第二十七話 「憑依体」
エルが心の中で戦う決意を固めた時。
アルギエバは横目でメディアを見やると、口を開いた。
「メディア、加勢は必要かね?」
「……必要ありません」
「ふむ、野暮だったかね」
「……いえ」
メディアは文字通り野暮ったそうな表情を浮かべて返答した。
「はっはっは、そんなに男と組むのが嫌だったのかね?」
「集中したいだけです」
「ふむ、まぁよい」
アルギエバは満足そうな笑みを浮かべたまま、自分を睨みつける青髪の男に視線を戻した。
「加勢とは、ずいぶん余裕だな」
青髪の男、グリドは不敵な笑みを返して言った。
「む? 文字通りだが?」
「へぇ、それだけ腕に自信があるんだな」
「そうは言っておらんよ。君がそこそこの使い手であることくらい、感じているよ」
そこそこの、ね……そうグリドは思いながらゴーグルに手をかける。
どんな理由であれ、ばかにされて黙っている男ではないつもりだった。
「ふむ、光を隠すゴーグルかな? 気合を入れたところ申し訳ないのだが……」
アルギエバはすこし悲しそうな表情を浮かべ、口元だけを吊り上げた。
「相手をするのは、私じゃあない」
「あん?」
アルギエバがそう口にした直後、5つの影がすくっと立ち上がった。
「面白いものが見れるぞ!」
アルギエバは笑った。ただ、笑った。
起き上がった影……5人の逃亡者たちの変貌していく姿を見て。
「さぁ、産声だ!」
アルギエバの声と同時に、グリドは舌打ちをして地面を蹴った。
腕に力を込め、神経を研ぎ澄ます。
何度も反復してきた動き……指先の細胞を変異させ、鉤爪を作り出す。
(五体同時か……!? テラたちは……)
グリドは起き上がったひとつの憑依体の後ろに回りこみながら、仲間の様子を伺う。
咆哮を上げようと空を見上げたその喉を、鋭い爪で切り裂いた。
(交戦中か。こっちは任せろと言った分、加勢は頼めねぇな)
グリドはこの緊急の場面であっても、脳内で冷静に判断を下していた。
憑依体は生身の人間では傷がつけられないほど生命力がある。
脳のリミッターが外れてしまっているため、抑制されている細胞分裂速度が加速しているのだ。
それによって多少の傷をつけようと、すぐに再生する。組織を壊すことはほぼ不可能である。
ならばどう処理するか?
方法は二つある。
ひとつは脳を破壊する。
憑依体は脳ありきの存在である。脳細胞のみは再生できないため、ここを破壊できれば憑依体は消失する。
肉体を刃状に変化できる覚醒者たちは、まず両断を狙う。
重力を味方につけた頭上からの刃は、いとも簡単に頭蓋骨を通り抜け脳を破壊できるのだ。
もうひとつは、血を止めること。
脳が活動を続けるには、酸素が必要である。
その酸素を運んでいる血液を止めることで、脳は高速で壊死していく。
通常では数分であるという説だが、リミッターが外れた上での脳死は数秒である。
なので手っ取り早く喉を切り裂く、心臓を貫くなどの攻撃が有効である。
ただ憑依体によっては姿勢などによって喉や胴体が狙えない場合があるため、飛び出ている頭部を狙うのが推奨されている。
ごとり、と喉を切られた憑依体は膝から崩れ落ち、散り散りになって消えた。
「見事」
アルギエバは高みの見物を決めているかのように、ぱちぱちと手を叩いた。
(あと4体……間に合うか?)
