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気づいたら犯罪者だった  作者: iceight
第一章 覚醒
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第三話 「脳の秘めている力」

 俺たち犯罪者はそのあと、番号で管理されるようになり、目隠しをした状態で移動を開始した。

 俺はE047と呼ばれ、ひとつ後ろだったテラはE048だった。

 頭文字のアルファベットは地区ごとに分けられているようで、俺はバイオスが担当した地区の四十七番目の犯罪者ということだろう。


 光も、言葉も、手足の自由も奪われた状態で、これからどうなるのか、なにをされるのか、全くわからない心境。

 はっきりいって正気で居られなかった。


 何がテストだ。

 やるなら早くしろ、殺しはしないんだろ? 

 だったら早く済ませてくれ。

 と、何度心で言い放ったかわからない。


 だが、そんな叫びとは裏腹に、何も起きない。

 何もされない。

 どれくらい、経った?

 三十分?

 一時間?

 二時間? 

 それとももっと長く? 

 頭がおかしくなっているだけで、実は数分しか経っていない?

 俺は気が滅入りそうな状態で、時間感覚も狂ったままただうなだれているしかなかった。


「Eの046、アウトー」


 突如、若い女の声が聞こえた。

 甲高く、すこし軽い感じがする声だ。

 その刹那響いたのは、なにかが抉れる音と何かが飛び散った音。

 頬に生温かさを覚えながら、鼻腔が生臭さを受け取った。

 小さなうめき声と共に、誰かが崩れ去る音が追ってくる。


(おいおい、嘘だろ)


 心の中で、思わず呟いた。

 明らかにそれは、人が死ぬ音だった。


 ――ガタ


 胸の奥に潜んでいた、黒い霧がまた顔を出した。


 ――ガタガタガタ


 同時に、脚が、腕が、全身が震えだした。


 ――ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ


 嘘だろう、嘘だろう。嫌だ、何でだ。

 殺さないんじゃなかったのか? 

 なんで死んだ。

 隣の奴だ。

 さっきまで息遣いすら聞こえていた、隣の奴が死んだぞ、殺されたぞ。


「はーい、こっから続きそうなんで、おねがいしまーす」


 同じ声が、再び響いた。


「きゃは、Fの023~」


 少し遠くで、何かが抉れる。


「ん~、Dの010もかな」


 濁りを含んだ叫び声がこだまする。


「Eの045もやっちゃおー」


 更に隣が、命を落とす音を鳴らす。

 次から次へと、気だるげな声が聞こえ、交互に人が死んでいた。


(あ、ああ、ああああ)


 震えは、止まるはずもなかった。

 いつだよ、次か?

 次、俺が死ぬのか?


 こういうとき、どうするんだっけ。

 楽しい思い出でも頭に浮かべて、現実逃避?

 それはないな。

 性に合わない。

 というか死に直面して人生を思い返すとか、走馬灯そのものじゃないか。

 この若さで死を受け入れてどうする。


 じゃあどうする。

 この危機的状況を、打開する方法が思いつくか?

 無理ムリムリ。

 冷静な状態なら可能だったろう。

 だが、迫りくる死に怯えながらそんな物事を考えるなんて、厳しすぎる。



 ああ、こんなときに親父の言葉を思い出した。

 自分を信じろ、だっけ。

 幼い頃からずっと言われ続けてきた。

 俺の名前の由来もそこから来ているらしいが、今となっては関係ないだろ。


 ……いや、まてよ。

 悪くないか。

 この危機的状況。

 乗り越えることができるか。

 普通は無理だ。

 だができると信じたらどうだ。

 自分ならいけると。

 それくらい楽観的に捉えたら、心も落ち着かせることができるんじゃないか。


 この今、この瞬間、ナルシストのテラは何を考えているだろう。

 優秀の美を飾るべきカッコイイ死に方を模索するか?

 それとも僕なら死なないと、打開できると胸を張っているか?

