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第39話 寝心地のいいベッドの中で

 寝返りをうって、ふかふかの掛け布団に埋もれる。至福の時間だ。あまりの心地よさに夢ってすごいと思い――史華はハッと目が覚めた。


「おはよう、史華ちゃん。昨日は眠れなかったのかな?」


 目を開けた時、悠の整った顔が真正面にあって目を丸くした。一瞬固まって、そして背に向かって素早く後じさる。


「は、悠さんっ⁉︎」


 握りしめていた羽毛布団を無意識に胸元まで引き上げていた。その様子を見ていたのか、悠が破顔する。


「史華ちゃん、心配しすぎ。コートは濡れていたのもあって脱がしたけど、ほかは触ってないよ。移動中に寝てしまったから、部屋まで運んできたけど。もう平気?」


 あと靴も脱がしたよ、と付け足す悠を史華はにらみつけた。


「え、ええ。――ってか、起こしてくださいよ!」


 異常はないかと羽毛布団を離して中を確認する。確かにトレンチコートは着ていないが、それ以外は問題なさそうだ。ちゃんとワンピースを身につけている。違和感はない。


「寝顔の史華ちゃんを見ているのが好きなんだよ。油断してくれているのか、俺の前で眠ってしまうこと、多いしね」


 ニコニコと話す悠には悪びれた様子はない。


 言われてみれば、寝顔を晒していることは多いけど!


 最初は睡眠不足で倒れたからだし、次のは風呂で逆上せてしまったせいだ。油断しているという指摘はごもっともだし、彼が相手じゃなかったらもっと面倒なことになっていたはずだ。


 でも、それは問題じゃないの!


「べ、別に寝顔を見られるのはどうでもいいんです。運ぶ手間とか運ばれている様が恥ずかしいとか、そういうのが気になっただけでっ!」


 このやたらと広いベッドルームにどうやって運び込んだのかは不明であるが、おそらく悠が抱きかかえてここまで来たのだろう。それを誰かに見られていたと思うと恥ずかしすぎる。


「手間、ね。俺の心配をしてくれたんだ」


 告げて、悠はベッドに登ってくる。逃げようと思って後ろに下がるとベッドから落ちそうになった。


 すぐさま悠の手が伸びる。そこから彼の下敷きになるまでは一瞬だった。


「捕まえた。どうして逃げるの? 危ないよ?」


「身の危険を感じたら、誰だって逃げるでしょ!」


 心臓が早鐘のように鳴る。逃げようと思ったはずなのに身体が動かない。動かない理由が恐れからではないことに気づいて、史華はその気持ちを受け入れられない。


 どうしよう。


 いきなり襲ってくることはないだろう。きっとここは軽いキスでもして、からかってくるだけに決まっている。


 ……本気で迫ってくるわけないじゃない。


 淡い期待を直視できない。強気のセリフとは裏腹に、史華は悠から視線を外す。


 そんな史華の額に何かが乗せられた。悠の手だとわかるまでに時間がかかって、理解した時には離れていた。


「熱はなさそうだね。顔が赤いから、気になったんだけど」


「それはあなたを意識しちゃったからに決まってるじゃないですか。病み上がりなのは事実ですけど、本当に体調が悪かったらそう伝えますって」


「え?」


 彼が驚いた顔をしたので、自分の失言に史華は気づいた。


 ってか、体調不良を理由に休んでもよかったんじゃないの? わざわざ付き合う必要もないはずだし。あたし、なにやって――。


 狼狽えている史華を、悠の指先がなぞり始める。額に触れたあとの手は、史華の頬を撫でて顎を持ち上げた。


「俺を意識してくれるのは嬉しいけど、その理由が本当だったら、君は俺に会いたくて無理してデートに付き合ってくれたんじゃないかって想像するけど」


 失言に気づかれてしまった。自分の台詞が本音だったのかどうかなんて、この際どうでもいい。


「ぜ、前言撤回です!」


 慌てて返せば、悠の値踏みをするような細めた目と視線に胸が高鳴る。


「俺のことが好きだって素直に認めなよ。俺は史華ちゃんのこと、大好きだよ」


「好きとか嫌いとか、そういうのよくわからないんで! ……は、離してください」


 悠の手を払いのけると、その手に捕まってベッドに押さえつけられた。


「ちょっ……悠さん?」


 この展開は想定外だ。からかっていたりじゃれたりしているのとは違う。これはおそらく説教モード。また無意識に悠の気にさわることをしてしまったようだ。


「本当に? 思わせぶりなだけってこと?」


「そう見えていたなら申し訳ないですけど。……悠さんは素敵な人だと思ってはいますよ。こんな人が恋人だったらな、とか、考えることも増えましたし」


 正直な気持ちを言葉にする。


 自分が悠のことをどう思っているのか。


 恋人ごっこのままでいいのか、本当の恋人になりたいのか。


 ……でも、あたしじゃ、ダメなんだ。


 史華の台詞で、押さえつけていた手から力が抜けていく。


 真正面からぶつかって、ちゃんと好きだと言えたらよかったのに。


 胸が苦しい。それでも、気持ちを伝えなきゃいけない。黙ったまま耳を傾けてくれている悠への想いを史華は必死に声に変える。


「――でも、釣り合わないって思う気持ちはそう簡単には覆せない。あたしは悠さんになにも返せない。受け取るだけ受け取るのも抵抗があるから。悠さんの役に立てるって思えるなら、きっとあなたの気持ちに応じられる。まだあたしは自信がない……せめて、就職活動が上手くいった後じゃないと、ダメなんです」


