侵略のセントラルキッチン 4-7
翌日、二日酔いに揺られる僕の頭に、甘ったるい声がガンガンと響く。
「――時は金なり。いい言葉ですわよね。人生に悩む時間などありませんの。悩めば悩むだけ損をする。即断即決が大切ですのよ」
のっけから飛ばしてくるなあ、と思いつつ、僕はレイチェル・タイムにこう言い返した。
「とりあえず動くよりも、きちんと考えてから動いたほうが結果的にいい方向に向かうことだってあるだろ」
「あら、正論。ぐだぐだ悩んでわたくしの時間を無駄にして、あまつさえ専属であることを忘れて勝手によその仕事を受けた人間が言うセリフとは思えませんわね!」
ぐぅの音も出ねえ。
まあ、ようするに、カシ村の仕事を終えて、なんとなく解消した気になっていたレイチェル・タイムとの関係は、実は解消していなかったという話。そういった理由で、僕はノックアウトバーガー商人円街店の応接室にて、レイチェルとまたも対面し、こうして言葉を交わさざるを得なくなったというわけだ。
「こちらとしても、カシ村の仕事を指定して、給金も渡したので、ぶっちゃけ終わったようなものだと考えていたのですけれど、あなたがあまりにもふわふわしていて動いてくれないのですもの。待ちくたびれてしまいましたの」
「……勝手なことを言うね、相変わらず」
「そちらこそ、相も変わらずヘタレているようで。いい加減、魔王を倒しに来てくださってもいいのではなくて?」
「それは僕じゃなくてもいいんだよ。商人円街のみんなが、いま自分たちと向き合って、変わりつつあるんだ。僕はきっかけにはなったけど、しょせんはお助けキャラ。役目を終えたら静かにパーティから外れてフェードアウトするのが様式美だろ?」
「DLCに課金したら最後までプレイヤーに付き添ってくれたりしませんの? トロフィコンプリートするためなら課金だって辞さないのがわたくしのやり方ですの」
「アンタ、ゲームするときもストロングスタイルなんだな……」
選択肢ひとつ間違えただけでひとつ前のセーブまで戻るタイプかもしれない。
「わたくしとしては、やはり、あなたに勇者をやっていただきたかったのですけれど。アントワーヌ家の縁者だから勇者に適さないとは言っても、魔王を倒すのはやはり選ばれし者でありませんと」
「選ばれし者って」
中二病かよ、とあきれてしまう。
「前世の記憶がある、というのはそれだけで選ばれているようなものでしょう? わたくしとしては、わたくしに勝利できる地金の人間はやはり同じ転生者だと考えておりますし」
「そう? 僕はむしろ、この世界に生まれて育ったひとびとにこそ、敵わないと思ってるんだけど」
アドバンテージがあるはずなのに敵わなくて、心を打ちのめされ続けてきた。驕っていたのは僕だったと、思い知らされてきた。
「それでも、わたくしはあなたが良かったと思いますわ。――転生者でありながら、わたくしにはできなかったことですもの」
例の笑顔を保ったまま、そんなことを言う。張り付けた仮面のような笑顔。それを見ていると――なんだか、無性に腹が立ってきた。この女は――バカだ。僕もバカだけれど、この女は、僕の次くらいにバカだ。だから、
「それは逃げだろ、レイチェル・タイム」
言ってやった。家からも、責任からも、現実からも逃げ続けた僕が、それを言うのかと自嘲したいけれど、それでも言わなくちゃいけなかった。
「アンタはミスを犯した。選択肢を間違えた。だからって――自分が勇者になれなかったからって、同じ立場の僕に投影するなよ。押し付けるなよ。勝手にゲームをあきらめてるんじゃねぇよ。最後までストロングスタイルで突っ走れよ、これはアンタの物語なんだから」
「…………」
張り付けた笑顔をそのままに、彼女は少しだけ目を細めた。
「魔王だのなんだの言ってるけど、結局、アンタはミスって勇者になるのが大変そうだから、楽な道を選んだだけだろう。ウィステリア君を救う、同じ境遇を生み出さないよう世界を変えるっていう、アンタの根底にある想いは、勇者のそれとなにが違う? 悪役であることが正解だと思い込んで、そっちに進んだだけだろう。だれも言わないなら、僕が言ってやる」
息を吸う。
「――このバカ! 逃げんな!」
僕自身も、いやってほどこの言葉が刺さる。
逃げんな。
それは、きっと僕が常々思われてきたことだろう。
