第一話 「唐突な旅立ち」
俺をこの世界に引き戻したのはメッセージの受信音だった。
「エル、平気?」
俺はベッドに倒れこんでいたようで、母が顔を覗きこむようにして言った。
「状況は飲み込めた?」
状況。
そうだ、親父が、犯罪者だった。
そしてその遺伝子を継ぐ俺も、犯罪者になったのだ。
まったく実感もない。
ただ、世間で言う犯罪者の定義が変わり、自分がそうなった。
ふぅ、と一息ついて、俺は頷いた。
母はそれを見て口元を緩めて見せると、すっと視界からいなくなった。
俺が体を起こすと、再び母の姿が映る。
「急かしてごめんなさい。まずは冷静になって考えていくことね。これからどうなるのか、どうするべきなのか」
母は申し訳なさそうな顔をしながら、髪にすっと手を通した。
「とりあえず、犯罪者は世間から隔離されようとしている。世界政府が本気を出したってことは、いずれその手がエルに届くのも時間の問題ね」
「だから、逃げろってか」
俺は答えた。
母は、俺の部屋に入るや否やそう叫んだのだ。
「……そうね。さっきはそう言ったけど、今すぐというわけでもないわ。声明があってから軍が動き出したとするのであれば、少しの余裕はあるハズ」
「そうは言うが……」
言うは易し、だ。
逃げるといっても、どう逃げる?
相手は世界政府だ。
おそらく、この国の軍部にも犯罪者狩りの指令が下っていることだろう。
リストが作成されているというのが本当であれば、かなり難儀な話だ。
そこで、ふとメッセージが届いていることを思い出した。
おそらくテラからだろう。
声明が発表されてからなにかしら感じたのかもしれない。
俺は端末に手をやると母に目配せする。
「そうね、名案かも」
母はそれだけで察したようだ。
メッセージの相手は友人のテラであり、どういう人間なのかを。
テラと出会ったのは、かなり前の話だ。
たしか、俺が十歳にも満たなかった。
その頃、父はたまに失踪こそすれ、ほとんどは家庭の中で生活をしていた。
今俺が父に悪いイメージを持っていないのは、きっとしっかりと愛情を受け取ったからだろう。
母も同じくして、父の行動を追及せず、理解しているに違いない。
そんな父が、俺と公園で遊ぶといって、一人の男の子を連れてきたのだ。
それがテラだ。
「エル、お友達を連れてきたぞ」
そう言って父はにっと白い歯を見せて笑った。
俺はその笑顔が嫌いじゃなかった。
「テラ、です。よろしく……」
父に背中を押されるようにしてテラは言った。
当時のテラは線が細く、いかにも気弱な少年だった。
外国の血が流れているのか、めずらしい瞳の色をしていて、吸い込まれるような感じを覚えたのを忘れられない。
「テラはな、父さんの友達の一人息子でな、エル、お前と同い年のはずだ。この街に移り住むことになったから、いい機会だ。仲良くしてやってくれ」
俺の方も自己紹介を済ませると、父はそう言った。
俺は当時から、気の強い性格をしていた。
自分がこうだと思ったことにまっすぐで、自分の意見を曲げるのを嫌った。
色々なことに興味をもち、思い立ったらすぐに行動に移した。
ありていに言えばやんちゃな悪がきだったのだ。
そんなタイプだったからか、気弱だったテラは俺の後ろをついてまわっていた。
俺が振り返ると、必ずテラがその深い瞳で見つめてくるのだ。
俺自身、子分ができたようでそれはそれで心地のよいものだった。
だから、というわけでもないが、それから俺たちは行動を共にすることが増えた。
同じ街に住む少年として、親友として、共に育った。
ある日、テラが神妙な顔をして俺に話がある、と言った。
確か、出会ってから8年目の頃だ。
少年だった俺たちは青年へと成長し、街の喫茶店で話し込んでいた。
「なんだよ、あらたまって」
相変わらずの気弱そうな表情でおどおどしていたテラに、しびれをきらしたように言った。
「……うん、今日はね」
テラは一瞬間をおいて続けた。
「僕の決意を聞いてもらおうと思って。エルに言うことで、守れると思うから」
「……ほう」
テラのその表情は、先刻とはうってかわって、真剣なものだった。
少しあっけに取られた俺はそう声を漏らした。
「ぼくね、お母さんが二十一人になったんだ」
「は!?!?」
テラの突然の報告に大声を出してしまった。
幸い周りの席に人はいなかったが、俺はすこし恥ずかしくなって肩をせばめた。
軽く咳払いをして、どういう意味だよ、と返した。
「もちろん、僕のお母さんは一人だよ。でも他にも二十人、お母さんと呼べる人がいるんだ」
「そりゃーつまり」
俺がそう言うのにかぶせるようにテラは続けた。
「そう! 僕のお父さん、すっごいモテるのさ!」
そっちかよ!?
