第二十話 「傲慢が傲慢たる能力」
エルが両腕に傲慢たる白い光を纏った時、ギガは上機嫌な様子でモニターを見つめていた。
モニターには先刻までゴミ扱いをしていた少年と、幾許もの研究を経て誕生したネコの変異体が映っている。
「見ろよこいつを! ガハハッ傑作だ。本当に中級解放までやりやがった! 一週間前まで初級の初の字もわからなかったあの坊主がだぞ!?」
ギガは同じくしてモニターを見ている研究員の肩をバンバンと叩き盛大に笑った。
「支部長、痛いです」
「こまけぇことは気にすんな! 俺は今機嫌がいいんだ!」
「私の都合は無視ですか……はぁ」
彼がこうも上機嫌なのは言うまでもなく、親友シンの息子であるエルの成長っぷりが常軌を逸しているからである。
もちろんそれは血筋によるものだと彼は踏んでいた。
革命軍頭領のシン=オールドクライムは全盛期こそすぎたものの、未だに他の追随を許さぬ実力を誇る人物だった。
若かりし頃からの仲だったギガだからこそ知ることだが、シンがその力を身につけた時は齢24。
成人を近くして初めて覚醒者になったことを考えると、あまりにも早熟であった。
ギガがシンから息子の情報を受け取ったのは、今から十年以上前になる。
かなり前のように思えるが、実際にはそうではない。
シンに息子が生まれていたことをその時まで知らなかったのだ。
それどころか、結婚して妻を娶っていたことすらもだ。
流石の彼もその時は混乱し、なぜ知らせなかったのかと親友を責めもしたが、そこからはビジネスの話だった。
息子であるフィエルテ=オールドクライムは、将来的に革命軍の中心的人物にまで登りつめる。
その確信があると、シンに告げられたからだ。
本格的に革命軍の活動をはじめるその時期に、息子の扱いをどうするか。シンは困っていたのだ。
それは、息子がちゃんと覚醒するまで決して油断はできないということが原因だ。
……というのも先述した通り、大罪因子を持つ人間が覚醒者となるのは成人する頃が多い。
というより、それ以降と言った方が正しい。
肉体的にも精神的にも、ある程度完成しなければ覚醒者となることができないからだ。
もし器が完成していない状態で理性が飛び、大罪因子のコントロールを失ってしまうとどうなるか。
答えは単純である。憑依者、すなわち化物となるのだ。
つまりまだ幼かったエルは化物となってしまう可能性を秘めていたのだ。
戦力として迎えるためには、まず安全に育て、成人させる必要があったのだ。
母親の存在があるとは言え、父親は理由もわからず家を空けるような人間である。
シンはコミュニケーションをとる方ではあったが、それだけ家を明けることになれば、一般的な片親の家庭と大差は無いだろう。
思春期にでもなれば、精神も不安定になる。母親にも相談できない悩みも出てくることだろう。
一抹の不安を感じたシンは、そこで初めてギガに相談をすることとなったのだ。
(あれからテラを監視役……もといパートナーとしてつけ、共に生活していくよう仕向けた。が、やはり正解だったなぁ。器がしっかりと完成していなければ、この短期間でここまでの覚醒者になることはなかっただろう)
キガの知る限りのデータでは瞑想を経て覚醒者としての自覚をしてから、初級解放をマスターするのには早くとも2ヶ月を要する。
それをたったの1週間そこらでやってのけたばかりか、更に一つ上の中級解放を行使しているのだ。
これはいくらあのシンの血筋だとはいえあまりにも早熟すぎる。
しかしギガはそれを気に留めることもなく微笑んでいた。
テラを監視役としてつけさせたのも、本来遠征部隊所属であるグリドに諜報活動を命じたのも。
ここへ少年が運ばれてからの挑発も、与えた試練も、何もかもが。
全てはこの少年を戦力として迎え入れるため。そして世界政府との拮抗した戦いに終止符を打つため。
……その数々の策謀の果てにこうして少年が予想を上回る成果を見せつけた。愉快で仕方ないのも頷ける。
執務室に現れた少年の表情を見たとき、その変化に思わず笑ってしまったのはそれだった。
無論、悟られるわけにもいかずギガは持ち前の役者ぶりを見せて誤魔化した。
奇しくもそれがエルの心の炎に油を注いでいたわけだが。
「にしても、見事なものですね。傲慢の光ですか、初めて視認しましたよ」
