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侵略のセントラルキッチン 2-2

 ――そして。

『ジェビィのパン屋特別企画! カフェ・カリム監修のハンバーガーが白銅貨五枚!』

 そんなのぼりを立ててから、一週間が経過した。

 僕がやったことはというと、各ギルドに協力をお願いして、ハンバーガーのレシピを渡して、それだけだ。

 レイチェル・タイムに大見得を切った本人である僕がその程度しか働いていない、というのはいささか恥ずかしい思いもあるんだけれど、結局のところ、僕は料理人――ビジネスにかんして、素人のアイデアを商業に組み込むのはプロの仕事だ。

 昼の営業時間終了後、ジェビィ氏のパン屋に顔を出してみると、老爺は機嫌よく笑った。

「売れ行きは好調じゃよ! 商人円街のご婦人がたは、夜の白パンなどもついでに買っていってくれるしのう――あ、夜の白パンっていうのは晩飯に食べる白いパンという意味でほかの意味はないぞ?」

 その注釈はいらない。

「今までは貧民円街のみなが買っていく黒パンが主な収入じゃったからのう。立地的に仕方ないとあきらめておったのじゃが、これならば、あるいは――勝てるかもしれんのう!」

「テンション高いのはいいけど、ジェビィさん。採算はどうなんです?」

 カフェ・カリムでは白銅貨十枚で提供していたハンバーガーと同じものだ。

 それが、半額――もちろん、ただ値段を下げたわけではない。というか、商品の値段というのは、そう簡単に下げられるものではない。

 材料費や人件費、光熱費(この世界では生活用魔術符にかける費用)、来客予想数などから『何円で何個売れればお店全体の採算がとれるか』を綿密に計算して決定されるのだ。それは仕入れる材料の数や保管できる期間などと密接に絡み合い、数量的な管理の礎となる。

 値段を下げるということは、それらの諸要素にのっぴきならない変化があったことを意味するのだ。

 そして、ジェビィさんがハンバーガーを売るにあたって発生した変化が――。

「ハンバーガーの原価に関しては、各ギルドから流通価格の下限を無視して購入させてもらっておるからの。人件費はパン職人ギルドから若いのを連れてきて手伝わせておるから安く済むし、光熱費くらいじゃな。増えたのは」

「それならよかった。……ですけど、ジェビィさん。油断はしないでくださいね。向こうに行っていた商人円街のひとたちの大多数をこっちに引き戻して、ようやく勝負っぽくなってるだけですから――まだ、向こうをつぶせるほどじゃない」

「ほう。では、次の策があるのじゃな?」

「策ってほどじゃありません。ただのアイデアです」

 そう、アイデアだ。

 商人円街の顔役たちはお金持ちではない。けれど、彼らの権利と手腕、信用をもってすれば、こうして白銅貨十枚のバーガーを五枚で売ることができる。

 相手は貴族だ。資本は僕らの比ではない。でも、僕らひとりひとりでは届かない資本も、みんなで協力すれば、張り合える――。

 レイチェル・タイムは焦るはずだ。もっと稼げるはずだったのに、と。

 そして、焦りは悪い想像を生む。

 ――このまま相手が白銅貨五枚でバーガーを売り続けたらどうしよう。開業のために投じた資財を回収できなかったらどうしよう。

 レイチェル・タイムの資本がどれほどあるのかは知らない。

 けれど、それは相手も同じこと。商人円街にあるギルドが、完全協力体制にあるいま、その資本は貴族にだって勝るとも劣らないサイズに膨れ上がっている――はずだ。

 いわば、チキンレース。どちらが先に音を上げるか――。

 もちろん、実際に音を上げるまでやるわけではない。大切なのは、彼女と交渉の場を設けること。

 各ギルドのひとたちが、自分自身をベットしてくれたおかげで、この策がとれた。

 レイチェル・タイムは、いずれ僕らと交渉しなければならなくなる。

 その交渉の場で、持ちかけるのだ。価格でも早さでもない、彼女が避けた味の勝負というやつを。

「まだ、うまくいくかどうかはわかりません。でも――勝負の場に引っ張り出せさえすれば、勝てます」

 僕はあまり自分に自信があるほうではないけれど、それでも、これだけは譲れなかった。

 剣も魔法も人並みで、夢見た冒険も名声も手に入れられなかった僕だけれど、最後に残った料理人としての矜持だけは。

「僕が、あの女に勝ちますから」

 言ったとたん、ジェビィ氏は笑いを止めて、真摯な瞳で僕を見た。え、なに。そんなに変なこと言った?