俺はぽかん、と口を開けていた。
テラはいままで見たこともないような笑顔で父の自慢を続けた。
「世間一般で言ったら、おかしいかもしれないけどね、お父さんはすごいんだ。浮気とか、不倫とかそういうのじゃない。みんながみんな笑顔で、幸せなんだ」
おかしいなんてもんじゃなかった。
過去には、一夫多妻制という、一人の男が複数の妻を受けるという家庭もあったそうだが、世界政府発足後、それらの制度はすべて廃止された。
たとえその制度があったとしてもその数が異常だ。
曜日交代ですら間に合わない。
その計算で行くと1日に3人を相手することになる。
「最近きたお母さんもね、不思議そうな顔を一切しないんだ。みんなそれを受け入れてる。ウチでは、それが普通で、幸せなんだ」
「突拍子もない話だな……」
俺はテラの話をきいて、口元を震わせた。
「まぁ、お前の親父がすげーのはわかったよ、それがなんなんだ?」
テラはある決意を述べる為にここにいるんだ。
さっきの途方も無い話は、それの前置きだとするのならば、恐ろしい話だ。
俺は武者震いに近い感覚を覚えながら、単刀直入に訊いた。
そして、テラはやはり、恐ろしいことを言うのだった。
「僕もね、お父さんみたいになる」
――ガシャン。
俺は危うく持っていたカップを落とすところだった。
「ちょ、ちょっと待て、本気か?」
「うん。僕もお父さんみたいにモッテモテになって、たくさんの女の人を幸せにする」
最早、何に驚けばいいのかわからない状態だった。
俺の知るテラのイメージは、テラのいう父親のイメージとは天と地ほどの差なのだ。
気弱で俺の後ろをついてまわったコイツが、ハーレムを形成すると言うのだから、笑えない。
「……まぁ、確かに」
俺はそう呟きながら、目線を上からおろしていく。
テラは容姿端麗だ。
魅力的な色をした瞳に加え、整った顔をしており、スタイルもよかった。
性格は述べたとおりだが、頭もよく回るほうで、気が利くタイプではあった。
つまり、世間で言うイケメンの素質で溢れていたのだ。
「……がんばれ。応援してる」
正直なところ、それでも、というところだった。
二十一もの数の女を幸せにできる甲斐性が、コイツにあるとは思えなかった。
でも、テラの真剣な表情を見て、そう言うしかなかった。
テラはそれから、うん、とだけ返事をしたのだった。
それから家に帰った俺はすぐにこの話を母にした。
とにかくテラの父親が規格外の人物であるということ、そしてその父親を目指すというテラのことを。
「あはは、まぁ、なんとなく想像できるわ。あの人の友達、基本変人ばかりだから」
母は、すこし笑って、そう言った。
そういえば、父同士の仲がいいのだったな。
テラと面識があった母も、でもあの子がねぇ、という反応を示した。
それほどに、イメージがかけ離れていたのだ。
だからその時は、テラがああなるなんて思いもしなかった。
――それからテラは変貌した。
気弱なイメージはどこへやら、話し方から仕草まで、過去のテラとはかけ離れていたのだ。
人間、変わろうと思ったらそこまでやれるものなのかと、現実を疑ったくらいだ。
人当たりもよくなり、自分から回りに積極的にコミュニケーションをとるようになっていくものだから、俺がテラの後ろをついていくことも増えたぐらいだ。
結果として、最近のテラの報告では、彼女は五人。
みな、テラに他の女がいるということを知りつつ、納得しているというのだから驚きだ。
ただ一点困ったことに、あまりにもモテるようになっていくものだから、自分に酔ってしまったのだ。
こうして極度のナルシスト野郎が完成した。
なぜ、いまそのテラの話をしたかというと、俺にはある心当たりがあったからだ。
ひとつ、あいつにはモテるに至る、様々な力をもっているということ。
持ち前の頭の回転のよさに加え、広い交友関係と状況判断能力を備えている。
俺が途方に暮れているこの状況でも、なんとかアイデアをくれる気がするのだ。
もうひとつは、テラもそうではないか、ということだ。
テラの親父は複数の女性と関係をもち、一夫多妻制の状況にある。
これは、世界政府発足後においては罪にあたる。
もちろん国にばれずうまくやっていることだと思うが、罪をおかしている以上、奴らのいう大罪因子を持っているということになる。
