侵略のセントラルキッチン 1-3
その夜のことである。
「おかしな話だぜ、まったくよお!」
と、かっぷくのいいひげ面の男がビールジョッキをテーブルに叩きつけた。
「あの店のハンバーガー、見たか!? 肉が入ってやがるんだぜ? 俺らに一言の断りもなく、だ! 帝都で肉を扱うなら、食肉ギルドを通す――これがルールだ、そうだろ、トーア」
「そうですな」
陰鬱そうなひょろ長い男が、静かにジョッキを乾しながら同調した。
「わたしら野菜ギルドも、認可はしておりません。現状、さほどの量の野菜を使っている様子はありませんが……ソースには、トマトを使っているらしくてですな。いや、不思議ですな、トマトは野菜ギルドが全面的に流通を抑えているという自負があったのですが」
「そうなんだ、そうなんだよ。肉も、俺らは一切卸してねえのに、やつらバカみてえに魔冷箱の中に詰め込んでやがる。あれだけ細かく肉を刻んで整形するなんて、並みの肉屋の技術じゃねえぞ」
「そのお店、お酒は売ってないんでしょ? ……まあでも、いつ売り始めるかもわかんないし、明日は我が身かもしれないし、難しいわよねぇ」
うーん、と背の低い少女が腕を組んで考えている――しかし、その少女に見える人物は、この場にいるだれよりも酒が進んでいた。
「今日、わしの店で売れた白パンの数を聞きたいか? はは、聞いてくれ、笑えるからのう……」
そして、まったく笑えないことを死んだ顔で呟くジイさん。
営業終了間近な夜のカフェ・カリムには、ちらほらとお客が残っていたけれど、その中でもこの四人。帝都商人円街の顔役ともいえる実力者たち。
食肉ギルドの長、肉屋のテック。
野菜ギルドの長、野菜売りのトーア。
酒造ギルドの長の妻、“ビール樽”のコロン。
パン職人ギルドの最高幹部、ジェビィ・エル。
彼らはカフェ・カリムの常連で、よくこの店で会議――のような騒がしい集会を開いていた。とにかくよく飲み、よく食うひとたちだけれど、今日は勢いが弱い。なぜか、なんて考えるまでもない。ノックアウトバーガーのせいだ。
「財務大臣はあの傭兵女王に裏金でも貰ったんじゃねえのか?」
「“鋼の法”のシルヴィア・アントワーヌが裏金など、ありえますかな」
「いやー、ありえない話じゃないわよ? しょせんは人間、しょせんは貴族。後ろめたいことのひとつやふたつ、あるものよ」
「……コロン嬢はなにか知っておるようじゃな」
「知らない? アントワーヌ家は娘がひとりいるだけってことになっているんだけれど、本当はいないことにされた長男がいる――って噂話」
「いないことにされた? はー、貴族サマってのは怖いもんだな、おい」
「まったくですな。――プリム君、もう一杯ビールを」
「あ、あたしもおかわりー」
はいよー、と応じるプリムを横目に、僕は骨付きの豚肉をフライパンに並べて焼いていく。
味付けは大量のショウガとコショウを効かせた、濃い味のジンジャーソース。ビールによく合うガツンとしたツマミであると、この集まりではよく注文されるので、材料は常備してある。
少しショウガの香りが強すぎじゃないか、と思うくらいがちょうどいい。
その香りにやられたのか、カウンターに座るひとりの老人が手を挙げた。
「私にも、それと同じものをもらえんかね?」
「あ、はい。承りました、サニーさん」
「……やはり、商人円街は大変そうだね」
「……ええ」
老人――サニー・ジョンソン・ジョン。僕の店をひいきにしてくれる、正真正銘の貴族。
よく話題に上がる、お忍びで通う貴族とは彼のことだ。界隈では食道楽として有名らしい。どこの界隈かは知らないけれど。
「貴族円街でも話題だよ、あの店は。貧民円街、商人円街、貴族円街。それぞれに一店舗ずつ出店したってだけで驚きなのに、そのどれもが大きな反響を呼んでいる」
「……貴族円街のほうでも売り上げが好調だというのは、驚きました」
高級志向の貴族たちに受け入れられているとは考えづらいのだけれど。
そう思っていると、サニーさんが苦笑した。
「貴族円街といえど、貴族しかいないわけではないからね。貴族円街に出入りする、従者や業者、商人が主な客層だそうだ。物好きな貴族も、テイクアウトで食べてみたそうだがね」
物好きな貴族――とぼやかしてはいるけれど、十中八九、サニーさんのことだろう。このひとほど物好きな貴族もいない。わざわざ商人円街に降りてきて、この店に通うのだから。