「……まだ若いのう」

「……そりゃまあ、ジェビィさんよりは」

「そういう話じゃないわい、アホウ。いいか、カリム。見失うなよ?」

「……え?」

「お前さん自身を――の。もっとも、これはジジイになったところで、できるようになることではないがの。わしもそうじゃ」

 そう言って、ジェビィさんはひらひらと僕を追い払うように手を振った。

「ホレ、そろそろ戻らんかい。わしもお前さんも、やることはたくさんあるじゃろ?」

 ジイさんの態度に思うところがなかったわけではないけれど、普段の言動がアレだったので、きっと大した意味はないんだろうと思って、僕はカフェ・カリムに帰った。

 ジェビィ氏の言う通り、やるべきことはいくらでもある。お店の営業、各ギルドとのすり合わせ……それこそ無限に。

 だから、ジェビィ氏の言った「若い」なんてセリフを、いつまでもおぼえていることはできなかった。

 けれど、僕はおぼえているべきだったし、ジェビィ氏の言葉をもっと重く、深く考えるべきだったのだ。

 ジェビィ氏は、僕がこの世界に生まれる前から毎日パンを作り続けてきた、大先輩なのだから。


 帝都の地図は子供でも描ける。シンプルな四重丸だからだ。

 中央の丸が王城区画、ドーナツ状の部分が内側から貴族円街、商人円街、貧民円街となっている。

「この国の創始者がここを都と定め、城を建てたとき、配下のものたちに爵位と離れた土地を与えたんだけれど、それと同時にあるルールを定めたんだ」

「ルール?」

 首をかしげて、プリムが繰り返した。

 ルール。憲法、と言い換えていいだろう。分厚い憲法書の中に、貴族に関するルールが記されている。

「『領地を持つ貴族は、必ず王城の周りに家を持ち、常に領主自身、あるいはその妻、あるいはその子、あるいはその親、そのどれもがいないものは親族同様のものを置くこと。』ってね」

「……なんで?」

「反乱を起こされないようにするための人質だよ。さらに、大臣職とか、そういう王城での地位を貴族自身や妻子に与えることで、ただの人質ではなく『皇帝の味方』として立場を固定したんだ。ともに国を興した戦友だとしても、どれだけ信用していた配下だとしても、未来永劫そうだとは限らないだろ? そういうわけで、丘の上の王城の周りに貴族円街ができたんだ」

 当然だけれど、皇帝と貴族だけでは生きていけない。帝都の周りは皇帝直轄地で、村々からは畑の作物が税として納められていたけれど、それだけで満足するならそもそも国など作らない。

 欲しがりな皇帝や貴族を相手取った商売を行うため、旅の行商人は帝都に拠点を作り、従業員を住まわせた。商人円街の始まりだ。

 そして、商売が盛んになれば盛んになるほど、流通が増え、住民は増えていく。

 やがて、貧富の差が拡大し、商人円街の外へと敗走した元商売人たちの居つく地域ができた。それが、貧民円街。

「そもそも、『貴族円街』『商人円街』『貧民円街』っていう分け方は正式なものじゃないんだけどね。皇帝がそうしたわけじゃなくて、勝手にそうなっちゃっただけなんだから。だれかがいつからかそう呼び始めて、みんながそれにならっただけ。それぞれの円街のあいだに壁があるわけでもないし、だれだって好きに出入りできる――いまの僕らみたいにね」

