第二十六話 「必要悪」
その殺戮の始まりは、10年も前に遡る。
かねてから急進歩を遂げていた科学技術はピークに達し、あらゆる方面に大きな利益をもたらしていた。
特に医療・介護分野においては目を見張るものがあり、
病気による死者はなんと50%減、平均寿命はなんと90を超えていた。
かなり前から問題沙汰にされていた少子化問題も、世界政府が発足し戦争が終わったことを皮切りに、快方に向かっていた。
爆発的に人口が増え、人類は大いに繁栄していたと言える。
そんな医療の世界を牽引していたのが、リグレスという男だった。
彼はその類稀無い頭脳により、次々と不治の病の研究に取り組み、治療方法を確立していったのだ。
齢45。
これほどの偉業を成し遂げるにしては、余りにも若かった。
彼ほどの人間ならば、まだ十数年は活躍できるだろう。
誰もがリグレスの偉業を称え、次なる成功を信じていた。
しかし、順調かと思えた彼の研究は終わりを迎える。
彼のために国が用意した大規模な研究所、そこに作られたリグレスの自室から大きな物音が響く。
警備員がその部屋にかけつけた時、そこにはリグレスのものと思われる死体が転がっていたのだ。
その時点で彼の死体だと断定できなかったのは理由がある。
首から上が無かったからである。
その部屋の天井には大きな風穴が残されており、何者かが侵入し、リグレスの頭部を奪っていったのである……。
この事件はすぐに世界に伝えられた。
彼の死を悼む声とともに、世界政府は犯人の捜索に乗り出すこととなった。
一月が経過した。
被害者は、爆発的に増加していた。
場所は問わない。
国境を越え、海を越え、あらゆるところで、人が殺されていた。
共通点は三つ。
ひとつはどの被害者も、医療を発展させるなど、繁栄の立役者であったこと。
ひとつはどの死体も、首から上が無かったこと。
もうひとつは、事件が起こる頃、大男が目撃されていること。
世界政府は捜査を続け、
この一連の連続殺人の犯人をパバッハ出身の大男、アルギエバ・レオックであると断定した。
なんらかの思想犯と思われたアルギエバは、100人の被害者を出したのを皮切りに、ぱたりと消息を絶ってしまった。
世界政府は今日まで、彼を捉えるどころか、発見することすら出来ていなかったのである。
――そんな世界的大犯罪者が、なぜか今、エルたちの目の前に立っていた。
「ひゅー、ひゅー……」
彼の名を述べてからというものの、ものすごい汗を流しながら、テラは細い呼吸を繰り返している。
異様。どんな状況であれ、冷静に物事を捉え、判断を下すことのできるテラが、明らかに動揺している。
「む、青年。私の心でも覗いてみたか? やめておくといい、その歳ではつらかろう?」
アルギエバはグリドの肩越しにテラを見つめると、ゆっくりとそう述べた。
にこやかなその笑みから、心情は察することができない。
ただ薄ら寒くすら感じられる。なぜならその笑顔の持ち主は殺人鬼だからだ。
「テラ、大丈夫か……」
「う、うん……ごめん、取り乱した」
テラはひとつ大きく呼吸をすると、すっと背を伸ばして敵と対峙した。
とりあえず平常心を取り戻すことができたようだ。
「おっさん、今まで何してたんだ? 政府は血眼になってあんたを探してるぜ?」
グリドは相変わらずの挑発的な態度でアルギエバに問いかける。
肝が据わってるな。
目の前の大男が殺人鬼だってことはわかっているのだろうか。
俺はグリドが変わらずの姿勢でアルギエバに向き合っていられることを信じられなかった。
あの世界政府の追っ手から逃れ、100人の偉人を殺めたのだ。
……人知を超えた能力を持っているに違いないのだから。
「なに、のらりくらりと、隠居生活を楽しんでいたよ」
隠居生活、ね。
まるで100人の偉人を殺すことが仕事であったかの口ぶりだ。
「で、姿をくらましてたあんたが、どうして今更姿を現した? 何を企んでやがる?」
「企むとは失敬な……言っただろう、私は仲間を増やそうとしているだけだ。昔も、今も」
……昔、も?
