侵略のセントラルキッチン 1-2
僕が思わず身構えたそのとき、「なんですか、騒々しい」と言いながら、ひとりの少年――少女? が、ノックアウトバーガーから出てきた。
金髪のボブカットで、背が低くて、服装こそ男性のものだけれど、声は少女のように高くて、顔は繊細な砂糖菓子のようにかわいらしい。
その少年か少女かよくわからない生物に、レイチェル・タイムは嬉しそうな――おそらく、今までの作りものではない、本当の笑顔で応じた。
「ちょうどよかったわ、ウィステリア。あなた、こちらの殿方がどなたかご存知?」
少年は、少し不機嫌そうに僕のほうを見て、ややあって、目を丸くした。
「……マリウス・カリム殿? どうしてここに?」
「またその質問かよ……」
そんなに僕がここにいちゃダメなのか、と問いただしたくなってくる。
「僕がここにいるのは、ジェビィさんの店がピンチだって聞いたからです。で、あなたは?」
「あ……申し訳ありません。失礼いたしました、ボクとしたことが……」
ぴしり、と、その少年――もう少年ってことにしておこう、少年には少女という意味も含まれているし――は、踵をそろえて一礼した。
「お初にお目にかかります。ボクは、レイチェル・タイムお嬢様の従者をしております、ウィステリア・ダブルと申します」
「あ、これはご丁寧にどうも。僕はカフェ・カリムのマスター、マリウス・カリムです」
「ウィステリア、あなた、業務中はわたくしのことを社長と呼ぶようにと言ったはずですわよ?」
「お嬢――あー、社長こそ、客人と路上で派手に言葉を交わすとはなにごとですか。冒険者の流儀、抜けていないのではありませんか?」
レイチェル・タイムはあらぬ方を向いて口笛を吹き始めた。それでいいのか。ていうかよく見ると別に口笛吹けてないし……。
こほん、とウィステリア・ダブルがわざとらしく咳をして、僕らを注目させる。
「重ね重ね、失礼いたしました。マリウス・カリム殿に、プリム殿、そして商人円街一番のパン職人、ジェビィ・エル殿。今さらではありますが、どうぞ店内へ。ご挨拶にお詫びを兼ねて、お茶をご馳走いたします」
「ハッ」
プリムが唾を地面に吐き捨てた。やめなさい、はしたない。
「いいか、チビ。男か女か知らねえけど、この場所じゃ、そのおっぱいの大きさのやつに発言権はねえんだよ……!」
「プリム、プリム。そういうルールはどこの世界にもないよ……!」
一方、チビと言われたウィステリア君は、にこにこと面白そうに笑いながら、
「お茶請けもありますよ。貴族円街で評判の菓子職人が作った、砂糖菓子なんですけれど」
と言った。それに対しても、プリムは「ハッ」と唾を吐き捨てて、
「ご馳走になります……! ご丁寧にどうもありがとうございます……!」
「プリム、プリム。すごみながら食欲に釣られるんじゃないよ……!」
けれど、まあ、そんなこんなでなし崩し的に僕らはノックアウトバーガーの店内に入ることになった。
入口正面に備え付けられたカウンターと、その奥にある広いキッチンスペース。大型の魔冷箱と巨大な鉄板。
カウンター席。テーブル席。やたらと座りにくそうな円形の椅子が地面に直接植え付けられている。
素材は木製が基本となっているけれど、それ以外は驚くほど地球世界のハンバーガーチェーン店にそっくりな作りだ。
そして――その混雑具合も、都会のハンバーガーチェーンそっくりだった。
案内された先は、キッチンを抜けた先にある階段を上がって、二階にある一部屋。かけられたプレートには【店長室】と刻んである。
「では、ボクはお茶を淹れてきますので、社長は一度冷静になって話をしてください」
「わかりましたわよ、もう……」
ソファに座り、テーブルをはさんで、僕らは向かい合う。
レイチェル・タイムはまた例の気味の悪い作り笑いを浮かべて、「さて」と言った。
「少し、取り乱してしまいましたわね。シンプルに行きましょう。とはいえ、わたくしが問いたいことはすでにお聞きしましたので、こちらからはなにもありませんけれど」
「ああ? なんだテメェ、あたしらをさんざん焚き付けておいて、そっちからはなにもねぇとはいい度胸じゃねえか」
「プリム、ここで騒ぐとお菓子が来なくなるよ」
「いい度胸というのは褒め言葉です。お分かりのこととは存じますが、念のため注釈しておきますね」