 ジェビィ氏のパン屋を見に行った翌日。

 僕とプリムは貧民円街を歩いていた。

「でも、どうして貧民円街なの、マスター。ふたりで出かけるぞ、なんていうから、その……ート、みたいだなって思って、ちょっと喜んでたのに」

「……え、なんて? 途中よく聞こえなかったんだけど。チート?」

「違うよ! もう!」

 また怒らせてしまった。ぷう、とほっぺたを膨らませているので、つついてやろうかと思ったけれど、自重した。

 本気で機嫌が悪いわけじゃない、というのはなんとなくわかるんだけれど。喜んでいるけれど、同時に怒っている――みたいな。女の子はよくわからない。

「で、どうしてここなの? 風情もへったくれもない」

「敵情視察。低所得者を主な商売相手としているんだから、貧民円街のノックアウトバーガーは、商人円街の支店より好調なのかな、って……」

 あと風情はどうでもいいだろう。視察なんだから。

 けれど、確かに――あまり、歩きたくないところではある。全体的に煤けているというか、汚いというか――。

 地面は石造りではなく土が露出していて、排水溝は土の地面を強引に削って作ったものだ。土木ギルドや建築ギルドならば、このあたりの技術を持っているだろうから、住民が自分でやったのだろう。

 少しでも快適に暮らすために――けれど、ギルドに依頼する資金などないから。

 行き交うひとびとの多くは、商人円街へ向かう。仕事があるからだ。いつか、自分もそちらに住むことができるように、お金を稼ぎに行く。

 そして、少数のひとびとが、街の外へ――。

 冒険者だ。

 冒険者ギルド。うまくやれば、巨万の富を得て商人円街で暮らすことができる。

 どころか、冒険者として成功したあげく、自分で傭兵ギルドを立ち上げて爵位を勝ち取った猛者までいる。レイチェル・タイムのことだけれど。

 そういうひとたちがいるから、一般的には夢のある職業だとされる。けれど、知っておかねばならない。

 僕は自分の左足にある傷を思い出す。

 成功者の下には、成功できなかった多くの負け犬が転がっているのだ。積み重なったしかばねの上に、やつらの富はある。

 そんなことをつらつら考えながら歩いていると、人混みが見えてきた。

 ノックアウトバーガー帝都貧民円街南部外輪寄り地区支店――街を囲む城壁の目と鼻の先。

「メインの客層は貧民円街の住民……だけじゃないね。帝都の外から来たひとも、まずはあそこで一休み……って感じかな」

「流行ってるね。あたしが住んでた頃は、この辺、ヤミの屋台がけっこうあったんだけど、ノックアウトバーガーのせいで畳んだのかな。……あ、ヤミの屋台っていうのはね」

「知ってるよ。密輸入したり、ギルドの悪いやつから横流しで手に入れた、廃棄予定だった牛の内臓とかを焼いて売ってたんだろ? 不衛生だからけっこう食中毒とかになってたらしいけど、とにかく安いからみんな買ってたっていう……」

「もう! マスターってば、なんで貧民円街のことにも詳しいのよ! せっかく、あたしにもマスターの役に立てると思ったのに……」

「え? いつも助けてもらってるし、そんなこと気にしなくてもいいのに……」

 ぷう、とほっぺたを膨らませているので、つついてやった。ぷひゅう、と息を吹いてから、さらに膨れてばしばし僕の肩あたりをたたいてくる。痛い。

 そんなことをしながら、だったから、店に入ってしばらくしても、僕もプリムも彼の存在に気づかなかった。

 ――いや。けれど、これに関しては、僕に非はないといいたい。

 だって、僕は彼とはそんなに親しくないし、彼のシンボルである、全身に巻き付けた金属製の鎖が、今日はなかったから、一見して彼と気づくことができなかったのだ。

 気づいたのは、販売カウンターで僕らの番が来て、彼が口を開いたとき。

「おいおい、そんなに堂々と敵対するヤローが来ていいのかヨ? だがまあ、オレッチもいまは接客中ダ。せっかくだから、こう言ってやるゼ」

 あんぐり。

 僕とプリムは、そろって彼――髪の毛を整え、清潔なノックアウトバーガーの制服を着た、見違えた姿の男を見つめる。

 貧民円街で孤児や悪童をまとめ上げ、自ら貧民円街の顔役を名乗る男。でも、そうか。前回あったとき、こいつたしか、面接がどうとか言ってたよな――これのことだったのか。

 ともあれ、自称“エッジ”――ハーマンは、にこやかな笑顔で一礼して、言った。

「いらっしゃいませ、お客様。店内でお召し上がりですか? それともテイクアウトですか? それか、おいおい――」

 ハーマンは機嫌よく笑った。

「――ノックアウトをご希望か? ン?」

 驚きのあまり硬直していた僕がひねり出せた言葉は、

「……接客態度悪くない?」

 それだけだった。

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