 ……よし、後者にしよう。

 俺は死にたくない。


 なんとかなる。

 そうさ、なんとかなるんだからなんとかしよう。

 とにかく、集中だ。

 冷静にならなければいい案も浮かばない。

 まずはそこからだ。

 俺ならできる……。


 胸の中で広がる霧とは反対に、頭の中がクリアになっていく。

 声がゆっくり聞こえ、嫌な音は聞こえなくなった。



 気づけば俺は、不思議な空間に居た。

 手足も拘束されていないし、先ほどまでたちこめていた血のにおいも一切しない。

 あたりを見渡すと、そこが今までいた場所と違うということが一目瞭然だった。

 少なくとも、死の香りはしなかった。


 さて、このまま立ち止まっていても仕方がない。

 手足が動くのだから、とにかくいろいろ調べてみよう。

 あの空間からどうやってここへ移動したのか。

 そもそもここがどこなのか。



 探索はものの5分で終了した。

 まず、この空間は圧倒的に狭い。

 広さにして、5メートル四方。

 天井は高く感じたが、目測でこれも5メートル。

 つまりここは一辺5メートルの直方体の空間だ。

 周りの壁は白を基調としていて、時折瞬いてはプリズムのように光が分かれて様々な色が映った。

 触れてみてもなんら変哲もない壁であり、どこにも穴のようなものは無かった。


 ただひとつ、扉があった。

 四方八方壁に囲まれているこの空間で、唯一といってもいいほどの目ぼしいものだ。

 その扉を開けて外に出れば、新しいことがわかるはずだ。


「だが、これは……」


 扉は不自然にも、床から高さ1メートルのところにあった。

 ドアノブのようなものも見え、これをひねることで扉が開くようになるのだろうが、悲しいことにドアノブは俺の手の届かないところにある。

 ジャンプすれば届かない高さではないが、構造的にドアノブをひねりつつ、押すなり引くなりしないと扉は開かないものだ。

 つまりジャンプして届くか届かないかの高さにあるドアノブを掴み、なんとかして前後に動かすという、なかなか高度な運動技術がいるわけだ。

 かといって、その扉以外に他に目ぼしいものもないわけであるから、しぶしぶチャレンジするはめになった。


 まず試したことは、垂直とびでドアノブに届くかどうか。

 これは失敗。

 届かない。

 次に少し助走をつけて跳んでみる。

 これは難なくドアノブに届くことができた。

 あとは、ドアノブを掴むためにしっかりと助走をつけて跳ぶ。

 タイミングさえ合えば、落下しながらドアノブを回し、そのままの勢いで奥に押すことができる。

 奥に押してもだめならば、そのまま壁を蹴って後ろに跳ねればいい。

 完璧だ。


 俺は何回か頭の中でイメージトレーニングをした後、実行に移すことにした。

 別にチャンスは一回というわけではない。

 失敗したら再度チャレンジすればいいのだ。


「イージーだぜ!」


 俺はどっかで聞いたような掛け声と共に走り出した。

 距離は一杯とって5メートルあるわけだから、そこそこのスピードは出る。

 持ち前の速度をうまく垂直方向へ変換するべく、ぐっと膝を曲げて跳んだ。


 ガシッ


 よし、ドアノブを掴むことに成功した。

 右手で掴んだわけだが、運のいいことにそのまま右方向にノブが回転した。

 奥へは扉は動く気配がないので、俺はそのまま壁を強く蹴って、後ろの方向に扉を引っ張った。

 開きさえすれば、登ることは簡単だ。


 ガチャ


 いい音がした。

 扉が開く音のようだ。

 俺はその音と手ごたえを感じた瞬間に、にやりと笑った。

 手はドアノブからすでに離れており、体は空中に投げ出されていた。

 勢いよく背中から床に落ち、肺の空気が抜ける感覚が襲う。


「くっくっく」


 俺は笑えてきてしょうがなかった。

 作戦は完璧だった。

 …ただ、鍵がかかっていた。



「その先へは、まだ行けませんよ?」


 突如、声が聞こえた。

 女の子の声だ。

