カガミさんと雨女
こんばんは。私は“加々見鏡”と申します。年齢は、十五歳です。
私は学校で、道端に転がる怪談話を募集している『怪談提供室』なるものを開いているのです。しかし、まだ二人しかお客様がいらしてないのですよ。ですから、今日もこうして、黒猫の“ヤマト”を隣に置いて、机にひじを掛けているのです。とは言え、こうして皆さんに会えたのですから、今日は三人目のお客様が来るようですよ。
そうそう、忘れてしまった方もいるでしょうから今のうちに言っておきますね。ここ『怪談提供室』は、いつも、放課後に三階のトイレの鏡の中で開いています。しかし、お客様が鏡の中へ入る必要はありません。鏡の前に立っていただければ、私が出てまいりますので。そういう“定め”なんです。
おや、やってまいりましたよ、三人目のお客様。ちょっと、話を聞いてきますね。
……三人目のお客様も面白いお話をしてくれました。もちろん、今回も提供された話を聞かせないわけにはいきませんよ。今回の話は、どうやら、私と似た境遇のようです。
――話を提供してくれた方は、名を明かしてくれませんでした。しかし、今回の話は彼ではなく、その友人、“北条まどか”さんが体験したお話のようです。
学校へと続く通学路は、制服姿で歩く学生で賑わっていた。空はポツポツと青空が見える程度で病んでいた。天気予報は曇り時々雨。その賑わいを見せる生徒たちのほとんどが手に傘を持っていた。
重たい目をこすり、ようやく体を起こしたのは、遅刻組みの北条まどか。寝癖でぼさぼさになった髪の毛を手でまさぐり、開ききらない目で枕元においてある用無しの目覚まし時計を睨んだ。時刻は八時十分。いつもなら、九時に起きて、完全遅刻の諦めモード突入なのだが、今日は寝癖を直し、近道をすればギリギリ間に合う時間だった。
二度寝をする自分が悪いことを知りつつも、親への愚痴を欠かさないまどかは、寝癖を直すと飛び出すように家を出て行こうとしたが、雨が降るという親の忠告を聞き、あわてて傘立てにある傘を持ち出していった。
まどかの駆けていく道は、もちろん通学路ではない。通学の波に遅れた彼女は急ぐ必要があるため、“近道”を使っていた。団地の脇を通り浅い林を抜けると、一軒の豪邸が見える。その前を通り過ぎれば、すぐに学校だった。この道さえ使えば、通常二五分かかる通学時間も十分程度まで省くことができるのだった。
しかし、今日に限って、団地を抜ける頃に急な土砂降りがまどかを妨害した。天に向かって叫びながらも、心の中では親に感謝。まどかは傘をさして走り続けた。流石に林の中では目一杯傘を広げることはできず、寧ろ折りたたんでしまった方が良かったので、そうして木々の間を抜ける雨粒に当たりながらも先を急いだ。そしてとうとう視界に広がってくる堂々とした豪邸。実を言うとこの豪邸、まどかの通う中学校ではちょっとした噂があった。なぜこれほどの近道がありながら、学生が利用しないのか。それは、団地の人に迷惑がかかるというだけではなく、この噂による影響もある。
その噂とは、豪邸には誰も住んでいないのに、家の庭から子供の笑い声が聞こえてくる、というありきたりなものであった。しかし、その幻聴とも取れる笑い声は、学校に通う生徒の八割が聞いたというから驚きである。気味は悪いが、ただ聞こえるだけなので、“遅刻しそうな”生徒はこの近道を利用していた。
林を抜けるまでは確かに全速力だったまどかは急に立ち止まり傘を広げた。目の前に映る、豪邸の門の前で傘もささずに立っている女子生徒。顔をしかめながら近づいてみるも、彼女はまどかに気付かないで、じっと豪邸の二階の窓を見つめていた。気になったまどかもその視線を追い、二階の窓に移した。すると、そこには窓に手を貼り付ける男の子の姿がふと浮かんできた。噂の子供だと気付いたまどかは、女子生徒の肩を揺さぶった。
「ちょっと、見えちゃった……! やだっ! ねぇ、あんた、うちの学校の生徒でしょ? ヤバそうだから、早く学校いこうよ!」
ようやく、まどかに反応を示した女子生徒は静かに口角を上げると、なぜか林の方へと行ってしまった。ずぶ濡れの後姿を見ながら、まどかはしっかりと鳴り響く鐘の音を聞いていた。ハッとする遅刻者は、雨に打たれながらも学校へと向かっていった。
それから数日間、まどかの間に合いそうで間に合わない朝が続いた。不思議なことに、晴れの日は男の子の笑い声が庭から響き、雨の日は女子生徒が二階の窓に視線を注いでいた。そして、まどかが彼女を学校へと誘うと、決まって彼女は微笑して去っていくのだった。
それから少し経った、ある雨の降る朝のこと。この日もまどかは間に合うかどうか微妙な時間に起きてしまった。母親はしっかり七時半に起こしてくれるが二度寝が癖となっていた。そして起きるとこの時間。このまま寝ちゃえ、と思ってもすっかり目が覚めてしまっているため、寝ようにも寝れなかった。
