侵略のセントラルキッチン 1-1
君が普段どんなものを食べているのか、教えてくれないかい?
君がどんな人間か、当ててみせるから。
牛肉の塊を薄切りにする。そうしたら、それを細切りにして、さらに細かく刻んでいく。包丁を二本使って、まな板をたたき、細切れに。
続いて、魔冷箱から豚肉を取り出す。こちらも同様に細切れにする。
それらをボウルの中で、塩コショウ、きざみタマネギ、卵とつなぎのパン粉を入れて、捏ね上げる。完全なミンチ肉ではないから、きれいにはまとまらないけれど、粗みじんにした野趣あふれるパティ――ハンバーグも、悪くはない。
かまどの横に貼り付けられた炎術符を撫でると、かまどに火が灯る。
かまどの上に空いた穴から、ちろちろと赤い炎の舌先が覗いている――うん、いい感じ。
鉄製の真っ黒なフライパンをかまどに乗せて、植物から絞った油を引く。
ややあって、油が熱を持ったと判断したら、パティを焼く。
じううううう、と音が響く。ぱちぱちと油が爆ぜて、香りが溢れ出す。
肉の焼ける香りというのは、冒涜的で暴力的だ。
肉を焼くという行為は根源的に生命への冒涜であり、同時に、根本的に食欲への挑戦状でもある。
ふつふつと赤い上面が騒ぎ出したら、上下を逆さにして黙らせる。姿を見せるのはこんがりと焼けた下面。
さて、肉を返したら今度はパンだ。パン屋のジェビィさんに頼んで作ってもらった、ふっくらした白いパン。
天使の耳たぶなんて大仰な呼び名を、ジェビィさんはこの白いパンにつけた。
僕は――その天使を上下に分かつ。
すっぱりと、きれいに二分割。さらにそれをかまどの火であぶる。天使を分断し、さらに火あぶりの刑。なんという背徳。そうとも。
「――すなわち料理とは背徳の享楽なり……!」
「マスター! 意味わかんないこと言ってないではやくして!」
ウェイトレスに怒られた。僕マスターなのに。
癖の強い赤毛とそばかすがかわいらしい彼女は、ぷりぷりと怒りながらせわしなくテーブルの間を駆け回っている。
どうやら僕に自己陶酔する時間さえも与えてくれないらしい。
けれど、それは悪いことではない。
それくらい、僕の店――カフェ・カリムが繁盛しているということなのだから。
「今すぐ仕上げるよ、プリム」
「あとまかないください!」
「それはピークが過ぎてからにしようね」
さあ、仕上げだ。
パンにフレッシュなレタスとスライストマト、そして渾身のハンバーグを挟み込む。
――ハンバーガー。
地球世界でもっともポピュラーな料理といっても過言ではないそれを――。
「お待たせしました! カリム・バーガーです!」
――僕はいま、生まれ変わってこの異世界で作っています。
剣と魔法の世界に生まれ変わった僕だったけれど、剣や魔法の才能があったわけではない。
人並みの身体。人並みの魔力。
そんなもので立身出世できるほどこの世界は甘くはなくて、では前世の知識を生かしてなにかしようと思い、はじめたのがこのお店――カフェ・カリム。
昼の営業時間も過ぎて、ふぅ、と一息。
夜の営業は十八時からなので、三時間ほど余裕がある。
「マスター! まかない!」
と、プリムがカウンター席で叫ぶ。マスターはまかないじゃありません。
けれど、彼女がいてくれるから、このお店はなんとかやっていけているのだ。
二人分の余ったパティを焼き始めると、プリムは目をキラキラさせながらカウンターの向こうから覗き込んでくる。
燃え盛る炎のような髪と、その利発さで忘れてしまいそうになるけれど、彼女はまだ十六歳。
この世界では、もう十分大人として扱われてしかるべき年齢ではあるけれど、いろいろなことに興味を持つ好奇心の強さは、子供らしい。
「はやくっ、はやくっ」
あと食い意地の強さも子供っぽい。
「生焼けだと身体を壊しちゃうだろ。焦らず慎重にやることも必要だよ、プリム」
「でもでも、おなか空いたんだもん」
ぷぅ、と頬を膨らませる。だもん、って。
雇った当初は痩せぎすでとげとげしかったのに、この一年でずいぶんと輪郭も心も丸くなったようだ。特に胸とかめっちゃ丸い。成長期ってすごい。
まあ、もともと栄養失調気味だったこともあるのだろうけれど……。
そんな風に懐かしんでいると、
「……マスター、その、どこ見てるのさ」
「……え? あ、ご、ごめん……!」
プリムは頬を髪色と同じくらい赤くしながら、ぎゅっと身体を抱きしめた。
「ま、まあ、マスターなら……いいけどよ……」