 ひょいっと俺の視界に上から少女の顔が映る。


「うおっ!?」


 俺は驚いて飛び起きると、少女の方を振り向いて身構えた。


「大丈夫ですか? 盛大に落下したみたいですけど」

「いやいやいや、君は誰だよ! 一応大丈夫だけど!」


 俺は動揺していた。


 その少女の姿は、とても可憐で魅力的だった。

 胸の高さまで伸ばしたエメラルド色の髪に、大きな蒼い瞳。

 ほどよく膨らんだ胸にふわりとゆれるスカート。

 その下には細く白い脚がすらりと伸びていた。


「あ、わたしはリルーネと申します。初めまして、エルさん」


 少女は軽く会釈をして微笑んだ。

 初対面なのに、心が少し躍るのを感じた。

 なぜなら、めちゃくちゃかわいい。

 ドストライクだ。


「き、ききたいことがたくさんあるんだが」


 何も、生年月日とか、スリーサイズとか、どこから来たのとか、そういうナンパ的なのじゃないぞ。

 どこから来たのかは気になるが。


「ここはあなたの脳が作り出した仮想空間です。時間の流れが限りなくゆっくりで、現実世界とは隔離されています」


 の、脳?

 彼女はそのまま俺の気になっていたことをすらすらと教えてくれた。


 現実世界の俺はどうやら世界政府に捕まったままのようで、周りで人が殺されていく危機的状況にあるようだ。

 そんな中で、極限に集中力を高めた俺は、一時的に時を流れを歪め、この空間に避難してきたらしい。


 こんなことができるのか、と思ったが、これは大罪因子によるひとつの力のようだ。

 もともと人間の脳はリミッターがかかっているという話はしたと思うが、犯罪者は故意に理性を弱めることで、脳のリミッターを外すことができるそうだ。

 つまり一時的に超人と化し、時間感覚を歪められた。

 こうして脳の中で仮想空間をつくり、限られた時間ではあるがこうして物事を考えられるらしい。


「そして、私がその大罪因子です。あなたが生まれたときからここにいるので、歳は同じです。あっ、スリーサイズは教えませんからね!」


 リルーネは顔を少し赤らめながらそういった。

 ここは俺の脳内で、俺の持つ大罪因子が具現化したものがリルーネだ。つまり俺の心で思ったことは彼女に筒抜けであり、すらすらと話が進んだわけだ。

 ……ということは、彼女を可憐だとかかわいいだとか言ったことも伝わっていたということだ。

 恥ずかしい。


「私たち大罪因子は宿主とは別に意思をもっていますし、このように肉体もあります…この空間限りですけれどね」


 リルーネはひらりと回ってみせる。

 スカートがふわりと舞い、思わず目を奪われる。


「当然、知識も蓄積しています……あなたのお父様から、その遥か昔から」


 そうだった。

 大罪因子というのも、遺伝子のひとつだ。

 つまり俺は父から受け継いだもの。

 そう考えると、蓄積された知識というのも相当なものではないだろうか。


「ですから、困ったときはここへきてください。手助けができるはずです」

「ちょっとまってくれ、現実世界ではかなり危機的なんだぞ?」

「そうでした、うっかり」


 彼女はてへ、と舌を少し出して苦笑いする。


「世界政府、もといバイオスの言っていることは滅茶苦茶です。ほとんどが嘘だと思ってください」


 いよいよ現実的な話になってきた。リルーネは世界政府のことをどこまで知っているのだろうか。


「世界政府発足当時に起きた世界大戦……ご存知ですね?」

「ああ、もちろん知っている」


 世界政府の発足に反対した国々を世界政府が制圧していく戦争。

 圧倒的な武力の前に、有無を言わさず国々は滅ぶか屈服を余儀なくされたという。


「いま知られているように、一方的な制圧ではなかったのです」

「そうなのか?」


 リルーネは頷く。


「彼らは反対姿勢を示す国々に軍を派遣し、次々と攻撃をしかけた。それはそれは圧倒的な武力の差はあったのです。ですが、そこでアクシデントがおきた」


 アクシデント……?


