侵略のセントラルキッチン 3-3
日が沈み始めても、セントラルキッチンでの作業は続いていた。驚いたことに、光術符を使った照明機能が工場に導入されていたのだ。帝都なら、貧民円街を除けばどの家庭にも導入されているし、街灯だって煌々と輝いているけれど、農村は違う。暗くなれば仕事を辞めて寝る。明るくなれば起きて働く。そういう場所なはずだ。
カシ村。
ここは、異質だ。おかしい場所だ。
冒険者時代、僕が回ったありとあらゆる農村と違う。無機質で、温かみのない光に照らされた、セントラルキッチンのためだけに存在している村。
「……狂ってる」
思わず漏れた言葉に、エノタイドくんは怪訝そうな顔をした。
「なにがッスか? 照明なんて、帝都には腐るほどあるって聞きましたけど」
「そりゃそうだけど、ここは帝都じゃないだろう。それなのに、こうして――労働時間を引き延ばしている。おかしいと思わないの?」
「え、超便利じゃないっスか、明かり」
そう言われてしまうと、返す言葉もない。
「むしろ、こんな便利なもの、帝都にしか流通してないってのがおかしなハナシなんスよ。おれらは暗くなったら畑仕事やめて晩メシ食って寝て、明るくなったら起きだして畑仕事して、昼メシ食ってまた畑仕事する生活をしてたんスよ。なんでかわかります?」
「……明かりがないから?」
「そうッス。でも、ここでは夜でも明かりがついていて働けるんスよ。一日二食だったメシも、三食になったッス。時間が伸びたから、そういうことができるようになったんスよ」
「だからって、ずっと働かなくてもいいじゃないか。もう夜だぞ」
労働基準法を無視している。この世界にはないけど。
「交代制でやってるッスから、それほど長い時間働いているって感覚はないッスけどねぇ。それに、おれたちが畑仕事やってたころに比べれば、ぜんぜん屁でもない仕事ッスから。むしろ、みんなもっと働きたいって言ってるッス。もっと働いて、もっと金稼いで、もっと出世して――ゆくゆくは、別のセントラルキッチンの管理責任者になるんだって」
「別の? 別のセントラルキッチンがあるのかい?」
「できるらしいッスよ。聞いた話ですけど、帝都の店が調子いいから、このままいろんな街にガンガン広げていくつもりらしいッス」
いくつもりらしい――。きっとエノタイドくんの上の、ローランさんやウィステリア君のような、いわゆる経営にまで食い込んでいるひとの言葉なのだろう。レイチェル・タイムは、どんどん広げていくに違いない。いずれはこの国全土を飲み込む勢いで――。
「……世界征服、か」
彼女の目的。子供の夢じみた最終到達点。
大陸中に赤と黄色のロゴが広がる光景を想像して、一瞬、身震いした。
「――じゃ、次のところに行くッスよ」
エノタイドくんは、てくてくと歩を進める。
彼は、なにも不思議に思っていないようだ。このいびつさを。
だから、言いたくなった。僕の中にある奇妙な焦りのようなものを、ぶつけたくなってしまった。言わなくていいことを、きっと彼には言うべきではないことを、言ってしまった。
「レイチェル・タイムは悪党だ。信用しすぎると、いつか、痛い目を見るよ」
エノタイドくんは、さすがに――これまでも、僕の物言いに不快感を感じてはいたんだろうけれど、今回はさすがにしっかりといやな顔をした。
「なんスかそれ。どういう意味ッスか」
「そのままの意味さ。あの女は、君たちを使い潰すつもりだ」
けれど、一度しゃべりだすと、僕も止まれなかった。堰を切ったダムのように、口から言葉が流れ出していく。
「きみたちのやっている仕事はオンリーワンじゃない。だれにでもできることだ。好条件をちらつかせて、酷使して、使えなくなったら交換するだけ。光術符と一緒だよ。切れたら交換、切れたら交換――その繰り返しだ」
周囲、幾人かの作業員たちが、僕らのやりとりを立ち止まって聞き始めている。ここはアウェイだ。きっと、反感を食らう。それでも、言いたかった。言わないと、僕が僕自身を保てない気がしたから。
「働いて働いて、それで昇格できるならいいさ。でも、できなかったら? 一生ここで使われて、まともに働けなくなったら交換される――そういう仕組みだったら? きみたちは、ただ延々とレイチェル・タイムに労働力として搾取されるだけの存在だとしたら、どうする?」
だれも、なにも言わなかった。
正面のエノタイドくんは、やはりいやそうな顔で、周囲を見回した。
「……はあ。だれも言わないってんなら、おれがいうッスけどね。ったく、ボンボンの案内役なんて引き受けるんじゃなかったかな」
頭を掻いて、エノタイドくんは言った。
「社長に搾取される。なるほど、そうかもしれないッス。でも――それって、おれらが畑仕事やってたときと、どう違うんスか?」
――それは。答えに詰まった。
「おれらは生まれた場所がすべてなんスよ。どっかの貴族の領地で生まれたら、生まれた瞬間に戸籍は領主の預かりになるんス。だから、その村で一生畑耕して生きていくしかないんス。自分の戸籍を領主から買い戻さないと領地から出ることすらできないのに。戸籍を買うのには現金が必要ッスけど、おれらが手に入れられる現金は、税の余りの収穫物を商人に売って手に入る程度のものッス。これじゃあ、一生働いたって戸籍は買い戻せない。こっちのほうが、いびつで、おかしくないッスか?」
エノタイドくんは続ける。静かに。けれど、言葉の中にたしかな熱量を込めて。
