第三十四話 「父の器」
後先なんざ、全く考えていなかった。
後から冷静になってみれば、暴走だとか自分でも思えるくらいかもしれないが、今はそんなことを少しも気に留めていなかった。
とにかく、気に食わなかった。
ギガ支部長は本部と打ち合わせをして新方針を打ち出すと言っていたが、それはあくまでも革命軍としてのもので、
親としてのものではなかった。息子が攫われて、行方不明だって状況なのに、だ。
組織の長として、果たさなければいけないものとか、責務とか、俺にはわからない。
だからこそか、テラを救うために必死に戻ってきた俺からすれば、拍子抜けでもあったし、落胆を隠せないのだ。
一度、話がしたい。面と向かって、だ。
そんな立場に無いかもしれないが、それでも思ったからには行動に移したい。
きっと、あいつなら背中を押してくれるはずだから。
医務室を飛び出した俺は、真っ先に執務室へと向かった。狭い廊下ですれ違う人々は、俺の姿を見て思い思いの反応を示していた。
遠征から帰ってくるや否や医務室に運ばれた身だ。中には俺の手当てのために動いてくれた人もいるだろう。
しかしそんなことには目もくれず、大広間に出た俺は、脇にある応接間の扉に向かった。ギガ支部長がいるであろう執務室は、この応接間の奥である。
「目が覚めたか」
周りが見えていなかった俺を呼び止めたのは、グリドであった。
丁度、応接間入り口の脇の壁にもたれるような格好で、横目で俺を見ている。
「グリド。どこへ行っていたのかと思ったよ」
「ん? ああ、すまん。ちょいと指令があってな。まぁそれより、だ。遠征でのことを話しておきたいのだが……テラがいねぇと、どうにもうまくいかねぇな。ロズもまだ目を覚まさねーし」
「テラのこと、聞いたのか?」
「……ああ、具体的な話は知らない。が、クロシェル隊長がお前だけを連れて戻ってきたのを見て、察した。
他の奴らもそう思ってるよ。今回の遠征は、それだけに危険だった。世界政府と、必要悪との接触があったんだ。むしろ無事に戻ってこれた俺たちの方が奇跡だ。だからこそ、そうでないあいつの状況は、それなりにわかる」
グリドはそう言ってから、ギリ、と歯を食いしばった。その姿を見て、苛立っていた心が少しだけ落ち着くのを感じた。テラがいなくなったことを、想っている人がいたのだ。
「今から支部長のところに報告に行こうと思ってたんだ。先にグリドに話しておくよ」
「む」
俺はグリドにあの後何が起こったのかを事細かに話した。
テラと協力して、メディアを退けたこと。世界政府の男が現れ、アルギエバが逃走したこと。そして、その時にテラを連れ去ったこと。
「ちぃ、よりにもよってアルギエバに、か……しかし、生きている確証も無ければ、死んだ確証も無いな。むしろ、連れ去られたということは、そこで生きている可能性が高い」
グリドは俺の話を聞いてそんな希望を話した。そう、テラは死んでいない。殺すつもりであれば、あの場で簡単にできたはずなのだ。なのに連れ去ったということは、なにか生かしておく価値があるからだ。
もしかしたら捕虜として拷問を受けているかもしれない。下手をしたら、命も危ない状況にあるかもしれない。だが、一縷の望みはある。
「そう、テラは生きているかもしれないんだ! 俺はテラを助けに行く。グリドも手伝ってくれるよな?」
グリドはわかってくれている。同じ隊として、長く付き合ってきている仲だ。テラを助けてやりたいという気持ちを、俺と同じように持っているはずなんだ。
「それは、わからん」
――なのに。
「支部長は新たな方針を出すと言っていた。俺たち覚醒者は、確実に大きな役割を任せられるだろう。それを全うしなければならない」
「っ! テラのことはどうでもいいっていうのかよ!」
俺は思わず言葉を荒げた。
「落ち着け。どうでもいいとは言っていない」
「だったら!」
グリドの目をまっすぐと見つめる。グリドは少し悲しそうな目をして俺を見ると、ゆっくりと口を開いた。
「だが、任務が優先だ」
「……そうかよ」
俺は、もうグリドをまっすぐと見ることはできなかった。
正直、変に期待していたのかもしれない。グリドは面倒くさがりではあったが、基本的に義理堅く、誠実な男だ。テラとの信頼関係もある。短い付き合いではあるが、俺はこの男を慕っていたし、その強さは目標でもあった。
だから、その返答はショックで仕方が無かったのだ。
「……それを、支部長に言いにいくのか」
「言ったろ、俺は報告をしにいくだけだよ」
