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おくすりの時間

「はーい、お薬の時間ですよー」


 そう言われて出されたのは、巨大な肉の塊だった。

 厚さ3cmはあろうかというサーロインステーキだ。

 ほどよく焼けた焦げ具合がなんとも食欲をそそる。


 けれどもオレは躊躇した。


「あの……、看護師さん。これはなんですか?」

「なんですかって、お薬ですよ」

「おくすり?」


 どう見ても肉の塊である。

 美味しそうなサーロインステーキである。

 これが薬だとは到底思えない。


 そもそもオレは胃の手術を受けるためにこの病院に入院した身なのだ。

 しかもつい先刻、手術を終えたばかり。

 医者でなくとも術後の今、肉を食べたらまずいのはわかる。


 しかし看護師さんはナイフとフォークを取り出してオレに手渡した。


「ちゃんと食べなきゃダメですよー」


 うっすらと目を細めるその笑顔が逆に怖かった。

 

「オレ、さっき胃の手術を受けたばかりなんですけど?」

「わかってますよ、私も立ち会いましたもの。よく頑張りましたね」

「普通に考えて、今食べるのはまずい気がするんですが……」

「まあ! 好き嫌いはダメですよ。ちゃんと料理長があなたの身体を考えて作ってくださったんですから全部食べてください」


 正直、食べていいのなら食べてはみたい。

 肉は大好物だし、おいしそうな匂いが食欲をそそる。

 しかしその後のことを考えるとどうしても食べる気にはならなかった。

 これを食べたがゆえに胃が悪化したらと思うと手が動かない。


「代わりに食べさせてあげましょうか?」


 看護師さんがいたずらっぽく笑う。

 若くて美人な看護師さんだ。

 こんな綺麗な人に「あーん」なんて言って食べさせてもらえたらきっと幸せだろう。


 けれどもオレは心を鬼にして「いや、いいです」と断った。


「せっかく作ってくれたのに申し訳ありませんが、この肉は下げてもらえませんか?」

「肉?」


 オレの言葉に看護師さんの眉がピクっと動いた。


「先ほども言いましたでしょう? これはお薬です」

「いや、どこからどう見ても肉でしょう」


 まさか本当にこのサーロインステーキを薬と思って持ってきているんだろうか。

 だとしたら相当ヤバい病院に来てしまったことになる。


 オレが頑なに肉を拒み続けているため、看護師さんは頬に手を当てながら「ふう、困りましたねぇ」とため息をついた。


「このお薬を食べてくれないと、術後が悪化してしまうのに……」

「食べたほうが悪化する気がするんですけど……」

「わかりました、今日のところは一旦おさげします。食べたくなったら言ってくださいね」


 看護師さんはそう言ってサーロインステーキの乗ったお皿を下げて行った。

 病室から出て行く看護師さんの後ろ姿を見て、オレはホッと息を吐いたのだった。



     ※



 しかしその晩、オレは強烈な胃痛に悩まされた。

 胃の手術を受けたばかりだと言うのに、入院する前より悪化している気がした。


「う……うう……」


 あまりの痛さに悶絶する。

 これはあれだろうか、サーロインステーキを食べなかったから罰が当たったのだろうか。

 けれども食べてたらもっとヤバかったかもしれない。


 痛みでうずくまっていると、看護師さんが来て声をかけてくれた。


「ああ、やっぱり。お薬を食べなかったから悪化してしまいましたね」


 看護師さんの手には大きなお皿。そして巨大なサーロインステーキ。


「無理してでも食べてください」


 しかしオレは首を振った。

 こんな状態でサーロインステーキなど食べたらきっと死んでしまう。

 見るからに大きな肉の塊なのだ。

 胃に穴が開いてしまうだろう。

 なにより、痛みで食べる気力がなかった。


 看護師さんはまた「ふう」とため息をついて、

「あなたみたいな頑固な人は初めてです」

 と言った。


「わかりました。無理に食べろとはいいません。このお薬はここに置いておきますから、食べたくなったらいつでも食べてくださいね」


 そう言って病室を出て行った。

 オレは息をつく暇もなく、その晩、朝まで胃の痛みと戦ったのだった。



     ※



 胃の痛みが落ち着いた頃、オレは大部屋に移された。

 しばらく様子見とされたが、幸い合併症もなく順調に体力は回復していった。

 医者もオレの回復力には驚いていたようだった。


「若いからですかねー、薬の力も借りずによくここまで持ちこたえました」


 このまま何事もなく順調に回復すれば数日で退院できるだろうと言われた。

 正直オレはホッとした。