「おれらは、戸籍を領主に預けたつもりなんてないッス。ただ、その領地で生まれただけなんスよ。なのに、おれらはそこで生きていくしかなくて、そこで働くしかなくて、そこで税を納めるしかないんス。おれ、学がないから、あんまり良い言い回しが浮かばないんスけど――それこそ、アンタの言う搾取じゃないんスか?」
エノタイドくんは両手を広げて、作業員のみんなを示した。
「おれだけじゃないッス。みんな、どうしようもない理由があって、ここに来たッス。死ぬしかなかったところを拾われて、ここに来たッス。たしかに、おれらはまだ搾取される側なのかもしれないッス。希望をちらつかされて、そこにすがろうといているだけなのかもしれないッス。けど、畑仕事してたあのころは、その希望すらなかったんスよ」
そうだ、おれもだ、わたしは社長に救われたんだ――と、賛同する声が周囲から続く。囲まれている僕は、いたたまれなくなって、消えてしまいたい気分だったけれど、そんな都合のいい逃げ道はなかった。自業自得だけれど。
「このまま働けば、二年もすれば戸籍を買うだけの現金がたまるッス。アンタのいた帝都と同じように、ここじゃ、給料は金で支払われるッス。昇給しなくとも、おれらは自由を目指すだけの希望があるんスよ」
「……金がすべてじゃないだろう」
なんとかひねり出した、反論にもなっていないような言葉は、エノタイドくんの寂しそうな言葉に、たやすく吹き飛ばされた。
「それは――金のあるやつの発想ッスね」
……最近、似たようなことを言われなかったか。そうだ。ハーマンだ。彼は、たしかこう言った。
『ケンカ売ってんのかテメェ。そりゃ、生きていくために最低限の金を稼げてるやつの発想だ』
そして、彼はまた、この村のひとびとと同じように、希望を掲げていた。
社長になる、と。
鎖の数だけ、他人の何倍も、だれよりも幸せになってやると。
――ああ、そうか。彼らの共通点が見えた。それは、生きていることだ。
生きようとしていることだ。
僕のように、特に苦労もなく生きてきた人間と違って――いまを、必死に生きている。
そう気づいたとき、僕は――わかった。ようやく、わかった。
レイチェル・タイムもまた、彼らと同じなのだ。
ゴミ山の片隅で生まれたという彼女が、どんな生活をしていたのか、僕には想像もできないけれど――彼女は、ただ成功しただけではない。いまも、それ以上を目指している。
どんな苦境であっても、生きている。生きていく。
必死なんだ。彼女は、僕なんかよりもずっと。勝てるわけがなかった。
だって、彼女は――いつだって、命がけだったんだから。
僕がかけたものは、せいぜいちっぽけなプライドくらい。
勝負にすら、なっていなかった。
「――おい、なにをしている」
そこで、円の外から声がかけられた。渋い男性の声。
「まだ終業時間前だぞ。明かりがついているうちはちゃんと働けよ――と、なんだ。アンタか」
ひとの円を割って入ってきたのは、ローランさん。彼は、周囲を一瞥して、さっさと戻れ、と言い放った。蜘蛛の子を散らすようにひとが持ち場に戻っていく。
「エノ。おまえ、問題は起こすなって言っただろ」
「……すいませんッス。でも、これはおれらの誇りの問題ッスよ」
「バカ野郎。誇りで飯が食えるか」
「……うす」
「案内はもういい。今日はもう上がれ。頭冷やしとけ」
「……すいませんでした。カリムさんも、すいませんでした」
「……いや、いいよ。悪いのは、僕だから」
そうだ。だいたいのことは――いつも、僕が悪い。
そのあと、エノタイドくんは建物の外へと出ていった。家へと戻るのだろう。残された僕に、ローランさんが言った。
「晩飯、食ったか?」
「……さっき、パンをいただきました」
いきなりなにを言い出すんだと思ったけれど、あとから考えると、たぶん、見るからに落ち込んでいた僕を見かねたんだと思う。
「じゃあ満腹ってほどじゃないだろう。せっかくだ。明日からと思っていたが、アンタに仕事を頼みたい」
「……料理当番をですか? なにを作れっていうんですか」
「社長からは、こういわれている。『栄養のバランスがよくて、おいしくて、労働者のためになるものを』――だとさ」
「……わかりました。どこでやればいいんです」
「三番棟に食堂がある。そこでやってくれ。あと一時間で仕事上がりで、それから晩飯食いに来るやつが多いから――五十人前ってところか」
「ごじゅ……そんなに!?」
びっくりしてしまった。カフェ・カリムの一日分のお客さんだって、そんなにはいない。
「もちろん、ひとりじゃねえ。サポートはつけるし、うまいこと動かしてこなしてくれ。社長がいる日は社長がやってくれるんだがな。それとも――アンタにゃ荷が重いか?」
そう言われると、さすがにむっとした。僕をノせてやる気にさせようとしているんだろう。いいさ。ノってやる。僕のちっぽけなプライドを、かけてやる。
「わかりました。すぐに取り掛かります」
「そうか。頼んだぞ」
あっさりとそう言われ、ローランさんに連れてこられた先は、広い食堂。五十人前と言っていたけれど、席数はその倍はあるように見える。
調理場には、年配の女性が何人かスタンバイしていた。彼女らが手伝ってくれるのだという。
制限時間は一時間。持参した包丁を手に取れば、柄が吸い付くように手になじんだ。
――そして、脳裏に敗北の記憶がよぎる。
ああ。そうさ。負けたさ。けど、それがどうしたっていうんだ。
嫌な思い出を振り払って、僕は顔をあげた。目の前には、肉と野菜と調味料、それから焦げたバンズが並んでいる。輸入した食材の切れ端や余り。それに焼き損じたパン。店では出せないものを、この食堂で有効活用しているわけだ。いまの僕には、ぴったりの調理場。自嘲気味にそう思った。
それじゃ――始めようか。