俺は応接間の扉を見つめながら答えた。グリドがどんな表情で俺を見ていたのかはわからない。ただ俺は、グリドの返答を待つことなく、扉に手をかけた。
「……そうか」
グリドが、何かを呟いているのが聞こえた。
「はじめっから、”報告”って顔じゃねぇよ」
その言葉に耳を傾けることなく、俺は応接間へと足を踏み入れた。
「お待ちしておりました」
応接間に入ってまず目に映ったのは、執務室の扉の前に立つアトリエルさんだ。
俺が目を覚まし、医務室を出たのを知ったからかどうかは定かではないが、確かに彼女は”待っていた”と口にした。
無論、待っていたのは彼女ではなく、この扉の奥にいる男だろう。
俺はごくり、と唾を飲み込むと、促されるままに執務室へと足を踏み入れた。
「よぉ、エル坊。無事で何よりだ」
ギガ支部長は、俺の顔を見るや否やフッと笑みを零し、そう言った。事情を読み取れるであろうこの男が、俺の心を読んで尚笑うことが、腹立たしかった。
周りに佇む多くの女性……もとい支部長の妻たちは俺の態度を見てか、鋭い視線を向けている。アトリエルさんだけが、支部長の斜め前で手に持ったファイルに視線を落としている。
「報告、にしては少々荒立っているように感じるがぁ……まぁいい、話せ」
「……はい」
俺は、あくまでも”報告”を行った。アトリエルさんは俺が話し始めるのと同時にペンを高速に動かし始めた。一字一句逃さぬほどの、速記であった。
話した内容は、先ほどグリドにしたものと全く一緒である。最後に付け足した一文は、そうではない。
「――ですから、私は部隊を編成し、テラを助けに行くべきだと思います」
テラを助けたい。救ってやりたい。生きている可能性が少しでもあるなら、それに賭けたい。それが俺の本心だ。
「あぁー、報告ご苦労。テラを攫った少年ってのはカストールってやつだな。顔は割れてねーが、裏では有名人だ。かなり人を殺してるからな」
支部長は俺の言葉を飲み込むと、ぶつぶつと考察を口にする。そうですね、と相打ちをうつアトリエルさんの手が加速する。
「で、最後のはおめぇの意見か、そうか」
支部長は俺の目を見ると、ギシ、とソファを鳴らして鼻から大きな息を出す。
「ならん。おめぇもさっきの話きいただろう? これから、革命軍は世界政府との全面戦争になる。覚醒者が鍵となる戦いだ。
そんな最中に、あいつを救うためだけの部隊なんざ、組めるわけがねぇ。ましてや相手は必要悪だろう。半端な部隊じゃ無駄死にだ。どれだけの戦力を食うつもりだ」
「ですが、私たち覚醒者も人間です。感情があります。テラを見捨てて戦うなど、できません。そんな状態で戦うことこそ、戦力ダウンでは?」
ガタン、と支部長が席を立った。俺は拳が飛んでくるものだと思い、身構えていた。それもそのはず、これは一端の新入社員が、社長に意見を言うような無礼な行為だからだ。
だが届いたのは拳ではなく、笑い声だった。
「がっはっは、エル坊、やはりお前はあいつの息子だよ。例えばお前が使い物にならなくなるとしよう、それが戦力ダウンか、笑わせる。おめぇは自分がそれだけやれると思っているわけだなぁ?」
「はい。心を読んでいただければわかるかと」
支部長はもう一度大笑いした。
「たしかに、おめぇは一端の覚醒者だ。俺の試練も乗り越え、初の遠征で必要悪とやりあって生還した。おめぇだけじゃねぇ、おそらくネイヴィも目を覚ませばテラを救おうと思うだろう。ロズも、セレンもそうだろう。
だ、が、まだ青い。今挙げたメンバーは、上級をかろうじて覚えたばかりのペーペーだ。必要悪からテラを救うための戦力にしては、足りないだろう」
正直、驚いた。上には上がいると思っていたが、俺からすればロズやセレンは覚醒者として格上だ。ネイヴィなんて、あの体さばきを見るに相当だ。
だが、それでも青いのだ。やっとのことで使えるようになった中級ばかりか、上級が使えてそのレベルなのだ。
所詮、中級が使えるというのは、”遠征に出ても足を引っ張らないレベル”なのだろう。
「隊長クラス、もしくはグリドのような手馴れ。そいつらがお前と同じようなことを言うのであれば考えるに値する意見だ。だが皮肉なことに、隊長になるほどの責任感があるやつほど、俺の命には逆らわない。組織を、任務を優先するだろう」
俺はグリドのことを思い出していた。テラと関わりが深い彼でさえ、首を縦にはふらなかったのだ。支部長のように、革命軍としての動きを優先する。
「組織だとか任務だとか……」
ふつふつと、俺の中で抑えられない感情が沸き上がってきた。
「じゃあ、あなたは組織のために、実の息子を見捨てるって言うんですか!?