つまり、テラもその息子であるわけだから、俺と同じ犯罪者扱いを受けている可能性が高い。
母がいう名案はすなわち、このテラと協力して、逃げるというものだ。
勝算はわからないが、俺一人で逃げるという愚策をとるよりは断然いい。
俺はそのまま端末のメッセージを開いた。
たった一行、テラからのものだ。
『逃げるよ。いつもの場所で』
はは。
思わず笑ってしまった。
お前の言葉を借りて申し訳ないが……。
――運命、かと思ったよ。
俺は母の手を借りながら、最低限のものをリュックに詰め込んだ。
この先どうなるかはわからないが、まずは行動だ。
このまま家にいたところで、捕まるのは時間の問題だろう。
「エル、隣町の友人から連絡が入ったわ。けっこう大掛かりに軍が動いているって」
「隣町か……早いな」
このあたりが辺境というわけでもないが、軍が駐在している町からはそこそこ離れているはずだ。
だがもうそこまできていると考えると、うかうかしていられないな。
「エル、ごめんね。父さんのこと」
母は申し訳なさそうな顔をして玄関に立っていた。
父が犯罪者だった。
家をしばらく空けている理由も、そこに直結しているのだろう。
母はそれを知っていた。
だから多くを語らなかったのかもしれない。
正直、父のことをもっと訊きたかったが、事態は一刻を争う。
「いいんだ。母さん、行ってくるよ」
「ええ、気をつけて。この騒動が収まったら……また会いましょう」
サバサバしている母らしくない台詞だった。
それなりに別れを惜しんでくれているのだろうか。
俺が玄関の扉に手をかけたとき、表の通りが騒がしいことに気がついた。
「エル、待ちなさい。裏口へ」
扉に伸ばした腕に体重を乗せようとした瞬間、後ろから呼び止められた。
「いやな予感がするわ。私が外を確認するから、隠れていなさい。もし何かあれば、すぐに逃げなさい」
母はそう言って玄関に立つ。
俺が頷いて、裏口のそばに隠れた。
それを確認した母は、扉をゆっくりと開けた。
「ああ、いいところに、奥さん。ちょうどインターホンを押すところでしたよ」
若い男の声が聞こえた。
「あら、何の用かしら、表が騒がしいと思って見にきたのだけれど」
「ああ、どうやらわが国の軍が、すぐそこまできているみたいですよ」
男はそう言った。
軍が、もうすぐそこまで?
あまりにも早すぎる。
「ところで、ご家族は? 旦那様と…」
男は間を置いてからそう尋ねてきた。
「何の用かしら、と訊いているのだけど」
飄々と話を進めようとする男に母はそう被せた。
「おや、なにも、急かさなくてもいいでしょう、それとも、何か焦る理由が?」
話し声だけでも、この男がどんなに狡猾なのかが伝わってくる。
間違いなく、コイツの目的は俺だ。
すなわち、世界政府の息がかかった人間だろう。
「……夫はここには帰ってこないわ。知っているでしょう、世界政府の人間なら」
「おっと」
母の答えに、男が動揺したような声を漏らした。
「流石にお見通しですか、失礼しました。旦那様には大変お世話になっていますよ」
玄関の隙間から、光が瞬いた。金が輝く、独特の光だった。
「自己紹介が遅くなりました、私、世界政府犯罪対策課のバイオスと申します」
「素敵なバッチね」
「お褒めに預かり光栄です」
バッチか。
世界政府の人間が授けられるという金のバッチ。
声明を発表したあの男もつけていた。
どうやら、正体を隠す意味がなくなったからか外していたバッチを付け直したのだろう。
まさか世界政府の人間が直々にここを訪れるとはな。
「さて、話を理解していただけているようですので、要件をいいましょう。息子さんはどこですか?」
やはり、だ。
俺はその言葉を聴いて心臓が弾けそうになるのを耐えながら、裏口に手をかける。
「あら、残念ね。今朝、親子喧嘩をしてしまってね。家を出て行ったところよ」
母はそう答えた。
とりあえず、俺がまだ家に居ることは隠しておきたい。
「あー、それは残念。……とでも言ってあきらめると思いましたか?」
男の声色が変わった。
「この私がなんの根拠もなしに訪れたと? そこをどきなさい。犯罪者を庇うといいことないですよ」
母の悲鳴。
……まずい。
俺は音を立てないように裏口を開けるとすぐさま走り出した。
心臓が飛び出しそうだった。
すぐにもつれそうになる足を必死に動かしながら、裏道を駆ける。