「嘘をつきやがれ。殺人行為のどこが仲間を増やすって? 戯言もいい加減にしろよ」
グリドはすかさず言い放った。
偉人を殺すことが、仲間を増やすことに繋がる……? 理解できるはずも無い。
「おお、同胞よ。なぜ理解出来ぬ?」
「同胞?ガチもんの犯罪者と一緒にすんじゃねぇ」
グリドの”犯罪者”という言葉を聞いて、初めてアルギエバは表情をひくつかせた。
「――犯罪者、か。君たちは何をもって罪とする?」
「は? んなもん法を守らねー場合だろ」
「はっはっは、笑止。貴様ら革命軍は政府を倒そうとしているのだろう? ならばなぜ政府の定めた法に従うというのかね?」
「……なに?」
!?
ちょっと待て。
コイツ今革命軍って言わなかったか?
こちらは素性を明かしていなかったはずなのに、どこでそれに気づいたのだ?
テラも同じく違和感を覚えたようだったが、グリドは怒りの方が強いようであった。
「革命だの何だの言っておきながら、君の言う犯罪者の定義すら、政府の掌の上ではないか。
それこそ奴らがその定義を変えようと言ったのだ。君たちこそ、”ガチもんの犯罪者”ではないか!
その体たらくで、どうやって覆すというのかね?」
「てめぇ……!」
「グリド、挑発に乗らないで」
「……あーってるよ」
グリドは握りしめた拳をゆっくりと緩めて、強ばっていた背筋をスッと戻す。
「じゃあなんだって言うんだ? 聞かせてもらいたいもんだね」
一呼吸置いて訊き返す。
「生物不変の目的。それに背く行為こそが罪であろう」
「生物の……目的?」
思わず俺は言葉を漏らした。
アルギエバはちら、と俺に視線を動かして口を開いた。
「仲間を増やし、子孫を残し、種を存続させることだ。
どれだけ綺麗事を並べようと、すべての生物はこの目的を果たすためだけにあるのだ」
「……それが何だってんだ?」
グリドの言葉に、アルギエバの視線が戻る。
アルギエバは両腕を広げ、言う。
「では質問で返そう。医者を殺すという事は、罪かね?」
……あたりまえだろう。
殺人は罪に他ならない。法で決まっている。
コイツの言う理論にあわせるとしても、種を存続させるという目的を果たすためには、病気の治療が必要だ。
ならばそれを牽引する医者を殺す事は、罪になるだろう。
「長い目で見たまえ。我々は種を存続させなければならない」
一体何を言っているのか。
検討がつきそうにないが、テラだけは押し黙っている。
「これからも永久にな。絶滅してはならぬのだ。もう……」
バシィ!
突如、まるで落雷が迸ったかのような音と共に、アルギエバは仰け反った。
グリドが攻撃を加えたのかと思ったが、そんな様子もない。
テラも同様で、あたりを見回して見るも、アルギエバに電撃を放つようなものは無い。
「ぐ……ちぃ、厄介な」
アルギエバは原因を知っていたようで、あたりを見ることすらしなかった。
「……口枷だね」
テラはぼそりと呟いた。
クチカシ。
久々に聞いたワードだ。
大罪遺伝子に保存された過去の出来事を、外に出力しようとすると起きる。
いわゆる、口止めだ。
つまりアルギエバは何か、過去を知っていて、それを口にしようとしたわけだ。
「ちっ、厄介なものを残しおって……まぁいい」
アルギエバはそう呟いて、気を取り直した様子で続けた。
「種の存続。そのために必要なのは”進化”だ。すべからくすべての生物は”進化”を繰り返し、生き延びていく。
だがね、ヒトは進化していないのだ。長い歴史の間で、ほとんどな。
変わったことと言えば、ずるがしこい知能を備えた脳を持ったことだけだ」
ヒトは進化しているか。
それは今を生きる俺たちにはわからないことだろう。
長い長い年月の流れを俯瞰して見たときに、初めてわかることだと思う。
「だが思わないか? 我々覚醒者は、ヒトから進化した、新しい種なのだと」
――新しい種……?
俺たちが、ヒトから進化した新しい種であるということか。
「話が長ェ。結論を言え」
難しい言葉の羅列に面倒くさくなったのか、グリドは痺れを切らして言った。
「では言わせてもらおう。私がヒトを殺しても、罪にはならんのだ。別種を殺す事は、ヒトもよくすることだろう?」
……!?
