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気づいたら犯罪者だった  作者: あいしぇいと
第三章 遠征
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第二十四話 「棘路の山岳①」

 

「ねぇ兄貴ぃ……やっぱりここへ逃げ込むのは間違ってたんじゃないかなぁ」


 太い眉毛を垂らし今にも泣きそうな顔で気弱な青年はすがりついた。

 すがりつかれた兄貴分である男は精一杯胸を張っているものの、額に浮かぶ冷や汗が焦燥を隠せないでいる。


 彼らはここ一週間以上、ある存在から逃げていた。


「しょうがねえだろ……。どこの町にも世界政府の衛兵がいるんだぜ? 顔も割れてるんだ。ここしか逃げ場はなかったんだよ」


 そう、世界政府。

 彼らも犯罪者というレッテルを貼られてしまった大罪因子持ちなのである。


「でもこれじゃあ……」


 気弱な青年は表情を青ざめさせながら、目の前の光景に震えていた。


 そこは、烏の巣。

 カラスたちは目を赤く光らせ、逃げ込んできた――否、迷い込んできた獲物を睨んでいた。


 そこは、棘路の山岳における入り口部分。

 一部の抜け道を除いて、ほとんどは断崖絶壁と化しているこの地形では、自然とこの場所へ迷い込んでしまう。

 烏達は狡猾にもそこに巣をつくり、獲物を待ち伏せしているのだ。


「所詮カラスじゃねえか……ちょっと気味悪いが……走り抜ければ問題ないだろ」

「ちょっ、兄貴! まってよぉ!」


 兄貴分が一歩先に駆け出し、すがるものがなくなった男は涙をこぼして背中を追った。

 走り出した獲物たちを追おうとするでもなく、烏達はそれぞれの枝から動かない。


 その先に仕掛けられた罠に捕まることを、確信していたからだ。


「うおっ!?」


 先に駆け出した兄貴分は、足元に低く張られた糸に足を引っ掛け、盛大に転倒した。


「あ、あにきっ? っとわっ!」


 無残にも二人とも罠にかかり、烏たちはケタケタと音を出して笑った。


「なんだよコレっ……ねばねばしてとれねぇ!」

「あ、あにきぃ」


 足に絡みついた糸に手こずっている間に、一際大きなカラスが地面へと降り立った。

 赤く光る目で二人を見つめ、ゆっくりと口を開いた。


 カァ。


 攻撃の合図。

 逃げることを許されなくなった獲物を仕留めるため、烏達は一斉に飛び立った。


「や、やめろおおおお!!!」


 男たちは為すすべなくその場で頭を覆った。



「――ハシブトガラス。肉食性が強く、特に脂肪を好む。減量を推奨しよう」



 その場に颯爽と現れた女性は、瞳を大きく見開いた。

 赤い炎のような光が、瞳の奥で揺らめいている。


「『剥奪(ダイヴェスト)』」


 彼女がそう口にした瞬間、揺らめいていた光が一瞬で拡散した。

 すると枝から飛び立った烏達が次々と地面に落下した。

 土の上を苦しそうに暴れ、羽根を必死に動かしている。


「な、なにが……」

「詮索無用。まずはこの場を離れることを推奨する」


 女性は腰を抜かした男たちを軽々と引き上げると、足元に絡んだ糸の存在に気づく。


「ハエトリグモの一種か。この太さにもなると相当の強度だな」


 蜘蛛の糸は、かなりの強度があると言われている。鋼鉄の5倍ほどの強度である。

 計算上では鉛筆の芯ほどの太さがあれば、飛行機すら受け止める。


「しかし粘着性が強いわけではない。落ち着けば取れるはずだ」

「あ、ほんとだよ兄貴!」


 気弱な青年は震える手を必死に動かし、糸を外すことに成功していた。