「母さん、無事で居てくれ……ッ」
俺はひたすらに走った。
ところどころで軍の人間らしき者を発見したが、幸い人相は割れていないらしく、追ってくることはなかった。
「ここまで来れば……」
裏道を抜けて、大通りに出ていた。
多くの人で賑わい、俺はそこに紛れることにした。
変に裏道を走り続けるより、よっぽど効率がいい。
そこで発見したのは、数台の軍機と軍人、そしてそれに連れられるようにして歩く男女数人。
男女らは手錠で腕を後ろに組まれ、口には拘束具がつけられていた。
「まじかよ……」
俺は思わず呟いた。
流れから察するに、彼らも犯罪者と定義された人間なのだろう。
だが、皆優しそうな顔をしていて、犯罪者という感じがしなかった。
「すげえな、あれが例の隔離政策ってやつ?」
俺の隣に立っていた若い男が言った。
カップルだろうか、すぐ隣の女と会話をしている。
「あれみんな犯罪者? ヤバーイ。一網打尽じゃん」
「でもよ、実際に罪を犯したわけじゃねーんだろ? ほら、あの男の人、泣いてる」
「何甘いこといってんの? 犯罪者の遺伝子…なんだっけアレ。持ってるんでしょ? 犯罪すのも時間の問題だよそんなヤツ」
「大罪因子な。まぁわからんでもないが……すこしかわいそうではあるな」
「もー。優しいのね。私たちに危害を加える前に捕まったんだから、いいのよ。防犯って意味で!」
俺にとっては、嬉しくもあり、聞くに堪えない話でもあった。
同情してくれる人間がいる一方、やはりこの政策を応援する側もいるのだ。
確かに、罪を犯す恐れがある人間なのかもしれない。
かくいう俺もそうであるのだ。
いまそうでないとしても、いずれ回りに危害を加えることが客観的にわかるというのであれば、あらかじめ予防として隔離するという考えはわからないでもない。
だが、必ず、なのか。
必ず罪を犯すのか。
犯す可能性があるだけで、なにもせずに平穏に過ごす人だっているんじゃないのか。
何かがおかしい、そう考えていた最中、街角のビルにあった巨大モニターの映像が切り替わった。
『ジジジ…ジ…』
ところどころに設置してあるスピーカーから音が流れる。
周りはすぐにざわつき始めた。
『皆様、平穏な休日をお過ごしのところ申し訳ございません。』
どこかで聞き覚えのあるような声と共に、モニターに若い男の姿が映った。
後ろに流し、固めた髪。
広い額の下にはややつりあがった目と口元があり、気味悪さを覚えさせる顔だった。
「ちっ、嫌な予感だ」
俺は身構えた。
視線をずらしていくと、胸元に金色のバッチが輝いていた。
ここであからさまに動いて目立ってはいけない。
俺は冷静にことの流れを見つめることにした。
『私、世界政府犯罪対策課より参りました、この地区を担当することになったバイオスと申します。この度は円滑に隔離政策が進むよう協力いただき感謝いたします』
男は、やはり我が家を訪れていた世界政府の人間……バイオスだった。
そこに映っているということは、追うのを一旦諦めたようだな。家から離れたのであれば、母さんは無事で済んだのかもしれない。人質なんてパターンは勘弁願いたい。
まぁともかく、この街には大きな放送局があるので、あれからそこに出向いたのだろう。
『現在隔離政策は概ね順調……すでに軍は街を包囲し、犯罪者の七割は手中にあります』
その言葉とともに、街ではおお、という感嘆の声があがった。
囃し立てる者もいれば、期待する者、そして俺のように疑問を抱く者もいる。
様々な反応が見て取れる。
『ですが、残り三割。この後に及んで未だに逃亡をたくらむ者がいるのが現状です。この者たちが捕まらない限り、我々の目指す真の平和は訪れません』
チッ、なにが平和だ。
結局また多くの犠牲の上にしか築けない偽りのモノだろうが。
その瞬間、先ほど会話をしていた女がこちらに振り向いた。
俺を怪訝そうな目で見て、すぐにモニターに視線を戻す。
どうやら声に出ていたようだ。
『そこで、私はこんなものを用意しました。ご覧ください』
その言葉と同時に、映像が切り替わり、何枚もの顔写真が表示された。
視線をスライドさせると、俺の写真、そしてテラのものまであった。
まさか。
『こちらはこの街における、現在も逃亡を企てている犯罪者二十三名の顔写真でございます。ご覧いただけたでしょうか』
やはりだ!