「……どうでした?」
「普通だったよ。格別に美味しいというわけでも、食えないほどまずいというわけでもない。もっと味のいい料理屋はたくさんある。カリム君は食べたのかい?」
「いえ、僕はまだ」
でも、近いうちに食べることになりそうだ。
カウンターに突っ伏して酔いつぶれている、また別の客――傍らにしわくちゃになった三角帽を置いたおさげの女性を眺めて、そう思う。
彼女は“凍らせ屋”のトリオデ。魔女だ。
「聞いてよ、マスター君」
と、酔いつぶれる前に、彼女は愚痴った。
「“凍らせ屋”が三人もギルドをやめちゃったのよぅ。もっといい仕事が見つかったから、って。ギルドを通さず、貴族サマお抱えの魔法使いになるんやって……」
「ギルドっていうと、魔法使いギルドですか?」
「そう。それも腕利きの魔法使いじゃなくて、ただの“凍らせ屋”が、やよ。冒険者ドロップアウト組の、一日一回魔冷箱に魔法をかけなおすくらいしかできないやつらが」
「トリオデさん、ちょっとその言い方は」
「でも、そうなんよぅ」
真ん丸な眼鏡の奥で、瞳をぐじゅぐじゅに潤ませながら――泣き上戸なのだ――トリオデは唇を尖らせた。
「あの、ノックアウトバーガーって店。“斑髪”の専属になって、あの店のバカでかい魔冷箱を維持する仕事なんやって……。日当もええし、ギルドに報酬の一割納めなくてもいいし、気が楽やー、って! ずるい!」
「……あの」
「ウチにはそんな話いっこも来とらんのに! ウチのほうが腕いいんよ!?」
やけ酒の理由はそれか。
たぶん、運悪くノックアウトバーガーの仕事に縁がなかっただけなのだろうけれど、トリオデさんは自分が認められなかったような気がして、気が立っているのだろう。
どれだけ心の広いひとでも、こうして発散する場というのは必要だろう。普段のトリオデさんは、おおらかで優しく、おっとりした大人の女性なのだ。
「うう……にくい、にくい。ウチよりお金をもらっているすべての人間がにくい……!」
前言撤回。心が狭いよトリオデさん。
「マスター君、おさけ! 甘いの!」
「はいはい……」
で、そんな風にハイペースだったものだから、酔いつぶれてしまったのだ。以上、回想終わり。
サニーさんにジンジャーポークを出して、トリオデさんに毛布を掛ける。もうじき起きるだろう。プリムは顔役四人の相手を楽しそうにこなしている。その四人の酒盛りはといえば、まるで終わりそうな気配がない。
サニー・ジョンソン・ジョンは、一緒に出したナイフとフォークを使わず、豪快に骨付きポークにかじりついて、満足げな表情でうなずいているし、トリオデさんはむにゃむにゃと寝言を呟いている。
広くはないし、設備もよいとは言い難い。でも、ここが僕の店で、彼らが僕の客だ。
レイチェル・タイムがなにを目的としているのか、僕にはわからない。
しかし、目的がどうであれ、彼女が振るう剛腕は、ギルドによって守られているこの街の商売の仕組みを崩壊させるだろう。
そうなれば、きっと、この光景は失われてしまう。
それに、個人的に放っておけない点もある。
「シルヴィア・アントワーヌ、か……」
彼女の存在。“鋼の法”のシルヴィアがかかわっていて、彼女もこの街の破壊に協力するつもりだというのならば。
僕はどうするべきだろうか。
僕の悩みを抱えつつ、カフェ・カリムは本日の営業終了時間を迎えた。酔っ払いどもは千鳥足で帰路につき、完全に酔いつぶれて千鳥足どころではない(タコだってもう少ししゃっきり歩ける)トリオデさんは、
「帰り道一緒だし、あたしと一緒なら安心でしょ」
「いや、プリム。君も女の子なんだから、むしろ不安なんだけど……」
「大丈夫だよ、マスター。これでも貧民円街でアタマ張ってたんだから。わざわざあたしを襲いに来るやつなんていないって」
「……まあ、そう言うなら」
と、プリムが送っていった。
営業中の立て看板を店内に引き入れて、満天の星空を見上げる。ここは星がきれいだ。
営業終了後に、なんとなく空を見上げることが、僕のささやかな楽しみだった。
「きれいですわよね、この世界の空は」
――突然、そんな風に横合いから声をかけられた。ハチミツのように甘い声。