「彼らが恐れている、憑依者が現れ始めたのです」


 憑依者、あの怪物のことだ。


「憑依者は犯罪者、もとい大罪因子を持つものが変貌する姿、それに違いはありません」


 バイオスは成れの果て、と表現していたな。

 リルーネが言うからには、それは事実のようだ。


「脳のリミッターを解除することができるのが大罪因子の能力です。ですが、そのコントロールを誤れば、脳が暴走し、理性の無いモンスターと化す」


 あの姿は、人間が理性を失った姿ということか。

 自分の身が滅ぶのも厭わなければ、あれほどの力を生み出せるというのだから、驚きだ。


「なんの対策も持ち合わせていなかった軍は、かなり苦戦します。心臓か脳を撃ちぬかない限り、彼らは止まらないわけですから」


 おまけに、高速移動、怪力にあわせ、皮膚の硬化までできるらしい。

 通常の銃では傷もつかないという。


「ですが、個体数がそこまでいなかったこともあって、世界政府は少しずつですが制圧に成功します」


 そこからは教科書で学んだことが主だった。

 知られていないのは、怪物の存在と、世界政府が苦戦していたことか。


「世界政府は今でこそ着実に力を伸ばしてはいますが、一方でおびえているのです」


 俺はバイオスと世界政府の男の会話を思い出していた。


「大罪因子を持つ者の中には、理性をコントロールし、超人のような動きをすることができる存在がありました。憑依者に対して覚醒者と呼びます。こうして私と会話しているあなたは、後者にあたります」


 力に取り憑かれ、暴走する者と、力を従え、覚醒した者か。


 俺が覚醒者……いまこの空間にいる時点で不思議でならないが、超人的動きか。

 スーパーマンみたいなものだろうか。


「覚醒者の中で、世界政府に否定的だった者たちで構成されたのが、革命軍です。彼らはいまも影で活動を続けています」


 革命軍、か。

 そんなものが存在していたとは。

 なんだかドラマや映画のような話だ。

 だが、世界政府のワンサイドゲームというのも面白くないからな。

 反抗勢力があって然りか。


「おそらく、今回の世界政府の行動はその革命軍を意識してのことだと思います。世界大戦から年月が経ちましたが、まだ憑依するのか覚醒するのかわからないグレーの存在がいる。憑依者が増えて平和が乱されるのは困るところでしょうが、最も恐れていたことは、彼らが覚醒して革命軍に加わることでしょう。対抗勢力が伸びるわけですから」


 なるほどな。

 つまり世界政府は、予備軍を一斉に集めて、憑依者と覚醒者を一度に処理しようとしているわけだ。

 今回のテストというのも、それに関連することに違いない。

 すでに殺されたやつらは、世界政府にとってまずかったからだ。

 憑依したか、覚醒したか。

 おそらくは前者だ。

 なぜなら……


「覚醒したやつは、戦力に加えたいだろうな」


 俺は言った。

 革命軍が覚醒者を擁しているのであれば、対して世界政府も覚醒者を味方につけたい筈だ。

 ならば覚醒したからといって、すぐに殺すのではなく、利用価値があるかどうかを見定めるだろう。


「その通りです。かのグリドという男性も、覚醒者ですよ」

「……なるほどな、納得いくぜ」


 憑依したペレを一瞬で殺せる力。

 あれが覚醒した人間の力なのだ。

 グリドはおそらく世界政府側についている覚醒者だ。

 現にバイオスの命令に従っている。


 さて、世界政府の目的がわかったところで、どうするかだな。

 現実世界の俺は、拘束されたままだ。

 テストの具体的な内容はわからないが、理性を失いやすい状況をつくって憑依か覚醒を促しているのだろう。


「時間がないので、端的にアドバイスです。困ったら、自分を信じろ、です」


 はい? 