俺は顔を伏せ、モニターに背を向けた。
この場を一刻も離れた方がいい。
『……今、挙動がおかしくなった者がそばにいないでしょうか。犯罪者は、この瞬間逃げ出そうとするはずです』
背筋が凍った。
その瞬間、女があっ、と声を漏らした。
まずい。
『犯罪者の発見、拘束にご助力ください。協力者には、報酬もございます。ふふふ、よろしくお願いします』
「あの人っ! 犯罪者よっ!!」
背後で女が叫んだ。
俺はすでに走りだしていた。
まずいまずいまずいまずい。
ガンッ!
視界が一瞬暗転した。
目の前の地面に、空きビンと、滴る血液。
誰かが狙いやがった。
「くそっ」
俺は出血したであろう額を抑えながら大通りを抜ける。
「おい、逃げても無駄だぜ」
数メートル先に、体格のいい男二人組が立っていた。
「こいつが犯罪者かよ、ちょろそうだぜ」
「捕まえれば金もらえるんだよ。大人しくしろよな」
辺りではざわざわと人が集まりはじめ、みな俺を見ていた。
なんだよ、その目。
その目で見るな。
俺は何もしていない。
周りは甲高い叫び声と、罵声が飛び交っていた。
犯罪者、捕まえろ、金になる、とにかく汚い言葉が俺に投げかけられた。
どいつもこいつも、俺を汚いものを見るような目で見ていた。
俺は吐き気を覚えながらも、すぐさま地面を蹴り、裏道に逃げ込んだ。
人が多いところは危険だ。
とにかく撒くしかない。
幸い、運動能力もとい脚力には自信があった。
おまけにこのあたりの地形は把握している。
俺は着実に追手を引き離していき、無事に身を潜めることに成功した。
「ってえ……」
俺は血のにじむ額の痛みに顔をしかめた。
リュックから必要なものを取り出して、簡単に応急処置をしておく。
もうすぐ日が沈む頃だ。
ひとまず、暗くなるまで身をひそめ、闇にまぎれて移動するしかない。
しばらくしてから、周囲に気を配りながら歩き出した。
この闇ならば顔を見られることもない。
むしろ堂々としていたほうが疑われないもんだ。
軍の人間ならともかく、一般の人間があの数のリストを記憶しているわけでもないだろう。
二、三十分歩いた頃だろうか。
俺は街の裏にある山辺にきていた。
このあたりは人気も少なく、身を潜めるにはいい場所だ。
ここを登ったところに、テラとの合流地点がある。
俺とテラはよくこの山で遊んでいた。
もともとは親父がこの山をナワバリだかなんだかにしていたらしく、ここに連れてこられては自然の中で遊んだのが始まりだ。
親父が出て行くようになっても、俺たちはこの山に秘密基地のようなものをつくって時を過ごしたものだ。
テラが変貌をしてからはあまり来ることはなかったが、それでもたまに二人でゆっくりと話したいときは互いにいつもの場所で、とだけ伝えては話し込んだ。
テラのメッセージにはそのいつもの場所のことが記してあった。
まずはそこに向かってテラと落ち合うのだ。
「やぁ、しばらく待ったよ」
それから山道を少し行ったところで、声を掛けられた。
木陰にもたれかかった金髪の青年。
テラだ。
「悪いな、街で大変な目にあった」
俺はテラのそばまで進むと、ふぅ、と一息ついた。
顔を上げて目が合うと、テラはウインクをした。
相変わらずふざけた野郎だ。
「聞いているよ。それもやられたのかい?」
テラは俺の額に視線をやってそう言った。
「ああ、街の人にな。思いっきり当てやがった。つつ……」
今もジンジンと痛む傷口ができた瞬間を思い出しながら答えた。
「ところで、聞いているってどういうことだ?」
俺は尋ねた。
テラが早い段階からこの山に身を隠していたとするならば、夕方の放送を知らない筈だ。
街の人々が豹変した、あの放送を。
「うん、詳しい話はまた後で。エル、場所を変えるよ。携帯切ってある?」
テラは話を一旦保留にすると、そう口を開いた。
頷きながら歩みを進める。
「ああ、携帯端末は家を出る前に切ってある」
「賢明だね。おそらく奴らは携帯端末からのデータ送受信から居場所を割り出せる」
テラの言葉に、合点がいった。
バイオスは直接俺の家を訪ねてきた。
おそらく直前のテラとのやりとりから居場所を把握していたのだろう。
「この山では電波も飛ばないし、よっぽど平気だと思うけどね。でもそれがルールだから」
「ルール?」
