侵略のセントラルキッチン 2-3
場所を店内のテーブルに移して、つまりヨ、とハーマンはハンバーガーにかじりつきながら言った。ちょうど休憩時間だったらしい。
「オレッチも、もうすぐ十七歳……愚連隊のリーダーなんてやってる場合じゃネェってことサ。で、ちょうど、レイチェル・タイムが貧民円街で人手を探してるってんで、面接受けてみたら、するっと通ってヨ。いまはここで働いてるって寸法サ」
「うわあ普通だ……普通の理由だ……」
「オイ悪いかヨ普通でヨ」
「“エッジ”のカケラもない……」
ぜんぜん鋭利じゃない。堅実だ。
ハーマンは僕をにらみつけると、
「勘違いすんなヨ。オレッチがトガってんのは、そうじゃなきゃこの貧民円街じゃ生きていけねえからダ。貧民円街出身ってだけでナメられてロクな仕事がネェ。あってもせいぜい日雇いで白銅貨十枚もらえるかどうかってとこサ」
白銅貨十枚。それは――カフェ・カリムが出すハンバーガーひとつぶん。ジェビィ氏の店でもふたつ。一日分の食費にもならない。
「貧民円街出身じゃ、まともにギルドにも入れネェ。職人系ギルドはコネがネェと紹介されネェし、卸売系は文字とか計算ができネェと無理。貧民円街じゃ、日雇い以外に生きていく方法なんて限られてんのサ。一発逆転もねぇわけじゃねえけど。わかるか?」
「……冒険者ギルドか」
「そう。だが、それも男だけだナ。女は、ある意味もっとヒデェ。テメェは買ったことなさそうだけどナ」
女。買う。ハンバーガーショップの片隅でするには、あまりに生々しすぎる話題だ。だけど、僕はあえて意識しないようにしていたけれど、貧民円街の街角に、やけに薄着の女性がたくさん立っていたことは事実で。
それは、つまり――そういうことだ。
「……あたしは、運がよかったんだ。もう売りをやるくらいしかなくなって、でも、それが嫌で――」
プリムは、テーブルの脚を見ながらつぶやいた。
はじめて会ったとき、彼女はぼろぼろで、痩せこけていて、それなのに眼だけはらんらんと輝いていて――その手には、ナイフを持っていた。
錆びだらけで、刃は欠けていて、けれどそれゆえに恐ろしさを感じたその刃物は、ある意味、あのころの彼女そのものだった。
「――マスターの店じゃなかったら、さらし首になって死んでたかもしれない」
「プリム……」
「そうサ。プリム、オマエは運がよかった。あのとき、マリウス・カリムみてえな甘ちゃんの店に押し入ったオマエだけが、運を掴んだのサ。そんで――ようやく、オレッチにも運がまわってきた」
ハーマンはハンバーガーの最後のひとかけらを口に放り込んで、席を立った。
「このチャンスは、オレッチのもんだ。だれにも渡さネェ。いまはまだ下っ端だけどヨ、もっともっと働いて、昇格して、いずれ――オレッチは社長になる」
「……社長?」
この世界では、あまり聞かない呼び方だ。レイチェル・タイムが部下のウィステリア・ダブルに自身をそう呼ばせてはいたけれど――。
「オレッチはオレッチの会社を立ち上げるのサ。ギルドみてぇな古臭い連中とは違う、このノックアウトバーガーみたいな会社をナ。そんで、だれよりも金を稼いで、だれよりも幸せになってやる」
「……金があれば幸せになれるってもんじゃないと思うけど」
「ケンカ売ってんのかテメェ。そりゃ、生きていくために最低限の金を稼げてるやつの発想だ」
ハーマンは踵を返し、背中を向けた。表情は見えないけれど、きっと、怒っているんだと思う。
僕に対して。それから――もっと大きなものに対しても。
「オレッチたちはヨ、死ぬんだ。金がないと、死ぬんだヨ。飯も食えネェ、頼ることができる相手も貧乏で、それならいっそ冒険者になろうとしても、栄養失調でまともに動けネェ。そうなりゃその辺の子犬にだって殺されらぁナ。ヨーホー今生、また来世……そうやって死んだダチの数だけ、巻きつける鎖が増えんのサ」
「ハーマン、あんた……」
プリムの言葉をさえぎって、ハーマンは言葉をつないだ。
「だからヨ。オレッチは――絶対に、幸せになる。金だって、女だって、欲しいもんはぜんぶ山ほど手に入れて、巻いた鎖の人数分、他人の何倍も幸せになってやるのサ」
巻いていた鎖。あれは、彼にとって大切な、いなくなっただれかの人生を背負っていく決意のあらわれだったのか。忘れないために――忘れてしまわないために。
言葉を見失っていると、会話が終わったと判断したのか、制服の背中はカウンターに向かって歩き始めた。まかないのハンバーガーも食べ終わったし、休憩は終わりということか。