あなたはなんのために、身を粉にして働いているんですか!?」
俺は声を荒らげた。
革命軍という仕事は、いわゆる普通のビジネスとは形態が異なる。だが、働くということの根本的理念は同じはずだ。時間と労働力を割いて、お金を得ることだ。
革命軍の資金繰りがどうなっているかはわからないが、支部長ほどになると、相当の額を得ているだろう。額に例える意味はないかもしれないが、あの数の妻を養うことができるとすれば、凄まじいはずだ。
かくいう俺の家庭も似たようなもので、親父が帰ってきた時には、それなりの額があった。消息を絶ってからは、摂生を余儀なくされたが、それまでの貯蓄があったため、そこまで困ることは無かった。
だからこそ、この人も、と思った。
父親なら、妻や子どもたちを養うために働くものだという理念を、ぶつけた。妻や子のために父は戦うものだという、稚拙かもしれない理論をだ。
何も思わないはずがない。この人だって、人間のはずだ。
「あぁ、見捨てるとも。最早これは一家庭の問題じゃねぇんだよ。敵対してるのは世界政府だ、世界だぞ!? 数人の我儘で、今までの活動全てを無下にすることなどできねぇ!」
非情な返事だった。
「お前も本当はわかっているはずだろう!?」
そして、突き付けられた。
わかってる、わかってるさ。
なにも、支部長やグリドの考えが全て間違ってるだなんて思っているわけじゃない。革命軍には革命軍の目的があり、いよいよ大詰めだ。この結着の時のために、多くの人が戦ってきた。命を落とした人もいるだろう。だからこそ、重みがあるんだ。
「わかってますよ! それでも、それでもあなたには……父親のあなたにだけは……!」
感情が溢れ出していた。目からは大粒の涙が溢れ出し、身体は嗚咽に震えだした。
「あいつのことをっ、想って欲しかった! 他の誰がなんと言おうとも、あなたにだけはっ!」
俺のこの気持ちを。親友を目の前で失った、この気持ちを。
「わかってほしかった……!」
そこまで言い切って、肩を激しく上下させた。息を整えながら、床に落ちた視線をゆっくりと上げる。
支部長は、前と変わらぬ憮然とした目で俺を見ていた。響いていない、そう感じた。
俺の思いをせき止めていた何かが、壊れた気がした。黒い霧が胸の中でふくらみ始めた。あいつだ。あいつが少しずつ侵食を始めている感覚だ。
もうわけがわからなくて、この黒い感情を吐き出してしまった。
「あなたのようにっ、何人ものの妻を持つような人にとって……息子の一人や二人はどうでもいいんですね!!!」
言ってしまった。言い終えて、はっとした。なんて酷いことを。
その時、ファイルに視線を落としていたアトリエルさんが初めてこちらを見た。ファイルをぱたりと閉じて腰で抱えると、すっと俺の前に歩みを進めた。
何を、と思った瞬間だった。
――パンッ!