「とりあえず、着いたよ」
テラの返答に俺は足を止め、持っていた懐中電灯で辺りを照らした。
「ここは、あの洞穴か」
そこは山を探検しているときに見つけた洞穴だ。
人が数人は入れるスペースから、俺たちが第三秘密基地と名づけた場所。
ちなみに第七まである。
「明かりが、見えるが? 誰か居るのか」
洞穴の奥を照らすと、奥から火の明かりが漏れているのを見つけた。
テラがしばらく合流地点で待っていたとするのであれば、火の管理をしている別の人間がいるということだ。
「察しが良いね。二人居る。どちらも夕方すぎにこの山に逃げ込んできたよ」
つまるところ、他の犯罪者が逃げ回わった結果、なんとかこの山に辿り着いたということだろう。
テラは夕方の放送のことをそいつらから聞いたってことか。
「まずは中で暖をとろう。夜の山は冷えるからね」
「戻ったんですね」
洞穴の奥のスペースに足を踏み入れた瞬間、男の声がした。
声の主をみると、まだ俺たちとそう歳の変わらないようだ。
眼鏡をかけ、おかっぱ頭。
いかにも、という姿だった。
焚き火を挟んで反対側に、髪の長い女性がうずくまっていた。
高そうな白いワンピースが火の明かりを綺麗に反射している。
腕に包帯をしており、どうやらここに来るまでに俺と似たような目にあったようだ。
「そちらが、あなたが仰っていたご友人ですか」
丁寧な言葉遣いをするソイツは、俺の方をちらと見やるとそう訊いた。
同時にうずくまっていた女性が顔を少し上げ、髪の隙間から俺の顔を覗く。
「そそ、エルって言うんだ。まだ二人の話、もといここの話をしていないからさ」
テラはそう言いながら腰を下ろした。
俺も同様にそばの岩に腰掛ける。
「では、まずは自己紹介ですね。僕はケイガク。国立聖鳳学園の学生をやっています」
眼鏡の男、ケイガクは軽くお辞儀をしてそう述べた。
国立聖鳳学園といったら我が国随一のエリート校だ。
見た目に違わず、相当の頭脳を持ち合わせているようだ。
「彼女はペレさん。僕がこの山に逃げ込んだとき、山道で倒れていて……かなり疲弊しているみたいでして、休んでもらっています」
ケイガクはそのまま隣の女性の紹介もしてくれた。
二人は赤の他人だったわけか。
「エルだ。よろしく。テラ、まずは状況を整理したいんだが」
俺は簡単に自己紹介を済ませると、テラに話を振る。
ようやく落ち着ける状態になったものの、事態は収束していない。
「そうだね、ではわかりやすく説明していくよ」
テラはそう前置きをして続けた。
「まず、僕たち四人の状況。僕たちはそれぞれ新たに犯罪者として定義され、追われる身になった。捕まると軍に連行されて、隔離される。その先どうなるかはわからないけど、いいイメージはしないねぇ」
改めて確認はしなかったが、テラは夕方の放送でも顔写真リストに挙がっていた。
つまり俺の読みどおり、同じ犯罪者になったということだ。
「世界政府は、この国の軍を従えてこの街にやってきた。あらゆる手段を用いて探しにくるだろうね。だから、居場所を悟られないためにも、慎重に行動しないとダメ」
「コレもだめだな」
テラの話に、俺は携帯端末を掲げて言った。
「そうだね。電波を飛ばさない分には感知されないハズだけど。控えた方が良さそうだね」
先ほどの経験から、バイオスは確実に携帯端末から位置を割り出せることがわかっている。
現状この場所がバレていないのが幸いなのだ。
「他にもいくつかルールがあるんだ。自分たちの身を守るためにね」
テラが先ほどルールという言葉を用いていたのを思い出した。
「単独行動の禁止。これは言うまでもないけど、対応力に劣る」
「ペアで動くってことか? それとも四人で?」
「場合によるかな。いまこっちには怪我人がいるし、なるべく4人で居た方がいい」
ふむ。
俺はちらりとペレの方を見る。
うずくまったまま顔を伏せているので詳しくはわからないが、まともに動ける状態ではなさそうだ。
「ペアで動く場合もあると思う。その場合、僕はペレちゃんと動く。エルはケイガク君と」
(おい、なんでだ。俺たちでペアを組まないのか? その方がやりやすいだろう?)
テラの指示に俺は小声で問う。
(そうしたらペレちゃんとケイガク君のペアになるでしょ? ペレちゃんを守れると思う?)