グリドは焦っていた。
アルギエバの挑発など意に介している暇もなく、すぐさま次の憑依体へと攻撃を繰り出していく。
大罪因子所持者が憑依体へと変化していく過程には段階がいくつかある。
第一フェーズ。
その状態で受けていた外傷などが再生し始め、立ち上がる。
この時、再生時に生じた有害物質を気体として体外に排出する。
第二フェーズ。
咆哮を上げる。
その音は、ヒトの鼓膜が耐えらない程の大きさになる場合もある。
第三フェーズ。
暴走。
理性を失った状態で、目に付いたすべてのものに攻撃を加える。
静止しているものよりも動くものに標的を向けることが多い。
第三フェーズに達するまでの時間は短く、あっという間である。
暴走を開始すれば、隙は減り、処理の難易度が跳ね上がる。
「オオオオオオオオオォォォォッ!」
「悪いな」
咆哮を上げていたその背後から胸を貫くと、すばやく引き抜いて血を振り払う。
グリドはすばやく的確な攻撃を加え、3体の憑依体の処理に成功していた。
「だめじゃないか、動いては」
アルギエバはにやり、と笑った。
残り2体の憑依体は首を回転させ、煙を吐き出しながらグリドを見た。
標的は、定められた。
(第三フェーズの憑依体が2体……やべぇな)
遠征は基本、三人一組もしくはそれ以上の編成で行わなければならない。
それは憑依体を処理するという内容によるものが大きい。
「フッ!」
憑依体が拳を大きく振り下ろすのを、グリドはすんでのところで後ろに跳んで回避し、そのまま地面を蹴って頸部を狙う。
しかしその攻撃はもう一方の腕で弾かれてしまう。
もう一体の憑依体が走り来るのを見て、すかさず距離をとる。
(ちっ、やはり簡単にはいかねぇか……)
憑依体は自らの弱点を理解しているようで、攻撃を繰り出そうにも、的確に防御行動をとる。
なので第三フェーズになった場合は一人が標的になって攻撃を引き付け、死角から攻撃をする必要がある。
以前暴走したペレを殺めた場面がまさにそうである。
結論、単身で処理を狙うべきではないのだ。
ましてや今回は、二体の憑依体。
単身で二体を相手取るという経験は、歴戦のグリドであっても初めてであった。
(奴は……動く気配はねぇな。つーか……)
憑依体は動くものを優先して攻撃する。
アルギエバがその場で動かず傍観しているのはそのためだ。
しかしそこでグリドには一つの疑問が浮かぶ。
(憑依体同士ではやりあわねぇんだな。理性ぶっとんでるんじゃねぇのかよ……)
事実、憑依体は動き出したグリドを攻撃している。
一方の憑依体も同様に動いているというのに、まるで”協力”しているかのようにグリドだけを追っていくのだ。
(口枷といい、大罪因子っつーのはわけわかんねぇプログラムばっかりだな!)
グリドはそう心で言い放つのを境に、思考をクリアにした。
それは考えることが面倒になったからか、目の前の戦闘に集中するためかはわからない。
ただ、この後のグリドの動きにはアルギエバも目の見張るものがあった。
「よっ」
ブオンと大きな音と共に繰り出された拳をしゃがみこんでかわすと、そのまま足を払い体勢を崩す。
背後から振り下ろされた拳を硬化した肩で受けると腕を掴む。
「うぉらっ!」
しゃがんだ姿勢から体をひねりながら膝を伸ばし、その勢いのまま憑依体の腕を引き……
ズドン!
体勢を崩していた憑依体に重ねるように振り下ろした。一本釣りである。
「わりぃな」
すかさず振り向いたグリドはその鉤爪を重なった憑依体の頭部に突き立てた。
「ヴヴッ」
投げ下ろされた憑依体は衝撃に体を震わしながらも、その攻撃を首を捻ることで回避した。
だがその真下にあったもうひとつの頭部に鉤爪が突き刺さり、鈍い鳴き声とともに一体が消滅した。
倒れこんだ憑依体はその両足でグリドを蹴り飛ばすと、煙を撒き散らしながら立ち上がった。
「ってぇ……ま、これでサシだぜ。それともおっさん、加勢して二対一といくか?」
地面を削りながら着地したグリドは、鉤爪の一本をアルギエバに向けると、くい、と軽く持ち上げた。
「ふむ、肉体変化までで仕留めるとは、敬服に値するね。どれ」
アルギエバは素直にグリドの手際のよさを褒めると、ゆっくりと前に歩みだした。
「あん?」
グリドは首を傾げた。
歩き出すことにより、憑依体は首をぐるりと回転させ、標的をアルギエバへと変更したからだ。
「ア゛ア゛ア゛ッ」
奇声を発しながら迫る憑依体にも一切怯むことなくアルギエバは微笑み、腕を広げた。
「ああ、ダッド君。残ったのが君でよかったよ。さぁ、見せてくれ。君の”怒り”を」
アルギエバの懐まで入り込んだ憑依体の頭を、左右から挟みこむように掴んだ。
直後、アルギエバの瞳に光が宿り、甲高い音とともに憑依体は体を硬直させた。
「なにやってんだ、あんた。仲間を増やしてぇとかいいながら、最後はてめぇでトドメか?