子気味いい音が室内に響いた。遅れてやってきたジンという痛みに、頬を叩かれた事実を知った。
「どうでもいいですって!? そんなわけがあるはずがないっ!」
荒ぶるアトリエルさんを見て、俺は何も出来なかった。両肩を強く掴まれると、強く、強く、揺さぶられた。
「あなたは知らないことでしょうけどっ! この人に息子は一人しかいませんっ! テラさんは、支部長が愛した最初の奥様との、最初で最後の子どもなんですっ!」
な、なんだって?
「事故で奥様を無くされてから、男手一つでテラさんを育てたのです! あなたと出会う頃まで!」
知るわけがなかった。テラは家庭の話はしたがらなかったし、するとしても、父親が新しい妻を次々と迎え、ハーレムを築いているということだけだ。
俺は動揺しながら、視線を動かした。そこにはたくさんの美人妻が並んでいる。男なら、誰もが羨む環境だ。子の一人や二人、できて然るべきだ。
俺のそんな視線に気づいたのか、アトリエルさんは俺から手を離すと、自らのお腹に手を当ててゆっくりと口を開けた。
「私は数年前、がんで子宮を失いました。女としての責務を、失ったのです」
まさか、と思った。
「女としての自信も失いました。すべてが嫌になった。地獄のような日々でした。でも、そんな私を救ってくれたのが、この人です」
「もういい、アトリエル」
アトリエルさんの言葉に、支部長がそう言って立ち上がった。
「わかりました。最後に言わせてください。ここにいる私たちは皆、何らかの事情で女であることを諦めた者です。皆、子を孕むことができません。そんな私たちにもう1度、女としての喜びを教えてくれたのがこの人なのです。ですから、エル君のその発言は、決して許すことができません。訂正なさい」
俺は言葉を失っていた。自分の無礼さにもそうだが、目の前に立つこのギガという男の器の大きさに、だ。
「……すいません、言い過ぎました」
震える体から、なんとかそれだけを絞り出すと、がくりと膝を落とした。もう、立場も何も無い。
この器の大きな男の、最初で最後の息子。それを天秤にかけた上で、組織を選んだのだ。たかが一親友にとやかく言う筋合いなどあるはずはない。
「エル坊ぉ、顔を上げろ」
言われるがままにゆっくりと視線を上げると、そこには微笑む支部長がいた。
「一人の父親として言おう! 息子は、テラは、お前の様な友人を持って、なんと幸せなことだろう! 感謝する!」
その寛大な言葉に、俺はもう1度涙を流した。支部長は机を回り込み、俺の前に立つと、しゃがみこんで俺を真っ直ぐ見た。
「ここからは、お前の上司として言おう」
支部長はそう前置きをして、続けた。
「もっと強くなれ。俺を黙らせるくらいに。
もっと強くなれ。二度と親友を失わぬように。
もっと強くなれ。もう一度、あいつと笑い合える日々を取り戻すために」
支部長は、崩れ込む俺を優しく抱きしめる。もう、止まらなかった。
「んぐっ、――はい!!」
最後にそう大きく返事をすると、俺は支部長の胸の中でしばらく泣き続けた。
応接間のソファーに腰を下ろしてから、しばらくが経過していた。止まらないように思えた涙も今や落ち着き、アトリエルさんの出してくれた温かいお茶をすする。
「さぁて、落ち着いたら戻れ……と、いいてぇところだが」
同じくして目の前に座っていたギガ支部長が口を開く。
「なにも俺はスピーチを聞くためにエル坊を待っていたわけじゃねぇんだ。お前はこれから――」
「ギガ様!」
話を遮るように、執務室から一人の女性が飛び出して来た。見覚えがある。おそらく妻のうちの一人だろう。
「ネイヴィ様とロズ様が目を覚まされたようです!」
「……そうか!」
その報告に心を踊らせたのは俺だけではなかったようだ。支部長は勢いよくソファーから立ち上がると俺に視線をやる。
「要件は後だぁ。おめぇも来い」
「はい!」
周りの雰囲気で、そこまで絶望的だとは思っていなかった。けれども、一抹の不安があったのも確かだ。二人が目を覚ましたという報告は、喜ばざるを得ない。