「? なにか言った?」
「べ、別になにも! それよりはやくまかない食べよっ!」
そうだった。あぶったパンに野菜とハンバーグを手早く挟んで、皿に乗せる。
今日の日替わり昼メニューをハンバーガーにしたのは、パン屋のジェビィ氏たっての希望だ。
いわく、「マリウス・カリムの店で白いパンが出れば、仕入れ先であるわしの店も大繁盛間違いなしじゃからな!」とのこと。
商魂たくましいジイさんだと思ったけれど、それくらいカリム・カフェのことを信用してもらっているということでもある。
実際、僕の店には、たまに貴族円街からお忍びで貴族が来るくらいなのだ。
「――と、そうだ。プリム、もうそろそろジェビィ氏が経過を見に来ると思うから、お茶の準備を」
「まふ? まふっふ?」
「うん。そうだね。なにを言っているのかはまったくもってこれっぽっちもわからないけれど、食べてからでいいよ」
「まふ!」
口いっぱいにハンバーガーをほおばるプリムを見ていると、僕はついつい笑ってしまう。
彼女は幸せそうにものを食べる。彼女だけでなく、僕の料理で少しでも笑顔になってくれるお客さんがいると、僕も嬉しくなる。
それだけでいい。僕みたいな、前世の記憶があるだけの人並みな男には、これくらいの幸せがちょうどいい。
けれど、少しだけ高望みするものがあるとすれば、刺激的なスパイスだ。二十歳にして掴んだ平凡で人並みな生活だけれど、たまにはピリッとしたイベントが欲しくなる。
だから――。
「――カリム! 助けてくれぇー!」
「ジェビィさん!? どうしたんですか!?」
――白髪のおじいさん、ジェビィ氏が血相を変えて飛び込んできたとき、不謹慎ながら、僕はすごく期待した。
ああ、きっとこれはスパイスだとぞ、と。とっても刺激的なイベントが始まるぞ、と。
しかし、それは刺激的なスパイスなどではなかったと――そのときの僕は、早く気付くべきだったのだ。
スパイスは使いようによっては素晴らしい調味料であり、同時に優れた薬効を持つ薬であるけれど――過ぎればもはや毒なのだと。
連れてこられた先は、行列だった。老いも若いも押し合いへし合い、こぞってその列に並んでいる。
ジェビィ氏のパン屋の前、空き地だったはずのその場所に、突如出現した一軒の店。
堂々と掲げられた大きな看板には、【ノックアウトバーガー】の文字――そして、大きな“K”を象った赤と黄色で派手に色付けされた看板。
どこからどう見ても“K”だ――この世界には存在しない文字である、アルファベットの十一番目。「……な、」
なんだコレ! という言葉は、続かなかった。続けるよりも先に、声がかけられたから。
たおやかで、おしとやかで、どこかのんびりとしていて、そのくせ裏になにかあるじゃないかと――そう勘ぐってしまうほど、ハチミツみたいに甘ったるい声。
「あら、これはこれは――ジェビィ・エル様ではありませんの。挨拶したいと思っておりましたのよ」
ノックアウトバーガーの看板を掲げた店から出てきたのは、質素な、けれど見ただけで高価だとわかるドレスを着た、ひとりの女性。
長い髪は白と銀がまだらに混じった不安定な色をしていて、病的な白さの肌から感じる不健康さとはちぐはぐな胸と尻の丸みを持っていて、まるで――この世のものではないかのような、ひどく異質な印象を受ける。
しかし、それでもその女は美しかった。異質で、不安を感じさせるくせに、美しかった。
「わたくしがこの店のオーナー、レイチェル・タイムと申します。このたび、ビジネスの一環としてノックアウトバーガーの経営を始めましたの。同じ街に店を構えるもの同士――」
にこっと笑う。美しい笑顔。美しすぎて――作りものだと、即座にわかってしまうほどに。
「――仲良くしましょうね?」
その瞬間、思った。
こいつとは、絶対に、一生かけても仲良くできはしないんだろうな、と。
そして、彼女はジェビィ氏の後ろに立つ僕を目ざとく見つけて、
「あら、あらあらあら。これはこれは――カフェ・カリムのマリウス様ではなくて?」
なんて、目を丸くして言い出したのだ。
「どうしてこんなところに? あなたのお店は、商人円街の反対側――南側だったと記憶しておりますけれど」
その通り。ドーナツ型をしているこの商人円街で、僕の店はちょうど、このノックアウトバーガーとは対極の位置にある。
「ええ。そうです。南側の内輪寄りですね。レイチェル様――傭兵女王が爵位を得たとは聞いておりましたが、まさか料理までお出来になるとは」