それとも、全員が全員覚醒せずに憑依したもんだから、諦めたのか?」
憑依体がぴくりとも動かなくなるのを見て、グリドはそう口にした。
「何を言う、ダッド君はここにいるぞ?」
憑依体は生命活動を止めると、収縮しすぎた細胞の密度をリセットするかのように一瞬で膨張し、体を構成していた粒子レベルまで分裂し宙に消える。
しかし最後の一体だけは、アルギエバの振動を受けてもその場に存在し続けた。
その異様な光景にグリドは唾を飲み込んだ。
「しかし、残念ながら怒りに我を忘れているようだがね」
アルギエバがそう言い終わるのと同時に、硬直が解けた憑依体、ダッドはふらふらとアルギエバの傍を離れた。
「……ねぇ。……ゆるせねぇぞ」
ダッドはそう口にした。
その声に、グリドは戦慄を覚えた。
(ありえねぇ……どうなってやがる)
グリドはゆらりゆらりと動き出した憑依体を目で追いながら、思考をフル回転させていた。
いままでの経験、ありとあらゆる研究結果、それらすべてを探っても見当たらなかったのだ。
――憑依体が言葉を口にするなど。
「仇はとるぞ……弟よ……」
ダッドはそう口にしたのを最後に、地面を強く蹴り走り出した。
その速度と言えば、まるでグリドたちが深夜平野を駆けたように、人並みはずれたものであった。
(やべぇっ……あっちにはロズとネイヴィが……しかし)
「なんてことはない……」
思慮をめぐらせていたグリドの耳にアルギエバの低い声がぬるりと入り込んだ。
「お前たちの真の目的は我々を捉えることではないだろうに……いいのかね? 仲間を傷つけられ、挙句やってきた世界政府に終止符を打たれても?」
「チッ」
グリドは最初からわかっていた。
世界政府がまもなくここへやってきて、ありとあらゆる全てを奪い去ろうとしていることを。
あの異様な憑依体が、並以上の覚醒者と同じ能力を所持していることを。
そして……このままアルギエバと対峙しても、敗北を喫するであろうことを。
(ちっ、めんどくせぇ……)
グリドはあらゆることを秤にかけ、そして決断した。
「あんたを殺すのは世界政府でも寿命でもねぇ……この俺だ」
グリドはそれだけ言い残すと、ダッドを追うように走り出した。
「……」
アルギエバはその場でゆっくりと口を開いた。
「第三フェーズに移行した憑依体はただ暴走を繰り返すだけだが、その大罪因子にはそれぞれ属性がある。
その属性に応じた刺激を脳に与えられると、大罪因子はあるプログラムを起動する……」
強い風が吹き抜けていく先を見つめながら、口元を吊り上げた。
「これが最終フェーズだよ、グリド君」
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「テラたち、行っちゃったね……」
名残惜しそうに、ロズはぼそりと呟いた。
エルたち3人を見送り、ロズとネイヴィはその場に待機することとなっている。
目的は主に三つ。
逃亡者の1人である少年の護衛。
変異体の巣へと逃げ込んで来た、15にも満たない風貌の少年である。
山岳の奥で異能の男を見て逃げ出してきたと怯えながらに語る。
革命軍側が身柄を保護できた数少ない逃亡者である。
軍にとっては比較的価値の高い人間であるため、無事に連れて帰る必要がある。
2つ目は、周囲の警戒。
見晴らしの良いその地形は、北側に広がる平野を一望できる。
ここへ向かっていると考えられる世界政府の動きを掴むためには、この場所が最適なのだ。
そして3つ目。
それは生きて情報を持ち帰ること。
戦力を分散することになるが、全滅は免れることになる。
テラはこの先に待つ不穏な存在に、保険をかけていたと言える。
もし自分たちがその先に待つなにかにやられて、戻れなかった場合。ロズたちは即帰還して、情報を持ち帰る必要があるのだ。
ちなみにテラ隊の無線機を所持しているのはテラ本人である。ロズたちが情報を伝える方法は、その足しかない。
帰還して自らの口で情報を伝える――この時代にしては、かなりアナログな手段である。
しかし革命軍支部が地下にあること、電波を利用した通信により、盗聴や居場所の割り出しを防ぐ為の手段である。
遠征の時に持たされる無線でさえ、支部からかなり離れた、ある街に待機している渉外までにしか繋がってはいないのだ。
全てはあの強大な権力……世界政府に対抗するためである。
「問題ない。彼らなら何とかするだろう。私たちには私たちの、やる事がある」
ネイヴィはロズから視線を外すと、開けた岩場から平野を見渡した。
見る限り変わった動きはない。
本当に世界政府はここへ向かっているのか?