「アトリエル、例の件は小休止だと伝えてくれぇ。体力を戻しておけとも」
「かしこまりました」
支部長はアトリエルさんにそう指示をすると、そのまま応接間を出て行く。後を追うように俺も走り出した。
ロズとネイヴィのいる病室には、役者が勢ぞろいだった。順に挙げていくと、ギガ支部長、クロシェル隊長、グリド、そして……
(あれ、セレンはいないのか)
彼女の姿を探してみるが、どうにも見当たらない。広くは無い病室だ。見落とすなんてことも無い。
同席しない理由も無いだろう、同じ隊のメンバーなのだから。
「セレンは二人の治療に尽くしてくれていてなぁ。二人の意識が戻った途端、ぱたんと寝ちまったらしい。今は隣で寝かせてある」
なるほど。ギガ支部長が俺の心を読んだかのように……というか実質読んで、答えてくれた。
セレンとしては、いてもたってもいられなかったことだろう。できる限りのことを尽くすその意思は、とてもよくわかる。
「さて、ネイヴィ、そしてロズ。目が覚めたばかりで申し訳ないが……今の状況を話そうと思う」
ギガ支部長は、ネイヴィの脇に置かれた椅子に腰掛けながらゆっくりと語りかけた。
ネイヴィが遠征に出ている頃、支部では何があったか。ベズニット隊に何が起きていたか。セレンの今の状況。そして、テラが帰ってきていないことを。
「うそでしょ!? テラが……!?」
「相手は必要悪だ。残念だが……」
グリドの言葉に、ロズは俯いて泣き始めた。嗚咽が痛々しい。
大丈夫だ、テラならきっと生きている。みんなで助けに行こう。
と、少し前の俺ならロズを元気付けられたかもしれない。だけど今の俺はそれができなかった。
「だが、セレンの件は進展があるかもしれん。グリド、連れてきているか」
「うい……取り巻きまでいるんすけど……」
「待機させろ。本人だけでいい」
支部長はグリドに指示すると、グリドは気だるそうに病室の外に出る。すぐに、誰かを連れて戻ってきた。
「チッ、なんで俺様が」
不機嫌そうに舌打ちをして、ぼそりと呟く男。その気取ったような声を聞くだけで、色々と思い出して怒りがこみ上げてくる。そう、今回の騒動の発端となった、ベズニットだ。
「ベズ坊、もとはといえばお前が扇動したことだろぅ。だがネイヴィとロズの報告を聞けば、明らかになるかもしれん。おめぇはそれを見届ける義務がある。わかるな……」
「ハッハァ、そういえばそんな話、ありましたねぇ!」
ベズニットは、ぱっと表情を変え、相槌を打った。そんな程度の話じゃなかっただろうが……!
「まぁ、私の推論では口を割ることは無いだろうが……ね」
「約束は守れよ」
俺は思わずそう口に出してしまった。一気に視線が俺に集まる。
「……もしクロシェル隊長を襲った犯人がセレンではなく別の存在だという証拠が見つかったとき……お前は土下座する」
そう、これはそういう約束だ。この野郎は、セレンにスパイ疑惑をふっかけやがったのだ。その濡れ衣を晴らすべく遠征に出たのだ。
話しぶりにイラっとして口を出してしまったが、この場でベズニットとばちばちやるつもりはない。このままロズとネイヴィが交戦した情報を吟味していけば、真実がわかるからだ。
「貴様ァ……生きて帰ってやがったか」
「隊長ともあろう方が、仲間が遠征から帰還したことを、喜ばれないので?」
「仲間? フン、笑わせるな。貴様のような裏切り者の加担者など、死ねばよかったのだ。この手を汚さずに済む」
ベズニットはグローブをはめた手を持ち上げて見つめる。四本の指をまとめて尖らせて見せると、ジロリと俺を睨んだ。
どうやらこのベズニットは、セレンを初め、ネイヴィもスパイとし、その説に突っかかった俺までもその仲間だと思い込んでいるようだった。
まぁいいさ。ネイヴィの口から出る情報を吟味すれば、セレンの容疑も晴れるかもしれない。これからこいつの顔色が変わると思うと、憎さ余って可愛らしくすら思えてくる。
ぽーっとしている様子のネイヴィであったが、ギガ支部長に目線を合わせると、ゆっくりと口を開いた。