「勇者の責任から逃げんな。アンタ、間違ってる。自分には似合わないとか、資格がないとか、うだうだ言ってるのは僕だけじゃない、アンタもだ」
「……わたくしのなにが間違っていると言いますの?」
彼女の間違い。それは、例えば――
「――ハーマン。それから、エノタイドくん。ローランさんもきっとそうだ」
カシ村で、エノタイドくんは僕に言った。あの工場には希望があると。
それは紛れもなくレイチェル・タイムが与えた希望。だれかに希望を与える存在を称して、なんと呼ぶべきか。考えるまでもない。
「少なくとも、アンタに希望を見出した人たちまで否定するな。アンタはすでに、彼らにとっての勇者を立派に勤め上げているんだから」
レイチェルは、やはり張り付けた笑顔をそのままに、けれど、
「――ふ、ふふ」
少し、笑った。しばらくの間、沈黙が空間を支配し、ややあって、
「……やっと、マリウスさまが慕われる理由がわかりましたわ」
そんなことを言った。
「……どういう意味だよ」
「そのままの意味ですの。やっぱり、嫌いなタイプですわ――理性的と見せかけて芯の部分は熱血バカ。自分だってさんざんくよくよ考えているくせに、他人のこととなると途端に決断力が増すというか――ええ、つくづく嫌いなタイプですの」
ぱり、と仮面が剥がれる音がしたような気がした。ふっとレイチェル・タイムが微笑んだ。張り付けた笑顔ではない儚いそれは、一瞬で消えてしまったけれど、たしかに見た。
「――金輪際、わたくしの店に顔を出さないでくださいませ。解雇ですわ。――貴方はクビですの」
「……そっか」
うん。そういうことなら――ありがたく。
「今までどうもお世話になりました」
敬愛なる我が主様に背を向けて、僕は部屋を出た。もう主じゃないわけだけれど、最後くらいはそう呼んでもいいだろ?
ノックアウトバーガーから出ると、当たり前だけれど、ジェビィ氏の店が正面に見えた。一言くらい、挨拶していこうか。そんな風に思っていると、
「……お客さん?」
小さな女の子がひとり、店の前で困ったようにあたりを見まわしている。あまり裕福には見えない、見るからに貧民円街の子だとわかるような、ボロを着た少女。右手を拳にして胸の前に置いている――なにかを握っているようだ。
少女はきょろきょろと不安そうに視線を動かしつつ、おそるおそる、パン屋の扉を叩いた。小さく、三回。反応がないと、さらに不安そうに、躊躇しつつも、強く三回叩いた。
ややあって、扉がぎしりと音を立てて開いて、老爺が顔をのぞかせた。
穏やかに少女を見やる老爺は、静かに口を開いて、なにかを言った。
少女は、ほっとしたように頬を緩めて、おずおずと答えた。
ジェビィ氏は、黙って聞いている。
少女はやはりおずおずと、けれど言葉は止めずに、なにか――ここからは聞こえないけれど、おそらくとても大切なことを、伝えている。
老爺は一言、少女に言葉を返した。
そのまま扉の向こうへと消えて、ややあって、大きくて丸くて黒いパンをひとつ、持って出てきた。少女にそれを手渡す。少女は、大事そうに握りしめた右手を開いて、ジェビィ氏に向けた。
一枚の白銅貨。
たった一枚の白銅貨。
ありふれた、一枚のお金。
ジェビィ氏は、それを断ろうとして――けれど、少女はそれを無理やり彼に押し付けた。
また、なにかを言い。
そして、ぺこりと頭を下げて、貧民円街のほうへと走っていった。
ジェビィ氏は、少女のうしろ姿が街角を曲がるまで、じっと見つめていた。
やがて、
「――おうい、カリムよう」
こちらに手を振って、僕を呼んだ。いつから気付いていたのか――最初からかな。少し気まずく思いながら、ジェビィ氏に近づく。
彼は、やはり穏やかな面を――なにかをこらえるように歪めながら、僕に言った。
「今の子な。ばあさんがいるんじゃと」
ぽつりと。
「ばあさんが、黒パンじゃないとだめじゃというらしくてな。スープと黒パン、それに塩漬けの豚肉を薄く切ったもの。それを食べねば、力が出ないと言うんじゃと」
僕は黙って彼の言葉を待った。彼は、僕のほうを向かず――少女の消えていった街角を見つめて、言葉を続けた。
