第34話 仕事を休んで
目が覚めて、なんかだるいなと思って熱を測ったら三十八度近い数字が表示されて驚いた。熱が出ていたからうなされたのか、それとも合宿で起きたことを夢で見たから熱が出たのだろうか。この前のように倒れたら迷惑にしかならないので、その時点で休むことと他の人に代わってもらうための連絡をしてそのまま横になった。
熱を出して休むなど本当に久々だった。大学時代もほとんど休まず出席していたし、それ以前だって健康優良児の見本みたいな子だったから、熱を出して寝込んでいると心細い。しかも独り暮らしだ。なおさら寂しかった。
悠さんに甘えてしまえば良かったかな……。
彼はそばで看病してくれそうな人だと思う。でも、それゆえにあのまま一緒にいたら、彼の仕事の邪魔をしてしまうだろう。それは不本意だ。
悠さん……。
彼と大人のキスをしてしまったことをふと思い出し、恥ずかしさと同時に風邪をうつしてしまっていないかどうか気にかかった。
連絡してみようかな。ううん、やめておこう。今は、少なくとも。
もう零時が近かった。冷蔵庫に残っていたもので適当にお腹を満たして薬も飲んだ。早く寝て、しっかり休養を取り、元気にならないと土曜日のデートに行けなくなってしまう。そんなのは嫌だ。
寝よう。夢で悠さんに会えたらいいな……。
そっと目を閉じる。彼との前回のデートを思い浮かべながら。
ドアホンが鳴っていることに気がついて、史華は目を覚ました。
なんだろう……。
時計は十二時過ぎを示している。外はすっかり明るいようで、カーテンの隙間から眩しい光が差し込んでいた。
何か届け物でも来たのだろうか。それとも何かの勧誘だろうか。
ドアホンには出ないで、そっとドアに近づいて外に誰がいるのかを確認する。関係なさそうなら居留守を使うつもりだったのだが――。
ドアスコープを覗くと、見知った顔がそこにあった。
色素の薄い髪、整った顔立ち。およそこんな庶民的な場所には合わないだろう雰囲気を醸し出している青年――緒方悠の姿がドアスコープ越しに見えている。
「な、なんで⁉︎」
幻覚でも見ているんじゃないか、そう考えると同時にドアを開けてしまっていた。
「こんにちは、史華ちゃん。体調はどうかな?」
本物だ。
史華は熱が上がるのを感じた。そして自分がパジャマ姿だったのを思い出し、ドアから手を離して自分の服を手で隠した。
「ど、どどど、どうして悠さんがっ⁉︎」
閉まりかかった玄関ドアを悠は片手で支えて、部屋に一歩踏み込んでいる。
「だって、風邪で倒れたって聞いたから心配で。昨日の様子もあんな感じだったから、気になるでしょ」
彼はすっかり身体を部屋の中に入れて、片手でドアを閉める。丁寧に鍵もかけてくれた。
「え、あの、その、もう大丈夫ですから! 大事をとって仕事を休んだだけですし、明日からはちゃんと掃除しにいきますので!」
物で散らかっている部屋に入られるのは申し訳ないし恥ずかしい。しかしそれ以上に見られるとまずいものがあった。最近大量購入した小説だ。表紙もタイトルも、知られるわけにはいかない。
「そうは言うけれど、独り暮らしじゃいろいろ面倒でしょ? 俺も経験あるし。ほら、コンビニで消化に良さそうなもの、買ってきたから」
悠がコンビニ……などと、似合わないと思いながら彼の手元を見る。お弁当らしきものと栄養ドリンクが入っているのが目に入った。
「う、うちは悠さんの家と違って、友だちが来ても座る場所もないくらい散らかっているんです! お、お気持ちはありがたいですけれど、か、帰って――」
すっと伸びてきた手が史華の額に触れて、続いて彼の顔が迫ってきた。互いの額がぶつかる。
ひゃっ……。
キスをしたこともあるのに、この距離が想像以上に恥ずかしくて、ますます体温が上がった。顔も真っ赤になっているに違いない。
「は、悠、さん……」
「まだ熱はあると思うよ。栄養のあるものを食べて、寝ていたほうがいい」
離れていくのを、寂しいと感じてしまうのは浅ましいことだろうか。そんな感情の揺れ動きに、自分が弱っていることを自覚する。
「食べたところを見届けたらすぐに帰るから。ね。いいでしょ?」
にっこりと笑顔を向けられる。
そんな顔は反則です……。
史華が困っていると、身体がふわりと浮いた。悠に抱き上げられてしまったのだ。
「ちょっ、待って、悠さんっ‼︎」
「暴れると落ちるよ。おとなしく掴まってて」
「…………」
「お邪魔します」
こうなってしまったら諦めるしかない。小説が転がり出てこないことだけを祈りながら、史華は悠の首に腕を巻きつけたのだった。




