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侵略のセントラルキッチン 2-5

 ――ハンバーガーとはバランスである。

 パン(バンズ)とパティ、野菜やソース――それらの調和が崩れると、途端にイマイチになってしまう。『おいしいんだけれどなにかが足りないハンバーガー』は、そうして生まれる。

 最高のバーガーを作りたいなら、ただ最高の具材を使えばいいってもんじゃない。最高レベルでのバランスを意識しないといけないんだ。

 そこで、僕がテックさんに頼んだ牛肉の部位は、

「ミスジ――肩甲骨の内側にある赤身肉。一頭の牛から数百グラムしかとれない幻の部位で、非常に柔らかい赤身と、細かく入った霜降りが特徴。そのまま焼いて食べるだけで、そりゃあもうとろけるようにうま味があふれ出す最高の部位――」

「すごくおいしそうじゃない、マスター!」

「――の、上にある部位の(ウワ)ミスジっていう部位」

「一気に弱そうになったね、マスター」

 まあ、たしかに肉としての価値はミスジよりも低い。赤身の質そのものはミスジと似通っていて、非常に柔らかいのだけれど、霜降りが――つまり、筋肉中に含まれている脂肪分がほとんどない。真っ赤なのだ。

 しかし――だからこそいい。

 霜降りはそのまま食べるなら最高だけれど、ハンバーグにするとしつこく感じてしまう。そのしつこさは、ハンバーガーにおいては全体のバランスを崩す要因になるのだ。

「でも、それだけだと、ぱさぱさしちゃうんじゃないの?」

「そうだね。これだけでも十分おいしい赤身肉のハンバーガーにはなるけれど、多少ジューシーさに欠けるだろうね」

 プリムの不安はもっともだ。しかし、そうならないために、さらに工夫を行う。

 魔冷箱(フリーザー)から取り出したのは、白い塊。いまのいままで凍っていたはずなのに、手の熱だけですぐに表面がとろりとぬめりを帯びる。

 これが、僕の秘密兵器。

 刻んだ上ミスジに、白い塊から削り取った細かい破片を少し加えて、こねる。つなぎは不要。味付けに塩、コショウを加えて、形を整えていく。普通のハンバーグなら俵型だけれど、僕らが焼くのはハンバーガー用のパティだ。バンズと同じ、まんまるに仕上げる。

 温めたフライパンに油をひいて、パティをそっとのせれば――ばちばちと音が跳ねて、肉の焼ける香り、加熱されたコショウの突き抜ける香りが広がっていく。

 いまこの瞬間、僕の精神はフライパンの上にあった。

 すべての音、香り、視覚から得られる情報すべては、焼き上がりを待つパティのためにある。約百グラムの小さな肉の塊。けれど、いまだけは同じ重さの金よりも重要で価値のある百グラム――。

 肉の焼ける香ばしいにおいの中に、一瞬、やわらかく甘い香りが混ざった。パティから、血の混じっていない純粋な脂がフライパンへと届いたときの香り――もちろん、それは僕の錯覚に過ぎないかもしれない。それでもいい。僕はその錯覚を、パティから届けられたその合図を信じる。

 合図にしたがい、すばやく、けれど優しくパティを返す。

 染み出て焼きあがった面に落ちつつあった脂が、重力に従って逆走を開始。その先にあるのは、新たに焼けつつある反対の面――けれど、脂がそこに辿り着く前に、パティに火が通る。

 逆走した脂が加熱された鉄の上に落ちる前に、皿へと引き上げる。

 焼き上がりは軽やかに。提供は迅速に。

 フライパンへと落ち、流れ出ることを許されなかったうま味と脂。僕はそれらを一皿のハンバーグに閉じ込めた。

「バンズはまだ完成していないから、とりあえずこれだけで。さ、プリム。――ご賞味あれ」

「なんだか長々とハンバーグを焼くところを見せつけられたような気がする……! 数分のことだったのに……!」

 期待度が高まっているようでなにより。ともあれ、プリムはごくりとのどを鳴らして、ナイフとフォークを手に取った。

 シンプルな味付けゆえに、肉のうまみを最大限に感じる一皿に仕上がっているはずだ。

 そして――白い破片。僕がパティに封じ込めた最大の隠し味。肉汁が少ないはずの赤身肉のハンバーグを化けさせる切り札。

 ざぶり、とナイフがハンバーグに沈み込んだ。

「……えっ!?」

 プリムのおどろく声が店内に響いた。

 無理もない。彼女は、赤身肉百パーセントのハンバーグを切っているはずだったのだから。

 なのに――いま。皿の上には、ハンバーグの断面からあふれ出た透明な肉汁が広がっている。

 切り分けたひときれを、プリムはおそるおそる口へと運び、満面の笑みを浮かべた。いま、彼女の口の中では、うま味の奔流が荒れ狂っているに違いない。

 プリムは次々とハンバーグを切り分け、どんどん口へと運んでいく。うねうね身もだえしながら、最後のひときれを飲み込んで、は、と一息ついた。急いで食べたから、息が詰まったのかもしれない。

「うまいっ! うまいよっ、マスター!」

「でしょ?」

 このパティに見合うバンズはまだできていないけれど、彼女がまだ物足りない顔だったので、軽くあぶって温めた黒いパンのスライスを皿にのせる。ジェビィ氏の店は、白いパンを売る権利を持っているが、貧民円街向けの需要もあって、ずっと黒いライ麦パンを売っている。ときおり、僕が食べたくなったときなどに買い置きしておくのだ。日持ちするし。