「――わしが渡したのは、わしが食うために焼いたライムギの黒パンじゃ。先週の終わりに焼いて、ずっと置いておったものじゃ。食欲がなくて、食いあぐねていたあまりもの――金もとれない、商品でもない、白パンみたいにふんわりしてなくて、甘くなくて、むしろ重くて、硬くて、すっぱいパンじゃ。タダでやっていいと、そう思ったものじゃ」
貧民の少女とその祖母に、心ばかりのおすそ分け。そういうつもりだったんだろう。
「じゃが、あの子はわしにこれを――」
てのひらに、白銅貨が一枚乗っている。
「――受け取ってくれと。この店の黒パンじゃなきゃダメなんじゃと。ありがとう、また来るね――と」
――呼吸が止まった。
ようやく――ようやく、だいぶ遅れたけれど、僕もそのとき理解した。このパン屋じゃなきゃダメなんだ――あの少女と祖母にとっては、ここじゃなきゃダメなんだ。ノックアウトバーガーじゃ、ダメなんだ。
あのとき、僕に店の存続を打診したサニーさんにとってのカフェ・カリムも、きっとそうだったんだ。
それは例えば、学校帰りに友達と何度も寄ったコンビニのイートインスペース。職場の近所のラーメン屋。仲間とよく行ったゲーセン近くのファミレス。故郷で旧友と集まるときはいつも同じ居酒屋だった。
もっとおいしい店はたくさんあったし、もっとサービスのいい店もたくさんあった。けれど、なぜか――そこがいいんだ。妙に居心地がよくて――自分自身が、その場所に馴染んでしまう場所。そのお店の風景の一部になってしまう場所。
じわり、と身体の芯が熱くなった。そういう場所に、なっていたんだ。僕は――僕の店は、そして、僕は――それに気づかず、彼らの居場所を奪ってしまったんだ、とも。あの店は、僕の店は、とっくに僕だけのお店じゃなくなっていた。僕と、お客さんと、関係するすべてのひとが、あの場所を作り上げていたんだ。そういうお店が、そういう関係が、そういう居場所が、数えきれないほどたくさん重なって、街ができているんだ。僕の知らないところでも、僕の知っているところでも。いろいろなつながりが、カフェ・カリムというお店を作っていた。それを――僕は、自分だけの力だと思い込んで。バカなことを、したんだ。
目の奥が熱くなった。僕はバカだ。でも――僕のやっていたお店が、そういった関係の中で、だれかの居場所になっていたことが、どうしようもなく嬉しかった。
老爺は、街角から目線を外して、自分の店のほうを向いた。背中越しに、ジェビィ氏が言った。
「わしみたいな古臭いジジイでも、いいのかのう」
――そんなのは。
「いいに決まってるじゃないですか。だって、ジェビィさん――それしか、ないんでしょう?」
パンを焼くことしかできない。そう言っていた。六十年間、ずっとそうやってきたと。それしか知らないんだと。けれど、きっとそれは違う。僕は、小柄な、けれど偉大な歴史を背負ってきた背中に、言った。
「それしか、したいことがないのなら――きっと、そうすべきなんだと思います」
パンを焼くことしかできないんじゃない。ジェビィさんは、パンが好きなんだ。パン焼きが好きで、パン屋が好きなんだ。
だったら――しょうがないじゃないか。できるとか、できないとか。続けられるとか、続けられないとか。そういう問題以前に、僕らはどうしようもなく不器用で、どうしようもなくバカだけれど。でも、変に賢くなろうとしなくても、バカなままでも、できないことが多くても――もっとわがままにしたいことをしようとしてもいいんだ。
贅沢な思いかもしれない。ハーマンにはまた甘っちょろいとか笑われてしまうかもしれない。でも、そう思ったんだ。仕方ないじゃないか。夢を見ることこそが、僕らの自由だ。
「――そうじゃの。うむ、そうじゃな……もう一度、やってみても――いいかもしれんの」
「……はい。僕も、そうしようと思います。もう一度――なにができるとか、できないとかじゃなくて、したいことを見つめなおしてみようと思います」
もやもやの中に、光が見えた気がした。
僕の胸の中で、もどかしく叫んでいた衝動が、ようやく朝日に照らされた。
「――茶でも、飲んでいくかの?」
「……いえ。今日は、遠慮していきます。――じゃ、また」
ジェビィさんに別れを告げて、僕は背中から目を離した。
いつまでも見ているのは、忍びない。
だって――きっと、あの背中は泣いていたから。僕はその日から、三日ほどで準備を終えた。
旅立ちの準備を。