(確かにそうだが……)
俺は一瞬ケイガクを見た。
ケイガクはこちらの方を見て首を傾げている。
頭は良いが運動はこれっきし、という感じだろう。
(まっ、実際のところペレさんがそこそこ可愛いからだよね! か弱い女子を守る僕、くぅ~カッコイイ)
(そんなことだろうと思ったよ……)
本音はペレを案じてなのだと思う。
そこをわざと茶化して、滑稽に振舞う。
まるでピエロのような男だ。
長い付き合いで、本音と建前がわかっているからこそ、わかるレベルだ。
何も知らない男性からしたら変人だろう。
だが女性はなぜかこれでこいつに惚れるから不思議だ。
「テラさん?」
ケイガクが口を開いた。
おっと、二人でこそこそと話してしまっていた。
「ごめん、話に戻るよ。あとは、しばらくここを離れないこと。幸い、僕とエルはこの山に詳しいから、食料と水の調達くらいならできる。下手に街に下りて捕まったら意味が無いからね」
たしかに、しばらくはここで身を隠すことは可能だろうな。
この山の敷地はなかなか広く、特に各秘密基地は普通には入れない場所にある。
この山に詳しい俺たちが先導するしかない。
そういう意味でもペア分けは正解だな。
「それは助かります、正直そこが心配でした。ね、ペレさん」
ケイガクは胸を撫で下ろすように言った。
ペレの反応はなく、ケイガクは少し寂しそうな表情を浮かべた。
「あとはこの騒動がいつまで続くかだね。世界政府が諦めるとは思わないけど、動きを変える可能性はある。情報を集めながらその都度捕まらないように逃げるしかないね」
「この場所もいつ見つかるか、わからないからな」
いくら見つかりにくいとはいえ、隠れる場所は限られている。
軍が総動員でこの山に入ろうものならばあっという間だろう。
「とりあえず、動きようにも今は暗闇で危険だ。まずは体を休めよう」
俺はそういった。
正直、昼過ぎに家を出てから走り回ってばかりだった。
気を休める暇も無かったので疲労がたまっている感は否めない。
「そうだね。ほら、コレ、みんなで食べよう。エルを待っている間にある程度集めておいたよ」
テラはそう言ってポケットからいくつかの木の実を出した。
「こ、これはっ!」
木の実を見た瞬間、ケイガクが声を上げた。
「シッコクタヌキツネハゲカツラの実! 見た目にそぐわぬ芳醇な香りと高い栄養価が認められている幻の木の実……通称ハゲの実じゃないですか! こんなところに群生しているんですねッ」
「!?!?!?!?!?」
その台詞に、俺たちは目を見合わせて笑った。
「ハハッ、ケイガク君、物知りだね。僕たちはこの木の実の通称すらしらなかったよ」
テラの反応に我に返ったのか、ケイガクは頬を赤らめながら咳払いをした。
「失礼、僕としたことがでしゃばりました……。少し植物学に興味があったもので」
つまるところ、このエリート君は植物の学問を修めようとしているわけか。
「ふむ、食える実の中ではたしかに美味い方だな。栄養価も高いってことは、この状況にはぴったしか」
俺はそう言うと、その実をひとつ取って口に放る。
噛み砕くと、独特の香りが鼻を抜ける。
世間ではこれを芳醇な香りっていうのね。
「食べてもよろしいのですか」
ケイガクはその様子を見てゴクリと喉を鳴らした。
ここまで木の実ひとつに惹かれる奴とは思いもしなかったな。
「もちろん、そのために採ってきたんだしね。一応非常食も持ち合わせているけど、ここを離れることを考えると日持ちするものはとっておきたい」
テラは言う。
ケイガクはありがとうございます、と言うとゆっくりと木の実に手を伸ばし、祈るようなポーズをとってからおそるおそる口に運んだ。
「おお……神よ……」
ケイガクはすぐさま目を大きく見開いたかと思うと、涙を流しながら呟いた。
失礼かもしれないが、面白すぎる。
「ハハッ、喜んでくれたのなら嬉しい限りだね。これも巡り合わせかな」
テラは満足そうに前髪をかき上げながら言うと、
「ペレちゃんもどうだい? おなか空いているんじゃない?」
と続けた。
今の話の流れでもペレはうずくまったまま、顔を見せることもしない。
テラはかわいいと言っていたが、長い髪とその姿勢で、いいイメージを持てないぞ。
「……いらない」
そこではじめて、俺はペレの声を聞いた。
姿勢もあるかもしれないが、低くくぐもった声だった。
「んーでもこれからのことを考えると、少しでも栄養をとっておいた方がいいと思うよ?」