 数秒して兄貴分の男も自由の身となった。


「この先に開けた場所がある。そこまで駆ければ安全だ」

「お、おう! 恩に着る!」


 女性の指示に男たちはおぼつかない足取りで走り出した。


「カァ……」


 彼女にとって、問題は烏達であった。

 能力を行使することで、一時的に行動を封じることができたものの、烏達はすでに体勢を立て直していた。


 対峙している烏は十匹に満たない。だが決して少なくはない数だった。


 注意すべきはその中の一匹。

 一際大きな体躯を持つそのカラスは、その群れのボスであった。

 そして言うまでも無く、能力を所持した……変異体である。


 カラスは情報伝達能力に秀でている。

 一匹の変異体によるその能力は遺憾なく発揮され、あろうことか他の固体にも能力の伝達を可能にした。

 結果、群れの烏たちは本体ほどでないにしろ、通常の個体以上の能力を所持しているのだ。


「骨が折れるな……」


 稼がなければならないのは、男たちを無事に逃がすまでの時間。

 彼女は一人カラスたちに向き合った。





「はぁっ、はぁっ」


 一足先に巣を抜け出した男たちは、山岳の腹部にある開けた場所に辿りついた。


「ここまでこれば安全だったか……?」


 周囲の木々は消え、鋭く尖った岩肌がところどころで突出している。

 まるで茨のように尖ったそれが”棘路”の所以である。


「あ! いたいた! おーい」

「あん?」


 するとその時、岩場の影に伸びる道から2人の青年が現れてそう声をかけた。

 一命をとりとめたからか、咄嗟に出た言葉は横柄な返事であった。


 兄貴分の男。

 名をダッドという。

 ある街工場で職人をしていた。

 ごくまれに気の弱い者も現れるが、基本的には気の強い曲者の集まる職だった。

 そんな彼らをまとめる兄貴分として、咄嗟に出た言葉が威厳を損なわないためのものだったとしても頷けるだろう。


「君たちも世界政府から逃れてきたんだろう? この奥で逃げ込んできた人が集まってる。なんたって匿ってくれる人がいたんだよ」

「お? 他にもいんのか。ほれみろ、普通はここに逃げ込むんだよ、わかったか」

「さすが兄貴っす!」


 心なしか勇気を取り戻した子分を差し置き、会話は続けられた。


「そりゃ驚いたな。他に何人来ているんだ?」

「僕ら2人を含めて5人。君らが6人目と7人目さ」

「けっこーきてんだな」


 ダッドは心底驚いた。

 山岳の入り口の烏の巣。

 あそこを自力で抜けられた人間として考えれば、あまりにも多いからだ。


 彼は知らなかったが、山岳には抜け道が存在する。

 かの酒場のマスターが水を汲みに利用していた道である。

 そちらは比較的安全に山岳へと入ることが可能であった。


「んで、匿ってくれる人ってのは?」

「アルギエバっていう人なんだけど、それがすごいんだよ! 会って話を聞けばわかるさ!」

「ああ、あれはすげえ。俺達にも似たようなことができるかもしれないんだろ……わくわくするぜ」

「へぇ……」


 悪くない話かもしれない、ダッドはそう思った。

 現れた2人の興奮具合が、その先で待つアルギエバという人に興味を持たせたのだ。

 そもそもダッドと子分が求めていたのはまずは身の安全。

 かくまってくれる存在というだけで、それ以上にありがたい話はない。


「案内するよ。とにかく疲れていることだろう」

「あ、でもアルギエバさんは3人いるはずって言ってなかったか?」

「そうだった! 君らは知らないかい? もう1人誰か見かけなかった?」


 3人いるはず?

 なぜそんなことがわかる?

