腹が減った男
「げっぷ」
男は汚い息を吐きながら、テーブルの上の料理を平らげた。
そして食後のワインを飲みながらスマホを取り出し、ここのレストランの評価を投稿する。
『ゲロまず。人間の食べ物じゃない。食べ放題だからって何出してもいいと思ってるふざけた店。絶対におススメしない』
そう言いながら最低点をつける。
実際は真逆の感想だったが、男は評判のいい店の料理にケチをつけるのが趣味だった。
当然、誰が書いたかは店側もわからない。
だからこうして匿名で店を陥れられるのだ。
男はそれが愉快でならなかった。
その時、店のウェイターが追加の料理を持ってきた。
「お待たせしました、ラストオーダーの料理でございます」
しかし男は言った。
「ああ、もうそれいらないから。下げて」
「お、お客様?」
困惑するウェイター。
食べ放題の店では客が残すということはよくあるが、彼のようにたくさん注文しておいて全部残すというのはあり得なかった。
「こちら、お客様が最後に注文したものとなっておりますが……」
「うん、注文した時は食べられると思ったんだけどねえ。でも急にお腹が痛くなっちゃって。食べられないや」
「で、ですが……ご注文していただいた料理は全部食べていただく決まりになっておりまして……」
「決まり? 決まりってなに?」
「メニューにきちんと載っております」
「そんなとこまで読むわけないじゃん。それともなに? この店は客にメニューに書いてあるもの全部読ませてるわけ? そりゃ横暴だよ」
「そう言われましても……」
「ああ、わかったわかった。そういう態度取るならこの店の評価、最低点つけとくから」
実際はすでに最低点を付けてるのだが、脅し文句で店員をさらに困らせる。
店員はすぐに店長に相談し、男を出禁という形で店を追い出した。
(ふん、二度とくるかバーカ。さて、次はどの店をおちょくってやるかな)
男はほんの少しの優越感にひたりながら店を後にしたのだった。
それから数日後。
男の中である異変が起きた。
午前中、仕事をしていると急激に腹が減ってきたのである。
腕時計の針は10時30分を示している。
昼にはまだ早い時間帯だ。
にも関わらず、男は空腹感に苛まれた。
(なんだ? やけに腹が減る……)
不思議でならなかった。
朝食はしっかりと取った。
朝7時に起き、いつものようにトースト2枚とベーコンエッグ、それにインスタントコーヒーを口に入れた。
育ち盛りの若者ならいざ知らず、男は今年で50になる。普段ならこれだけで十分な量である。
わけのわからない空腹感を抱えながら、男は仕事を進めていった。
昼の12時になると、男はすぐに会社を出て行きつけの食堂へ向かった。
そこも彼がボロクソに書いた店である。
その影響があったかどうかは不明だが、いつもその食堂は空いていた。
「Aランチ特盛で」
男は席に着くなりメニューも見ずにすぐに注文した。
従業員は「かしこまりました」と言って水の入ったコップを置いて引っ込む。
ランチが出て来るまでの数分。
それが男にとっては耐え難い苦痛だった。
(うう、腹が減った……。だがあと少しの辛抱だ)
しかしいつまで経っても料理は来なかった。
いつもなら5分ほどで来るAランチである。
どうなっているのか。
「おい」
男は声をかけた。
店員は現れない。
「おい!」
男は再度声をかけた。
店員はまだ現れない。
「おい! 客が呼んでるんだ、返事しろ!」
ついに男はキレて厨房に顔を出した。
するとそこには、料理どころか何も準備していない従業員が恨めしそうに男を睨んでいた。
男は一瞬たじろぐも、すぐにいつものように虚勢を張った。
「どうなってるんだ! オレはAランチを頼んだんだぞ!? 全然作ってないじゃないか!」
従業員はやれやれという顔をしながら言った。
「残念ですがお客様。当店ではお客様に“クソ不味い飯”を食べさせるわけには参りませんので、お出しできません」
