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侵略のセントラルキッチン 2-6

 不規則な生活は不健康だとされているけれど、仕事の性質上、不規則な生活にならざるを得ないひとは、どうすればいいんだろうね。

 おさげにまとめたぼさぼさの髪の上に、しわくちゃな三角帽をかぶった女性。凍らせ屋(アイスマン)のトリオデ。

「――おはようさん、マスター。日替わりランチちょうだい」

「いらっしゃい、トリオデさん。おはようというには、すこし遅い時間ですけれど、お仕事ですか?」

「うん……輸送の仕事で、ちょっと帝都離れとって、昨日の晩には帰ってくる予定やってんけど、予定よりも遅くなってもうて、朝帰り」

 凍らせ屋(アイスマン)は、その技能ゆえに冷凍輸送を任されることが多い。トリオデさんくらいの腕の魔法使いなら、中~長距離の仕事も請け負うことになるから、その仕事の帰りというわけだ。

「朝帰りで、さっきまで寝ていたんですよね? 今日、ハンバーグとスープとライスでちょっと重めですけど、寝起きで食べられます?」

「いややわ、もー。なんで寝起きってわかったん? そんなに寝起きの顔してる?」

 そりゃもうばっちり。

「でも、ハンバーグかー。うーん……」

 腕組みをして悩みだすトリオデさん。ハンバーグは好物だったと思うのだけれど、どうしたのだろう。おなか痛いのかな。

「ハンバーグ、おいやですか?」

「いやね? 仕事の話やから、詳しくは言われへんねんけど、輸送の仕事頼んできたところが、輸送中は毎日、行動食でハンバーガー出してきてな? ちょっと食傷ぎみというか」

「あっ」

 詳しくは言えないといいながら、最大のヒントがぽろっと出てきた。

「なんね、その『あっ』は」

「いえ、あの、トリオデさん」

 んん? と小首をかしげる。もしかして、まだ寝ぼけていらっしゃるのではあるまいか。

 しかし――これ、ほとんどクライアントを隠せていないだろう。毎日ハンバーガーを行動食で出すとなれば、材料を冷凍して運んでいたのだろうけれど、それってつまり、そういうことだよね?

「いちおう、聞いておきますけれど……隠す気あります?」

「え? なにを?」

「依頼主は“斑髪”のレイチェル・タイムでしょう?」

「なんでわかったん!?」

 びっくりー、という顔でおどろいているけれど、逆に、どうして気づかれないと思ったのだろうか。天然か。

 けれど、意外というかなんというか――トリオデさん、以前は雇われなかったと嘆いていたのに、どうして急に雇われたのだろうか。聞いてみると、

「ああ、ちゃうちゃう。ギルドに依頼してきたんよ。なんか、直属の凍らせ屋(アイスマン)やと無理かもしれへん長距離やったらしくて。タイム領って、分散してるん知ってた?」

 ひらひら手を振って言う。専属の凍らせ屋(アイスマン)ではなく、トリオデさんを頼った理由――。

「分散? どういうことです?」

「領地がひとつやのうて、みっつとかよっつとかありよるん。なんか、金のない他家の領地を借り受ける形で使ってるんやと」

「……それ、いいんですか?」

 貴族の領地は皇帝陛下からの賜りものだ。それを勝手に切り取って貸し借りするなんて、許されるはずがない。

「うちもソレ思ってんけど、許状が事務所の壁に貼ってあったわ」

 許されてた。マジかよ。

「皇帝陛下やのうて、代理印やったけど。ええと、たしか――」

 ど忘れしたのか、トリオデさんはうむーんとか呻きながら首をひねり出した。……まさかとは思うけれど、またあのひとだったり――するかもしれない。

 帝都の財務大臣。僕の――いや、いまは関係のない話か。

「もしかして、シルヴィア・アントワーヌ……では、ありませんでしたか?」

「そうそう、そのひと! なんでわかったん?」

「レイチェル・タイムとシルヴィア・アントワーヌは、共謀してノックアウトバーガーをやっているんじゃないか、って疑問は前からあったんですよ」

 そして、タイム領の話を聞いて、確信した。“鋼の法”シルヴィア・アントワーヌは、確実にクロだ。どういう理由かは不明だけれど、あのひとは商人円街を支えるギルドの仕組みを潰そうとしている。