 そんな疑問こそ浮かんだが、その疑問はもう1人と聞いたときに上塗りされた。

 颯爽と現れた女性の姿が鮮明に思い起こされたからだ。


 彼女はどうしていることだろう。

 軽口こそ言われたものの、生命の恩人である。

 恩義に厚いダッドはもう1度会って礼が言いたかった。


「あっ、さっき森の方で女の人見ましたよ! 僕らをかばってその場に残って……その後は……」


 思いを巡らせている最中、子分がそう述べる。

 ダッドは眉間にしわを寄せながらも、同調して頷いた。


「森の方は危険だからもしかしたらたどり着けないかもしれないとも言ってたよな……2人は助かったってことじゃないか?」

「となると……とりあえず2人を連れていけばいいのかな」

「そうするか。もし助かっててもまた“感知”して下さるだろう」


 ……よく分からないままだったが、ダッドたちはとりあえずアルギエバという人の元へ案内されることになった。


 ――これから彼の身に悲劇が起こるのであるが、知る由もないのである。





「2人、か」


 ダッドたちが案内されるがまま到着した場所は大きく削れた洞穴のような場所だった。

 実際には一際大きいトゲ状の岩石に入った亀裂であるが、遠目から見ない限りわからない話である。

 その空間の奥の岩に腰掛けていた大男は彼らの帰還を見てそう呟いた。


(あの大男がアルギエバという人だろうか? どこかで見覚えがある気がするが……きのせいか?)