「あぁ、俺もシンのやつしか見たことがねぇ。絶対数が少ないんだ。傲慢の覚醒者はな」
それゆえに研究者は貴重な変異体を惜しみなく提供した。
傲慢の覚醒者のデータは喉から手が出るほど欲しいからだ。
「さぁ、死んでくれるなよ? 傲慢たるおめーがネコ如きにやられるわけねーよなぁ?」
……変異体には、まだまだ隠された能力が備わっている。
ギガはこの少年がそれら全てを跳ね除けてここから出てくることを期待していた。
-----------------------------------------------------------------------------------------
「実験につきあってもらうぜ?」
……なんて口にしてみたはいいけれども、この発現した能力が戦闘向きで無かったのであれば為すすべもなくやられてしまうだろう。
それは非常に都合が悪いな。
この俺がネコ如きに殺されるなんてあってはならないことだからだ。
よく考えても見ろ。
殺されてたまるもんか、という意思に反応してリルーネは力を貸してくれたわけだ。これがこのネコをなんとかできないはずがない。
皮膚硬化と肉体強化だけ怠らずに戦えば、致命傷だけは避けられる。
ならばこの両腕の光にどんな能力が秘められているのか試す機会は用意できるはずだ。
「ミャーーーーーーオ!」
「お? 来るか?」
ネコは威嚇の姿勢から再び大きく跳躍した。
……この跳躍が厄介である。1度宙に跳んでしまえば、そこに重力が加わることになる。切れ味のいい爪もあるが、どちらかというとネコとは思えないその質量こそ問題なのだ。
だが良く考えればその理屈には違和感がある。
落下する時の重力を生かした攻撃だと述べたが、そもそもその重力を生み出すためには位置エネルギーが必要だ。
簡単に言えば、高い位置に移動しなければ、重力もかからないということである。
このネコは恐るべき脚力で、その重い体を高い位置まで運んだ……だから存分に重力を体に受け、その力を爪に乗せることができるのだ。
ならば、だ。
なぜその脚力を攻撃に用いないのか?
俺は跳んで来る見上げながら思案した。
脳が活性化しているからか、この短い瞬間の割には頭が回る回る。
何も走馬灯なんて話じゃないぜ?
過去を振り返ってもいないし、そもそも俺はこんなところで死なない。
ひとつの仮説がある。
この変異体は、あくまで”ネコ”であるということだ。
脳のリミッターを解除し、かなりの身体能力を得てはいるが、それを生かす技術を持っていないのではないか。
つまりコイツは”跳び上がって引っかく”というスキルを持っているだけで、他の戦い方を知らないという仮説だ。
いくら脳の力を引き出しているとはいえ、ネコはネコなのだ。本能に基づいた行動しかできないのではないか?
したがって、バカの一つ覚えなわけだ。
あくまでも仮説だが、跳び上がったネコの取る行動はただひとつ。
……爪を出して引っかくことのみ!
「つーことでっ」
俺はネコが落下を始めた瞬間体をすばやくスライドさせて落下地点からずれる。
先ほどはここで蹴りをお見舞いしてやったが、どうやらそれは有効打ではなさそうだ。
ならば試すことはひとつのみ。
「くらえっ」
重力に身を任せ身動きを取れなくなったネコに正対して、思い切り拳を打ち抜いた。
――ピキィィン
白い光を纏った拳はネコの体に直撃し、甲高い音を放つ。そのままネコは吹き飛んで壁に激突した。
「!?」
驚いたのは自分だった。
ネコが吹き飛んだ。
いや、勢いよく殴ったんだから吹き飛ぶのはわかる。
しかし、さっき蹴ってもびくりともしなかったんだぞ?
数十キロある物体に拳を振りぬいて、吹き飛ばすことなんてできるのか? しかもかなりの勢いで、だ。
その証拠にネコはぶつかった衝撃でぐったりと床に倒れこんだ。
「一体、どういう力なんだ? これは?」
単純なパワータイプ? 驚異的なパンチ力を得た?
いやいや、身体強化ってのは覚醒者共通の能力であって、大罪因子の属性によるものではないはずだ。
しかし今起きたことにおいて、しっくりくる解答が見つからない。
くそ、結局よくわからなかったな。
もういっそ瞑想してリルーネに聞いたほうがいいかもしれない。
……いや、継承は済ませたんだから、彼女が知っていて俺が知らないことはないのか?