 法を守ることを生きがいとする彼女が、特例を認めてまで商人円街を攻撃する理由――わからない。不可解だ。けれど、だからこそ恐ろしい。なにを考えているのか、まったくわからない――。あるいは、もう、僕の知るシルヴィア・アントワーヌではないのかもしれない。

 思案する僕に、トリオデさんはじっとりとした目を向けて、言った。

「……マスター、ところでうちのランチは?」

 あっ。

 昼営業の時間は、そんなこんなでせわしなく過ぎていった。

 最高のパティを挟む最高のバンズ。

 もっちりと、なおかつどっしりと肉のうま味を受け止められなければならない。けれど、当然ながら言うは易し行うは難し――そんなバンズは、なかなか作れるものではない。

「カリム、試作ができたぞい! 持ってきたから、まあ食べてくれや」

 トリオデさんが帰って、ランチタイムが終了したあと、ジェビィ氏がカフェ・カリムにやってきた。目の下にクマができている――必死にやってくれたのだろう。

 しかし、そのクマを感じさせないテンションの高さで、ジェビィ氏は袋から丸いパンを取り出した。きれいに茶色く焦げ目がついていて、ふわりと焼き立てパンの香りが漂う。急いで持ってきてくれたのだろう。

「ふふふ、なかなか苦労したぞい。配合が難しくしてのう。じゃが、そのぶん、満足のいくものができた」

「それは期待できますね」

「マスター、あたしも食べたい」

 食いしん坊がいつの間にか寄ってきていた。さっきまかないをたくさん食べたのに。

 ずっしりと手に受ける感触。手に伝わる温かさ。ふたつに割ってみると、甘いパンの香りが爆発した。たまらない。割った片方をプリムに渡して、

「では、いただきます」

 かぶりつく。

 少し硬めのパンの皮が歯に当たる。そのパリパリした食感と香ばしさを感じつつ、白い部分を噛みしめる。

 ――もっちり。

 しっかりと、歯に弾力が跳ね返ってくる。ただ硬いわけじゃない。ふわふわなのに、もっちりしているのだ。

 多めに配合してあるのか、バターの風味とすこしだけ効いた塩味が、口の中でゆるやかに踊っている。天然酵母で焼いたパン特有のほのかな甘みも、また格別で――。

 これは、うまい。

「……うまっ」

 プリムがもしゃもしゃとパンを食べきった。はやい。

「ジェビィさん、すごいじゃん! ただの下ネタクソジジイじゃなかったんだね!」

「ほっほっほ、プリムちゃんや、おまえいままでわしのことをただの下ネタクソジジイじゃと思っていたんじゃな……!?」

「だってそうじゃん。ねえ、マスター?」

 ジェビィ氏は心外そうに目を細めてこちらを見ている。僕はまたパンをひとくちほおばって、

「いやあ、本当にうまいですね、このパン……!」

「ごまかし方が雑じゃのう!」

 いや、だって、実際下ネタクソジジイみたいなところはあるし……。

 『ただの』ではなく『凄腕パン職人の』だけれど。はじめて扱う食材で、ここまでのものを仕上げてくるのだから――。

 最高のバンズにするために、ジェビィ氏に頼んだ工夫。

 それは――米粉。

 米粉の持つ風味とどっしりした味わい深さを、パンに加えたのだ。粘り成分グルテンを持たない米粉を入れると、ともすればぼそぼそした食感になりかねないけれど、ジェビィ氏は見事になしとげた。最高のバンズだ。

「小麦粉に米粉を配合して作った米粉パン――これだけでも、十分新商品になるが、さて。実はまだみっつほどあるんじゃが――どうじゃ、カリム。いま、挟んでみぬか?」

「そうですね。――やっちゃいますか」

 挟む。なにを? そんなもの、当然決まっている。

 魔冷箱(フリーザー)からパティを取り出し、焼き上げる。と、同時にジェビィ氏のバンズを上下に切り分けて、軽くあぶっておく。野菜はトマトとレタス。ソースはなし。パティとパンにしっかり味がついているから、これだけでも十分なはずだ。

