異世界転生
S氏は「小説家になろう」の読み専である。
定職につき、独身貴族として自由奔放な毎日を送ってはいるものの、どこか物足りない。
満足できるのは、「小説家になろう」で流行している異世界転生ものであった。
「ああ、自分にもこんなチャンスが巡ってきたらなあ」
毎晩のようにサイトに潜ってはいろいろな作品を読み漁っていた。
作品を読んでいる間だけは、彼にとっては現実を忘れられる瞬間であった。
ある晩のことである。
ベッドで寝ていたS氏は急な心臓発作に見舞われた。
「う……」
助けを呼ぶ間もなく、彼は一瞬のうちに息を引き取った。
享年25歳。
まだまだこれからという年齢であった。
白濁とした意識の中、S氏は霧の中に一人佇んでいた。
なぜここにいるのだろう。
そんな疑問が頭に浮かぶ。
そこへ、一人の老人がやってきた。
「やや。あなた様はもしや神様では」
「いかにも、神である」
白くて長い髭を生やし、神々しい輝きを放っている。
その表情は穏やかだが、威厳に満ち溢れていた。
「どうやらおぬしは異世界転生に非常に興味を持っているようなので、こうしてやってきたのじゃ」
その言葉に、S氏は心から喜んだ。
「まさか自分にもチャンスが巡ってきたのですか!?」
「そのまさかじゃ」
「ああ、神様。ありがとうございます!」
「ただ、問題があっての」
なんだろう、とS氏は思った。
たいしたことでなければ大概は目を瞑ろう。
「転生先では魔法が使えぬのじゃ」
「そんなことですか。大丈夫、平気です」
SFチックな世界、というのも悪くない。
少なくとも、ここよりはだいぶマシだろう。
「それと転生先はかなり人が多い。種々雑多な人間がおる。もちろん、おぬしも人の子として生を受けさせるつもりじゃ」
「それは願ってもないこと」
人が多い、ということはそれなりに発展した世界ということだ。
生きていく上では心強い。
「あと転生先には魔物というものはおらぬ。少し獰猛な動物はおるがの」
「平和な世界、ということですね。けっこうです」
スリルと冒険を目指すには物足りないが、もともとそんな生き方をするつもりは毛頭ない。
できれば異世界でのんびりとしたスローライフを送りたいと思っていたところだ。
「最後に、ここが非常に重要なのじゃが、一度転生してしまえばこちらの世界には生まれ変わることができんが、それでもよいか?」
「覚悟しております。もとよりこの世界に未練はありません」
「そこまで言うのであれば、おぬしの希望、叶えてしんぜよう」
言うなり、神様の手の平から白い輝きが巻き起こり、S氏の身体を包み込んだ。
S氏はこれ以上ない幸福感に包まれていた。
異世界転生。
自分にも、ようやくそのチャンスが巡ってきたのだ。
むこうの世界では何をしよう。
やりたいことがたくさんある。
ああ、そういえばあの作品の結末はどうなるんだろう。それだけが気がかりだ。
S氏は様々な思いを巡らせながら天へと昇って行った。
※
数年後。
彼は一人の男の子として一軒の家庭に生を受けていた。
その家庭では、母親が少し不気味がりながら父親に相談していた。
「あなた、ちょっとこの子、様子がおかしくありません?」
「またか。バカバカしい。お前は自分の息子がかわいくないのか」
「かわいいわ。当たり前じゃないですか。でも、時たまおかしなことを口走るんですもの」
「おかしなこと?」
「自分は25歳で死んだ人間の生まれ変わりだって」
「お前はよっぽど疲れてるんだな。しばらく休め。太郎の面倒はオレがみるよ」
「ええ、そうしてくれる?」
母親はそう言うなり、かわいい我が子を夫に押し付けた。
S氏の転生先は山田家。
そこの第一子として誕生し、名前は太郎と名付けられた。
彼は生前の記憶を持っている。
転生前の名前はシャルロット・ルイーゼ。
異世界ナローランドのWeb小説「小説家になろう」の読み専だった男だ。
ナローランドでも異世界転生ものは大流行。
中でも一番の人気は日本人転生ものだった。
山田太郎は、今の自分にたいへん満足している。
お読みいただきありがとうございました。