「俺が社長だから? お金を持っているから? だから釣り合わないっていうのかな? それが理由なんだったら、今の仕事を捨てるよ」


「!」


 なにを言っているのかわからない。


 仕事を辞める? どうして?


「この顔が嫌なら整形してもいい。背が高いのが気になるなら、足を折って短くしても構わないさ」


 続く言葉に史華はさらに混乱した。


「な、なに言って」


「史華ちゃんは俺の何を見て釣り合わないと言っているのかな? 俺がたくさん持っているものと君が欠片も持っていないものとを比べて、それで釣り合わない釣り合わないと嘆くのはラクなことだよね。就職活動がうまくいったらって君は言ったけど、それだって俺には結論を先延ばしにするための方便に聞こえるよ?」


「だ、だって、本当のことじゃないですか! 悠さんの全部はあたしと少しも釣り合わない。外見だってステータスだって、あたしと全然違う。相応しくないって、みんなそう思うに決まってる。こんなあたしを選んだ悠さんのセンスが疑われることになるもの。そんなの、嫌っ!」


 ポロポロと涙がこぼれる。


 就職が方便なのもある意味では事実だ。悠に見合うだけの有名な会社に就職して、名前が出るような仕事をして、それでやっと彼を受け入れる準備ができる。彼にふさわしい肩書きができて、それでやっと胸を張れる。見た目が十人並みでも、それならどうにかごまかせる。彼の隣にいても恥にならないと自信が持てる。


 悠が寂しげに笑った。


「君が卑屈になる必要はないんだよ。見た目とか地位にこだわるやつのことなんか気にしなくていい。君は自分のよさをありのままに発揮してくれればそれでいいんだ」


 指の腹で目元をさっと拭われ、唇を奪われた。口紅を拭い取られてしまいそうな激しい口づけ。拒むとしっかりと身体を固定されて動けない。


「んんっ!」


 これはマズい気がする。


 力では勝てないからという意味ではない。


 彼を好きだと自覚してしまったから。


「だ、ダメ……悠さん……」


 こんなの間違ってる。絶対に後悔する。止めないと傷つくってわかる。


 なのに……そんな顔であたしを見ないで、悠さん。


 止められない想いをぶつけられているのだと理解した。困惑し、苦悩する一人の男が目の前にいる。


「君の全部を知りたい。君の全部を他の誰にも知られたくない。……俺は今から君を抱く。いいよ、訴えてくれて。欲求不満の処理に使われたっておおっぴらに言えばいい」


「悠さん……」


 もう無理だ。互いの気持ちを通わせることなんて絶望的なのだろう。悲しい。


 でも、最初から生きてきた環境も違ったのだから、そもそもここでこうして一緒にいるのも場違いでしかないのだろう。


 彼の顔を見上げていると、急に悠が何かを悟ったように目を見開いた。


「――ああ、そうか。史華ちゃんは俺の中身を見ているわけじゃなかったんだね。俺の見た目やステータスになびかないだけで、君も他の女と変わらないのか……」


 冷ややかな目。たどり着いた結論に失望した瞳。


 否定しようとして口を開く。でも、何の反論も浮かばなかった。


 だって、その通りなんだもの。失望されても、仕方がない人間なんだ。


 見つめ返していたけれど、諦めの気持ちが湧いてきて視線を外した。


「……ごめんなさい、悠さん。きっとその通りです。あなたをアクセサリーみたいに扱う女性じゃないってだけで、あたしも悠さんをイケメンの社長さんだとしか思えていないんです。だから、あたしはやっぱりあなたにふさわしくない」


 別れの予感。好きだと自覚して、しかしそれを認められないままに終わりを迎える。


 これでいいんだ。なかったことにしよう。


 大好きな小説に憧れてしまっただけ。夢だったんだと思えばいい。


 怒りに任せて彼が襲ってきたとしても、自分が悪かったんだと思おう。傷ついてもそれ以上お互いに傷つかなくてよくなるのなら。


 抵抗をやめて力を抜く。でも、身体が震えるのを止めることはできなかった。


 沈黙。窓に打ちつける雨の音。雨音がなかったら、脈打つ音が聞こえてきそうな気がした。


 悠に手を拘束されたまま、時間が経つ。やがて先に声を発したのは悠だった。

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