 でん、と大きなハンバーガーがみっつ、完成した。さながら城のようだ。皿の上に積み重ねられた巨大な城。この城は――攻め落とすためにある。

 だれからともなく吶喊。かぶりついて――一心不乱に食べきった。

 もっちもちのバンズ。ジューシーなパティ。うま味をたっぷり含んだ熟したトマトに、重たく感じがちな組み合わせをさわやかに食わせるレタス。

「……んふふ」

「ほっほっほ……」

「くふ、ふへ……」

 あまりのうまさに、三人そろって変な笑いが出てきた。はたから見ると完全に怪しい集団だけれど、安心してほしい。本当にうまいものを食べると、だいたいのひとはこうなる。

「……勝ったじゃろ、コレ」

「うん。マスター、祝勝会の準備をしておこうよ……これ世界で一番うまいって、絶対」

「いやいや、まだ工夫は残ってるし、完成じゃないよ」

 トーア氏とコロンさんに頼んだプランが、まだ残っている。もっと、うまくする。

 けれど――正直な話、もうこの時点で、負ける気なんてまったくなかった。

 絶対に勝つ。勝てる。僕のハンバーガーで、レイチェル・タイムを完膚なきまでに叩きのめす――。

 そう、決意を決めたとき、からんとドアにかけた鈴が鳴った。お客さんだろうか。ランチタイムは終わったし、夜営業の時間はまだだ。ひとと会う約束はしていないけれど、トーア氏かコロンさんが来たのだろうか。

 ――違った。振り返った僕の目に映ったのは、ひとりの女性だった。陰鬱な長身のおっさんでも、背の低い二児の母でもない。

 若い女性。僕よりふたつ年下の十八歳。ふりふりのドレスを着ていて、黒髪黒目、ぽややんとした雰囲気の美少女。そんな美少女が、ぐるりと店内を見回し、僕を見つけて――にへらと笑みを崩した。そう、彼女こそが僕の――ちょっと待って。なんでおまえがここにいる!?

「ジーン!? どうして――」

「会いたかったですぅーっ!」

 駆け寄ってきたジーンが、さながら獲物にとびかかる肉食獣のように僕に抱き着いてきた。スタイルがよすぎて逆にビビるくらいトランジスタグラマーなジーンの胸とかおっぱいとかバストが押し付けられたけれど、そんなことを気にする余裕はない。

 僕の脳内は、疑問符で埋め尽くされているからだ。マジでなんなんだ。ぐしゅぐしゅ泣く美少女を、とりあえず抱き止めてやる。

「もう、マリウスくんのバカバカ! わたくし、さみしかったんですからねぇっ!」

「あ、うん、ごめん」

 なんだかよくわからないけれど、とりあえず謝っておく。すると、背後で、

「見るのじゃ、プリムちゃんよ。とりあえず泣いている女には謝っておけばよいと思っているダメ男の典型じゃぞ。ああやって幾人もの女性を相手取り泣かせてきたがゆえに、ああもスムーズに謝りながら背中ポンポンとかできるんじゃよ」

「サイッテー……」

「いや違うから! そんなんじゃないから! そんな目で見ないで! ジーンは僕の――」

 ――僕の、なんて説明すればいいんだろう。

 彼女の本名は、ジーン・アントワーヌ。財務大臣シルヴィア・アントワーヌの娘で、アントワーヌ家の長女である。そう説明するのは簡単だ。けれど、僕との関係を説明することは、はばかられる――言えるわけがない。