 もしかしたらあのサーロインステーキを食べない限りは退院させてくれないのではないかと心配していたのだ。


「ありがとうございます」


 心から礼を言う。

 薬の件はさておき、散々悩まされていた胃の痛みがきれいさっぱり消えてなくなっている。

 どうやら手術の腕はいいらしい。


 退院したらとびきりうまいスペアリブでも食べよう。

 そう思いながら病室の一室を通り過ぎると、奇妙な光景が目の端に映った。


 足を戻してその病室に目を向ける。



 そこには……。



 大量の肉や魚、ケーキや果物を食している入院患者たちがいた。

 みな、思い思いに出されている料理にかじりついている。

 中には両手で口の中にかき込んで美味しそうにムシャムシャと頬張っている者までいた。


 異様な光景だった。



 なんだ?

 これはなんなんだ?



 まるで映画に出て来るゾンビの集団である。

 ジッと眺めていると看護師さんがオレの脇をすり抜け、大量の料理を運んできた。


「お薬の追加でーす。たくさん食べてくださいね」


 入院患者たちは「待ってました」と言わんばかりに料理に群がった。

 その異様な光景に吐き気がこみ上げてくる。


 オレは思わず病室から出て行く看護師さんを呼び止めた。


「あ、あの!」

「はい?」

「あれは……、なんですか?」

「あれ?」

「大量の料理……」

「ああ、あれは料理じゃありません。お薬です」

「おくすり?」


 先日のオレの担当看護師さんもそんなことを言っていた。

 しかしどう見ても料理である。美味しそうな料理である。


「ここの病室はたくさん食べる人が多いから大変ですよ」


 看護師さんはそう言いながら笑っている。

 一体全体、何がどうなってるのかオレにはわからなかった。


「お薬って、普通、錠剤とか粉とかじゃないんですか?」


 オレの問いかけに看護師さんは真顔で「はい?」と聞き返した。


「自分もこの前サーロインステーキを出されたんですが、とても食べる気にならなくて……」

「ああ、あなた。例のお薬を食べなかった方?」

「は?」

「ナースステーションでも話題になってたんですよ。出されたお薬を食べなかった患者がいるって」

「え?」

「普通はお薬を出されると喜んで皆さん召し上がるのに」

「ど、どういう意味ですか?」

「ほら、あれ」


 そう言って指さした廊下の壁にはポスターが貼ってあった。

 そこにはこう書かれていた。



『みんな苦手な薬を美味しく食べられる時代に!』

『今こそなくそう! 錠剤・カプセル・粉ぐすり!』

『チンして食べられる薬も開発中!』



 正直、目を疑った。

 書いてある言葉の意味がわからない。

 薬を美味しく食べられる時代?


 ポカンとしていると、看護師さんは「ふふ」と笑った。


「あなた、何も知らないんですね」

「え?」

「錠剤や粉のお薬なんて、もう何年も前に廃止になってますよ」

「はい?」

「昔ながらのお薬なんて誰も飲みたがりませんからねぇ。今では料理の形をしたお薬に変わっているんです」

「え? え?」


 なんだそれ?

 錠剤や粉の薬は廃止されてる?

 今では料理の形をした薬に変わってる?


 言われてみればオレは普段ドラッグストアには行かない。

 今回、胃痛で入院するまで病気とは無縁だったし。

 世の中の薬がどうなっているのかなんて知りもしなかった。


「お薬は美味しくてお腹いっぱいになるものがいいですものね」

「……」


 一理あるような気もしないではない。

 だったら最初から言ってくれればよかったのに。


 いや、最初から「おくすりです」と言ってたか。


「で、でも、胃はもたれないんですか?」

「もたれませんよ。お薬なのですぐに吸収されますからね。なんでしたら今晩、あなたのお部屋にもお薬を持って行きましょうか? 追加料金が発生しますけど」


 言われて、先日見たサーロインステーキを思い出した。

 あの美味しそうな肉が薬だとしたら問題なさそうだ。むしろどんな味がするのか食べてみたい。


「ぜひお願いします」


 オレはそう言って頭を下げた。




 その夜、運ばれてきたサーロインステーキ、いや薬は想像以上のうまさだった。

 なんなら本物のサーロインステーキよりも絶品だった。

 運んできてくれた看護師さんに教えてもらったのだが、今、巷では薬だけを提供するレストランも増えているんだとか。



 薬も美味しく食べる時代。

 すごい世の中になったものだ。



 そう思いながら、オレはナイフで切り取った薬をフォークに突き刺して口に入れたのだった。

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