驚いてそちらを見ると、いつの間にか、レイチェル・タイムが僕の隣で星を見上げていた。
「東京では、こんな風に星を見ることはありませんでしたの。空気の澄み具合が違うのでしょうね」
「……なにをしに来たんですか」
警戒する僕に、彼女は笑った。
「ご挨拶ですわね。ルーツを同じくする者同士、話すことがあるかと思ったのですけれど」
「……話すこと、か」
地球の話とか、するべきだろうか。
それとも、“傭兵女王”の刺激的な半生を聞いてみるのもいいかもしれない。
でも、そのとき、僕の口から漏れ出た質問は、まったく違うものだった。
「レイチェル・タイム様。あなたは、この世界でなにをするつもりですか」
「あら。決まっているでしょう、そんなこと」
彼女は両腕を広げ、舞台劇のようなわざとらしいしぐさで一回転した。
「剣と魔法の世界で生まれ変わったら、なにを目指すか――。マリウス様は夢想されたことがありませんでしたの?」
「………」
押し黙る。身に覚えがあったから、なにも言えなかったのだ。こんな風に、ファンタジーの世界に生まれ変わったら――なんていう妄想は、何度もした。妄想ではない終わらないことも、経験してきた。
レイチェル・タイムはうふふと笑った。作り物ではなく、本物の笑顔。
――このとき、僕はようやく、本当の意味でレイチェル・タイムに出会った気がした。
作り物の笑顔で塗り固めたレイチェル・タイムの本質、魂の部分に。
「わたくしは、ただ、その夢想を現実にしたいと思っているだけですの。“傭兵女王”だけじゃ足りませんもの。もっともっと、わたくしはより多くのモノを望むのです」
「……では、次になにを望むのですか」
その、周囲を巻き込んでしまうほどに際限ない欲望で――いったいなにを望むというのか。
レイチェル・タイムは、ただ短くこう言った。
「――全てを」
どういう意味か、その一言ではわからなかったけれど、続く言葉で――僕は理解した。
この女は、やはり化け物なのだと。
「わたくしはわがままな女ですの。加減を知らず、けれど高望みだけは人一倍な悪役――それがわたくしですの。あえて言うならば、そう――世界征服と、そうなるのでしょうね」
世界征服。
“傭兵女王”は、ハンバーガーチェーンで世界を征服すると言った。
「システムは世界を変えますの。わたくしの集中調理施設は、いずれすべてのギルドを駆逐しますわ」
「……たいそうな夢だけど。じゃあ、そのたいそうな夢に轢き潰されるギルドは、どうなるんです。ギルドで働く人々は――どうなるんですか」
「言ったはずですわよ、『悪役』と」
レイチェル・タイムは言った。例の、作り物の笑顔を表情筋に貼り付けて、言い切った。
「覇道に犠牲はつきものですの」
一瞬、頭が沸騰したかと思った。気のいいお客さんたちの顔が、脳裏に浮かんでは消えていく。
こいつは――この女は、それを犠牲にすると言った。己の欲望のために潰していくと。
商人円街を守るために、僕は戦うべきなのだろう。
いや。
地球という同じルーツを持つ僕こそが、戦わなければならない。
星を見る。きれいな星空を。――覚悟は決まった。
「――その覇道で、僕の大切なひとたちを犠牲にするというならば。僕はあなたの覇道に立ちふさがる敵になるぞ、レイチェル・タイム」
もはや、様をつけることはない。この敵に持つ敬意など、ひとつもない――。
くすり、と作り物の笑顔が歪む。
「では、一介の料理屋に過ぎないあなたが、わたくしのノックアウトバーガーを潰すと――そうおっしゃられますの?」
「やってやるよ。――僕はあなたに勝つ」
チェーン店などに負けてたまるものか。そんな意地も、少しはあった。
だから、
「ハンバーガーだ」
「……同じ土俵を選びますのね」
「有利だなんて思うなよ、レイチェル・タイム。僕のハンバーガーは……あなたの覇道を阻むハンバーガーになるんだから」
宣戦布告。
僕は、しっかりと斑髪の女を見据えて、宣言した。
「ここをあなたの戦場にするというのなら、あなたも命を失う覚悟をしておけ。この戦場の戦士は、一筋縄ではいかないぞ」
対して、彼女はやはり作り物の笑顔で、
「どうぞご自由に。ノックアウトバーガーの店名の意味を知りたいというのならば、わたくし、喜んで教えて差し上げますわ」
ドレスのスカートをつまんで優雅に一礼し。
そして、僕らの戦争が始まった。