侵略のセントラルキッチン 4-1
――なぜ、という疑問がある。なぜ、カフェ・カリムがノックアウトバーガーになっていないのか。すべてはビジネスだった。
カフェ・カリムの所有権を得たレイチェル・タイムは、即座に四店舗目を出そうとした――が、そうはならなかった。待ったをかけた人物がいたから。
いかに帝都が広いといえど、〝斑髪の傭兵女王〟に経営方針で物申し、制止できる人間など、ひとりしかいない。〝鋼の法〟のシルヴィア・アントワーヌ。
僕の母だ。いわく――『そこに出すのは契約違反だ』と。
「マスターのママは、結局どっちの味方なの? あたしにはよくわかんねぇけど、マスターを守ろうとしたんじゃないかなって思うんだ」
プリムはむむむとうなりながら、首をかしげた。カフェ・カリム店内は以前と変わらない様子で、だれかがマメに掃除をしていてくれたんだろうということが容易にわかった。
「……いや。そういう楽観的な見方はしちゃだめだ。あのひとは〝鋼の法〟――僕だからって特別扱いはしない」
「じゃあレイチェル・タイムは? あの女は、どう考えても特別扱いされているように見えるけど」
「そこなんだよねぇ」
契約違反という言葉も気にかかる。レイチェル・タイムとシルヴィア・アントワーヌのあいだになんらかの密約、社会の仕組みをひっくりかえすための共通の意識があることは疑いようもないけれど、店を出すことが契約違反とはどういうことなのだろう。ギルドを潰すのが目的ならば、店の数を増やして顧客を占有してしまうのが一番効率的なはずだ。
シルヴィア・アントワーヌはだれの味方なのか。
シルヴィア・アントワーヌの目的はなんなのか。
それを知らねば――いや。
「僕にはもう関係のない話か」
苦笑して、笑う。僕はもう、レイチェル・タイムと戦う立場の人間ではない。だからといって味方になるつもりもないけれど。
彼女は悪役だ。彼女の偉業がどれほど労働者のためになろうと、その裏にいる犠牲のことを思うと、信奉する気になどなれないけれど。それでも、偉業には違いがないだろう。
……もしかしたら、ただ単に、僕が見てみたいだけなのかもしれない。世界が塗り替えられる瞬間というやつを。
「……マスター? 関係ないって、どういう……意味?」
「……プリム?」
ふと見れば、プリムが不安そうな顔をしていた。
「もう、戦わないの? マスターは、あいつと――商人円街のために、戦わないの?」
「プリム……?」
「落書きのせい? ひどいことを言われたせい? あいつに負けたせい?」
勝気な表情が特徴的で、いつも強気な発言をするプリムが、顔を青くして言った。
「つまり、あたしが――」
潤んだ目じりから、きらめくものが一粒落ちた。僕はそれの名前を知っている。
「――あたしが、マスターに入れなかったせい?」
小さく問われた言葉は、しかし、驚くほど鋭利に僕の胸に刺さった。
どうして刺さったのかは、わからないけれど。
いや。
わからないじゃ、ダメなんだ。それじゃあ今までと同じなんだ。
だから、だから――僕は。
とっさに、プリムを抱きしめた。
抱きしめてみれば、思っていたよりもずいぶんと身体が細い。成長して、健康的な身体付きになってきてはいたけれど、それでも彼女は十六歳の女の子に過ぎない。
壊れてしまいそうだ、と思った。力いっぱい抱きしめたら、きっと、折れてしまう。
――実際は、僕程度が抱きしめたところで、折れてしまうようなことはないんだろうけれど、僕の腕の中で震えるプリムには、そんなはかなさがあった。
そのはかなさを、僕は尊く思った。はかなくも、けれど力強く、彼女は生きている。
「……僕はね、プリム」
言葉を紡ぐ。きっと、これもまた特別な一歩なんだと考えながら。
「プリムがレイチェル・タイムに投票してくれて、よかったと思っているよ」
「うそ」
短く、つぶやくように、プリムは言った。