この腹ペコ少女(の頭)がときたま心配になる。大丈夫だろうか。大丈夫じゃないか。じゃあ諦めよう。
諦めのいい僕は、隣に座っている腹ペコ少女と震える老爺は役に立たないと判断し、
「――で、問いたいことはすでに聞いたって、どういうことです?」
と、聞いた。貴族はやはり作り物のような笑顔で、応える。
「わたくしがお聞きしたかったのは、わたくしどもノックアウトバーガーが避けたはずのマリウス様が、どうしてここにいるのか、という点です。お友達であるジェビィ・エル様に請われてここに来たと、さっき言っておられたでしょう?」
確かに言った気がする。
「ジェビィ様の交友関係までしっかりと調べなかった担当者のミスですわね。マリウス様とは、もう少しあとにお会いする予定でしたもの」
「もう少しあと? それはなぜです?」
「全てが手遅れになってからのほうが、交渉がうまくいくからですわ」
「手遅れ? 交渉? いったいどういう――」
「さて、どういう意味かは――秘密ということで。ただ、そう――重ね重ね申し上げますけれど、此度の出店はあくまでビジネスですの」
また、その単語を口にした。ビジネス。いやな響きの言葉。
「だれかの店を潰したいだとか、そういう目的は一切ございませんの。けれど、ノックアウトバーガーというお店ができたことによって、周囲の環境が変化してしまうことも、当然あってしかるべきことでしょう?」
なにを言っているのだろう。不思議に思って首をかしげていると、横で震えていた老爺がようやく口を開いた。
「白パンじゃ……!」
その言葉に、プリムが顔をしかめて、「下ネタ……?」と聞いてきた。無視した。
「この店は、よりにもよって白パンを使った料理を出すのじゃ! わしの店の目の前で、じゃぞ!」
「……それは穏やかじゃないね」
ジェビィ氏は、商人円街で唯一『酵母を使った白くて柔らかいパンを焼き上げてもよい』とパン職人ギルドに認可された、腕利きのパン職人なのである。硬くて酸っぱい黒パンではなく、白パンを焼き、売ってよい職人の数は、帝都で十人もいない。
つまり――もしも、このノックアウトバーガーなる店がジェビィ氏からパンを買わずに白いパンを使った料理を出せば、パン職人ギルドの敷いたルールを完全に無視することになる。
「……貴族だからって、ギルド協定を無視すると、裁かれますよ」
「認可に関しては、わたくしどももきちんといただいておりますので、ご心配なさらず」
「嘘をつけ! ギルマスがこのような店を認可するわけがないじゃろう!」
「ええ。パン職人ギルドからは、認可されておりませんわ。けれど――」
と、そこで、扉が開いて、カートを押したウィステリア君が戻ってきた。てきぱきと琥珀色の紅茶を配膳して、個々人ごとにそれぞれ小さなミルクピッチャーとシュガーポッド、小さな砂糖菓子の乗った皿を並べて、さらに、
「社長、これ、おそらく必要だと思ったので持ってきました」
「あら。察しがいいですわね。ありがとう、ウィステリア」
「いえ、これも務めですので」
一枚の丸めた羊皮紙を、レイチェル・タイムに手渡した。
その羊皮紙の紐を解いて、彼女は僕らのほうへ向ける。
めまいがするくらい荘厳で格式ばった文体の、内容だけなら一行で済むのにわざわざ羊皮紙五十センチメートル分もの長さを使って書かれたそれは、たしかに認可だった。
『この者と経営するノックアウトバーガーに、商人系ギルドと同等の権利を与える』――言ってしまえば、それだけの中身。
そして最後に、認可したものの名前と真っ赤な印章。
「……帝都財務大臣シルヴィア・アントワーヌ!? そんな……財務大臣はわしらの商売を終わらせる気か!?」
「偽物なんじゃねえの?」
プリムは紅茶をぐびぐび飲み干して、そんなことを言った。喉を鳴らして紅茶を飲むな。
しかし――僕には、わかる。
羽ばたく鷹は気高く強く、咥えたバラは気品を示し、囲う茨は規律と束縛。
そのデザインは、まぎれもなく――
「――本物だよ、プリム。これは、本物のアントワーヌ家の印章だ」
「あ、そうなんだ。マスターは物知りだな!」
「……まあね」
本物に間違いないからこそ、問題なのだ。
ギルドを通さない商売を行うとなれば、もはやこれはパン職人ギルドやジェビィ氏だけの問題ではない。