もっと色々試してみる必要がありそうだな。
ネコはぐったりしてしまったし、死んでしまったかもしれない。
少し心が痛むが、致し方ないことだ。
しかし、処分できたんだから、支部長は俺をここから出してくれてもいいだろうに。
俺はそっとシェルターに手を触れた。
未だにそれはシンと佇んでいて、俺を出すつもりは毛頭ないという感じだ。
「あのー? 支部長? 聞こえてます? 終わりましたよ?」
だめもとで声を出してみるが、反応は無い。
まだ何かやる必要があるということか?
そう考えた瞬間、ぞくりと背筋が凍った。
俺は即座に振り向き、ソレを視認した。
「おいおいおいおいおいおい」
ソレ……”ネコだったモノ”は奇妙な音を出しながら姿を変えていく。
ボコボコと体中から気泡のようなものを発生させ、それは瘴気となって室内に充満していく。
「やべーぞこれ。明らかに吸ったらアウトなやつだろ。よりにもよってここは密室だぞ?」
そうこうしている間に、瘴気はあっという間に広がりきり、俺は呼吸を止めざるを得なくなった。
口を力強く結びながら、”ネコだったモノ”を見つめた。
「オロロロロ……」
それはまさに化物だった。モンスター。
口のような構造から先ほどの瘴気が溢れ出し、目は深い青色に光っている。
まるで以前見た、憑依体のようだ。
すでにネコの体は為しておらず、かろうじて四足歩行であることがわかるくらいだ。
「オロニャァー」
化物は気色の悪い声を出すと、俺に向かって走り出した。
やばいやばいやばい。
動きは早くないが、どんな攻撃をしてくるか見当もつかない。
なにより呼吸を止めている状態で満足に動けるわけがない。
もって数十秒だ。その限られた時間でこの化物を倒さなければいけない。
俺はとっさに腕を交差し、迫ってくる化物を攻撃を防ごうとした。
そこである違和感に気づく。
(う、動きが……)
俺は腕を持ち上げ、交差をさせたはずだ。
しかし現実はそうではなく、腕は明らかにゆっくりと、遅れて動き始めたのだ。
「がはっ!」
不十分な防御のまま、俺は化物の体当たりを食らった。
かなりの衝撃に背後のシェルターに全身を打ちつけ、勢いよく血を吐き出した。
「くそっ」
俺はとにかくこの化物を引き剥がそうと、腕を力強く解いた。
――ピキィン!
動きは緩慢だったが、再び甲高い音が鳴ったと思うと化物はすさまじいスピードで吹き飛び、正面の壁に衝突した。
「し、しまった……」
化物を退けたはいいが、いまの攻防で息を吸ってしまったのだ。
これが猛毒ならば、俺の命は無いといっていいだろう。
しかし即効性が無いのかわからないが、数秒経っても俺の体に変化は見られなかった。
それどころか、先ほどまで重かった体も元に戻っている。
部屋に充満していた瘴気は霧散して消えていった。
「これは……そういうことか?」
先ほどの動きが緩慢になる現象には覚えがあった。
あれはグリドが見せた”怠惰”の能力。
グリドの目が青く光ったと思うと、ロズの攻撃が急激に速度を落としたのだ。
あれはおそらくある空間内の速度を緩めることが出来る能力だ。
ある速度を持つ物体は急激に減速する。
動かそうとした腕がいうことをきかなかったことから、加速度も減少するようだ。
そしてこの怠惰の能力の効果範囲だが、無限ではないだろう。
このネコにとっては、この瘴気の内側なのかもしれない。
現にこの瘴気が消えた今、俺の体に異変は感じられない。
吸い込んだとしても変化は無かったのだから、吸う吸わない関係なしに、その能力の効果範囲を決定付けているのかもしれない。
おそらくグリドも似たような手段で効果範囲を設定していたはずだ。
ある程度の距離を置いて観戦していた俺でさえ、体の重さを感じたぐらいだから、かなり広いと推測される。
そもそもあそこはグリドの脳内だったわけで、効果範囲なんてあってないようなものかもしれないな。
ここまで考えて仮説2。
変異体は中級解放まで行える。
中級解放の項目はざっくりと言って二つ。
肉体変化と初級能力解放。
肉体変化ってのは見ての通りだと思うし、
先述した現象が”怠惰”の初級能力であると考えれば合点がいく。