「ヒトは牛を殺す。豚を殺す。小さな虫を殺す。ソレは罪にはならないのだろう?」
こいつ、何て理論を持ち出してきやがる。
覚醒者とヒトは別の存在? だから殺しても構わない?
……ふざけてやがる。
「……だがヒトから我が同胞が生まれるのも事実。今は進化の過渡期なのかもしれん。
だから私はこう考えたのだ。ヒトが潤滑に進化できる世界を作ろうと」
アルギエバは空を見上げた。
「……だから医者を殺したんだね」
そこでテラが、全てを悟ったように口にした。
「そうだ!!!」
アルギエバは大きな声で肯定した。
そしてずっしりとした重い声を響かせ始めた。
「なぜ病のものを救う?
心身の弱い残す価値無き個体だろう?」
だから医者を殺すと。
「なぜ老人を救う?
子孫も残せぬただの抜け殻だろう?」
だから医者を殺すと。
「なぜ人を殺してはならぬ?
殺されるのは弱いからだろう?」
だから罪とも思わないと。
「生物は皆、厳しい自然に耐え、弱肉強食の世界で殺し合い、淘汰されながら、生き残った一握りだけが繁栄してきたのだ。
だからこそ進化することができた!」
環境に適応できないものはすべからく絶滅し、対応できた生物が生き残る。
その生物が子孫を残し、またその子孫から、対応できる生物のみが生き残る。
これを繰り返すことで、”強い個体”が生まれる。
これが今信じられている”進化論”だ。
「私は虚しい!ヒトのみが生物のあるべき姿から外れ、いや、逆行していることを!」
今のヒトは、弱気を助け、淘汰されるべき存在を強者が救っている。
だから、進化できない……ということか。
逆行……いうなれば退行だ。
「我々覚醒者は進化した存在だ。先駆者だ。仲間を、同胞を増やさなければならない」
アルギエバは今までで一番低く、熱のこもらない声で呟いた。
「医者。法律。人権。道徳。慣習。全て必要ない。全て壊すべきだ」
ぞくり、と背筋が凍った。
ああ、と悟った。
こいつは、悪を悪と思わないのだ。
自分は正しいと、そう信じきっている。
そう、確信犯。
だから、”必要悪”なのだ。
「そうは思わないかね? 同胞よ」
俺は、否定できなかった。
生物として、今のヒトを省みてみると、確かにそうなのだ。
種を存続させるための、行為。
それは地球上で唯一、自然に逆らうカタチで行われている……。
ヒトは、間違っている……のか?
俺は心の中で葛藤していた。
違う。
こいつの言っている理論は間違っている。
納得できない。
世界政府に抱いたのと同じような、似たような感情を抱くのだ。
でも、否定できないのだ。
心のどこかで、それを認めている自分がいるのだ。
ああ、苦しい。
今の俺に、否定できる術がないことが、本当に苦しい。
「――思わないね」
そんな霧が立ち込めた俺の心に、グリドの声が風のようにすぅっと吹き込んだ。
「理解できないかね?」
「理解とかそういうのじゃねえんだよなぁ」
グリドは大きな欠伸をして、続けた。
「正しいとか間違っているとか、どうでもいいだろ。ただ一つ言えるとすれば……」
瞳に涙を溜めながら、続ける。
「どいつだって、生きてぇんだ。生きてぇと思ってる」
グリドは気だるそうに頭をかきながら、それでいて真面目な表情を浮かべていた。
「だからこそ、強くなろうとするんだろ。どんな理由があっても、生きるか死ぬか、それを決めるのはそいつ自身だ。
自然でも神でもねえ……ましてやお前なわけがねぇ」
その言葉を境に、シン、とあたりが静まり返った。
山岳地帯特有の、冷たい風が吹く音が聞こえる。
「意見の、相違だね」
沈黙を破ったのはアルギエバであった。
視線をテラへと動かすと、なにやら反応を待っているようだ。
しかしテラは頷くことも首を振ることもせず、ただアルギエバをまっすぐ見返していた。
「革命軍の総意と受け取っておこう。で、どうするね? 私を止めてみるか? といっても、選別は済んでいるがね」
選別は済んでいる――。
事実、あたりには瀕死状態まで追いやられた逃亡者がうめいている。
治癒能力を持ったロズがこの場にいないこともあり、手の施しようは無い。
後は彼らが理性を保ったまま死ぬか、理性を失い、変貌するか。
変貌した先が憑依体であれば、この場は荒れるだろう。
何せこの場には5人、その候補がいるのだから。
そして実力未知数の覚醒者が二人……どういう構図になるかわからないが、そう易い展開にはならないだろう。
もしも誰かが覚醒した場合、どうなるかは見当もつかない。
その場合、覚醒者としての位置づけは初級になるのだろうか?
