侵略のセントラルキッチン 2-4
「本当は――きちんとアポイントメントをとっていただかないと、お会いできない決まりですの。マリウス様でなければ、いきなり会おうだなんていわれても、お断りさせていただくのが常ですのよ」
レイチェル・タイムは優雅にティーカップに口をつけた。
「それで、どのようなご用件ですの? 血相を変えて飛び込んできたと聞いたときは驚きましたけれど――」
用件? 決まっている。わざわざレイチェル・タイムが貴族円街に所有する屋敷に出向いてきたのだ。
見たくもない偽物の笑顔と対面せざるを得ないほどに重要な案件。ウィステリア・ダブルは隣室に控えているという。
正真正銘、僕と彼女のふたりだけ。タイマン勝負。
「テリヤキバーガーのパティのことだ。レイチェル・タイム……おまえ、内臓を入れたな?」
レイチェル・タイムは目を丸くして――作り笑顔すら忘れて、驚いた顔をした。
あら、あらあら――なんて言いながら、彼女はすぐに笑顔を取り戻したけれど、僕はしっかりと見た。
「気づくやつはいないとでも思っていたんだろ?」
「ええ。もちろん――気づかれないように調合しましたもの。うふ、わたくし、そういうのは得意ですのよ? バランスをとる――といいますか。調和から離れたところで生きていたからでしょうか、むしろ、そういう感覚には自信がありますの」
とろけるような言葉遣い。ついつい聞き入れば、骨の髄まで溶かされてしまうような甘ったるい声。ふかふかのソファに香り立つ紅茶。すべてのバランスがよくて、頭にもやがかかっているかのように、思考を鈍らせる。
それでも、僕が彼女に言いくるめられなかったのは、彼女の美しい笑顔が偽物だとわかってしまうから。パティに混ぜられていた内臓と同じだ。絶妙なバランス感覚の中にある、一点の違和感。それだけが、僕に正気を保たせている。
「逆に、わたくし、料理は苦手ですの。食べるだれかのためを思って作るとおいしくなる? 料理は愛情? ナンセンスですわ。まったくもってナンセンス――味覚受容体は愛情に反応するようにはできていませんのに。ねえ、マリウス様もそう思いませんこと?」
「おまえ……!」
カッとなって、思わず席を立つ――ことができなかった。少しだけ腰を浮かせた体勢で、止められた。いつのまにか、レイチェル・タイムが立ち上がって右手をテーブルにつき、身を乗り出して、僕の額に左手に持ったティースプーンを押し当てていたのだ。
座っていたはずなのに。いつのまに。額に当てられた小さな金属。それだけで、僕は立ち上がることができなくなった。
「お忘れ? わたくし、いちおう“傭兵女王”なんて呼ばれていますのよ?」
くすりと笑う。それすらも作り物。
――急速に頭が冷えた。
そうだ。この女は、プロの人殺しでもある。僕なんかが逆立ちしたって勝てる相手じゃない。それに、僕は殺し合いをしに来たわけじゃない。腰を落として、座りなおす。
殺し合いをしに来たわけではないけれど、話をしにきたわけではある。ひとつ呼吸して、
「……わかってるのか? 内臓を入れるってことのを意味を……食肉ギルドで内臓が廃棄されているのは、この世界ではまだ安全に食える部位じゃないからだぞ」
「貧民円街のヤミ屋台の話ですわね? あれは、そもそも捨てる部位ですから、食肉ギルドでも適切に処置されていませんもの。それがヤミに流れれば、悪くなることはあっても、よくなることなんて万にひとつもありませんわよ。貧民円街には治癒術師だっていませんし、運が悪ければ食中毒で死ぬことだってありますわよね」
「たしかに管理のせいかもしれない。けど、そもそも――この世界の牛や豚が、地球の牛や豚と同じだとは言い切れないだろ? 僕らの身体だって開いてみれば解体新書とは違う構造かもしれない。だいたい、魔法なんて言う得体のしれない原理が作用する世界だぞ。レイチェル・タイム――あなたが地球の知識をたくさん持っていることはわかったけれど、だからって、その知識がこの世界でそのまま通用すると決まったわけじゃない」
内臓は危険だ。少なくとも、この世界においては。
「内臓はやめたほうがいい。重大な問題に発展する可能性がある」
努めて滔々と語ったつもりだった。けれど、レイチェル・タイムは――やはり、作り物の笑顔で、くすりと笑った。
「そんなこと、承知の上ですわ」
「――え?」
「この世界と地球と、まるで違う物理法則が存在しているなんて、言われなくても承知しておりますの。ぺらぺらの紙に記された魔法陣ひとつでコンロに火が付き、凍らせ屋が魔冷箱にひとつまじないをかけるだけで、それこそ冷蔵庫みたいに機能する世界ですもの。豚の内臓も牛の内臓も鳥の内臓も、きちんと安全かどうかを精査したうえで提供していますの」
「精査? って、どうやって……地球みたいに科学的なアプローチができるわけじゃないはずだ」
「科学的なアプローチができないのであれば、科学的でない地道なアプローチをするしかないでしょう?」
レイチェル・タイムは、笑った。たぶん、本物の笑顔で。にっこりと、笑った。誇らしげに――自分の偉業を誇るように。
「わたくし、これでも領主ですもの。領内にある農村に住むひとびとにご協力をお願いしておりますの」