仮説3。
そして、ここから先は俺の能力の話。
今俺の指先から肩までは白い光に覆われて輝いている。
紋章のようなものも走っていて、これが初級能力解放の状態と言える。
この状態で拳を握り、パンチを打ち込むと、甲高い音が発生する。
パンチに限らず、この腕で何かをすると、能力が発動するようだ。
先ほどシェルターに手を触れてみたが、その時は何も発生しなかったので、条件があるであろうことはわかった。
肝心なのは、甲高い音が鳴った時何が起きるのか。
つまり、この能力の正体だ。
俺のこの”傲慢”の能力は、かなり都合のいいようにできている。
辿りついたのは”現象を打ち消す”という能力。
なにが都合がいいかって言うと、さっきの攻防を例に挙げてみればわかる。
俺はこのネコにかかる重力が厄介だと思った。
重力は爪の威力にも加わるし、蹴っても吹き飛ばないわけだから防御の面でも役立っている。
だが俺がこの拳でネコを捕らえたとき、ソレは無かったことになったのだ。
――そう、重力を打ち消した。
重力というのも、元はと言えば地球があらゆるものをひきつけようとするひとつの現象だ。
それを俺の能力は打ち消した。
そして下方向の力を失ったネコは、そのまま等速直線運動を描き壁に激突した。
さらに、だ。
俺の能力はあろうことか”怠惰”の能力まで打ち消したのではないだろうか。
寸前まで加速度を失った腕だったが、変異体に触れ、吹き飛ばした瞬間に発動音が響いた。
そして俺の体は自由を取り戻し、変異体を吹き飛んで能力は解除された。
「くっくっく」
思わず笑みがこぼれる。
まさかそこまで都合のいいように出来てはいないだろうが、事実この能力は俺の不都合を全て解決してくれた。
攻撃が通らないという不都合も、体が自由に動かないという不都合も、全てかき消してくれた。
いかにも傲慢らしい能力じゃないか。
己が己であるために、不都合という不都合は無視しようってんだからな。
「さて」
ひとつ反省しなければならない。
俺は大事なことを忘れていたんだ。
俺が言い渡されたのは、たった一つ。
このネコを、処分しろ、だ。
俺はネコがぐったりしたのを見てあからさまに油断をし、あろうことか背を向けて不意打ちをくらった。
もし変異体の変化に正対していれば、瘴気の発生に逸早く反応し、能力を受けることなく対処できたかもしれないのだ。
だから、次は無い。
俺はゆっくりと床に転がった変異体を見下ろした。
もうネコとは思えない、グロテスクな見た目だ。
俺の能力を受け、もろに壁に激突したせいか、苦しそうにもがいている。
だが、息があるのだ。
「じゃあな」
俺がやるべきことは、処分。
グリドが憑依体を処分した時を思い出せ。
彼は、あのペレを真っ二つに割ったんだ。
そう、”脳をねらった”んだ。
――グシャッ!
俺は精一杯の力を込めて、拳を打ちつけた。
「もっと可愛い見た目のままなら、俺も躊躇してたかもしれねーのに……裏目に出たな」
その言葉を吐き終えるよりも先に、変異体は塵となって消え去った。
『がはははははっ! 上出来だ! エル坊! お前は予想以上に成長した!!』
ふぅ、と一息つくや否や、部屋のどこからか支部長の声が響いた。
「なんだ、聞こえてたんすか……」
『細けぇ話は気にするな! 俺ぁすこぶる機嫌がいい。さぁ外に出てきて会話を楽しもう!』
手のひら返しにもほどがあるぜ、ギガのおっさん。
あんたはさっきまで俺を使えないゴミだと罵ってきたんだからさ。
ま、それでも俺も機嫌は悪くない。
なんたって支部長の挑発があって、試練があってここまで来れたんだ。
きっと、俺の傲慢な部分を刺激してくれていなかったら、こうはなっていなかっただろう。
どこまでが計算なのかは知らないが……ま、そこんところ詳しく聞かせてもらおうかな。
……少なくとも、使えないゴミだとは言われないだろうしな。
「貴重なデータが取れました……」
支部長のとなりで作業をする研究員は、顔を赤らめてほくほくしていた。
話によると、傲慢の覚醒者ってのは数が少ないらしく、この支部においては俺を除いて一人もいないという。