「ああ、そうだ」
最後にもう一個、と背中が言った。
「マリウス・カリム――テメェ、あの程度のバーガーでタイム社長に勝てると思ってんのかヨ?」
あの程度――と、そう言われて黙っていられるほど、僕は大人ではない。
「現に勝ってるだろ。この店のバーガーよりもうまいぞ。絶対にな」
「ハッ。それも今日までだナ」
「……どういう意味だ?」
ハーマンは手をひらひらと振って、去っていった。
教える気はないということだろう。
「マスター、あいつの言うことなんて気にしなくていいよ。あいつはマスターのことが嫌いだから……」
「……そうだね。うん、僕もそう思うよ」
僕のハンバーガーはうまい。ノックアウトバーガーの薄いパンとパティのバーガーに負ける要素なんて、なにひとつない。
そう。パンもパティも勝っていた。
けれど、レイチェル・タイムが仕掛けてきたのは、パンでもパティでもなかった。
「カリム! 助けてくれぇー!」
翌日の朝。なんだか見たことのある風景だけれど、息せき切ってジェビィ氏がカフェ・カリムに駆け込んできた。
「ジェビィさん、いったいどうしたんですか」
「新メニュー!」
「はい?」
「テリヤキじゃ!」
「はい?」
同じ反応を二回もしてしまったけれど、仕方ないと思う。テリヤキジャ? なんだろう。なにかの魔法だろうか。ガ系より強そうだ。ジェビィ氏は魔法使いギルドには入っていないはずだけれど――って。
「テリヤキって、まさか、照り焼きですかっ!?」
「そう言うておるじゃろ!」
ぜーはーぜーはーと呼吸が辛そうなのに叫ぶから、とりあえず水を一杯コップに注いで渡した。
しかし、照り焼きとは。
推察するに、ノックアウトバーガーが新メニューとしてテリヤキバーガーを出してきたということだろう。信じられない。
醤油がこの世界にあったなんて。調べても見つからなかったから、ないものだと思っていたんだけれど。
もしかして、レイチェル・タイムが作ったのかもしれない。大豆はあるし――いやでも、専門知識が必要になるし、時間だって年単位でかかるはずだ。作ったとすれば、レイチェル・タイムは数年前から準備していたということになる。
ぞっとする想像が浮かんだ。あの女が、この世界で生まれ変わったときから、こうすることを計画していた――なんて妄想。そんなわけはないとわかっていつつ、その妄想を笑い飛ばすことが、僕にはできなかった。
醤油作りは――僕が、かつて断念したことだったから。
「……プリム。ちょっと行ってくる!」
「行くって、どこに?」
「決まってるだろ! ノックアウトバーガーだよ!」
エプロンをカウンターにたたきつけて、僕は店を飛び出した。
たしかめなければならない。
街を全速力で走る。商人円街の南端から北端までの半周、全力疾走で走り切れる距離ではないけれど、それでも走って、どうにかこうにか息も絶え絶えにジェビィ氏のパン屋にたどり着いた。
通りの向かいでは、ノックアウトバーガーに人だかりができている。のぼりには『新メニュー! 世界初のテリヤキバーガー!』の文字。
ああ、クソ――やられた。
ふらふらと僕も人だかりに混じって、店に入る。いらっしゃいませー、と元気なあいさつが迎えてくれた。
この支店のスタッフも、きっと貧民円街でくすぶっていただれかなのだろう。生きるために、そして、成り上がるために必死で働いている。
「……テリヤキバーガーひとつください。テイクアウトで」
「はい、承りましたっ。カウンター右にずれて少々お待ちくださいっ」
カウンタースタッフの少女に白銅貨を二枚渡す。新メニューは今までのノックアウトバーガーの二倍の金額だ。それでも、僕のハンバーガーよりはるかに安い。
一分足らずで油紙に包まれたテリヤキバーガーが出てきた。
店を出る。紙包みをはがすと、ふわりと香りが舞った。知っている香りだ。けれど、この世界では初めて感じる香り。
薄いパンには、たっぷりと茶色いソースがかけられたパティが挟まれていて、その下にはなんとレタスとトマトが挟まっている。いままではソースの材料として野菜を使っていただけだったのに、今度は生野菜まで提供し始めた。
カフェ・カリムに向かって歩きながら、ひとくちかじった。
知っている味だった。
パンは薄いし、パティも薄い。肉汁なんてほとんどないし、歯ごたえも柔らかいばかり。
なのに。
「……あ」
どうしよう。懐かしい。懐かしくて――涙が出そうだ。
