。原形を留めていない人間もいるが、多くは彼女が見知っている顔だった。彼らが今、彼女の前にただの肉塊として存在している。
しばらく歩くと、ついにリーゼは立ち止まって血だまりの上で膝を折った。そして虚空を見上げて大声を上げて泣き始めた。
何もできない自身に激しく嫌悪感を抱き、村が蹂躙された悲しみに押しつぶされそうになっていた。無様な自身を呪っていた。
「おい、君! 生き残りかっ」
ふと、リーゼは背後から両肩を掴まれた。彼女はそれには思わず驚いて泣くのを止め、泣き顔のまま恐る恐る振り向く。
そこには二人の若い男がいた。肩を掴んだ男は銀髪で端正な顔つきをしており、黒い瞳でリーゼを切迫した様子で見つめている。明るい灰色で統一された軽装で、この戦場では場違いとさえ思われるが、腰にはホルスターに収まった拳銃を二挺所持している。
もう一方の男は幼い顔つきで、青い瞳で彼女を無表情で見つめているだけである。古びてくすんでしまっている青色の長い丈のボトム、これまたくたびれた灰色のジャケットと何やら目につく服装をしている。
しかし、彼には決定的な特徴があった――髪が雪のように真っ白なのである。リーゼは暗がりでもそれを認識した。
「大丈夫か? 見たところ、大きい怪我は無いようだけど」
「……皆が、皆が――」
リーゼは、掠れた声でそれを言うことしかできなかった。銀髪の男は彼女を宥めるように肩を撫で、真っ直ぐに見つめる。
「ここは俺たちが何とかする。君は早く逃げるんだ」
「……でも」
「ここにいちゃ危険だ。動けないんなら、そこの建物に身を潜めて!」
銀髪の男に強く諭されると、リーゼは強く目をつぶり唇を白くなるまで噛み締めた。男はいつの間にか、彼女の肩から手を離していた。
「……分かった」
リーゼは漸く言葉を絞り出し、立ち上がった。その顔には悔しさが満ち溢れ、銀髪の男が困惑する素振りを見せるほどである。
「俺と一緒にあそこまで避難しよう。コウは先に行っててくれ」
「分かった」
銀髪の男にコウと呼ばれた少年は、淡々と返事をするとすぐに研究所の方へと駆け出した。
リーゼは、銀髪の男に介抱されながらふらふらと一番近くの無人の民家まで歩き出した。