「あたしがレイチェル・タイムに入れなかったら、マスターは……きっと、いまも戦ってた。戦い続けてた」
「そうかもしれないね」
でも、そうじゃないかもしれない。
「もしも、の話だよ。もしも、プリムがレイチェル・タイムに入れず、僕に投票していたら、きっと僕はまだ商人円街のために戦い続けていて、店から離れることもなく、みんなに罵られることもなかった――かもしれない」
でも、
「それでも、僕はプリムが正直であったことが、僕以上に僕に対して真摯であったことが、なによりもうれしい」
気付くと、僕は微笑んでいた。腕の中に感じる温かさがいとおしい。
「……ね、マスター」
いつもの彼女とはまるで違う、小さな声。
「なんだい?」
「あたし、ここでマスターに救われたんだ。ここで、マスターの料理に触れて、マスターの温かさに救われた。たった一杯のスープとパンが、あたしに生きる希望を与えてくれた」
どうだろう。希望は常に、プリムの中にあった。僕はただ、それを思い出すきっかけを作っただけに過ぎない。
「あたし――さ。マスター」
プリムは、震えて言った。体温すべてを吐き出すように、小さくもたしかに体温のこもった声で、つぶやいた。
「マスターのことが、すき」
――。時間が、止まった気がした。
「すき――すきなんだ」
ぎゅう、と僕の胸に顔を押し付けて、少女はただ、言葉をこぼしていく。言葉――あるいは、心そのものを。
「料理をしている横顔がすき。話している声がすき。笑うと子供っぽくなるトコがすき。だれにでも優しいトコがすき。意外と負けず嫌いなトコとか超すき。鈍感なトコも……すき。そのくせ、あたしのチョーシ悪いときはだれよりも先に気付いてくれるトコがすき。すき、すき、すき。ホントに――どうしようもないくらい、すき」
「プリム……」
「それに――原因作ったあたしにこんなコトいう権利ないけど、」
押し付けていた顔を離して、少女は顔をあげた。数センチの距離で、僕とプリムは目をあわせる。潤んだ瞳。赤らんだ頬。そして、心を紡ぐ唇。
「――みんなのために料理をするマスターが……だいすき」
ほんの――ほんの、数センチ。
少し顔を傾ければ、すぐに埋まってしまう程度の距離。
心臓が爆発しそうなくらい激しく鼓動を刻んで、ともすれば理性を押し流して距離をゼロにしようとしてしまいそうになる。でも、それはダメだ。
僕は、まだ――進んでいない。
「……ねぇ、プリム。ひとってさ、圧倒的な実力の差を見せつけられたら、たぶん三つの選択肢からひとつを選ぶことになると思うんだ」
奮起するか、あきらめるか、絶望するか――。
距離を、離す。僕はまだ、プリムが敬愛するときのマスターにさえなれていない。失い、立ち上がり、なお一歩を踏み続けるものだけが、先へといける。だから、ひとつめ――僕は、ひとつめを選ぶ。
「僕は、もう一度――いや、前よりももっと、プリムに尊敬されるようなマスターになるよ。一歩進んで、さらにその先の一歩を模索し続ける料理人になる」
「マスター……!」
「だいすき、って言ってくれたよね。――僕も、好きだよ」
かあ、とプリムの顔が赤くなった。
「じゃあ、マスター、あたしと……! け、けっこ」
「僕も、料理がだいすきだ!」
言ったとたん、がしゃこーん! と豪快に音をさせながら老人が入り口から転がり込んできた。なんだいきなり。抱きしめていたプリムを離して駆け寄ると、老人はもごもごとなにかつぶやいている。
「いやそのオチはダメじゃろう……! 鈍感とかいうレベルじゃないぞ。なんかの病気じゃろもはや」
「ジイさん……!」
「せめてこういうときくらいは名前で呼べ。まったく……」
くく、と笑って、その老人――パン職人のジェビィ・エル氏は立ち上がった。
「久しぶりじゃな、カリム。元気じゃったか」
「……ぼちぼち。ジェビィさんは?」