 どっかで聞いた台詞だぞそれ。


 ちょっと待て、と言おうとしたが口がうまく動かなかった。

 視界が歪み、暗転した。



「Eの105~~」


 甲高い声と、充満した血の香り。

 現実世界はまるで地獄のようだった。

 ああ、さっきのは本当に異空間だったんだな、と素直に思える。


 手足は拘束され、自由はない状態だ。

 番号が呼ばれるたび、誰かが死ぬ。

 自分の番号が呼ばれるのはいつかわからないが、そう遠くないはずだ。


 聞いた限りでは、呼ばれる順番に規則性はない。

 手足の自由と視界を奪われる。

 そして次々と人が殺されていく。

 そんな環境に身を置かせることで、理性を刺激しているのだ。

 そして変化があったものを処理している。


 では、何をもって合格とする?

 覚醒したら合格?

 憑依しなければ合格?

 わかることは、憑依したら殺されるということだけだ。

 ならば何を判断して、番号を呼んでいるのだ?


 少なくとも、なにか情報を得ているのだろう。

 頭になにか装置をつけられたわけではないので、脳波を調べているわけではないようだ。


 その時、体に異変を感じた。

 血液が、頭に上ってきている。

 熱い。

 突如、激しい頭痛と吐き気が襲ってきた。


「ウゥッ」


 俺は思わず声を漏らした。

 拘束具の隙間から、胃の中身をぶちまける。

 なんだこれは。


「あっ……Eの~~」


 その声を聞いたとき時、直感でわかった。

 変化だったな。

 何か目ぼしい変化があればそれで判断する。

 俺にはいま大きな変化があった。

 吐いたぞ。

 頭も上った血によって真っ赤になっているに違いない。

 この変化を見て、なにかを判断しかねない。

 憑依か、覚醒か。


「047!!!」


 …くる!!!


 俺は神経を研ぎ澄ました。

 激しい頭痛の中、これから起こることをイメージした。

 ふわりと、風のようなものが当たる。

 何者かが俺の傍に近寄ったのだ。


「いけるぅ?」


 耳元で、囁かれた。

 番号を読んでいる女と同じだ。

 同時に頭痛と吐き気が激しくなった。


「せーのっ」


 何かが振り上げられた気がした。

 俺にはわかる。

 斬られる。

 一秒後には斬られる。

 どうする。

 どうすればいい。

 いったんリルーネに教えを乞うか?

 いやまて、そもそもどうやってあの空間にいけばいい?


 やれることはひとつだった。

 正直、半信半疑だが、二人にそうアドバイスされちゃあ、やってみるしかない。


 自分を……信じろ!


 ガキィン!


 その瞬間、剣戟に近い音と共に、何かが右肩に振り下ろされていた。


「んん~? 珍しい紋様だなぁ、ま、いっか。合格~」


 女はそれだけ言うと俺の傍を離れたようだ。


 なんとか、なったのか……?

 俺は心の中でそうであることを信じて、すぐに気を失ってしまった。



「実に滑稽ですねえ、みなさん」


 声が聞こえた。

 どうやら気を失っていたようだ。

 吐き気はおさまってきたが、相変わらず頭痛で頭が割れそうだ。


 わけがわからないまま、俺はすぅっと息を吸い込もうとする。

 未だに口に拘束具がつけられていて、鼻から空気を入れるしかない。

 やはり、血の臭いで充満していた。


「今立っている人間は、合格ということでよいのですね、グリド」

「ういっす」


 その声はもう何度聞いたかわからない、バイオスとグリドのものだった。

 合格?

