侵略のセントラルキッチン 3-5
ウィステリア・ダブルという美少年についての情報は、ある意味、レイチェル・タイムよりも少ない。生まれたときからの付き合いである、とは本人から聞いているけれど、だからといって、それがすべてというわけではないはずだ。
いわば、彼のオリジン。彼の本質とは、なんなのか。
「お嬢さまがいうには、帝都もじゅうぶん空気がきれいなんだそうですけれど、やはり、ここほどではないように思いますね」
ウィステリアくんは、工場前の階段に腰かけて言った。
「……僕とレイチェル・タイムが前世でいたところの空気は、埃っぽいなんて言葉じゃ表せないほど濁っていたからね。それに比べれば――ってこと」
「なるほど。比較対象が違うわけですね」
ふふ、とウィステリアくんが笑った。
「来るときも言いましたけれど、私にはそれがうらやましい。知っていること。察せること。私の知らない知識で共感できること。ああ、うらやましい」
「キミ、けっこうレイチェル・タイムにぞっこんだよね」
「当たり前ではないですか。お嬢さまは私のすべてですから」
おおう。すべて、と来た。
「生まれたときも、育ったときも、戦場で少年兵として戦ったときも、傭兵ギルドを立ち上げたときも、会社を作ったときも――離れているいまでも、私のすべてはお嬢さまのためにあるのです。愛していますとも。ですが、私はお嬢さまのすべてにはなれない。お嬢さまを支えることはできても、お嬢さまの求めるものになることはできないのです」
そう言う彼は、やはり穏やかに笑っていた。こんなにもストレートに、焦がれるような愛を語る彼がなんだかまぶしくて、聞いている僕が恥ずかしくなってしまう。
「……で、話ってなんだい? まさか、のろけるために呼んだわけじゃないだろ?」
「ええ、それはもちろん。のろけはまた別の機会にしましょう」
「また別の機会にしてくれって意味じゃないんだけど」
「お話というのは、もちろんお嬢さまのことです」
「スルーするんだ……」
近々、またのろけられることになりそうだ。さておき、ウィステリアくんは話を続ける。
「お嬢さまが自分のことをなんと呼んでいるか、知っていますか?」
自分のことをなんと呼んでいるか。一人称の話ではないだろう。『わたくし』ではない。とすると、残るは――。
「……『悪役』?」
「ええ、そうです」
ウィステリアくんは大きくうなずいた。
「悪役を自称しています。では、それはなぜだと思いますか?」
「なぜ、って……」
言われてみて、はじめて疑問を持った。たしかにそうだ。彼女の行いは、その余波だけで多くの不幸を生む。まさしく悪の所業である。けれど、だからといって自ら悪役を自称する意味は、まったくないはずだ。
「お嬢さまには、悪意的にふるまいたがる悪癖があるんです。でも……けっこう、ちゃんとしているんです。突飛ではあるんですけれど」
「ちゃんと……?」
「ミスター・カリムはレバーの安全性を村人で確かめたという話をした際、すごく怒ったと聞いています」
「……いまでも怒っているよ」
「お優しいんですね」
くすりと笑う。
「ちゃんとしている……というのは、そういうところです。お嬢さまは、農村での実証実験の際、きちんと皆さまにリスクの説明をし、参加するかどうかの選択権も与えています。参加してくださったかたにはきちんと謝礼を払い、なにかあったときのために、治癒術師も用意していました」
「だからって、ひとを実験台にしていいわけじゃないだろう」
「まったくもってその通りですね。返す言葉もありません」
意外にも、ウィステリアくんは反論しなかった。
「ですが、ひとつだけ。なんの釈明にもなりませんけれど、ひとつだけ言わせてください」
「……なんだい」
美少年は、苦笑した。
「参加者に内臓を食べさせるときは、社長が立ち会って、だれよりも先に社長自ら口にしているんです。この世界を支配するための変革と、それに伴う犠牲者は、全て『悪役』たるお嬢さまが背負うと――止めても聞かないんですよ。先頭を走ることに意味がある、なんて言って」
「それは……いや。なんでもない」