 プリムは黒いパンを皿の上で何度もひっくり返して――言い方は悪いけれど、いじきたなく――肉汁を集めきった。

「……いつも思うけれど、プリムは本当にうれしそうに食べるよね」

「え? だって、うれしいじゃん。ものを食べられるだけで幸せなのに、それがマスター手作りのおいしいごはんなんだよ? うれしいに決まってるじゃんか」

「ものを食べられるだけで幸せ、ね……」

 はぐはぐとライ麦パンのスライスをかじるプリムは、本当に幸せそうな笑顔だ。けれど、彼女はほんの一年前まで、食うに困る生活をしていた。貧民円街で――“エッジ”のハーマンたちと一緒に、ときには残飯さえ漁って。あまつさえ僕の店に強盗に押し入った――けれど。

 いまの彼女は、その頃の彼女とは別人だ。更生して、いまは商人円街の仲間だと認められている。

 僕の店で幸運だったと、ハーマンは言った。本当にそうだ。僕も幸運だった。押し入り強盗を企てたのがプリムだったから、僕も、彼女の助けになることができたんだ。

「……僕も」

「はむ?」

 つぶやいた言葉に、パンをくわえたまま応じる。そういう仕草は、一年経っても変わらない。そんなことに気づく自分に少し苦笑しつつ、僕は言った。

「プリムがうれしいと、僕もうれしいよ」

「――ふえ」

 ぼん、と真っ赤になった。

「な、なんでいまそういうコト言うかなっ、マスターは!」

「なんでって、言いたくなったから」

「もう! もう!」

 むー、とうなりながらも、パンをかじるのをやめないところが彼女らしくてかわいらしい。

 一通り憤り終わったのか、プリムは皿を下げながら、はてなと首をかしげた。

「ねえ、マスター。どうして赤身肉のパティから脂がたくさん出てきたの? 魔法?」

「いや、魔法じゃないよ。白いのを削って入れてたでしょ? あれがトリックのタネで――」

「――はっ、まさか――!」

 プリムがなにかに気づいたように、口に手を当てた。おそらく、正解に辿り着いたのだろう。仮にもこの店で一年間従業員を務めているのだから、それなりに料理に対する知識も増えてきているということか。いわば師匠として、僕も鼻高々である。

 しかし、僕の奥の手に自ら気づくとは、プリムのなかなか素質がある。いずれ、僕に追いつき、追い越す料理人として店を巣立っていく――こともあり得る。そうなったらどうしよう。いまから「ワシが育てた」って言えるようにしておかないと。必要なものはなんだ。威厳とか、やっぱりいるよね。黒いシャツと頭に巻くタオル、それから腕組みの練習は必須だろう。コレ違うラーメン屋だ。まあいいか。ともかく、いまはプリムの成長を喜ぼう――。

「――パティにヤバい薬を混ぜ込んで、あたかも肉汁があふれ出ているかのように錯覚させた――!?」

「違うよ!」

 ぜんぜん気づいていなかった。どころか斜め上に思考をすっ飛ばしていた。さすがプリムだ。巣立ちの日は遠い。――遠くていいけど。

「ええとね、入れたものはコレなんだけど」

 魔冷箱(フリーザー)から、もう一度白い塊を取り出す。平べったいシート状で、なにかの切れ端のようにも見えるし、なにかを練り上げて作ったようにも見える。

 テックさんに言って仕入れてもらったものは、上ミスジだけじゃない。むしろ、この白い塊のほうをこそ仕入れたかったといっても過言ではないかもしれない。

「牛の一部だよ。腎臓とヒレ肉のあいだに、この白いものがあるんだ」

 地球世界でも、わりと簡単に手に入れることができるものだ。すき焼き用の肉を買うと、プラスチックトレーの端っこにちょこんとのせてあったりする。

「――ケンネ脂。ようするに牛脂だね。霜降りだと調整が難しくてバランスが崩れるなら、赤身に牛脂を混ぜ込んで調整してやればいい――ってわけさ」

「おお……! マスター、すごい! 天才!」

「はは、そんなに褒めてもなにもでないよ」

「プロみたい!」

「プロだよ」

「おかわり!」

「なにもでないって言ったよね……?」

 勢いで押し切れると思わないでほしい。……褒められて悪い気はしないから、少しくらい追加で作ってあげてもいいかな、なんて思ってしまうところが、僕のダメなところなのかもしれない。

 ともかく、ケンネ脂をこうして刻んで混ぜ込むと、格段にハンバーグの味がよくなる。口当たりはソフトになり、脂特有のしつこさやくさみはほとんどなく、肉汁の多さのわりにすっきりと味わえる。

 なにより、ただの脂身なので、本来捨てている部位である。ようするに――安い。ほとんどコストをかけずに味を向上させられるのならば、それに越したことはない。

「……まあ、このアイデアを思いついたのも、あの女がいたからなんだけどね」

「あの女……って、レイチェル・タイム?」

「うん。あの女が内臓を――捨ててた部分を使っただろ? だからってわけじゃないけど……」

 廃棄部位の有効活用。レイチェル・タイムの猿真似のようで腹立たしいけれど、それでも――僕が思いつく最善のプランだ。勝つためなら、少しくらいの腹立たしさは飲み込んでしまおう。

「いいパティができた。それに――そろそろ、バンズも試作ができあがるころじゃないかな」

「試作? ジジイの?」

「そう、ジイさんの。いろいろ工夫を凝らして、このジューシーなパティに負けないような、最高のバンズを作ってきてくれるはずさ」

 最高のパティはできた。だから、次は最高のバンズ。こればっかりは、腕利きの職人に頼るしかない。

 商人円街でいちばんのパン職人、ジェビィ・エル氏に。

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