「何を言ってるんだ」
言いつつ男はハッとする。
そういえばこの店の書き込みで「クソ不味い飯」と書いたのを思い出したのだ。
「申し訳ございません。当店の料理でお客様に不愉快な思いをさせてしまいまして」
「別にそれはいい。早くAランチを出せ」
「お客様に満足していただける料理はお出しできません」
結局、その食堂では何を言っても料理を出してくれなかった。
頭にきた男は
「この店のこと、ネットに書き込んでやるからな! 覚悟しとけ!」
と言って店を出た。
10分も昼休みをロスした男は、別の食堂に向かった。
「唐揚げ定食、大盛で」
しかしそこでも店主が男に向かって言った。
「すいません。貧相な唐揚げをお客様にお出しすることはできませんので」
「何を言ってるんだ」
「当店はお客様の声が第一。貧相な唐揚げはさすがに失礼にあたるかと」
「それはいい。唐揚げ定食だ」
「よそを当たってください」
男は行く先々で体よく注文を断られた。
どこもストレス発散のためにボロクソに書いた店だった。
不思議だったのは、なぜか彼らが自分の書き込みを知っていることである。
書き込みをしたのは匿名の掲示板だったはずである。
スマホを取り出した男は「あ!」と小さく声をあげた。
自分が書いた評価の欄。
そこに書き込みをした男の顔写真がでかでかと載っていたのだった。
「ど、どういうことだ。これは」
しかも男が行ってきた悪行の数々まで詳細につづられている。
そして最後に米印で
『今後、この掲示板を利用される方は、内容に関わらず顔写真が掲載されます』
と書かれていた。
プライバシーの侵害どころではない、もはや犯罪である。
だが男は戦慄した。
自分が書き込んだ店の悪評。
そのすべてがほとんどこの近辺の店である。
つまり、自分はどこへも行くことができない。
男は観念してコンビニに立ち寄った。
しかしそこでも
「お客様にお売りできるものはございません」
と断られた。
なぜか男は周りから悪質なクレーマーと周知されていたのだった。
それからどこへ行っても断られた男は、ついに腹が減りすぎて動けなくなった。
ベンチで横たわっていると、ひとりの老人が顔を見せた。
「どうじゃ? 少しは懲りたかの?」
横たわりながらうっすら目を開ける男。
たった半日なのに、その顔はげっそりと痩せこけていた。
「魔法であぬしの時間だけ早送りさせておったのじゃ。今のおぬしはまる3日、何も食べておらん状態じゃ」
何が何やらわからなかったが、男は考える気力も失っていた。
「これに懲りたなら、もう二度とバカな真似はせんことじゃ」
老人はそう言うと姿を消した。
すると不思議なことに男の中の空腹感がだんだんと薄れていった。
いや、少しは腹が減っているが、1食分抜いた程度の腹の減り具合である。
(なんだったんだ、あのじいさん)
ベンチから起き上がった男は、スマホを取り出した。
そこには自分が書き込んだ低評価のレビューだけが書かれており、自分の顔写真など載ってはいなかった。
不思議に思いながらも、男は最初に立ち寄った食堂に顔を出す。
水を持ってきた店員に恐る恐る「Aランチ特盛で」と頼むと、しばらくして本当にAランチがやってきた。
「め、飯だ……」
震える手で箸を取り、料理を口に運ぶ。
なつかしさがこみ上げてくるほどの美味しさだった。
「う、うまい」
熱々の料理で空腹の胃が満たされて行く。
男は涙を流しながら料理をかきこんだ。
空腹は最高の調味料とはよく言ったものだ。
それでなくとも、行く先々で断られ続けた食べ物をこうして食べられるというのが幸せだった。
「ごちそうさまでした」
男は両手を合わせてそう言うと、スマホを取り出してひとつひとつ低評価のレビューを消していったのだった。
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