 ダッドは少し緊張した面持ちで思う。



「3人目は例の森の中で感知されています。動きがないところを見るとおそらく……」

「ふむ」


 傍に仕えていた様子の女性が額に手をやりながらそう述べた。

 ダッドはその意味を悟り、大きな悲しみを覚えた。


「よし」


 ゆっくりと立ち上がった大男、アルギエバは集まった逃亡者たちに向き合うとゆっくりと口を開いた。


「今来た奴もいることだ。最初から話すとしようか」


 ダッドはごくりと喉を鳴らした。

 世界政府に追われる身となってからの、唯一の希望。

 それに対する期待もあったが、それよりも大きな要因があった。


 この大男。

 数々のとがった若者を束ね、商売敵との修羅場も越えてきた彼からしても、その男の体躯には恐れるしかなかった。

 目測で2メートル。いや、それに加えて40センチは高いだろう。


「私の名はアルギエバ。わけあってこの山岳で暮らしている。世界政府から追われる身としては、君たちと変わらない。私も奴らの言う、犯罪者の一角である」


 アルギエバは片腕を広げると、その大きな手のひらを握り締めて続けた。


「しかしひとつ違うとすれば……我々は世界政府が必死に隠蔽している事実を知っていることだ」


 ダッドはもう一度唾を飲み込んだ。


「見せたほうが早いだろう。どれ」


 アルギエバは逃亡者たちに背を向けると、脇からそびえ立っていた大きな岩の真下に移動した。

 真上に腕を伸ばすと、手のひらをその岩に押し当てた。


「我々には異能の力がある!」


 アルギエバがそう叫んだ瞬間、彼の瞳は炎を髣髴とさせる明るい橙に輝いた。


「なっ」


 ダッドはそう零さずには居られなかった。

 なぜならその直後、大男の数倍はあるその岩に大きな亀裂が走ったのだ。

 拳を撃ち抜いたわけでもなく、ただ触れただけで、だ。


 巨大な岩は崩れ去り、大量の砂埃が舞った。


「あ、兄貴ィ! あの人、瓦礫の下敷きに……」

「あぁ、ありゃあやべえ。あの体格でもあの量の瓦礫が降り注いだらイチコロだろうな……」


 普通なら、と心の中で付け加える。

 ダッドには確信があった。彼はねらってやった……あえて普通ではない光景を見せることで、その”異能”を表現したに違いないことを。


「何度見てもすげえ……」

「ああ、この力が……」


 砂埃が散りきらぬ間に、逃亡者たちは歓喜していた。


「そう、この力こそ、我々のもつ大罪因子の秘めたる力!」


 その言葉と共に、アルギエバは瓦礫をかきわけてどすん、と力強い一歩を踏み出した。

 数多の瓦礫が降り注いだというのに、その肌には傷一つついていなかった。


「世界政府はこの異能の存在を秘匿するために、大罪因子の所持者を捕らえる政策を出したのだ。その後の顛末は記憶に新しいだろう」


 ダッドはそれを聞いて頷いた。

 誰が聞いても、突拍子も無い政策といわざるを得ない。

 だが異能を目の当たりにしてしまった今、それを秘匿せんとする政府の動機には納得せずにいられなかった。


「世界政府は君たちを追い、この山岳までやってくるだろう……どうだ、私と共に世界政府に一泡吹かせてみないか?」


 世界政府には幾度と無く辛酸を舐めされられた。

 あの日以降、彼らは神経を常にすりへらしながら生きてきたのだ。


 だが、あの異能の力さえあれば。

 自分たちにそんな力が秘められているというのであれば……。


 ダッドを含めた逃亡者たちは、一斉に頷いた。



 ――これはエルたちが棘路の山岳に足を踏み入れる、数時間前の話である。







「まさに変人だな」


 グリドは屋台で注文した牛串をほおばりながら呟いた。


 世界政府がなにやら人を追っている。

 現在犯罪者隔離政策の大詰めという段階で、それをそっちぬけでやっているとするのならば、かなり重要な人間だ。


 そんな人間がこの町にいるのだろうか、という話だが、

 俺たちは酒場で”誰かに追われている”人を見かけたのだ。


 そいつはもう変人としか言いようのない奴で、

 氷を食わないと生きていけないわ、

 喜怒哀楽ははっきりせず一人で暴走するわ、

 挙句にすっとんだ理論を口にする始末。


 あんな謎の人間を追うだなんて、と思う反面、