なので研究が最も進んでいない属性であり、まだまだ未知数な点が多いとのことだ。
「で、おめーはその能力をどう見てる?」
先ほどからにやつきっぱなしの支部長が聞いてくる。
シェルターを開けてもらい外に出てからは、散々俺の背中を叩いては喜びを露にしていた。
やはり今までの全てが演技であったらしく、俺を焚き付けるためにやったことだそうだ。
アトリエルさんからもそう言われていたことだし、それで支部長を嫌ったりはしない。
むしろ、あの手の挑発にまんまと乗ってしまった自分に恥ずかしさを覚えすらする。
「俺の能力ですか? ずいぶん都合のいいものだなぁとは解釈してますけど」
「都合がいい、か。そうだな、まさにそう表現するのに値するな」
支部長は蓄えているあごひげを指先でいじりながら続けた。
「シンも似たような能力を行使していた。あいつぁもっと大胆だったがな。まず宙に浮いてる」
「……は? 浮いてるんですか!?」
どこのラスボスだよ。
「どうなってんのかはしらねえが、とにかく都合が悪いと思ったものはことごとく消えていく。現に俺はあいつの心が読めねえ」
「支部長の能力が通じないってことですか? それすらも都合が悪いから消してしまっていると」
「だろうな。いけすかねぇヤツだ。まぁそれが俺らの大ボスだってんだから、心強いもんだが」
思ったよりも俺の親父はすごい人物らしい。
俺の幼少期からの記憶ではその片鱗すら見せなかった。
普通のいい父親だった。
「お前もその血を引いてるんだ、エル坊。鍛えればあの域まで行けると信じてるぜぇ」
「は、はい」
手のひらを返したように信じられても違和感しかないよ、おっさん。
「ま、これでお前も正式に遠征部隊の仲間入りだ。配属はテラ隊で問題ないな」
「もちろんです、感謝します」
「ここまでさせたんだ、感謝なんていらねえよ。むしろあいつらに感謝するんだな」
確かに。
支部長の挑発に燃えて乗り越えてきたように言ってたが、それだけじゃない。
テラを初めとした、多くの仲間たちの協力があって今の俺が居るんだ。
感謝してもしたりないくらいだ。
「どーせお前はまだまだあいつらに世話になるはずだ。ネコ一匹殺す力はあっても、覚醒者としてはまだひよっこだ」
「そうですね……早く遠征の経験を積んで、義理を返したいです」
「がっはっは、よく言うぜ。おめーは遠征の恐ろしさをしらねーからな」
事実だ。
触りだけは聞いているが、具体的にどんなことをするかのイメージは無い。
世界政府とどのように対峙していくのか……憑依者や必要悪とのこともある。
「失礼します、支部長」
突然、研究室に一人の女性が入ってきた。
見た感じ若いが、アトリエルさんに近い秘書的な存在だろうか。
そういえば、執務室の片隅にこんな顔の女性が居たような居なかったような。
「急遽、ベズニット隊が帰還しました。その報告も含めて、昼の集会に向けた会議をしなければなりません」
「ちっ、こりゃあ悪い知らせだな。今夜は荒れるぜ、エル坊」
「ちょ、どういうことですか!?」
支部長は乱暴に席を立ち、踵を返した。
「わりーが詳しく話している暇はねぇ。正午に集会がある。そこで知れ」
「え」
俺の返答を待つでもなく、支部長は研究室を後にした。
こういうときに話の筋が読めないのが俺の欠点だな。
”色欲”の能力でも使えれば、都合がいいんだが。
俺はひとまずテラたちの元に戻ろうと、その場を後にした。
仲間たちに試練を乗り越えたことを報告すると共に、感謝しないとな。
長い階段を上り、しばらく廊下を歩いていくと応接間と繋がっている。
俺は何かに急かされるように小走りでそこへ向かった。
「おかえり、エル」
テラはにこやかに俺を迎えてくれた。
無意識に感じ取っていたのかもしれない。そこに仲間たちが待っていると。
「ふっ、どうやら認めてもらえたようだな……」
視線を動かすと、ソファーに深く座り込んだグリドが微笑んでいた。
「ぐずっ……」
そして逆方向に視線を戻すと、ロズが立っていた。
……ちょっと様子がおかしい。
「え゛っ……え゛るぐん゛~~~~~~~~」