商人円街のみならず、帝都全体の商売にかかわる大問題と言っていい。
紅茶を飲み干したプリムは、砂糖菓子を一口でほおばって、ミルクピッチャーに入ったミルクを飲んでいる。やめろ。
ジェビィ氏は「もう駄目じゃ……おしまいじゃ……助けてギルドマスター……」と震えている。しっかりしろ。
そして、僕は――考える。
帝都財務大臣シルヴィア・アントワーヌの印章が捺されている以上、僕らになにかができるわけもない。
紅茶に手を伸ばして、一口飲む。温かく、落ち着く味だ。
「……お騒がせしました、レイチェル様。僕らはこれでお暇させていただきます」
「あら、そうですの。わたくしもそろそろ、ひとと会う時間でしたし、いい塩梅ですわね」
「ですが」
と、僕は砂糖菓子を頂きながら、一言だけ付け加えておいた。
「この商人円街は、あなたの戦場ではなく、僕らの街です。そのことを、どうかお忘れなきよう――お願いします」
「そうだそうだ! 忘れんなよ、貴族サマ! ここはあたしらの街だからな!」
プリムがシュガーポッドの角砂糖をポケットに移送しながら、僕の言葉に追従した。お前あとで説教な。
僕らは大繁盛する店の入口――ではなく、裏口から外に出た。表はあまりにも混雑しすぎていて、出るだけで時間がかかるだろう、とウィステリア・ダブル君に配慮されたのだ。思いやりが行き届いていて嫌になる。
裏通り。商人円街と貧民円街の境目にあたる場所だ。そこを歩きながら、このノックアウトバーガーという店が、そして、あのレイチェル・タイムという女が、いったいなにを目的としているのかを考えていると、
「――げ」
プリムが、角砂糖を舐めながら、そんなうめき声をあげた。
なんだろう、と思案をやめて前を見ると、見知った少年がいる。ぼさぼさの金髪に、薄汚れた服装。アクセサリー代わりに全身にジャラジャラ巻きつけた金属製の鎖。
そいつは、にやにや笑いながら近づいてきて、言った。
「ヨーホー! プリム、こんなところにいるなんて、オレッチが恋しくなったかヨ?」
「ハーマン……あんたこそ、まだこんなところで燻ってんの?」
「“エッジ”だ、プリム。“エッジ”のハーマン……それがオレッチのクールな名前だゼ」
普通にダサい。
そんなことを考えていると、ハーマンは僕を思い切り睨みつけながら、顔を近づけてきた。
「で、テメェ。なァんでここにいるんだヨ、マリウス・カリム……テメェみたいなナヨナヨしたヤローが来るところじゃネェんだゼ」
「所用でね。すぐ出ていくから、気にしないで」
「ハッ、ビビりやがって……なぁオイ、プリム。こんなヤローより、オレッチのところに戻って来いヨ。お前はオレッチにこそふさわしい女だゼ」
「そんで、昔みたいにあんたとバカやるっての? イヤに決まってるでしょ、ハーマン。あたしはね、もう、カフェ・カリムの正式な従業員なの。昔とは違うのよ」
「昔とは違う、ネェ……」
ハーマンは意味ありげに笑った。
「それはオレッチも同じだゼ、プリム。いまに見とけヨ。オレッチももう、昔みたいにバカやってるだけの男じゃネェってこと、すぐにわからせてやるからヨ!」
「はいはい、せいぜい偉そうなこと言ってなさいよ」
「じゃ、オレッチは用事あるから、もう行くゼ。――またナ」
ジャラジャラと音を立てながら、ハーマンは歩いて行った。
いつも元気だなあ、あの男は……なんて考えていると、僕の服の袖をプリムがちょいちょいと引いた。
「マスター、勘違いしないでね。あいつとは昔一緒にバカやってたけど、そういう関係じゃないから」
「……うん? そういう関係って、どういう関係?」
「あ、いや。わかんないならいいよ。――いやわかれよ。鈍感すぎでしょ」
「なんで僕怒られてるの」
理不尽を感じていると、ジェビィ氏が、
「プリムちゃんも大変じゃのう。そういう時は白パンじゃ。男子は白パンに弱い。白パンで清純さをアピールするのじゃ」
「ぶっ殺すぞテメェジジイ」
「ほっほっほ。じゃがカリムも好きじゃろ? 白パン」
うん? まあ、白いパンは好きだ。
「好きだよ。中身がもっちりしていて、噛んだときにしっかり弾力を感じるぐらいがいいよね」
「噛ん……ッ!? マスターのエッチ! ヘンタイ!」
「なんで!?」
プリムは怒るし、ジェビィ氏はゲラゲラ笑っているし、さんざんな帰路だった。