「驚愕。……それほどに今回の遠征は、軍にとって重要なものになっていたのだな……それだけに、真に申し訳ない……」
ネイヴィはそこまで話した後、視線を宙に止めるとゆっくりと口を動かした。
「実は、今回の遠征の記憶が、残っていないのだ」
誰もが一瞬呆気にとられ、そしてすぐに視線をロズへと移す。ロズは目を懸命にこすりながら、弱弱しく言った。
「私も……です。山岳で少年を保護したところまでは覚えているのですが……その後は全く……」
――な。
記憶がない、だと。
驚きを隠せないでいた俺とは違い、支部長は小さなため息をついた。病室は重たい空気に包まれた。
「ぷっ」
そんな重い空気を断ち切るかのように、ベズニットは閉じた唇から息を吹き出した。
「傑作だ! 生証人として発言を求められておきながら、記憶にございませんとは、どこかの政治家のようなことを言う! 流石に裏切っていましたとは言えぬものなぁ! ハッハァ!」
ベズニット一人だけが、室内で笑い声を上げていた。やがて堪えようと腹を押さえ始めるも、肩の震えは止まらないようだった。
グリドやクロシェル隊長を初め、支部長までもが眉間に皺を寄せていた。支部長にとっても、このベズニットという男の扱いには困っているようだ。
「ハッハァ……俺様はこれで失礼させてもらうよ。疑いは晴れぬのだから、女狐の見張りは継続するようお願いしますよ、支部長?」
「まて!」
踵を返し病室を後にしようとするベズニットを呼び止める。
「んん? なんだ小僧。無礼だぞ」
「少年、そう、少年だ。テラを後ろから刺した少年……刃物に毒を塗っていた。目の光からも……”嫉妬”の覚醒者だ」
そうだ、あいつ。保護した少年は、実は必要悪の一員だった。あいつは、テラを後ろから刃物で刺したんだ。傷口は深い感じはしなかった。だが、その瞬間テラはぴくりとも動かなくなった。死んだわけじゃない……麻痺だ。
「俺が報告に聞いている。必要悪のカストールと見ていいだろうなぁ」
俺の言葉に支部長が補足をしてくれた。だがベズニットは顔色ひとつ変えず、淡々と答えた。
「それがどうした。こう言いたいのか? クロシェル隊長を襲ったやつも毒使いだった。必要悪が山岳に潜んでいたことを照らし合わせれば、犯行はそいつのものであると」
ベズニットは俺の考えていたことそのままをすらすらと述べると、こちらを見ることなく言い捨てた。
「仮説に過ぎん! 毒使いなど、どこにでもいるだろう! だったら同じ理屈であの女狐も疑ったらどうだ!? ハッハァ!!!」
嘲笑うかのような笑い声だけを残して、ベズニットは待機していた取り巻きの中に消えていった。
くそ、くそくそくそくそ。そもそもあいつが”仮説”だといってセレンを陥れたのが事の始まりじゃないか……!
俺は焦って病室の皆を見る。支部長もグリドもクロシェル隊長も目を伏せるようにしている。
助けを求めるように、俺はネイヴィを見て口を開いた。
「ネイヴィさん、本当に覚えていないんですか? クロシェル隊長が透明な何かに襲われたことも! その後一人で不可侵領域に向かったことも!?」
「……ああ。ところで君は誰だ」
どくん、と心臓がいやな感じに波打った。そうか。遠征の記憶が無いということは、俺と出会った記憶すらないのだ。
「……こうなることもある程度は予想していた」
支部長が、ため息混じりにそう話した。
「それだけに、敵は強大だったということだな」
クロシェル隊長がそれに続けてそう口にした。
話についていくことのできない俺は、すぐさま質問した。
「ど、どういうことですか」
「あぁ、エル坊はまだ知らなかったか。こいつぁ間違いない。副作用だ」
「ふ、副作用!?」
「そう、上級解放の、なぁ」
ごくり、と唾が喉を通り抜ける。俺の知らなかった上級の世界。そのリスク。
「上級解放ともなれば、脳の酷使度はピークに達し始め、脳細胞自体がダメージを受ける。もう直らないダメージだ」
支部長は指をこめかみに当てながら話した。
「それが“記憶の喪失”だ」
上級解放の副作用……なんとそれは記憶を失うことであった。