 普通ではないからこその何かを秘めていて、世界政府はそれに目をつけているのではないか、なんて思ってしまったのだ。


 まさかとは思うが、一応酒場でどんなことがあったのかをグリドたちに説明しながら、棘路の山岳へ向かっているところだ。


「ほむほむ……ごくん。う~~~~ん! おいしい!」


 隣を走るロズは大量の串焼きを両手に万遍の笑みを浮かべている。


 政府軍の人数が増えてきたということで、俺たちはあのあとすぐに町を出ることにした。

 本当であれば腰を据えて食事でも作戦を練りたかったところだが、目をつけられてしまっては元も子もない。

 かといって栄養補給をしなければ、何があるかわからないこの先を乗り越えられない。


 運のいいことに、ここは酒で有名な町。

 酒には肴がつきもの。

 ということで多くの屋台が並んでいたのだ。

 そこで食料を購入し、食べながら移動、というカタチをとっている。


「でも、やっぱりおつまみって感じだよね! お酒が飲みたくなるなぁ」


 ロズがそう呟いた瞬間、周囲の温度が少し下がった気がした。

 テラが言っていた、ロズにお酒はNG。

 これがどういう意味なのかわからないが、彼女の口からお酒を飲みたいというワードが出た瞬間、あからさまにテラは警戒の色を強めたのだ。


「おいおい、これから仕事だぜ……?」


 グリドも同様だったようで、ロズを諌めるようにそう口にした。


「えーっ! だってエル君もテラも飲んできたらしいじゃん! あたしものみたいー! ねぇエル君、おみやげに一本買ってきてたりしない?」

「申し訳ないけど……」


 実はあまりにもおいしかったので小瓶で酒を購入していたのだが、空気を読んでおく。

 ここでお酒があるだなんて言ってしまうと、彼女は飲むといって聞かないだろう。


「ぶー、なんかみんなあたしがお酒のみたいって言うと態度変わるよね」

「みんなロズの肝臓をいたわっているんだよ」

「なにそれ! あはは」


 ロズはそれとなく周りの反応を気にしているようだが、そこはテラがごまかした。

 なんだろう、暴れたりするのかな……本人に自覚がなさそうだから、かなり面倒そうだ。


 今後も気をつけるようにしよう。うむ。





 20分ほど走っただろうか。

 走ったといっても人並みの速度である。

 俺たちは棘路の山岳の入り口に来ていた。


 リカリスの町の南に伸びる山岳地帯だが、目的地のサンクチュアリは少し東にある。

 そしてベズニットたちが言っていた変異体の巣というのはさらに東に位置する。

 丁度山岳の中心と各地点を結ぶと三角形ができる位置関係だ。


「この塀を越えれば、棘路の山岳だよ」


 いよいよ、か。

 世界政府がなんらかの理由を持って不可侵と定めた土地だ。

 その割には塀こそあれど、特に見張りのような者がいるわけでもない。

 塀自体もそこまで高いわけでもなく、大の大人なら越えられてしまうだろう。


「この先が調査区域だったか?」

「うん、少し先に進んだところからだね」


 グリドの質問に、テラがすっと答える。


 ベズニットの件があるから、目的を見失いがちだが、

 あくまでもこれは遠征の一環である。

 世界政府から追われている大罪因子持ちがこの区域に逃げ込んでいないかを調査する必要があるのだ。


「ここからなら届きそう?」

「あー多分な」


 届く? 何が?

 そう口にするや否や、グリドは自らの額に手を添えて目を閉じた。


「えっと……これは?」


 おそるおそるテラに聞いてみる。


「感知だよ。グリドは大罪因子の所在が把握できる”感知者(シーカー)”なのさ。言ってなかったっけ」

「まじかよ。初耳」


 感知者(シーカー)ってのは自分の周囲に存在する大罪因子をなんらかの感覚で把握できる特殊な覚醒者のことだ。

 遠征には不可欠であり、この能力をもってして反応がなければ、その地域は調査完了となる。

 ベズニットが帰還したのも、この感知者(シーカー)が負傷したからである。


 まさかうちの部隊の感知者(シーカー)はグリドだったとは。考えてもいなかった。


「ちっ、やっぱりだ。うじゃうじゃいやがる」

「どれくらい?」

「正確な数はわかんねーが、10はある」

「わお」


 大罪因子を持つ者が、10人!?