 どういう意味だ、と疑問が浮かんだ瞬間、これはテストであるということを思い出した。


「いやはや、犯罪者ども。合格おめでとう」


 表情こそ見えなかったが、バイオスはにやりと笑ったような声で言った。


 何かが、俺の中で込み上げてきているのを感じた。

 黒い霧とは違う、別の何かだった。

 これは、憎悪か。

 俺は、バイオスを恨んでいるのだろうか。

 当然だ。

 一方的に犯罪者にされた挙句、追い回され、捉えられ、そして死の恐怖を与えられた。

 それがテストだろうが世界の意思だろうが平和のためだろうが関係ない。

 俺の心が、それをムカつくと、許さないと、判断しているのだから。


「生き残ったのがたった数名で、とても心苦しく思っているところです」


 バイオスは反省の色を一切含んでいない様子で、俺の神経を逆撫でしてきた。

 殺さないといいながら、殺しやがった。

 そのテストとやらで、一体何人死んだんだ。


「殺さないと言っておきながら、殺したじゃないか、とでも言いたげの様子ですね」


 こいつ……。人をどこまで小ばかにすれば気が済むのだ。


「本当なのです、殺すつもりは無かった。ただ、彼らは皆怪物となったのです……あのままでは、我々が殺されてしまう」


 バイオスは一度大きくため息をつくと、そう言った。

 ふざけるな。

 憑依するかどうかをチェックするテストだろう。

 わざとその状況をつくっておいて、被害者ぶるんじゃねえ。


「犯罪者の怪物化のメカニズムは詳しくはわかっていません。少なくとも、ここに残った皆さんは、そこらの怪物とは違う存在であるということはわかりました」


 どうやらバイオスは覚醒者のことを言っているようだが、どこまでそれを知っているかだ。

 この言い回しでは、知らないような感じだが。

 俺は脳の中でリルーネに教えてもらったからこそ持っている知識だが、世界政府の人間はどこまでそれを知っているのだろう。

 少なくとも憑依体のことを知っていることから、犯罪者には憑依する危険性があるとはわかっているはずだ。

 だからこそ今回のテストでふるいにかけたのだろう。


「さて、残された皆さんには二つの選択肢があります」


 そう述べた瞬間、拘束具の一部が外れ、視界が戻る。

 ぼんやりとしたままの視界が徐々に光に慣れ、くっきりとしてくる。

 目の前にはバイオスを中心に、左右に男女が立っている。

 男のほうは、長身ゴーグル男、グリドだ。

 もう一人は白髪つり目の女。

 にやりと吊り上げた口元から八重歯が飛び出している。

 やけに短いスカートの横側に、鎌状のホルダーがついていた。


 そうだ、テラは大丈夫だったのか。

 俺が気を失う前にはその番号が呼ばれていなかったと思うが、今ここに残っていなければ憑依して殺されたことになる。

 確認しようにも、首は拘束されていて、周りを確認することができない。

 目を最大に横に動かすが、他の犯罪者たちは見えなかった。


 バイオスが提示した選択肢はこうだ。

 ひとつは、世界政府に忠誠を誓うこと。

 これは協力体制をとるという意味で、その後は軍や技術開発部など、多岐にわたる部署に配属さえ、働くことになるようだ。

 だが完全自由というわけではなく、条件付だ。

 おそらく反乱を企てないよう多くの制限が課せられることだろう。


 もうひとつは、完全隔離処分を受ける。

 事実上の終身刑だ。

 テストには合格したものの、また怪物化する可能性がゼロではないので釈放はできないという。

 なので、世界政府の擁する施設に送られ、そこで一生を過ごす。

 おそらく、徹底的に管理され、地獄のような日々を送ることになるだろう。


 では、どちらの選択肢が正解か。

 気持ち的には、世界政府に組するなど反吐がでる。

 この憎たらしい男の下で働くと考えるだけで、嫌気がさす。

 後者は気持ち的には楽だ。

 世界政府の駒にならないで済む分、プライドは保たれる。

 だが前者より徹底された管理のもと、過ごすことになるだろう。


「さて、考える時間は充分与えました。返事をききましょうか」


 バイオスは時計から目を離すと、そう言う。