それはたしかになんの釈明にもならないことだ。でも、それを単なる言い訳と切り捨てることは、ためらわれた。少なくとも、言葉で語るだけの僕よりは、ずっといい。
「お嬢さまは、悪役を自称しています。でも、それは悪役であって、悪党ではないんです。悪そのものでは、ないんです」
あくまでも、役。ウィステリア・ダブルは静かに言った。
「ミスター・カリム。カシ村に来るとき、あなたは私にこう聞きました。『なぜ、お嬢さまはこんなにも面倒な方法で世界征服をしようとするのか』と」
そうだ。たしか、そんな風なことを聞いた。そのとき、ウィステリアくんは答えを言わず、ただ、僕ならわかるはずだと匂わせるようなことを言っただけだった。
「その答えになり得るもの。先日料理をいただいたときと、本日の料理とビール。それを見て確信しました」
「なにを確信したっていうのさ」
「ミスター、あなたです」
ウィステリアくんは言った。僕? 僕がどうしたの。
「あなたが、答えです。おそらく、この世界で……あなただけが、お嬢さまの答えになれる」
「……なにを、言って――」
「ヒントはここまでです。ここまで言ったんですから、さすがにわかってください。鈍いのか鋭いのか、よくわからないひとですけれど……」
ウィステリアくんは僕のほうを向いて、ゆっくりと頭を下げた。
「私には、できないことです。私には――お嬢さまを支えることしかできませんから。ですから、どうか、お願いします。ミスター・カリム。あなただけが、お嬢さまに答えを出せるひとなんです」
「…………」
なにも言えなくて、ただ、緩やかな風が流れていった。数十秒して、ようやく僕が、
「あの……」
と声を出すと、ウィステリアくんは頭をあげて、そっぽを向いた。
「申し訳ありません、急に妙なことを言ってしまって。二杯も飲んだからでしょうか。少し、酔っているのかも。風にあたってきます」
「え、ちょっと」
僕の静止を待たずに、ウィステリアくんは立ち上がって、早足で工場から家が立ち並ぶほうへと向かっていった。
「……どうしろっていうんだよ」
去っていく彼の背中を見て、僕はただそうつぶやくしかなかった。
その翌日、ウィステリア・ダブルはカシ村セントラルキッチンから、帝都へと戻っていった。どうやら彼の仕事は僕を届けることと、いくつかの伝達事項や会議だけだったらしく、初日ですべて終えてしまったのだとか。
僕が答えを出せる。それがどういう意味なのか、言わないままに。
エノタイドくんに工場見学の続きをしてもらったり、ローランさんに帝都の流行の話をしたり、おばちゃんたちにいくつかの料理を手ほどきしている間も、頭の片隅に引っかかって離れなかった。言葉の真意を測りかねて、もやもやが晴れないまま、一週間が過ぎた。
ここで思い出すべきなのは、貴族の領地と帝都の関係――人質法。レイチェル・タイムとウィステリア・ダブルのどちらかが、常に帝都にいなければならないという法律。そして、いま、ウィステリア・ダブルは帝都に帰ったという事実。このふたつの情報から導かれる答えは明白だ。つまり――僕がここにきて七日目の朝。
レイチェル・タイムが、幌馬車に揺られてやってきた。
そして、わざわざ僕にこんな話をしはじめたのだ。
「マズローの欲求階層ってご存知?」
レイチェル・タイムは上機嫌にビールジョッキを傾けながら言った。
みんなが帰ったあとの、人気のない食堂で、僕はなぜかこの女と一緒にビールを飲んでいる。つまみとして、卵液に浸して焼いたバンズに焼いたパティを乗せて、はちみつとマスタードを混ぜたソースをかけたものを用意してある。フレンチトーストだけれど、砂糖をかなり抑えて作り、はちみつの甘さとマスタードの辛さ、そして味付けされたパティのしょっぱさが絡みあって、不思議とおいしくて、エールに合う。ハニーマスタードのノットスイーツ系パンケーキ。即席で作ったわりには、よくできたと思う。
「……いや、知らない。なんだそれ」
「マリウスさま、学校はどちらに?」
この場合の学校とは、おそらく前世の――だろう。
「京都の経済系だよ。あんまりいいところじゃなかった。あんたに比べたらね。どうせいいところ行ってたんだろう?」
「いえ、わたくしは専門学校でしたので。ただ、兄が――頭のいいひとで」