とすら彼女は感じていた。しばらく山岳に居た彼女は知らないのだ。世界政府が人探しに時間を割いていることを。
「少年の方を頼む。無愛想な私より、ロズの方が適任だろう」
「えっ、あ、うん……」
少年。
彼はあれから常に怯えている。膝を抱えて頭を埋めている姿勢でガタガタと震えている。
ロズはこの少年のケアをする必要があった。
ストレスが増せば、彼も憑依体と化す。精神が完成していない年齢を考えると、覚醒する可能性は限りなくゼロであった。
「ほら、元気だしなよ。ここからなら世界政府の動きもわかるし。
この先の大男が恐ろしいってのもわかるけど、うちの大男も負けてないから。なんとかなるわ」
「……」
ロズたちに確信はなかった。
だが、彼女達に、グリドが敗北するビジョンが見えなかったのだ。
それほどにグリドの実力は買われているといえる。
「だめなんだ……だめなんだよ」
しかし少年は震えを止めず、顔を埋めたままである。
「すぐに、やってくる」
最後にそう呟くと、青年は言葉を発するのを止めた。
ふー、とロズは息を吐いた。
(やってくる……ここまで追ってくるってことかな。
でも覚醒者がここへ向かっているとしたら、途中でテラたちと対峙するはずだよね)
この先の山道は一本道。多くの棘が突き出し、かなり険しい道のりだ。
見晴らしもよく、あたり一帯ではかなり安全な場所である。
よっぽどのことがなければ、奇襲を受けることも無い……。
そうロズが判断した、その時だった。
「ぐっ!?」
ネイヴィがそう声を上げ、地面に倒れこんだ。
「ネイヴィッ!?」
「油断……。いや、これは」
ロズがすかさず駆け寄り、周りを見渡すが、何も無い。
立ち上がったネイヴィも臨戦態勢を取りながらじりじりと辺りを見る。
ぴたり、と背中をくっつけて、死角を無くす。
投擲か、何かか。
これだけ見晴らしのいい場所でも、いくつかの棘はある。
その影に隠れ、なにかをネイヴィに投げつけたのか。
そう考えたロズは、棘の方角に集中的視野をもっていく。
「うッ!」
しかしあろうことか、まったくの逆の方向から頬に強い打撃が襲ってきた。
ぺっと血を吐き出すと、すっと目の色を変える。
「ネイヴィ、これだね?」
「ああ、そうだ」
死角はなかった。投擲するにも、今衝撃を受けた方向にはなにもない、崖である。
二人には、これが意味することがわかっていた。
――透明な、何かである。
「ひっ、な、なに!?」
空気が変わったことを察知したのか、少年は顔を伏せたままさらに縮こまって叫んだ。
二人はすっと少年を背で守るように隊形を変える。
「落ち着いて……んっ」
そう口にしたと同時に、ロズは左腕を持ち上げ、衝撃を軽減することに成功した。
「あはは、なんだ、確かにそこにあるね。初見だと無理だなー」
「隊長は初撃で毒を受けた……今回はそんな様子は無いな。ロズは平気か」
「うん、頬を切っただけ。ただの殴打かな……にしても、何にも見えないんだねぇ」
ロズは風を感じていた。
何かがそこにある。ならばソレが移動した時、空気が揺れる。
その方向さえ過敏に察知すれば、攻撃を防ぐことも、反撃することもできる。
「で、あたしたちはコイツの原因を突き止めて、とっ捕まえないといけないんだけど?」
「言うまでも無い」
透明な敵の存在。この原因を調査し、存在を証明することが遠征の目的の一つである。
セレンの無実を、証明するための、だ。
「目で捉えなければ、私の能力は通じない」
「っていっても、あたしもガンナーだよ?」
「ならば……」
二人は一瞬間を空け、それぞれの手を変異させた。
『近接だ』
重なる声と同時に、変異が完了する。
ロズは殴打に特化した銃を作り出し、CQCモードに。
セレンは腕から刃を生み、攻防一体の武器を作り出した。
再び迫り来る攻撃を察知し、今度は防御ではなく反撃を試みる。
「ふんっ、あれ?」
風を察知し、その方向に拳を振り回すも、空を切る。
逆方向からの攻撃を咄嗟にガードし、奥歯を噛み締める。
「むー、そっちも工夫してくるってことね……でもそんな攻撃じゃ、ダメージは与えられないよ?」
実質、ロズの皮膚硬化レベルは高くない。
そんな彼女の防御を貫くことのできない攻撃では、いくら姿を見られないからといって、有効打とはならない。
ある程度対応策を編み出した二人にとって、反撃は難しくとも、防御することは容易いからだ。
「――だめなんだよ」
突如、背後から声がした。
「む?」
ネイヴィは後ろでうずくまっていたはずの少年が立ち上がり、何かを突き出そうとするのを見た。
「ボクに背中をむけちゃ」
差し出された手には、たっぷりと毒の塗られたナイフ。
「させないっ!」
「え?」
ガキンッ!
剣戟音。
くるくると何かが回転し、すぐ横に落ちて突き刺さった。
少年の手はロズによって弾かれ、不意を突き損ねた少年はちっ、と舌打ちをした。
すっと緩急のある動きで転がりナイフを回収すると、立ち上がって土ぼこりを払う。
「なんで、ばれちゃうかなぁ……」
顔を上げた少年の瞳は、あろうことか”紫”の光をともしていた。