「上級解放の副作用は解放時間に比例して大きくなる。最初は近日中にあった出来事が、やがて長い期間へと侵食し、大切な思い出まで喪失する」
つまり、ロズとネイヴィは山岳での交戦で上級解放を行い、その副作用で近日中の記憶を失ったわけだ。記憶へのダメージはロズよりもネイヴィの方が深刻のようだ。
「だからおめぇら覚醒者には、日記をつけることを義務付けている。記憶を失ったときのためになぁ。緊迫した遠征中に書けぬのも無理もない。今回の件は、進展ナシだ。解散しろ」
支部長はベッドの横に置かれた2冊の日記をポン、と叩いて言った。ロズの日記は、以前目にしたことがある。
記憶を失うリスクと共にある以上、少しでも記録として残しておかなければいけない。自分の字であれば、記憶の修復は難くないだろうからだ。
少しの間、沈黙が流れた。ため息ばかりが聞こえる中、口火を切ったのはクロシェル隊長だった。
「……いつまでも感傷に浸っている場合ではないな。セレンには俺から伝えておく。来るときに向けて、力を溜めておこう。ネイヴィ、動けるか」
「無論。すぐにでも」
「フ。病み上がりのお前に急かすようなことでもない。セレンも眠っていることだ。俺は筋トレをしている。夜に落ち合おう」
「承知」
クロシェル隊長はそう言って病室を出て行った。ネイヴィはその背中を見送ってから、背筋を伸ばしてゆっくりと瞼を下ろした。瞑想だろうか。
ロズはというと、自分のお腹に手をあてながら、視線をさまよわせていた。
「!? ……んじゃ、俺も失礼しますわ」
そう端的に口にして、病室の出口に向かうグリド。何か早く出たいような雰囲気を感じた。
「グリド」
彼の名前を呼んだのは、ロズであった。先ほどまで涙していた彼女だが、今はもう止んでいる。
ロズもテラとの付き合いは長いはずだ。グリドほど割り切れていないように思える。だけれども、泣き続けても仕方が無いことをわかっているのだろう。気持ちを切り替えようとしているのが見て取れた。
「泣いたら、おなかすいた」
「うっ……食堂でも行けよ」
「あたし病み上がりだよ? 傷心の乙女だよ?」
「めんどくせぇ……ほら、こいつに頼め」
グリドはけだるそうに俺の背中をぽんと押しながら言った。
「わりぃなぁ、グリド。エル坊はこれからちょっと借りる」
「えっ、まじすか」
支部長の言葉に、グリドは驚いたようにそう言った。そういえば、応接間では、話の途中だったな。
「じー」
ロズはグリドに熱い視線を送っている。グリドは大きなため息をついて、頭をぼりぼりとかきながら呟いた。
「わーったわーった。肉まんでいいな」
「うんっ! グリド大好きっ! 10コねっ」
「うーい」
グリドはそう返事をすると、とぼとぼと病室を出て行った。
「さて、いくぞエル坊、大分時間をくった」
「あ、はい。ロズ、ネイヴィさん、お大事に」
二人がこくりと頷くのを見てから、俺は支部長の背中を追うように病室を出た。
「それで、これからどこへ行くんですか?」
いくぞ、と言われても、何をするかを聞いていない。その途中で、二人が目覚めたという報告が入ったのだから。
「地下だ。エル坊の力を借りなきゃならねぇ状態なんだ」
「えっ」
もともとこの革命軍支部の施設は地下に存在するが、病室や大広間のあるこのフロアよりも更に下に、研究施設がある。”地下”とはそれのことだろう。ネコとの思い出の場所だ。
にしても、そこで俺の力を借りる?
「大事なことを忘れてるんじゃねぇ。これは今後の革命軍の命運を担う大仕事だぞ」
へっ!? 俺、そんな大事なことを忘れているのか?
歩みを進めながら、頭を捻る。物覚えはいいはずなのだが……。
―――ひっひっひ。
と、その瞬間。頭の中で気味の悪い笑い声が聞こえてきた。思い出した。
「お前が連れてきた、世界政府の要人だ。あいつから話を聞く」
ドクターコージ。
飄々とした、何を考えているかわからない男。
でも、きっと何かを知っている。何か秘密を握っている。
もしかしたら、この大罪因子の秘密をも――。