傘をさし走り始めたまどかは、通常の通学路を行こうか一瞬の迷いが生じたが、間に合うかもしれない、と近道を選ぶのだった。団地の脇を通り抜け、傘を折りたたみ林を駆けていく。そこを抜けて見えてくるのは、豪邸とあの女子生徒。傘を再びさしたまどかは、彼女に近づいていった。
「おはよう。今日もここに来たんだ――ねぇ、あんたってもしかして、不登校?」
小慣れた感じに声をかけてみると、彼女はこちらを向いたまま押し黙ってしまった。その顔はもの悲しそうで、よく見ると、以前よりも痩せこけていた。いても経ってもいられなくなったまどかは、軽く目をつむると口を開いた。
「前から聞きたかったんだけどさぁ……どうして、雨の日はいつもあの窓を見ているの、傘もささずに?」
「あの子はかわいそうなの」それは、初めて聞く女子生徒の声だった。か細くポツリと呟くような口調は、不思議と透き通っていて、まどかの耳にすんなりと入り込んできた。「外で遊びたいのに、ここの“主人”に禁止させられてたのよ」
「でも、晴れた日は庭で遊んでるみたいだよ? だって、笑い声が聞こえるもん――ちょっと怖いけどね」
「それは、私がこうして雨の日に傘をささないで立っているから。いつも泣き喚いていたから、私はここの“主人”に男の子を外で遊ばせてあげるように言ったのよ。そしたら、外は危険ではない、と雨の日にここで傘を持たずに立って証明しろと言い出したのよ」
「えっ? そんなの可笑しいよ。それに、男の子が外に出れたんだから、それでいいじゃん」
「ダメなの。雨の日に私が立たなかったら、男の子はまた屋敷の中に入れられてしまうわ」
女子生徒の今にも泣きそうな顔を見たまどかは、この豪邸には誰も住んでいなかったことを思い出し、彼女が何かに取り付かれているんだと悟った。そして、ふと二階の窓に目を向け、そこに映る男の子を睨みつける。しかし、その子もまた、女子生徒と同じように泣きそうな顔をしているように見えた。深いため息をついたまどかは、突然傘を折りたたみ、バッグと共に地面に置いた。
「あたしも一緒に立つよ。この豪邸の“主人”が納得するまでね」
それからというもの、まどかは雨の日になると決まって、傘もささずにこの豪邸へやってきて、女子生徒と一緒に門の前で立ち尽くしていた。それは昼過ぎ、学校の終わりを告げる鐘が鳴り響くまで、立ち尽くしていた。
日を追うごとに、雨の日はまどかの起きる時間帯も早くなっていった。そして、いつしか、女子生徒と一緒に立ってあげる、のではなく、立たなければならない、と思うようになっていた。さらに、どんなに起きる時間帯が早くなっても、いつも先に立っている女子生徒を思い、彼女よりも先にあの場所にいなければならないと思うようになっていた。
その数日後、とうとう、まどかは女子生徒よりも早く豪邸の門へとやってきた。そして、傘をささずにじっと二階の窓を見つめる。そこに映る男の子の表情は、泣きそうであった。しかし、この日、女子生徒は豪邸のところへ現れなかった。それでも、まどかは立ち続けていた。
次の雨の日も、そのまた次の雨の日も、まどかは一人で立ち尽くしていた。しかし、まどかにとって、女子生徒が来ようが来まいが関係なくなっていた。自分がここで、こうして立たなければいけない。ただその使命感だけに執着していた。そして、まどかはじっと豪邸の二階の窓を見つめていた。
まどかが一人で立ち続けてから数日後、ある一人の女子生徒が遅刻しそうなために、“近道”を使ってこの豪邸でまどかと知り合った。そして、まどかと同じように、遅刻しそうなためにこの豪邸へよく来るようになってきたある日のことだった。決心した彼女は、今まで一言も発しなかったまどかに、どうして傘もささずに二階の窓を見ているのか聞いてみた。
「あの子はかわいそうなの。外に出たいのに、ここの“主人”に禁止させられてたのよ。いつも泣き喚いていたから、私はここの“主人”に男の子を外で遊ばせてあげるように言ったのよ。そしたら、外は危険ではない、と雨の日にここで傘を持たずに立って証明しろと言い出したのよ」
か細く、ポツリと呟くような口調で話すまどかの視線の先には、うっすらと笑みを浮かべた男の子が映っていた。
――これで、このお話はお仕舞いです。長々と聞いてくれましてありがとうございました。
まどかさんはこの後どうなったのか知りませんが、この豪邸の男の子は今でも晴れの日は笑い声をもらし、雨の日は二階の窓のところへ現れるそうですよ。
では、これにて、本日の『怪談提供室』は終了します。
あ、最後にこれだけは覚えて置いてください。一つの親切は一つの不幸を招くこともある、ということです。
読んでくださいまして、ありがとうございます(ペコリ
今回登場する“北条まどか”は僕の書いている小説の登場人物と一緒の名前なんですが、つながりを持たせようかどうかで、結局最後まで決まらずに描き終えてしまった感じです(ぇ
ではでは、感想などありましたら、ヨロシクです。