「我々に協力し、世界を平和に導いていこうというのなら、瞬きを三回して下さい。それ以外の行為は、否定とみなし、現実世界から地獄へと案内致します」


 もはや脅しに近かった。

 目を三回つぶれ、と言っていた。

 バイオスは視界から消えると、あなたはどうですか、と聞いていく。

 順々に意思を確認するつもりだろう。


 さて。

 俺はどうする。

 正直なところ、このまま世界政府にいいようにされるつもりはない。

 かといって、隔離されたまま一生を過ごすなんてごめんだ。

 どこかにチャンスがある。

 俺はそう願っていた。

 ここでゲームオーバーであってたまるか。


 バイオスは、その調子で意思を確認していき、俺の前に立った。


「さて、あなたが最後です。どうされますか」


 その言葉に、俺は目を瞑る。一回。もう一度バイオスを見て、もう一度まぶたを下ろす。


「くっくっく、利口ですね。さぁ」


 俺は目を見開き、バイオスを睨んだ。

 そしてそのまま……


「どういう意味だね、それは」


 睨み続けた。

 三回目の瞬きは、するつもりがなかった。


「隔離されるということがどういうことか、わかっているのですか? 早くその瞼を下ろしなさい!」


 バイオスはうろたえている様だった。

 ざまぁみろ。

 大方他の犯罪者たちは受け入れただろうが、俺を思い通りにできると思うな。

 俺は睨み続けた。

 充血しようがドライアイになろうがかまわない。

 その卑屈な顔がゆがんでいくのを見逃さないぜ。


「く……くっくっく。面白い、流石の要注意人物だ」


 バイオスは顔を覆うように手を添えると、不気味に笑った。

 指をパチンと鳴らして見せると、首もとを拘束していた枷が外れた。

 すぐさま周囲を視認するべく首をまわす。


 ――衝撃だった。


 テラや、他の犯罪者はどんな様子なのか。

 同じように拘束されながら、今回の選択を迫られているものだと思っていた。

 だがそこには、俺以外誰もいなかった。

 こいつは、バイオスはあえて、他にも犯罪者がいると錯覚させるよう振舞ったのだ。


「集団心理というものがあります。長いものに巻かれろ、という言葉があるように、少数派は真意とは別に、多数派に飲まれ消えていくもの。我々がもっとも危惧していたのは、犯罪者の中に、それであっても我を貫こうとする者でした」


 バイオスは顔を覆う手に力を込める。

 は、なるほどね。

 つまり他はすべて忠誠を誓ったぞ、と。

 じゃあお前はどうだと訊いて、うんと答えさせたかったわけだ。

 ははは、傑作じゃないか。

 残念だったな。


 俺はしてやったり、という表情を浮かべて見せた。

 フン、と鼻で笑い、口元を限界まで吊り上げた。


 バイオスは手を下ろし俺の顔を見た。

 その挑発が効いたのか、ピクリと体が震わし、表情を歪めた。

 そして突如人格が変わったかのようにまくし立てる。


「貴様らは平和を乱す存在だ! この世界政府によって統治された世界において、なんの大儀もなく反抗し、世界を混乱に陥れる毒だ!」


 バイオスは息を荒くして俺に近づき、俺の頭を掴んだ。

 めり、と指がこめかみにめり込む。

 治まる気配のない頭痛を助長させるかのように、小刻みに震えながら力を加えてくる。


「あああ、苛立ちます。思い通りにいかない奴は! くそ! あなたはつくづく私をイラつかせる。いいでしょう、そこまで挑発するというのであれば、応えましょう」


 バイオスはパッと手を離すといつものような表情に戻り、踵を返した。


「グリド、運べ」


 バイオスはそのまま部屋から立ち去った。


 俺は考えた。

 どちらの選択肢を選ぼうが、世界政府管理下に置かれることには変わりない。

 ならば機を待て。

 機が来ないなら、呼べ。


 だから俺は徹底的にコイツを挑発する。

 反発を重ねる。

 動揺しろ。

 焦燥しろ。

 そして隙を見せろ。


 作戦は成功だ。

 風向きは変わったろう? 


 なんでもきやがれ。

 噛み付いてやる。


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