 それだけの数の覚醒者がいるというのか。

 ……いや、覚醒しているとは限らないか。

 ただ所持しているだけの人も多いわけだからな。


「にしても、ちょっと異常な数だね。変異体はひっかからないんだよね」

「ああ、俺の場合は人間のみが感知される」


 大罪因子を持った動物……変異体というのもあるが、グリドの感知ではそれはわからないらしい。

 裏を返せば、覚醒者もしくは覚醒者になりうる人間が少なくとも10人、この先にいるというのだ。


「その中の一人が、きっとネイヴィだよ。早く助けないと!」


 ロズは拳を握り締め、塀を見上げた。

 ネイヴィの救出。彼女がいまどういう状況かわからないが、まずこの先にいると考えていいだろう。

 ベズニット隊が進めなかったこの先に、俺たちはなんとしても進まなければいけない。



「おそらくすぐに変異体の巣がある。交戦の準備をしておいて」


 ベズニット隊が負傷するきっかけとなった変異体の巣。

 話によれば入り口付近ということだ。

 間違いなく通ることになるだろう。


 あのネコ一匹でかなり苦戦した。

 ”巣”ともなれば、一匹ではすまないことだろう。

 他の3人が遅れを取ることはないだろうけど、俺が負傷してしまうのだけは避けたい。


「じゃ、いくよ!」


 おれは唾をごくりと飲み込みながら、塀に手をかけた。





「おかしい」


 塀を越えてすぐにグリドが呟いた。


「生物の気配がねえ。本当にここに変異体の巣があるのか? あの野郎遠征がいやになって嘘を言ったわけじゃねえだろうな」


 言われて見ればあまりにも静かだった。

 俺には生物の気配を察知する力などないが、それでも覚悟を決めていたわりには何も無さすぎる。


「いや。みんな、コレを見て」


 その時、テラは足元から何かを拾い上げ、俺たちに見せた。


「……カラスの羽根?」


 首をかしげるロズ。

 烏か。ということは、この森には烏が生息しているということになる。


「間違いないな、ベズニットの言っていた変異体ってのはコイツだ。通常の固体より一回り体がでかい。羽根を見ればわかる」

「ということは、この先に烏の巣が? 待ち伏せでもしてるのか」


 確かに見てみると、その羽根は異様に大きかった。

 種類にもよるのかもしれないが、一般的な烏とはかけ離れたサイズだった。

 その羽根が落ちているということは、おそらく居るのだ。

 気配がないということは、居ないのではなく、消している……つまり、待ち伏せをしていると考えられる。


「カラスは狡猾な手段を用いて獲物を狩る。それも考えられるね。気をつけて進もう」


 テラの指示に俺たちは頷いて歩を進めた。



「っと、伏せろ」


 先頭を歩んでいたグリドが声を上げた。

 緊張していた俺はびくりと体を跳ね上げさせながら、すぐ傍の木に身を隠した。


 するとすぐに二人の男が走ってくるのが見えた。

 尋常じゃない汗だ。かなりの距離を走ったのか、それとも精神的に追い詰められているのか。


「ああ、くそっ、あの女の人ならなんとかできるかもって思ったのに!」

「ほ、本当にそんな人がいたんですか……?」


 後ろを追いかけるようについてきたのは少年だった。

 まだかなり青臭い感じが残っている。こんなところで子どもに会うとは。


「ぜ、絶対にいたんだ。兄貴とオラがカラスに殺されそうになったところで颯爽と現れて……きっと、あの人も異能を持つ人なんだよ」

「あの、異能を……。でも見つけられなかったら……」


 異能?

 聞き覚えの無いワードだったが、おそらく覚醒者の用いる能力のことだろうか。

 話を読むに、彼はここへ一度来て、カラス……おそらく変異体に襲われた。

 そこに覚醒者の女性が現れて、助けてくれたって感じか。


「ああ、いやだいやだいやだ、このままじゃ兄貴が……くそう、あにきぃ、あにきぃ」


 男はその場に崩れ落ちた。

 一層汗が噴出し始め、明らかに異常な状況だった。



「まずいな……」


 ぼそり、とグリドが呟く。


「あの男、まず大罪因子を持ってる。だが明らかに動揺している」

「走ってきた方で何かあったってことか」

「それもそうだが、もっとまずい状況だ」


 もっとまずい状況?


「お前なら知っているだろう……大罪因子を持つ人間が、精神的に追い詰められ、理性を失ったらどうなるか」


 ……!

 思い出した。

 極度のストレスによって気が狂った挙句、異形の怪物へと成り果てた、あの女性の姿を。


 そう、これはまさに今、理性を失った人間が、大罪因子に呑まれようとしているのだ。

 なんとか心の整理をし、理性を保つことができればなんとかなるが……。


「兄貴ぃ……あにっ、おごっ、あが」


 ――めきょ。


 聞くに堪えない音が、鳴った。


「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 希望もむなしく、男は鼓膜を突き破らんとする甲高い声を放ちながら、憑依体と化した。


「ひ、ひっ」


 すぐ傍に立っていた少年は腰を抜かし、その場に倒れこんでしまった。

 まずい、ここからでは間に合わない――。




「皮肉。身を挺して守った存在を、己が手で屠ることになろうとは」




 気づけばそこには、崩壊していく憑依体が。

 そして、目に赤黒い光を宿す、凛とした女性が立っていた。




 これが、俺のネイヴィとの出会い。

 そして、これから待つ地獄の始まりだった。

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