「まあ年の割には元気じゃ。ラブラブ空間を邪魔したせいで殺気立った女の子からものっそい殺気が送られてきておるから、たぶんもう数分の命じゃとは思うが」
「なんですかそれ。なんかの隠喩?」
「直喩じゃよ。現状説明そのまんまじゃよ」
「……うん? どういう意味だろう。プリム、わかる?」
「あぇっ? えーと……あ、あはは、あたしアタマ悪いからわかんねーや、うん」
プリムは真っ赤な顔のまま、そっと顔をそらした。
「ヘタレが感染しておるのう……」
「うっせーなジジイ! テメェがあたしのジャマしたんだろうが!」
へらへら笑うジェビィさんが老人とは思えないダッシュで逃げ出したので、プリムはそれを追いかけて店を出て行ってしまった。元気だ。
ひとり残された僕は、椅子をひとつ、机からおろして座り、人心地ついて――両手で顔を覆った。
「……あー」
と、無意味に声を出してみる。
もはや病気と言われたけれど、たしかにそうだ。どうしようもない。
鈍感が、という意味ではなく。
ヘタレ、という意味で。
「……惚れた腫れたで一歩踏み出すのに比べれば、もう一度レイチェル・タイムと対峙することくらい、なんでもないよな」
自分で言っておいてむなしくなってきたけれど、つまりそういうことだ。
上目遣いで僕を見つめる潤んだ瞳を思い出すと、胸がばくんばくんと踊りだす。
だいすき、と言ってくれた唇は、吸い込まれそうな魅力があった。
落ち着くために目を閉じれば、抱きしめた彼女の柔らかさだったり、ふわりと香る髪の毛の匂いだったりを思い出して、いてもたってもいられない気分になる。
いかに鈍感でも、いかにヘタレでも、ここまで来れば認めざるを得ない。
僕を僕として正面から見据えて評価してくれたことが契機か――あるいは、帰ってきて顔を見たときか。いつかはわからないし、あるいはもっとずっと前、それこそ出会ったとき、彼女に錆びだらけのナイフを突きつけられたときから、そうだったのかもしれないけれど。
どうやら、僕、マリウス・カリムはプリムに惚れているらしかった。
だからこそ、僕は、踏み出さなければならない。
清算しなければならないことは、たくさんあった。
信用を失ったという意味では、僕は商人円街全体からの信用を失っているのだから。
ジェビィ氏のように、変わらず接してくれるひともいれば、門前払いをするひともいた。
けれど、それでよかった。僕はそれだけのことをした。謝罪のターンを終えなければ、先へ進めない。世界は気持ちのいい勝利だけで進むほど子供向けにはできていないということを、僕はもう知っている。
転生者? 前世の知識? 結構だ。楽して生きていけたら、そのほうがいいと思う。その通りだ。楽をしていいところは楽をすべきだ。
でも、楽をしてはいけないところで楽をしたツケは、必ずあとへ回ってくる。どうしようもない現実が、僕らの横っ面をひっぱたきにやってくる。
それでも前へ、一歩ずつ進もう。それが生きるということだと、僕はいろんなひとに教わった。
帝都に帰ってきてから三日目の朝。貴族円街にある、とある屋敷の前で、僕は深く呼吸をして、気持ちを落ち着けていた。
さあ、最後の清算の時間だ。
門前にて警備を担当する衛士が、僕を見て驚いた顔をしている。仕方がない。来るとは思っていなかっただろう。衛士のひとりが、慌てて屋敷の中へと駆け込んでいった。それも当然。足が震えている。太ももを叩いて、気合を入れる。
――よし。
衛士に向かって、震える声を、みっともない声を精一杯張り上げる。格好悪くても、必要なことだと信じて。
「商人円街のマリウス・カリムです! 本日はひとつ、お願いがあり参上いたしました!」
そう。僕は今日、あるひとに会うために、貴族円街まで足を延ばしたのだ。
「どうか――どうか! 財務大臣、シルヴィア・アントワーヌさまにお目通り願いたい!」