 ずっと黙っていたことで、墓までもっていく覚悟だってしていた。まかさ直接かかわることになるなんて、予想もしていなかった。マジでどうしよう。

「……僕の? 僕の、なんなの? ねえ、マスター」

 泣きじゃくるジーンの声をBGMに、さっきよりもいっそう冷ややかに、プリムが聞いてきた。なぜかは知らないけれど、猛烈に怒っている。理不尽だ。

「え、ええと……この子はですね、僕の、その、なんと言いますか」

「へぇ。へーえ。言えないような関係なんだ。ふぅーん、へぇー、そーなんだーマスターってばあたしに言えねえような関係の女がいるんだー」

「あ、あの、プリム?」

「あァ?」

 怖っ! 目つきが完全に昔のソレに戻っちゃってるよ。

 もはや生命の危機さえ感じる。そんな風に思っていると、僕に抱き着いていたジーンがキッとプリムをにらみつけて(まず抱き着くのをやめろ)叫んだ。

「わたくしの大切なマリウスくんにひどいことしないでくださいまし!」

 別におまえのじゃないけどな。そう軽口をたたける雰囲気でもないし、どうしようか、なにか解決策はないかと店内を見渡すと、ジイさんがいた。めっちゃ笑顔で親指を立ててきたので、こちらも負けじと親指を下に向けて見せてやった。というか助けろ。

「おまえの……? なんだよ、おまえ。いきなり出てきて、なんなんだよ、テメェはよ。あ? ナニモンだテメェ言ってみろよオイ」

「う……」

 ヤンキーモードに入ったプリムにおびえたのか、ジーンがさらにぎゅっと僕に抱き着いてきた。それを見てプリムのまとう怒気がさらに強烈になった。もうどうにでもなれ。いやなるな。収束してくれ。

「わ、わたくしは……マリウスくんと、ええと、なんと言ったらいいのかしら……そう、よりを戻しに来たのですわ!」

 びしい、とジーンは言い切った。よりを戻しに来たのか。そうか。無理だと思うぞ。

 一方、プリムは完全に固まっていた。フリーズしたPCみたいだ。この世界にPCないけど。ややあって、ぎしりと動き出した。ロボットかよ。

「マ……」

「……ま?」

「マスターのボケッ! 側溝に詰まって死ねッ!」

 どんな罵倒だ。そのまま、プリムは走り出して店を行ってしまった。やれやれ。

「……怖かったですわー! 怖かったですわ、なんなのですかあの恐ろしい形相の女は! マリウスくんったら、あんな女とつるむだなんて! これは一刻も早くよりを戻さねばいけませんの!」

「いや、ジーン。その『よりを戻す』って表現、どこで覚えた?」

「昨日読んだ小説ですの」

 覚えたての単語を使おうとして誤用してしまうタイプって、いるよね。ジーンはまさしくそういうタイプ。

 はあ、とため息をついて、ジーンを引き離す。ついでに、カウンターでこちらを見ているクソジイさんに、

「すいません、ジェビィさん。ちょっと外してもらえますか?」

「追いかけなくていいのかのう、プリムちゃんを」

「え? 晩御飯には戻ってくるでしょ」

 ジェビィ氏はちょっと形容しがたい愚か者を見る表情で僕を見た。なんだその顔は。

「これか? これはちょと形容しがたい愚か者を見る顔じゃ」

「だれだよ愚か者」

「おぬししかおらんじゃろうが、たわけ。さすがに笑えんぞ、これは。かわいそうに」

「……そりゃあ、僕にだって言えないことのひとつやふたつありますよ。秘密があるのは申し訳ないし、悪いと思ってますけど」

「悪いと思うところが違うわ、愚か者」

 はぁー、とクソジイさんはでかい溜息を吐き、「また来るからのう」と言い捨てて店を出て行った。

 店内に残ったのは僕とジーンだけ。うふふ、とジーンが笑いながら身体をすりよせてくる。

「やっと落ち着いて話せますわねっ」

「うんもう疲れ切っててなにもできないけどね」

 おまえのせいだ、という恨みを込めて見つめてみたけれど、なぜかほほを染めて目をそらされた。なんでだ。

 ともかく――ジーン・アントワーヌとの関係を秘密にできたことだけは、よかった。

「まったく。――あいかわらず落ち着きがないな、おまえは」

「マリウスくんに言われたくありませんの」

「ていうかなあ、おまえ――兄貴に向かってくん(・・)付けで呼ぶって、どういう神経だよ」

「え? だって、マリウスくんはもう勘当されてアントワーヌの人間ではありませんもの。お兄様と呼ぶわけにはまいりませんわ」

 そう。この女性――ジーン・アントワーヌは、僕の実の妹だ。だからこそ、厄介なのだけれど。

 まさか、商人円街をつぶそうとしているシルヴィア・アントワーヌが僕の実の母親だなんて、仲間には知られたくないからね。

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