であれば、憑依するよりも脅威では無いようにも思える。
「ここで見過ごしたら、また犠牲者が増えるだろう……止めない選択肢は無いね」
「はっ、面倒くせえ!」
テラの一言を皮切りに、グリドはそう言い放った。
言葉とは裏腹に、心底嬉しそうに、だ。
「面倒ならやめたらどうだね? 私としても、生かすべき同胞を手にかけるのは、忍びないのだが?」
「忍ぶ前に、自分の身を案じるんだな!」
グリドはばっと拳を振り上げた。
バシィ、と破裂音を鳴らして、アルギエバはグリドの拳を受け止めた。
「どれ」
アルギエバの瞳に光が宿る。
その瞬間、グリドは腕に力を込めて手を振り払った。
「ちっ、初めてだぜ、拳を振り上げるなんざな」
これは苦戦することになりそうだ。
拳を振り上げるということは、力が上方向に分散しやすい。
するとたやすく拳を受け止めることができる。
もし受け止めらた後、すぐさま手を払いのけなければ……
「う、うぅ……」
この逃亡者たちのように、振動を加えられて大ダメージをうけることだろう。
肉体強化を経ていたとしても、容易に耐えられるものではないだろう。
「テラァ、エル! 俺がこのおっさんと闘るぜ! そっちで奥の女を叩いてろ!」
「はいはーい」
テラは快活に返事をすると、にこっと笑って俺を見た。
「ということで、サポートはするから。がんばって!」
ばん、と背中を押されて顔を上げると、視線の先には覚醒者の女性……メディアがこちらを見据えていた。
「おいおいおいおい、何言ってるんだよ! できるわけねーだろ!」
「何言ってるんだい、約束でしょ? 僕が頭を使うって」
それはお前が一方的に押し付けた約束だろうが!
と心の奥で思ってはみるも、一度はその約束を飲んだのも俺だ。
いいだろう、やってやる。
「近寄らないでください」
覚悟を決めた瞬間、細い光が俺の耳を掠めた。
ジン、と耳が熱くなる。
気づけばメディアは指先を俺に向けていた。
「私、男性って苦手なんです。生理的に無理なんです。だから死んでください」
メディアはそう矢継ぎ早に言いながら、次々と光の矢を放ってきた。
一発一発がさきほど地形を変えたほどの威力!?
俺たちはすんでのところで横に飛んでは回避に成功。
「奇遇だねー、僕も苦手なんだよ」
テラはすくっと起き上がると、もう一度笑みを浮かべると両腕を広げた。
「女性は、戦うべき相手じゃなくて、口説くべき相手だからね」
「……寒気がするっ!」
メディアは一際大きな光を指先に溜め、テラに向けて放った。
弾速はかなり速い……予備動作を感じ、回避行動に移らなければ直撃する……
はず、なのに。
あろうことかテラは両腕を開いたまま、その場を動かなかった。
放たれた光はそのままテラへと伸び……
「テラッ!」
俺は叫んだ。何やってんだ!
と、思ったが、光はそのままテラの体を通り抜け、背後で爆発した。
「だから僕はここで見てるよ。指示は出すから、さ」
テラは笑いながらそう言うと、その場に座り込んだ。
一体どうなってやがる?
「”色欲”ですか、厄介ですね。いいでしょう、先にあなたを排除します」
メディアは座り込んだテラを見てため息をついて俺を見た。
「エルー、ファイトー」
「ああ、くそっ!」
やるしかない、やるしかない。
ここで引くなんて選択肢は無いし、遠征に出るからには、心は決めていたはず。
テラがこんなにも楽天的なのにも、理由があるんだ。
そう、それは簡単だ。
俺ならできる、ってやつだ。
こうして俺の初陣は幕を開けた。