――精査。科学的でない地道なアプローチ。人間が食べて危険があるかどうかを判断するもっともわかりやすいチェック方法は――多くの人間に食べさせて、様子を見ることだ。
つまり、それは――
「人体実験じゃないか……!」
「そうとも言いますわね」
けろりと言い切る。ぞくりと背中に悪寒が走った。僕はずっと、僕と同じ地球からこの世界に生まれ変わったがゆえに優秀な知識を持つ人間を相手取って戦っているつもりだった。けれど、違う――こんなやつは、地球であろうが異世界であろうが、問題外だ。道理を外れている。
「人体実験のどこがいけませんの? だれかの犠牲なくして文明は発達しませんの。先頭を走るだれかが道を切り開くことで、うしろに続くことができますのよ?」
「……だからって、村ひとつを実験場にしたのか。あんた――おかしいよ」
狂っている。そんな言葉さえ、のど元まで出かかった。
「以前も申し上げました通りですわ。覇道に犠牲はつきものですの」
「……村ひとつ、滅んだとしてもか」
「ええ。それが必要であるならば」
「……そっか。――わかったよ」
彼女のわがままな欲望によって、潰えていくいろいろなひとの人生。ひとをひととも思わない外道とは、彼女のことを言うんだろう。
だったら僕も、これからはあんたをひとだとは思わない。
「勝負しようよ、レイチェル・タイム」
「……勝負ですの?」
「ああ。あんたが店で出してるご自慢のハンバーガーと、僕のハンバーガー。どっちのほうがうまいか、勝負しよう。僕が勝ったら、帝都から出ていけ」
レイチェル・タイムは怪訝な表情で首をかしげた。
「その勝負、わたくしに受けるメリットがあるようには聞こえないのですけれど」
「――もし、僕が負けたら」
つまり、レイチェル・タイムが勝ったら。
「好きにしていい」
「……なにをですの?」
「僕を。僕の店も、僕自身も――ぜんぶ好きにしろ。死ねと言われれば死んでやる。僕が負けたらな」
「あら。――それはとっても魅力的なお誘いですわね」
作り物の笑顔がゆがんだ。
「いいでしょう。わたくしが勝った暁には、あなたのお店をノックアウトバーガーの四店舗目にしてさしあげますわ」
こうして。予定とは違う理由だけれども、僕はレイチェル・タイムを料理勝負の場に引きずり出すことに成功し、またひとつ、負けられない理由ができたのだ。
よく気づいたなあ、こんなの。テックさんはそう言ってテリヤキバーガーをかじった。
僕がレイチェル・タイムに勝負を取り付けた翌日、カフェ・カリムにはまたあの顔役四人が集まっていた。
「たしかに、言われてみれば――ほんのわずかだが、臭みと苦みがあるな」
「はい。厄介なのは……その臭みを除けば、パティそのものの味が向上しているところですね」
内臓――ホルモンはその独特な臭みや食感から忌避されがちだけれど、肉挽き器でペースト状になるまでミンチにされ、絶妙なバランス感覚で普通のミンチ肉と混ぜられたパティは、むしろうま味やコクが増していた。
安くて早くて、さらにうまい。レイチェル・タイムは外道だけれど、これについては見事と言うほかない。
「……で、どうするんだ? パンもパティも絶対にマスターのほうがうまいのに、このテリヤキソースとかいうやつのせいで負けるなんてことになったら、笑い話じゃ済まねえぞ」
「はい。笑い話じゃ済まないんです。ですから――すいません、いま一度、みんなの力を借りたいんです。勝負は一週間後。それまでに、あの女に勝てるバーガーを作らなければならないんです」
テリヤキのインパクトに勝てるよう、特製ハンバーガーを素材から見直す必要がある。
そのためには、僕だけでは力不足だ。
「テックさんには、仕入れてほしい肉があるんです」
「おう。なんでも仕入れてやるよ。で、どこの部位だ?」
その部位の名前を伝えると、テックさんはにやりと笑った。
「通だねぇ、マスター」
「いえ。ただの思い付きです。うまくいけばいいんですけど……」
パティの次はパンだ。
「ジェビィさんには、パンに工夫をしてもらいたくて……」
「そうじゃのう。勝負に勝てば、あの店が出て行ってくれるというのなら――ま、いいじゃろ」
ジェビィさんも快諾してくれた。残るピースはあとふたつ。
「トーアさん、コロンさん。ふたりには、特に大事なお願いがあります」
「私にできることならば」
「あたしも? あたし酒屋なんだけど……」
「そのコネで、手に入れてほしいものがあるんです。たぶん、この中では、遠方との取引がある酒造ギルドにしかできないことなんです」
お願いを口にすると、コロンさんはムムムとうなった。
「そういうの、ないわけじゃないけど、コネが通るかはダンナ次第なところがあるからね。聞いてみるよ」
「ありがとうございます!」
頼れる仲間がいてくれる。
この間は、僕はレシピを提供しただけだった。けれど、今回は違う――僕が作って、僕が勝つ。
料理をバカにしたあの女に、料理を戦争の道具にしてしまったあの女に、勝つんだ。
そのための準備を怠るつもりはない。全力でぶつからないと、勝てない相手だから――全力以上を見せてやる。最高のバーガーを作ってやろうじゃないか。