「はい。そう思います。それに、ハゲの実の栄養価を考えれば怪我の回復にも一役ありますよ」
ペレの反応に、テラとケイガクが応える。それは正論だった。
「……いらないっていってんでしょ!」
その声は、今度ははっきりと響いた。
「なんで私が木の実なんか食べなきゃいけないのよ……どうかしてる」
ペレは顔を伏せたまま続けた。
「だいたいなんでこんな目にあわなきゃいけないの? 昨日まで屋敷で好きなことを好きなだけやってればいいだけだったのに!」
話を聴くに、ペレはどこかの金持ちの娘のようだった。絵に描いたような、お嬢様か。
「朝起きたら屋敷のみんながおかしかった……変な目で私を見ていた……なによあの目、雇われの身のくせに、主人に向かって……。思い出しても吐き気がする……」
あの目、ときいて俺には少し心当たりがあった。
「世界政府だかなんだか知らないけど、あの瞬間に、みんな私たち家族を襲ってきた。はじめから知ってたのよ。朝からずっと狙ってたんだわ。どいつもこいつも言ったわ。犯罪者、犯罪者、犯罪者、犯罪者!!」
ペレは少しずつ声を荒げていった。
「おい、落ち着け」
俺は諭すように声をかける。見るからに冷静ではなかった。
「落ち着けるわけ無いでしょ……寒い、痛い、苦しい、つらい、死にたい」
今度はぼそぼそと、かろうじて聞き取れるような大きさでつぶやいた。
「なんで……どうして……」
ペレは泣いているようだった。
その気持ちは、同じ立場の俺たちも痛いほどわかっていた。
そして俺は、あの犯罪者を見る目を、凶行を、知っている。
「わたしが……」
ペレはそう呟きながら、ゆっくりと顔をあげた。
整った顔立ちに、涙が流れていた。
確かに、テラの言うことも一理ある。
が、その表情は異様にも歪んでいた。
「わたしがなにをしたっていうのよおおおおおおおおおおおおおお」
突然、ペレは叫んだ。
その声は鼓膜を突き破るような異常な大きさだった。
あまりの音量に、洞穴が激しく揺れるほどだ。
「な、なんだよっ、コレッ」
俺は思わず口を開いた。
耳を塞がなければ耐えられない。
この音の大きさはやばい。
どうやってこの音を出す?
わけがわからなかった。
「これはっ、まずいねっ。居場所がばれるッ」
巨大な音の中、テラの声が聞こえた。
今は夜。
山の中とはいえ、この大きさの音が外に漏れれば、目立つこと間違いなしだ。
「ペレさんッ……やめてくださいッ」
ケイガクは表情をゆがめながらペレに歩み寄っていた。
だが、その言葉はペレに届いていないようだった。
「ペレさんッ……おいッ……やめろッ」
ケイガクは更に詰め寄り、悲痛の声を漏らした。
丁寧な言葉遣いも崩れ、相当に動揺しているのが見て取れた。
「な、なにをっ」
俺は思わず声を漏らした。
ケイガクの表情がすっと真顔に戻り、すぐそばにあった人の頭ほどの岩を両手で抱えたのだ。
そしてその岩をゆっくりと持ち上げる。
「ケイガク君ッ」
――ゴッ
テラの静止も虚しく、巨大な叫び声は鈍い音と共に止まった。
「ハァッ、ハァッ」
ケイガクは肩で息をしながら、血にぬれた岩を足元に落とした。
「やりやがった……」
ケイガクは返り血のついた眼鏡をとおしてこちらを見た。
目に光はなく、背筋が凍る感覚がした。
「仕方が無いですよね、エルさん、テラさん。このままでは見つかってしまいます。止めるほう方が、これしかありませんでした。仕方が無いですよね」
ケイガクは真顔のままそう言った。
何度も、何度も、仕方が無いと。
俺たちは言葉を失っていた。
人が、死んだ。目の前で。殺された。
たしかにその声は異常だった。
普通の人間が出せるようなものではなく、その状況を打開する手段など思いつかなかった。
仕方ない、といえばそうなのかもしれない。
だが、俺ははじめて目の前で人が死ぬのを見た。
そして、人を殺すのを見た。
「エル……まずいね」
うつむく俺にテラが声をかけてきた。
視線をずらすと、テラはまっすぐと横たわるペレを見ていた。
「そら、殺しちまったんだからな。どうすっか……」
俺はそう返事をした。
だが、それは見当違いのものだったのだ。
「ちがうよ、エル。逃げないと……動いてる」
テラは震える声で言う。
俺は顔をあげるとケイガクが首をかしげて立っているのが映った。
その、後ろ。
倒れていたはずのペレが、立っていた。