とろみのあるソースの、甘辛く調理された醤油の味。しゃきっとしたレタスに汁気たっぷりのトマト。薄い薄いとバカにしていたパンとパティがあわさって、絶妙にバランスがとれている。
地球では、あんなもの、と思っていたのに。金欠のときにたまに行って食べる安物だと思っていたのに。
困った。本当に――困った。
どうして、こんなにも――うまい。
さらに一口かじると、味が変わった――パティの中央付近に、ぽてっとした白いソースが塗られていた。
わずかな酸味とゆたかなうま味を閉じ込めたマヨネーズソース。パティに足りない肉汁のコクを補っている。全体に塗っていないのは、量が多いとしつこく感じてしまうからだろう。
ひとくちひとくち咀嚼して、やがて食べ終わって、紙を丸めてポケットに突っ込んだ。とぼとぼと下を見ながら歩く。
僕には醤油は作れない。絶妙な味のバランス感覚で作り上げられたレシピは、地球で食べたものを再現したものだ。彼女が一から考えたハンバーガーではない。
でも――僕には、再現することすら不可能だ。
――本当に、勝てるんだろうか。不安が鎌首をもたげて僕を見つめている。
足取りは重く、店に戻ると、プリムが心配そうに駆け寄ってきた。ジェビィ氏はいない。すれ違いになったのかもしれない。
「マスター、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
「うそ。大丈夫じゃない顔してる」
そっと、優しく目の下を指でさわられた。
それを拍子に、僕はぽつぽつとテリヤキバーガーのことを話した。転生のことは伏せたままだけれど、僕にはできない料理だということも含めて。
勝てないかもしれない、という不安も言ってしまった。ほかのひとには言えないけれど、プリムには、なぜだか話してしまった。
「……あたし、料理のことも、経営のことも、なにもわかんないけど――マスターの料理、好きだよ」
プリムは少し微笑んで、水を差しだしてきた。コップに入った冷たい水。
少し飲む。口の中のもったりしたテリヤキソースの残滓が薄れた。
「……ありがとう、プリム。ちょっと、すっきりした」
「どういたしまして。なにもしてないけどね」
しかし、冷静になってしまうと、勝てないかもしれない――ではなく、勝たなければならないことを思い出して、さらに憂鬱になる。
このテリヤキバーガーは、価格と味と提供速度のバランスが最高だし、せっかく僕のハンバーガーを買ってくれていた商人円街の住人たちも、ノックアウトバーガーに流れてしまう可能性は十分ある。
貧民円街の住人は、たまの贅沢をテリヤキバーガーという形でかなえるに違いない。いつもより贅沢。それでいて、ほかの店で食べるよりも安く済む。
そうなれば、もう、僕らの商売は見向きもされなくなる。
突破口を見つけなければならない。コップに口をつけて、また少しだけ水を口に含む。
テリヤキソースの味が流れ落ちて、少しだけ肉の味が残り、すぐに消えた。
「……ん?」
――なんだ?
違和感。また一口水を口に含んで、今度は慎重に、舌に神経を集中させる。かすかな、ほんのかすかな違和感を探す。砂漠に落ちたひとつぶの塩を探すような慎重さで、味覚という荒野を一歩ずつ踏みしめる。
五つの基本味を思い出せ。テリヤキソースに含まれる砂糖の甘味。マヨネーズソースを作るとき加えられたお酢のかすかな酸味。パティやソースから感じる塩味。トマトや肉からあふれ出すうま味。それらに違和感はない。だとすれば、残っているのは――苦味。
レタスにあるかすかな苦味ではない。これは、肉だ。肉から感じる苦味だ。すぐに消えたけれど、たしかに苦味があった。
感じ取れたのは、その苦味を知っているから。濃い味付けのソースや野菜の新鮮さで――さらに、レシピを考案したひとの絶妙なバランス感覚でごまかされているけれど、この苦味を、僕はたしかに知っている。
信じられない。でも、そうか。肉挽き器を使えば混ぜる量なんていくらでも調整できるし、焼き上げれば色でもわからなくなる。テリヤキソースなんて味も風味も強いものを使えば、気づくことは困難だ――。
「マスター? どうしたの?」
怪訝な顔のプリム――彼女と貧民街に行ったとき、話したことじゃないか。ヤミの屋台。廃棄しないで横流し。不衛生な部位。間違いない。料理人の矜持をかけて、僕は断言した。
「……ノックアウトのテリヤキバーガーには、牛の内臓が入ってる……!」
またしても、僕は店を飛び出した。向かう先は、もちろん、あの女の居場所。