レイチェル・タイムは苦笑した。
「いつも聞かされていましたの。『人間は自分と同じ階層で生活している人間のことしか想像できないんだ』と」
「……貧民の気持ちは貧民にしかわからない、みたいな?」
「近いですわね。マズローの欲求階層というのは、社会学の一要素、自己実現理論の一部ですわ。どうすれば自分を実現できるか……つまり、夢を叶えたり、幸せになったりですわね。いわく、欲求には五段階の階層があるそうですの」
ビールジョッキの外側に指を這わせて水滴をぬぐい取ると、濡れた指先で木のテーブルに三角形を描いた。三角形の内側に線を四本引いて、ピラミッド型にする。
「一番下が、第一の欲求。生理的欲求ですわ。食べること、出すこと、寝ること……動物の欲求と言いかえましょうか」
「……もしかして酔っぱらってる?」
「ええ、いい気分ですの。酒類は、どうしてもわたくしたちで自社生産できないもので、飲む機会があまりないんですの。まあいつかは絶対に作りますけれど」
「絡み酒は嫌われるよ」
「だからこうしてマリウスさまと飲んでいるのではありませんか」
嫌われてもいいやつだから、思う存分絡んでいると。本当にいい性格をしている。見習いたいくらいだ。
レイチェル・タイムは下から二番目の段を指した。
「第一の欲求を満たすと、第二の欲求――安全の欲求が現れますの。身体的な安全が保障されたいということだけではなく、社会的な……つまり、経済的にもそれなりに保障されている状態でありたいという欲求ですわね」
指をずらす。
「第三の欲求が、社会欲求と愛の欲求。社会に必要とされたい、社会の一員でありたい、どこかに属していたい――そしてなにより、他者に愛されたい。そういう欲求ですの」
さらに指をずらす。
「第四の欲求は承認の欲求。認められたいという気持ちは、だれにだってありますし、認められていないとき、人間はどうしようもなく劣等感にさいなまれますわよね。ようするに、自尊心というやつですの」
そして、指はピラミッドの最上部へとたどり着いた。
「第五の欲求。自己実現の欲求。第四までのすべての欲求を十全に満たした人間がたどり着く場所。それは――」
レイチェル・タイムはくすりと笑った。妖艶で、一瞬見惚れてしまうほどに美しく、そして作り物じみている。
「――不満ですの」
「……ふ、不満? なんで? そこに至るすべての欲求を満たしたんだろ?」
「ええ。だからこそ、不満があるのでしょう。『自分にはもっとやるべきことがあるはずだ、それをしなければならないし、それをしない自分はダメだ』――そういう不満。一種の強迫観念ですわよね、もはや」
斑髪が揺れる。
「これはあくまでも考え方ですの。アブラハム・マズローという学者が提唱した可能性のひとつ、それをさらに我流で解釈したものすぎません。ですが……マリウスさま」
レイチェル・タイムはそっとピラミッドの外縁をなぞった。
「あなたは、いま、どの階層にいると思われます? あるいはわたくしはどこにいると思われます?」
僕がなにかを言う前に、レイチェル・タイムはさらに言葉を続けた。
「あるいは、ねえ、マリウスさま。このカシ村の労働者の皆さまは? 貧民円街に住むひとびとはどうでしょうか。ギルドの顔役たちは? 貴族の皆さまはどうなのでしょうね」
指が、ぐい、とピラミッドをぬぐって消し去った。
「わたくしがこの世界で自意識を獲得したとき、そこは雨漏りのひどい掘っ立て小屋でした。自分の足で歩けるようになってしばらくすると、親はどこかに消え、わたくしは小屋を放り出されました。外に出ると戦場跡のようなゴミ山で、同じように震えている子がいましたの」
ウィステリア・ダブル。あの美少年は、当初、おのれの名前もわからない状態だったという。その美少年に名前を付けたのは、レイチェル・タイムだった。
親に捨てられ、途方に暮れ、雨風に打たれて衰弱死寸前。その状態から、どうやって生き残ってきたのか、僕には想像もつかない。僕が自分という存在を認識したとき、そこは帝都の貴族円街でもトップクラスに大きな屋敷で、ふかふかのタオルケットに包まれていた。