「うおっ!?」
ロズは涙に顔をぐしゃぐしゃにしながら飛びついてきた。
ネコとは違う、一直線の突進。不可避だった。
もにゅっ。
「心配しだよ゛~~~~~支部長に殺されてしまったらどうじようって……不安で不安で……」
「ちょ、ロズっ」
幸か不幸か、俺は今ロズの腕の中に居る。
レスリング選手驚きの速度を誇るホールドにより俺の両腕はしっかりとロックされ、その上凶悪な兵器を衝突した。
これは降伏を……幸福を余儀なくされたぜ。
「いぎででよがっだ~~~ ぶえええええええええん」
ああ、心地がいい。
女の子の体って本当にやわらかいんだな。
どうやったらこんなにやわらかくなるんだろうか。
「エル、鼻の下伸びてるよ」
ええい、余計なことを言うでない親友よ。
我は幸福を享受しているのである。
最近は自分を追い詰めてきたんだ。
ここらでちょいと褒美があってもいいだろう。
「止めたほうがいいんじゃないか? 場合によってはそろそろだろう」
「あー……」
止めてくれるなよ。
どんな場合においても、邪魔をしてはならぬのだ。
ああ、気持ちいい。
俺を心配してくれて、号泣しているロズには悪いけれど、最高です。
でもちょっと抱きしめる力が強いかな。
覚醒者ってだけあって、力は強いよね、うん。
あんまりぎゅうぎゅうしちゃうと痛いからね、ほどほどにしつつね。
……ん? 痛い?
「んぐぅ!?」
俺の脳が痛覚を思い出した瞬間、意識を占めていた幸せ感覚は一瞬で吹き飛んだ。
「あがががががががががが!!!!!!」
「え、えるくんっ!?」
俺は唐突に襲ってきた激痛に大声で叫んだ。
痛い痛い痛い痛い。
「ロズー、副作用だ。離してやれ」
「あっ、ほんと!? がんばったんだね~エル君っ!」
グリドがそう声をかけると、ロズはぱっと表情を明るくして、俺を解放した。
そして嬉しそうに俺の肩をばんっと叩いた。
「はぅ!?!?」
まるで金的を食らったヤンキーのような声を漏らしながら俺はその場に崩れ去った。
こ、これが中級解放の副作用……筋肉痛ってやつか……。
動けない動けないとは知っていたが、これはしゃれにならないぜ……ぐふっ。
「ロズ、追い討ちだぞそれは。こいつはまだ中級解放したてだぞ? 副作用への耐性もゼロってとこだ。テラは覚えてるか? 最初の筋肉痛」
「ああ、あれは地獄だったね。いやぁ、その状態で肩なんか叩かれたと思うと想像するだけで……うひゃー」
「ひゃ、ひゃあっ、ごめんエル君っ!」
グリドとテラはケタケタと楽しそうに笑っているが、俺は一切笑えない。
というか笑おうものならばその反動でどうなってしまうかわからない。
今は一ミリとて動きたくないし動かしてほしくないレベルだ。
……ふと思い出す。
すまん、テラ。引きずって。
「しばらくはそこに転がしとくか。応接間を使う予定も無いんだろ?」
「そうだね。集会が近くなったら車椅子に乗せて運ぼう」
「うーし。じゃあ夜のこともあるし、俺は寝るぜ。ここのソファーは悪くねえんだ」
よ、夜のこと?
そういえば支部長も今夜は荒れるって言ってたな。
「ん、疑問かい、エル」
俺の心を読み取ったのか、テラはそう口を開いた。
「君はそんな状態で悪いけど、順番だからね。無理にでもついてきてもらうよ」
「あちゃー、そういえばエル君の体調面考えてなかった。まぁグリドがいるし大丈夫かな?」
え? ちょっと。
何が悪いの? 何が大丈夫なの?
冷静に考えよう。
何か抜け落ちている気がする。
今日は何の日だ?
支部長の試練の日だ。
試練の日は何の日だ?
そこまで考えて、思い出した。
「テラの部隊が出発するのは一週間後だ。その時もう一度だけ、確かめてやる」
支部長の台詞。
つまり今日、というか今夜。
テラ隊は遠征に出発する。
……。
えええええええええええええええええええええええええ!?
俺の心休まる時間は用意されていないようだった。
----------------------------------------------------------------------------
第二章 「鍛錬」 完