「あらやだ、傭兵女王だなんて。はしたないときもあったというだけのお話です。いまのわたくしは、爵位をお金で買った成金貴族に過ぎませんのよ」
――知名度、という点ならば。このレイチェル・タイムに並ぶものも、そうはいないだろう。
成り上がりの代名詞。貧民円街の孤児の生まれで、十歳のころから各地の戦場を渡り歩き、いずれの戦でも将軍首以上の戦果を挙げて生還した女傑。
その後、多くの人脈と見事な判断力で傭兵ギルドをまとめ上げ、転戦に次ぐ転戦を経て、莫大な利益を稼ぎ出した才女。
ついたあだ名が斑髪の傭兵女王――戦のし過ぎで髪色が抜けたという、稀代の怪物。
「それに、わたくしが行うのは料理ではありません。ビジネスですの。マリウス様のようにお料理を作ることはとてもとても……」
「……レイチェル様こそ、どうして僕のような場末の料理人の名を?」
うふふ、とレイチェルは笑った。
「場末だなんて、ご謙遜が過ぎますわよ、マリウス様。カフェ・カリムといえば商人円街で一番の料理店と評判ですし、貴族の中にもお忍びで通う方がおられるほどですもの。それで――どうして、ここにいらっしゃるのですか?」
またしても、どうしてここにいるのか、という問い。それはまるで――。
「――まるで、マスターがここにいてはいけないみたいな言い方ね」
「プリム! レイチェル様はお貴族様だぞ……!」
「マスターは黙ってて! 美女の前で鼻の下伸ばしやがってクソが! おっぱい大きけりゃだれでもいいのか、このおっぱい魔人!」
わりと関係ない罵声が入った気がする。いや好きだけれど。好きだけれども。それいま言わなくてよくない?
「で、あんた。おっぱ――マスターがいると、なにか困ることでもあるの?」
「そんな言い間違いがあるか」
ずい、とプリムが前に出て、聞いた。僕のツッコミは無視された。
レイチェル・タイムはそんなプリムを見て、微笑んだ。
「ええ。だって、わたくし、カフェ・カリムと競合したくなくて、わざわざ北側にお店を建てたのですもの」
「……なんだ。つまり、おっぱい魔――マスターの料理には勝てないから、逃げたってこと? へえ、お貴族様のくせして、見る目あるじゃない――」
「いいえ。それは違いますわ」
笑顔を崩さず、レイチェル・タイムは言い切った。
「わたくしのノックアウトバーガーのせいで、カフェ・カリムという非常に優れたお店が潰れてしまうのは、もったいないと――そう思っただけですの」
「……ハァ? なに、あんた。喧嘩売ってんの? おっぱい魔スターより美味しいものが出せるって、そう言ってんの?」
言い間違いじゃなくて故意だな? そうなんだな?
あと背後でジェビィ氏が「つまりわしの店はもったいなくない……?」と震えているけれど、大丈夫かコレ。
「それも、いいえ、ですわね。商人円街のノックアウトバーガーでは、おっぱ――失礼、マリウス様のお料理より美味しいものを出す予定はありませんの」
これは故意ではないと信じたい。
プリムは首をかしげて、僕のほうを見て、両手で「やれやれ」のジェスチャーをした。そして、
「……あんた、もしかしておバカ?」
「プリム、相手はお貴族様だって……!」
「でも、そうじゃん! マスターの料理より美味しくなきゃ、追い込めないでしょ! ふつう、美味しいお店に行くじゃん!」
そう。プリムの態度はいただけないけれど、ふつうはそうなのだ。
料理屋は、美味しいほうが人気になる。そのはずだ。カフェ・カリムは日替わりメニューと紅茶とお酒しか出さない、料理屋というにも中途半端なお店だけれど、それでも受け入れられたのは――地球世界の知識に基づく料理が美味しいからだ。
ほかにもいろいろ要因はあるだろうけれど、基本は美味しいほうの店が残る――はずだ。
なのに、レイチェル・タイムは笑顔を張り付けたまま、ハチミツのような声で続けた。「それはどうでしょうか。たしかに、料理人としての土俵で勝負すれば、わたくしはマリウス様には勝てないでしょうけれど――先ほど申しました通り、わたくしが行うのはビジネスですもの」
それも、とレイチェル・タイムは続けた。「まだだれも見たことのないビジネスですのよ。――この世界では」
この世界では。その言葉は、僕のほうを見て、告げられた。
まるで――わかっているぞ、と言うかのように。
そうだ。間違いない。
――この女は。
僕と同じ、転生者だ。