「最初は獣でしたわ。第一の欲求を満たすために、雨水を飲み、雑草を食み、よく、地面を掘って芋虫なども食べていました。しばらくすると、奴隷商がやってきて、わたくしたちはあっけなく捕まり、戦場へと送られましたの。モラルが崩壊する場所というのはどこにでもあるんですのね。稚児趣味の将校が、わたくしたちのようなオモチャを欲していたそうです。襲われる前に逃げ出して、そこから先も必死でした」
死体から武器をはぎとり、戦場の片隅で敵味方なく剣を振り回したという。生きるために。
「何度も死のうと思いましたけれど、そのたびにウィステリアが言うんですの。『明日はもっとおいしいものを食べられるよね』って」
だから、死ななかった。死ねなかった。そうやって日々を過ごすうちに、少年兵として帝国側の軍に雇い入れられ、傭兵となり、給金をもらうようになった。戦功を得て傭兵ギルドを作りあげ、さらなる名誉と実績を積み重ねて、レイチェル・タイムは〝斑髪〟になった。
「ウィステリアがいるから、わたくしはここまで来たんですの」
と、レイチェル・タイムはつぶやいた。なんだ。ぞっこんなのは、あっちだけじゃないのか。相棒のような、パートナーのような。互いが互いを生きる目的とする共依存。
そこで、ふと合点がいった。かちりと、すべてがかみ合った。なるほど、だからか。
「そっか。だから、アンタは貧民円街にハンバーガー屋を出したんだな。雇用を生み出し、それに付随して側溝や道の整備もして、安くてエネルギーになる食事も売り出して。金のためじゃなく、既存の形態をぶっ潰すためにやってるんだろ。復讐してるんだ、社会に」
獣のように生きていた時代を第一とするならば、傭兵となったときが第二だ。傭兵ギルドを立ち上げ、第三を経て、第四――貴族となった。つまり、いまのレイチェル・タイムは第五の階層にいる。――不満があるということだ。
「あら、わたくしが社会に唾を吐くような女に見えまして?」
「いや。だから、アンタの不満は、社会への不満なんだ。ウィステリアくんをひどい目にあわせた故郷も、そんな故郷を生み出した仕組みも、ぜんぶぜんぶぶっ潰すためにやってる――いや」
レイチェル・タイムを真っ向から見据える。笑顔の仮面の向こう側にある、本当の表情を。
「ぶっ潰して、立て直すんだな? 社会を。ようやくわかったよ。アンタは――革命を起こす気なんだ。武力ではなく、仕組みで。システムで。ようするに――アンタ、産業革命と同じことを、ハンバーガーでやろうとしてるんだろう。母上が――あの鋼鉄女が加担するわけだ。私腹を肥やす貴族を崩し、労働者のための社会を作ろうとしているんだから」
レイチェル・タイムは答えず、ただ静かにジョッキをあおった。
彼女は――悪役だ。どうしようもないほどに、悪役なのだ。
悪党でも悪魔でもなく、ただ悪を演じるもの。犠牲を生み出し、しかし世界を一歩先へと進めるために存在する必要悪。
それが、レイチェル・タイムだ。
「……世界のためとか、あの子のためとか、そんな高尚なこと考えていませんわよ」
つぶやくように、彼女は言った。
「ただ、納得がいかないだけですの。街も、国も、社会も、すべてが――納得いきませんの。それだけですわ」
それだけ。納得がいかないだけで、この女は魔王になった。必要な悪になった。ハンバーガーショップで世界を覆いつくさんとする魔王に。いや、ハンバーガーショップじゃなくてもいい。彼女が生み出した仕組みは、やがて既存のシステムすべてを踏み抜いて君臨するだろう。
それはきっと、身分制度すらもひっくり返した地球世界近代で起こった革命のように、鮮やかに世界を塗り替えていく。
「……さて、そろそろお暇しますわね。おいしいおつまみをありがとうございますわね」
レイチェル・タイムは立ち上がって、去っていった。その背中が扉の向こうに消えるまで、僕はただ見ていた。
「……あー、くそ」
皿とジョッキを調理場にもっていって、手早く洗う。近くにあった椅子に腰かけて、天井を見上げる。ダメだ。これは――勝てない。料理の腕とか、そういう問題ではなく……もっと大きな枠組みで見て、だ。
わかってしまった。僕は彼女には勝てない。勝てる要素が、なにひとつ存在しているとは思えなかった。




